ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

自分ならではのアートなステイケーション・・・

2010年03月31日 | Weblog
「メトロミニッツ」2010.4月号より。

特集は“東京ARTステイケーション」となっていた。以前も一度取り上げたことがあるが、このステイケーションとは英語のstay(とどまる、滞在する)+vacation(休暇)のことだ。わざわざ長距離の移動をしないで、自宅や近場で過ごす休暇という意味で、アメリカで生まれた造語だった。

今回はアートはどうだろうという提案だった。アートというとなんだか特別なもののような気もするが、べつに美術館や博物館、ギャラリーに展示されているものばかりを頭に浮かべる必要はないのだ。

むしろ先入観をなくせば、生活の中や街の風景にもそれを感じられるかもしれない。たまたま街に出てみて、そこで知らない作家の展覧会があれば覗いてみるのもいいかもしれない。そんなところから意外な発見や刺激が得られる可能性もあるし。

また、この季節は庭や道端、公園にはさまざまな草花が咲きだしてくる。それらを眺めるのもけっこう楽しいひと時でもある。また、さらに樹木や花の名前を知ろうと植物図鑑などを眺めるのも楽しいかもしれない。身近でも知らなかった植物が多いことにも気づく。

また、先日地元の図書館に行ってみたら、そこに県内外の美術館や博物館の展覧会の案内パンフが置いてあった。それらのいくつかを眺めてみるともう、それだけでもアートの予感がする。A4サイズのパンフには作品の写真が実にうまくレイアウトされていて、眺めているだけでも楽しく感じた次第。

さらに数日前のこと、都内の大きめの書店で、ふだんは行かない洋書コーナーに行ってみたのだ。しかも漫画コーナーだった。日本でベストセラーとなった漫画の英語版(きっとアメリカで売られているのだろう)は表紙を見るだけも興味深い。ドラゴンボール、のだめカンタービレ、おいしんぼ、ワンピース・・・実に多くの漫画が英訳されていた。

そういえば、「花より男子」は英語で“BOYS over FLOWERS”となってた。そのほかアートなステイケーションとしては、地元の古い建築物、切手、包装紙、手提げ袋、お菓子のパッケージ、本の表紙・・・。こう想像をめぐらしてみると、アートは思いのほか身近にあることにも気付いた次第。

自分がいる部署の問題点を解決するために「企画力」が必要なのだ、という発想を持つこと・・・

2010年03月30日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

企画部という部署は確かにある。しかし、そこですべての企画が考えられ出来上がるわけではない。「新製品の企画」「番組の企画」「本の企画」などだけがクリエイティブなものだと考えがちだが、そうではなかった。

「余った在庫をどうするか」「売れない商品を売り込むには」「効率的な決算業務を考える」など営業、経理部門でも常に企画は必要とされている。宣伝や経営企画の部署にいる人だけが企画を考えればいいという時代ではなくなってきている。

日常のルーティーンワークは外部業者やパートさんでもできるようになってきた。正社員に要求されてくるのは、自分で企画を立てて、チームを組んでプロジェクトリーダーとして働くことになってくるようだ。

企画力はもうクリエーターと呼ばれるような人たちだけのものではなくなっている。今いる部署の問題はいくらでもあるに違いない。それをそれをどうやって解決するかは企画力にかかわってくる。それで人も自分も組織も幸福になれれば理想的なんだがなぁ・・・

オヤジの「あのころ」を刺激する企画・・・

2010年03月29日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

前日のジャニーズ関連の内容になるが、もう5年ほど前(2005年)に大ヒットした『青春アミーゴ』は「あのころ」の感じを思い切り突いたタイトルだった。

しかも歌詞のなかにある「地元じゃ負け知らず」というワンフレーズもオヤジさんたちの郷愁を誘っていた。実際には子どものころに勝ち続けたというわけではないだろうが、“幻想の世界”ではそうだったのだろう。

上京して盛り上がったあの頃を思い出したのかもしれない。そして、ふだんはCDを買わない50代、60代のオヤジさんたちも、男女の若者に加えてCDを買いに走って、宴会やカラオケで歌ったのだ。その世代にとってはCDなど安いものだ。

もちろん楽曲が新鮮なサウンドで耳にも心地よかったことも成功要因だろうが。これも別のグループのエースのタレント同士を組み合わせたカップリングのうまさが成功した企画例でもあった。

今後も繰り返し「あのころ」を刺激する企画は生まれてくることだろう・・・な。たんにカッコいい男の子を集めればいいわけではなかった。ジャニーズ帝国の企画、恐るべしだな。

テンションの絶妙な低さが持ち味・・・

2010年03月28日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

ここでは「成功した企画のエッセンス」というトピックで書かれていた。そのなかで、テンションを上げると、力が抜けてしまうという人がいるとあった。それはタレントのKinki Kidsの堂本剛君だった。彼がやっていた『堂本剛の正直しんどい』という番組もあるくらいだから笑える。

以前齋藤先生がCMのために無理に「ミッション!パッション!ハイテンション!!」という氏のフレーズにつき合ってもらった直後に「先生、悩みとかないんですか」と言われて、二人で脱力したそうだ。

ジャニーズはタレントをカップリングさせて売り出す手法に成功している。これは企画が成功しているからだった。Kinki Kidsでは、二人の持ち味の違いに新鮮さがあったのだ。

剛君はどちらかというと、外に出るより家にいるほうが好きらしい。家で魚を見ていると落ち着くという。一方、光一君は美少年で絵に描いた王子様タイプだが、しゃべるとかなり攻撃的という意外性があった。

これがこのカップリングが成功した要因でもあったのだ。SMAP、V6、TOKIO、KAT-TUN、嵐、NEWS・・・どれも主役を置いて、さらに個性的なメンバーを揃えてチーム編成しているのが成功要因でもあったのだ。

人が「あのころ」と言うとき、本来は、人それぞれの「あのころ」があるはず・・・

2010年03月27日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

日本で「あのころはね・・・」と言ったときの「あのころ」とは、昭和30年~40年代の感じだという。つまり昭和らしい感じが残っていたころのことだろう。この期間は約20年間にわたっている。

とくに今に生きる中高年世代、40代後半から60代の人にとっては特にそう思えるのではないだろうか。日本の高度成長期だったころが懐かしく感じられる。平成になったころのバブルの期間は2~3年の短い期間で、その後長い低迷した時代に入っているからその期間は「あのころ」という思いはない。

昭和30年代から40年代は、努力すれば、それなりに報われた時代だったのだろう。海外からは日本はエコノミックアニマルなどと呼ばれていた時代もあった。エネルギーを感じる頃だったのではないだろうか。

あのころには、新幹線開通、東京タワー完成、長島、王が活躍、「巨人・大鵬・たまご焼き」などの言葉も生まれていた。東京オリンピック、大阪万博・・・いろいろ輝いていた昭和時代を思い出す。

成功した企画という面からみれば、映画の「フラガール」「三丁目の夕日」などはその時代を懐かしめ、勢いがあったからこそ多くの人の共感を呼んだのだろう。このような「あのころ」を描いた作品が2年連続で日本アカデミー賞を受賞したのもそこに描かれた物語、風景、人情、エネルギーなどすべてが人の心に訴えたからなのだろうな。

「考える総量に比例してお客さんは動機づけられる」

2010年03月26日 | Weblog


『「買いたい!」のスイッチを押す方法』小阪祐司著より。

考える総量が、相手を啓発する力を左右する。つまり売るためにたんにテクニックだけを磨いても長く続くビジネスとなるわけではに。上手にDMがつくれることは一つの要素に過ぎない。

考えに考えている人は、考える総量が違っているようだ。エネルギーが違えば、そこから生み出されてくるものは違ってくる。それを継続できたとき消費者はついてくるのだろう。

相手を喜ばせようと、相手の気持ちを読み考え、具体的なプランを組み立てられるか。人の心をつかむには、そんな活動を継続できるかどうかにもかかっていたのだろう。消費者は今では、モノやサービスよりもむしろ「未来の私」を買いたがっていたのだ。

どうしたら、人がワクワクできるのかを具体的に示すことができた人だけが、それなりの結果をつかむことができるのだろうな。できれば、その本人さえも気付かなかった素晴らしいものを見つけられれば理想的なんだろうが。

感性情報デザイン。

2010年03月25日 | Weblog
『「買いたい!」のスイッチを押す方法』小阪祐司著より。

初めて目にする言葉だった。いったいどんなものだろうか。人を動機づけるカギは、人の感性に影響を与えることのできる情報、「感性情報」だったのだ。

そして、買い物する脳のスイッチを押すのは実にささやかな働きかけでもあった。あるフランスワインは一枚のスライドで、椅子は一枚のDM、模型飛行機はPOPに書いた二行だけで可能だった。

別の具体例があった。それはソファで、ある家具店の店主は味のある手書きのDMを送っていた。そこのはじめの部分は次のように書かれていた。「夫婦円満♡ソファ」って何だあ?から始まっていた。次は「三人用ソファにお父さんがゴロリと横たわっている・・・その逆もあるかもしれませんが・・・(笑)

こんなふうにかなりくだけた調子で書かれていた。かなりの文章力が必要かもしれないが、お客さんの立場に立ってわかりやすいことが何より大事だとわかる。

また、どこにでも売られているプリンを一カ月で1,000個も売れるようになった例があった。その店の店主はチラシに商品説明や価格の訴求はしてなかった。次のような文面から始まっていた。

「いろいろお話を聞いていくうちにこのプリンが何でこんなにおいしいのかがわかったんです! 実はこのプリンを開発した人はTVチャンピオンのプリン王だったんです!・・・」と。これを最後まで読むとなかりの名文になっている。なんだかそう言われると一度そのプリンを食べてみたくなってしまう。

感性情報といわれるものを、どんなツールを使ってどうやって人に伝えようとするのか、それを「感性情報デザイン」と読んでいるのだろうな。お客さんはたんにプリンを買いに来たのではなく、ワクワクするような話題を、未来を買いに来たのだった。

「人生観が変わった椅子」に座りに来た。

2010年03月24日 | Weblog
『「買いたい!」のスイッチを押す方法』小阪祐司著より。

これだけ取り出してみても何のことかわからない。これは地方のある家具屋さんで、毎年1脚か2脚しか売れなかった椅子が大量に売れるようになった話からのフレーズだった。

その家具屋の店主は、顧客に対して動機づけを考えたのだ。まず自店の顧客名簿をもとにDMを送ることにしたのだが、問題はそこに何を書くかだった。「人間工学を駆使した椅子。座ってみませんか?」や「特別に2割引き」と書いても関心は持ってもらえない。

店主は次のように書き始めたのだ。「いやぁ~、もう、読書するならこの椅子やと思いましたね!」椅子のことよりも読書の話を中心に持ってきた。主な内容は次のようなことだった。

1、誰にも邪魔されずに大好きな本をじっくり読むことが至福の時間。2、ここでの邪魔とはお尻や背中が痛くなってくるという不快感のことだった。3、それを解決できるのがこの椅子かもしれない。4、自分がこの椅子で五木寛之の『林住期』を読んだときがいかに至福の時だったか。

商品の機能についての説明はしていない。するとこのDMを読んだ顧客が多く来店して「あの読書の椅子はどれ?」といって座ったのだ。そして、実際にその心地よさを実感した人が購入したのだ。まずは来店して座って試してもらうことがスタートだった。

購入者は感動して「人生観が変わったよ!」と電話をしてきたという。すると店主は今度はそのフレーズを入れたDMを作成して再度顧客に送ったのだ。お客さんの生の声は説得力があるらしく、また多くの来店があり購買に結びついたという。

つまり、「人生観が変わった椅子」に座りに来たからこそ、買う気になったということになる。購買行動を作りだすマーケティングはちょっとした工夫から始まっていることがわかる。実はそのちょっとしたことは意外に思いつかないものだが。

会社に正社員として守られることは、それだけの覚悟と犠牲を払う必要がある。

2010年03月23日 | Weblog
「R25」2010.3.19号より。

久しぶりに、このフリーペーパーを手にすることができた。もちろん読もうと思えば、ウェブでも読めるだろうが、やはり紙に印刷されたもののほうが読みやすい。

これは最後のページにあった連載エッセイ「空は、今日も、青いか?」(石田衣良)からのワンフレーズだった。3月といえば、卒業と別れのシーズンでもあり、また就職や入学の時期だ。

そんな時、既に仕事に就いているものには、不本意な異動や転勤が付きまとったりもするもの。しかし、その組織に属している限りはかなり理不尽なことも受け入れざるを得ない。場合によってはリストラ対象にもなってしまう。こんなことも石田氏のいう、覚悟と犠牲というものだろう。

いったん、会社や役所にしても何らかの組織に所属し、そこから給料をもらっているなら、その組織のいいなりになるしかない。とくにこの不況の中では、そこにいることで守られているという意識を強く感じるものだ。

人件費の削減で労働条件はますます悪くなっている。近ごろマスコミによれば、35歳の平均年収が10年前より約200万円も少なくなっているとの報道もあったが、それは実に大変なことだと思えた次第。

就職氷河期はまだまだ続きそうだ。まずは正社員として就職できればましだろうが、それでもその後は厳しい現実が待っている。今は当分地道にコツコツやって耐えるしかないのだろうか・・・

企画を立てるのは、パーティー的な感覚やプレゼント敵な発想に近い・・・

2010年03月22日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

ここではまず、放送作家の小山薫堂さんのことについて触れていた。彼の企画はテレビ番組以外でも店舗のプロデュースも含めいろいろな分野で成功をおさめていた。エピソードのなかでは、小学生のころから誕生日プレゼントマニアだったという。

プレゼントして喜んでもらいたいというのは、視聴者やお客さんに喜んでもらいたいのと同じことだったのだ。だからスタッフにも、番組作りには誕生日プレゼントを贈る気持ちで作るように指示しているそうだ。

「なぜ企画を立てるのか」は「人を喜ばせたいから」を原動力として習慣づけることが大切らしい。「誰を、どう喜ばせたいのか」と考えるとより具体的になるのだろう。そうすることで、企画そのものがより見えやすくなってくる。

たとえば、人を喜ばせるという観点で成功したのがプリクラだった。これを思いついたのは、ゲーム会社の営業部の女性社員だったのだ。友だちとの思い出を作って楽しみたいというときこれはお手軽なものだったのだ。

その後、爆発的なヒット企画に発展している。まだまだ続いているロングセラー企画商品ともいえる。いいアイデア、思いつきには別に企画部や開発部である必要はないということもわかる。消費者に一番近いところにいる営業部門からのヒントは大きそうだ。


いい企画とは最初にある程度、意表をつくもの・・・

2010年03月21日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

この言葉のあとには「かつそれが出てくると、“なぜ、今までこれがなかったのだろう?”と思わせるもの」だと述べている。世の中でウケているもの、ロングセラーになっているものは、たいていそれが当てはまりそうだ。

今やケータイ(電話)はほとんどの人にとって一度使い慣れてしまえば、すっかり必需品になってしまう。歩きながらでも遠くの人と話せるというのは、実に意表をついている。ヒット商品というより、これからもどんどん進化していくのだろう。

ニンテンドーのWiiがヒットしているのは、ゲームを自宅室内でお手軽に体感できるとか、更にはゲーム感覚で健康を目指せそうなソフトをたくさん開発し続けているかではないだろうか。

ゲームをやりながら健康を目指す、ということ自体かなり意表をついていることに思える。健康のためにわざわざ味気ない運動をやっても続かないもの。確かに楽しみながらのほうがいいに決まっている。でも、同じゲームだけでは飽きが来るだろうが。

庶民の健康志向とゲームとの組み合わせは、今後もどんどん開発されていくに違いない。いま使っているケータイだって、当初はそこから情報を得たり、メールでやり取りがメインになるとは思ってなかったし・・・。当たり前な企画や製品じゃ誰も見向きもしてくれないか・・・。

自分の旬で勝負することを、“最大瞬間風速方式”と呼んでいる。

2010年03月20日 | Weblog
「齋藤孝の企画塾」齋藤孝著より。

春は特に風が強い日が多い。今日もそんな一日だった。そんな中でも、突風が吹いていくると、家の庭にある何かが倒れるのではないかと不安になったりもする。しかし、企画を練っている場合なら、いい意味でそれを旬とらえるのがコツのようだ。

つまり今の自分がノッている状態なら、その勢いを利用するというのもいいようだ。すると他人も説得しやすいということになるのだろう。もし営業なら、成績のいい時に意見を具申してみれば、意外に聞いてくれるかもしれない。

逆の表現をすれば、自分の中で盛り上がってないものを企画として出しても、相手の理解を得るのは難しいのだろう。また、成績が落ち込んでいる時なら、せっかくのいい意見も説得力がなくなるかもしれないな。

齋藤氏は「“何をやりたいのか?”と聞かれたとき、“これをやりたい!”とはっきり言えるような、少し偏ったパッションが企画のなかに息づいていることが大切」と述べている。

実にごもっともだと思えた次第。実際気分もノッているときはそうそう長く続かない。「あとで」なんて思ったら、気持ちも覚めてしまうものだ。思い立ったら吉日で、最大瞬間風速を利用したいものだな。

個性の前に必要なのはスキル。

2010年03月19日 | Weblog
「朝日新聞」2010.3.14付けより。

(前日のつづき)
押井さんのいうスキルとはいったいどんなものだろうか。彼は次のようにも言ってる。「さまざまな学校でスキルを身につけるのではなく、仕事の現場に出てこいと言いたい」。

つまりスキルが必要だとはいっても、単なる学問としてのスキルではなく、実際に現場で使えるような自信というようなものを指しているのだろう。

しばしば子どものころから、「個性を伸ばそう」と言われ続けて育てられてくると、自分だけは特別かもしれないと勘違いしやすい。

ところが、社会に出ると「個性だなんという前に、当たり前のこともできないのか、と理不尽な現実に突き当ります」と押井さんは指摘している。

そんなことは十分ありえるだろう。だからこそ、個性の前に必要なのはスキルだと述べている。それは社会生活を営むために最低限必要な基本的なこと(=当たり前のこと)という意味かもしれない。

もっと簡単に言えば、「いくらカッコイイこと言ったって、結局基本ができてなけりゃね」とか場合によっては「それなりの成果がともなわなければね~」っていうことなんだろうな。

さらに欲をいえば、その仕事にやりがいを感じるか、また楽しめるか、仕事を通じて誰かを喜ばせられるか、などがあればいいんだがな~

会社員かもしれないが社会人とは言えない・・・

2010年03月18日 | Weblog
「朝日新聞」2010.3.14付けより。

“朝日求人”のインタビュー記事の中で、押井守さん(映画監督)が語っているなかでのワンフレーズだった。押井さんは「厳密に言えば、所帯を持って家を建て、休まず会社に通っていたとしても、・・・」という言葉のあとで上記のように述べていた。

こんなフレーズがちょっと気になったのは、たまたま数日前にサントリーBOSSの缶コーヒーの宣伝コピー、「大人になれば、大人になれると思ってた」というフレーズを取り上げて触れていたからだった。

ただ年齢が二十歳に達したからといって、ほんとうの意味ではまだまだ子どもだったりするもの。ある意味身体は成長してすっかり大人だったりすることもあるが。似たようなことは社会人という意味でも言えそうだ。

さて、押井さんはどんな人を社会人と言っているかといえば、「自分のスキルで世間を渡っていくことができるようになった人」をそう呼ぶのだと語っていた。これは彼自身が仕事を通じて実感したことだったのだろう。

私は社会人とは、そこそこの自信を持ちながら家庭のことや仕事もできるようになった人とも解釈したいと思っているが。学生生活を終えて仕事の世界に入ったからといっても、やはり単純に社会人だとは言えないかもしれないな。

havingの消費からbeingの消費へ。

2010年03月17日 | Weblog
『「買いたい!」のスイッチを押す方法』小阪祐司著より。

ここには、『「being」とは「存在そのものの価値観や生きがいといったもので、満足して生きる基本となる部分」(堀之内高久横浜国大准教授)』という説明があった。

心理学の世界では「being」「doing」(すること)「having」(所有)という概念があるらしい。これからの動機としては「こんな自分になりたい」というようなことが消費につながるようだ。

たとえば、自分のbeingにつながるものに出会ったら「そうそうこういうものを探してたんだよね!」「こういうものが欲しかった!」などと叫ぶらしい。

それによって理想の自分に近づけると思うのだろう。こんな情動を「フルフィルメント」ととも呼んでいる。さらに、これを小阪流にいえば、「ワクワク」と呼んでもいいようだ。

ハーレーライダーたちが、ハーレーにまたがって風を切るとき・・・彼らは「これぞ私だ」と感じているようだ。なりたい自分にになるための消費が「beingの消費」ということになる。筆者はこれからのビジネスは「なりたい自分」を支援するものが増えるだろう予測している。