東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 大波野周辺ウォーキングの下見1 (2/3)

2015年05月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 誓立寺では中に入らせていただき拝ませていただきました。内部の装飾は、とても荘厳で立派でした。夏に盆踊りをするなど、この地域にとても根付いているお寺だと思います。なお、本番ウォーキング時にこのお寺を訪れるかどうか、まだ決めかねています。少なくとも、トイレを使わせていただけるのは長所です。

                   拝ませていただいた、とても荘厳な誓立寺内


 誓立寺を出ると、昔に船を繋いでいたと伝わる石を見ました。何の変哲もない長細い高さ2m位の石です。何の文字も刻まれていません。次に、道しるべとして使われていた石柱を見ました。「東は余田、北は塩田・・・・」と刻まれています。その昔は、誓立寺前の道が街道だった名残ではないかと思います。

  かつて船を結んでいた石   かつて道しるべだった石柱    誓立寺北にある荒神社
  

 道しるべの石柱を見ていると、向かい側の家から中学生時代の同級生が偶然現れました。彼は今、誓立寺の総代をしているとのこと。彼が加わったことで、昔話など懐かしい話で笑いの輪が広がりました。次に誓立寺の北側に行って荒神社を見学しました。

                 お昼休憩をした納蔵地区農村公園


 この頃になると、お昼をだいぶ過ぎていました。予定では山の上にある妙見社で昼食休憩を取ることしていました。しかし、誓立寺を過ぎた頃にすでに午後1時になっていました。このため、急遽納蔵地区農村公園でお昼休憩としました。今回の下見は、大幅に予定がずれてしまいました。本番ウォーキングでは、コースを大幅に省略する必要があるようです。

  残骸化した古墳の石室       納蔵原古墳を見学      惣津集落を散策
  

 13:30頃、納蔵地区農村公園を出発しました。誓立寺のお墓群がある脇の道を通って納蔵原古墳に向かいました。途中、この道の工事中に破壊した古墳の石室の残骸が無造作に放置してありました。せめて、発見された当時のままに石室を組み立てておいたらと思いました。古墳に興味が無い人たちにとっては、工事の邪魔になったタダの石ころだったのでょう。納蔵原古墳を見学後、惣津集落を通りました。そして、金毘羅社や妙見社に向かって進みました。

                    下見で歩いた田布施町大波野地区

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