東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

上関町 楽しかった祝島ウォーキング(2/2)

2014年05月15日 | 歴史探訪他ウォーキング



 平さんの棚田に到着すると、周りを少し散策しました。最初は2段程度の棚田かと思いきや、5段近くありました。小屋の上にある1段は田んぼとして使われていましたが、その段以外の棚田は使っていないようでした。平さんにお話しを伺うと、田んぼとして使っている棚田はやはり1段だけとのことでした。その使っている棚田も少しずつ水が抜けるそうです。

  石垣のような棚田を上がって小屋に          田んぼの畔から小屋を見おろして
 

 到着したのが12:30頃でした。棚田を少し散策すると、平さんを中心にして昼食休憩をしました。平さんはすでに昼食を済ませたようで、昼食中にいろいろとお話しを聞くことができます。特に先代の棚田作りの技についていろいろ聞きました。
 祝島のような急な山の孤島では、雨が降るとすぐに海に流れてしまうそうです。その水をいかにして留めておくかが、工夫のしどころとのこと。このため、ため池作りも棚田作りも同じような技が生かされていたようです。水が漏れないないようにため池を作ることは、相当な知恵や技が必要だったにちがいありません。

                 平さんを中心に、豊後水道を見ながら昼食休憩


 今回の祝島ウォーキングに参加した人は17人でした。人数が多いため、二つに分かれて昼食休憩しました。1つのグルーブは、棚田広場の上に敷かれたゴザ(平さんに用意していただく)に平さんを中心に座って昼食休憩しました。もう1つのグループは、小屋の中で食べました。日差しが強かったため、外での食事は少し暑かったです。しかし、小屋の中は土壁で囲まれていたためかとても涼しかったです。小屋の中を少し拝見させていただくと、囲炉裏がありました。また、唐箕などの手動の農器具がたくさんありました。

     少し暑かったかな、外での食事           涼しい小屋内での食事
 

 食事が終わると平さんに、米作りなどの話を棚田の田んぼに行って教えていただきました。また棚田の特徴、例えば水が流れこむ穴や大水の時の水抜き穴の工夫なども教えていただました。また、石組みの底に通じている穴などについても教えていただきました。かつて、その穴が本当に下段の棚田と通じているか確かめるため、下段の穴で火を燃やしたそうです。すると、上の段からちゃんと煙が出て来たとのこと。

       きれいに代かきされた田んぼ          田んぼの畔に立って棚田の説明
 

 棚田の最奥上部に行ったみました。すると、採石場のような場所、古墳の石室を思わせる石蔵、降った雨を集める溝などの工夫があちこちありました。急斜面を転がり落ちて木の幹で止まった大石などがありました。とてもがけ崩れしやすい谷のようです。このまま手入れをしないと、この棚田は数百年ももたないで崩れてしまうように思いました。

                   棚田の巨大な石組み前の道路にて


 棚田の一応の説明を聞き終ると、道下の棚田も見学しました。道下には2段の棚田がありました。ここ数年は、田んぼとしても畑としても使っていないようです。その広い場所は雑草で覆われていました。下から2段目の石組みには、かなめ石と呼ばれる大石がありました。人が手を広げても届かないようなその大石は、石組み途中に置かれていました。このかなめ石を外すと、支えを失って棚田は一気に崩れてしまうのでしょうか。こんな巨岩をどうやって運び出し、この場所に置いたのでしょうか。

                 2段目の巨大な石組み、人の大きさと比較


 最も下の1段目の石組みは上からは見えません。1段目の石組みを見ようと、降り口を探してみましたがありませんでした。どこかにか降り口あるのでしょうが。1段目の石組み側は谷底のように深くなっています。しかも大木が生えているため、石組みの全容がまったく見えません。見えたならば、これまた巨大な石組みで構成された棚田ではないかと思われます。先先代が一番最初に作った棚田ではないかと思います。再度この棚田に来ることがあれば、1段目の棚田を海側から見上げてみたいと思います。

    別れ際、再度平さんに説明を受ける        平さんの棚田に分かれを告げる         
 

 午後2時時過ぎ頃に平さんの棚田を出発しました。連絡船が出港するのは午後5時のため、十分に時間があります。左右に広がる景色を見ながら、のんびりと港に向かって歩きました。舗装された道ですので、段差や石につまずくこともありません。途中、道の草を刈り取っている方々とすれ違いました。これから、秋にかけて定期的に草を刈り取るのでしょう。特に真夏の草刈りは大変だと思います。ご苦労様です。

        脚の長さを考えると、Aちゃんは大人の倍以上の歩数を歩いたのかな?
 

 道をのんびりと歩いていると、上関の長島が見え、続いて祝島の港が見えてきました。そして、牛島や、その向こうに千坊山などの山々が見えてきました。坂を下れば、港はすぐそこです。

           1時間程度のんびり歩いていると、祝島の港が眼下に見えてくる


 行きは上関小学校の校庭を通りましたが、帰りは大歳神社に寄りました。この大歳神社、恵比須神社も一緒にあるようです。石階段を登ってお参りしました。神社の最奥部にはとても古くみえる石遺跡のようなものがありました。年号などが彫られていないため、いつの時代のものかは判定できませんでした。神社にお参りすると海岸に降りました。そして海岸伝いに港に行きました。最近開店した喫茶店で1時間程度時間をつぶしました。

    時間をつぶした港の喫茶店           海が見える連絡船の甲板に座る
 

 午後5時少し前に連絡船がやって来ました。団体割引の切符を購入すると、さっそく船に乗り込みました。来たときと同じように、波しぶきや島々がよく見える甲板席に座りました。
 出港後、しばらくして後ろをふりかえると祝島が見えました。祝島は海岸から山が立ち上がっているため、人が住む平地がとても少ないことが分かります。古来この島に暮らす人々は、平さんのように急斜面を開墾しながら厳しい生活してきたのでないかと思います。

              船から祝島を振り返って、海岸から急な斜面が立ち上がる島影


 ところで、私の父親の親元である中田姓は祝島の出身です。150年位前に祝島から平生町に移り住みました。言い伝えでは、平生町にある塩田に薪を運んでいた船乗りだったとのこと。祝島に中田姓の人が住んでいるかどうか聞いてみましたが分かりませんでした。全員が島を出たのか、絶えてしまったのでしょうか?また、私の高校時代の同級生I君も祝島の出身なのですが、これも分かりませんでした。再度祝島に来ることがあれが聞いてみようと思います。

     上関大橋の下をくぐって室津に戻る       下船した連絡船「いわい丸」
 

 初めて訪れた祝島、とても楽しくウォーキングすることができました。今回参加された方々も、同じく楽しめたのではないでしょうか。毎月の定例ウォーキングの他に、今回のような特別ウォーキングもいいものです。来年も、島か近県をウォーキングできたらと思います。今回は、よく晴れた快適な祝島ウォーキングでした。参加された方々、お疲れ様でした。

            祝島の港から平さんの棚田への、片道約4.3kmのコース

==========健康ウォーキングクラブ==========

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