ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

『おくりびと』以外の映画を観ていた・・・

2009年02月28日 | Weblog
本場のアカデミー賞で外国語作品賞としてオスカーに輝いた『おくりびと』が注目されている。その影響でますます映画館への観客動員数は増え続けることだろう。

しかし、そんなこととは関係なく、この1週間で2本の作品を観てきた。1本は数日前に触れた『少年メリケンサック』だった。宮藤監督作品というところに注目していたが、パンク(ロック)を25年ぶりに再結成する中年オヤジの姿には、予想以上にユーモアが盛り込まれていた。

そして、もう1本は『旭山動物園物語』だった。これは、西田敏行が主役ということだったので、ぜひ観たいと思っていた。個人的には今、日本で最高に演技がうまい俳優の一人だと確信しているからだ。事実が元になっているところも興味深かった。

また、もうひとつの理由は数年前に『陽はまた昇る』という同じく西田が主人公を演じた作品を観ていたので、それとの比較も関心があった。『陽はまた~』ではビクターの横浜工場に左遷させられた事業部長役で、ソニーのベータ方式とビクターが開発したVHS方式の統一規格をめぐって、勝利するまでが描かれていた。

成功物語という点では実に『旭山動物園~』とよく似ている。旭山動物園もほとんど閉鎖寸前まで追い詰められて、苦労の末日本一の来場者を記録するまでの成功物語だった。

むしろ、どちらもかつてのNHKの番組「プロジェクトX」を映画化したものにさえ思える。いくつもの困難を乗り越えて目標(大きな仕事)をやり遂げるというところは全く共通しているともいえる。主人公が退職し去っていくエンディングはまったく同じだった。

『陽はまた~』のほうは最後に感動して涙が止まらなくなってしまうほどだったが、『旭山動物園~』では動物園の企画が成功して来場者が増えるまでが、あまりに急展開過ぎた感じもした。そのせいかややもの足りない印象が残ってしまった。いずれにしても、西田敏行は似たような役どころを見事に演じていたな。さすがだと感じさせる。

広告はまず、人を驚かさないと気付いてもらえない・・・

2009年02月27日 | Weblog
「Pen」2009.3.1号より。

当たり前すぎる広告だと印象に残らない。気づいてもらえなければ、もしかしたら無駄になるかもしれない。テレビのCMも面白ければ見てくれるもの。15秒は短いようだが、それだけでいろいろなイメージをあたえることができる。

佐々木宏さんは独立しているが、クリエイティブ・ディレクターをしている。佐々木さんはどうでもいいCMが流れると、情けなくなるとも語る。観た人に対して「キレイだな、カッコいいな、面白い!」などの印象を残せないと、本当に申し訳ないという。

そして、彼の作るCMはさすがに印象に残っている。たとえば、ソフトバンクのホワイトプランで白犬がお父さんという設定の一連の「ホワイト家族」シリーズだ。毎回あのお父さん(白犬)は、どんな動きで何を喋るのだろうかと興味深い。

また、江崎グリコの「サザエさんの25年後」を描いた「オトナグリコ」のCM。サザエさんはもともと国民的な漫画だという前提で作られている。カツオ36歳、タラちゃん28歳、イクラちゃん26歳。「あ、大人になってる。」というところが新鮮に映る。

さらに、サントリーのコーヒー飲料のBOSSのCMでは「働く男の相棒」をテーマにしている。アメリカの俳優、トミー・リー・ジョーンズの日本のさまざまな現場で働いている設定だ。その本人が真剣な表情ほど面白く感じられる。

やはり広告もCMもこんなふうに、意表をついてくれないと面白く感じないか・・・な。それを発想する現場の方はかなり苦しかったり、厳しいとは思うが。

単線で走ってきた人生を複線化してくれる。

2009年02月26日 | Weblog
「レジェンド伝説の男白洲次郎」北康利著より。

この複線化してくれるものは何かといえば、ここではこのフレーズの前にある“結婚というものは”となっていた。

白洲次郎と正子との結婚は、(とくに正子の親には)歓迎されなかったようだ。しかし、「白洲さんと一緒になれなかった家出します」とまで正子は宣言して、強引にゴールインしていた。

そして、正子側の人脈には近衛文麿、吉田茂といったような人物もいたのだ。その人脈こそがその後の白洲の活躍する場を提供していた。これを称して“人生を複線化”と筆者は表現していたのだろう。

この複線化とはやや異なるかもしれないが、別に結婚に限らず、たまたまある人と親しくなって、その人の側に自分にとって影響の大なる人がいれば、そのことで人生の転機が訪れるかもしれない。

また、身近なところではネットでの交流もある意味人生を複々線化してくれるともいえないだろうか。それは、自分一人では思いつかなかったようないくつもの貴重な意見に出会えたりするからだ。

まずはウェブを通じて自分から何か意見を発する、情報を提供するということを継続すれば、いずれ何らかの形で返ってくるような気もしているが・・・

“10年いっちょまえ説”

2009年02月25日 | Weblog
「メトロポリターナ」2009.2.16号より。

これは「咲かせるための、日々のココロエ」というタイトルで糸井重里さんが語ってるなかにあったもの。もともとは吉本隆明氏の言葉だったようだ。

つまり、どんな仕事でも、10年間毎日休まずに続けたら必ず一人前になれるという意味らしい。糸井さんは『ほぼ日刊イトイ新聞』を開設してから一日も休まず10年間更新し続けている。(まあその前から一流のプロですがね)

糸井さんは「毎日やることは“へんになる”ってこと」だともいう。だから、その道のプロというのは、みんなどこかへんらしい。つまり、ひとつのことを毎日繰り返していくと、うまくいくように変形してくるのだという。逆にいえば、世の中は変形してない人がほとんどだともいえる。

かつて何度かこのサイトを覗いたことはあるが、情報量があまりにも多すぎて、迷子になってしまうほどだった。実際には糸井さん以外の執筆人のほうがはるかに多い。そして、このサイトから生まれたのが『ほぼ日手帳』だという。

そこにメモした普通の日の“何でもないこと”は可能性の宝庫だとも語っている。メモから多くの仕事が生まれたというが、やはりそこはクリエーターを感じさせる。仕事以外で10年も続けていることってあるだろうか、とふと振り返ってしまった・・・

直せばいいものができるってものでもない・・・

2009年02月24日 | Weblog
「メトロポリターナ」2009.2.16号より。

こう言っているのは脚本家でヒットを飛ばしている宮藤官九郎だった。先ごろはオリジナル脚本を書き監督までやっていた。先週その映画『少年メリケンサック』を見てきたが、実に生き生きとして笑える作品になっていた。

一般には脚本は何稿にも及ぶ書き直しが必要だと言われるが、この作品では3稿で仕上がったという。それは自分で映画を撮るということもあり、その場で直していけるという自信もあったのかもしれない。

また、あまりにも書き直しを重ねるともとのよさや面白さがなくなってくるとも感じていたようだ。要するに手を入れすぎてカドが取れてしまうのを恐れたのだ。むしろ映画のなかでは言葉はその場のノリでほとんど自由に叫びまくっているようにも感じられた。

それが、パンクというものなのかもしれない。主役の宮崎あおいのノー天気OLぶりは実によかった。泣き、笑い、話す、怒る、走る、どれも体全体で表現していた。

佐藤浩市、木村祐一などが真面目に演じるほど笑えてきた。ここには、宮藤監督からは次々とアイデアが飛び出して、笑いの絶えない現場だったともある。映画を観てもそんな雰囲気は伝わってくる。

「パンクには何かをしたい、せずにはいられない、という“衝動”と“欲求”がある。そして、それは誰の中にもあるはずだ。」とも宮藤は語っていた。彼自身それを実践するかのように、脚本家、映画監督、俳優、ミュージシャンといろいろとチャレンジしている。荒削りだからこそよりリアルに面白さが伝わってくることもあるのだろう・・・な。

作戦を「練る」と「立てる」の違い。

2009年02月23日 | Weblog
「身体感覚を取り戻す」齋藤孝著より。

最近は「練る」という言葉を聞かなくなった。ここに「練る」のもともとの原義が紹介されていた。「糸・布・金属・土などを柔らかにし、あるいは粘り強さをあたえるために、強い力を加えて鍛えること」とあった。

硬いものも一度柔らかくすることで、強さを出していくという手法が「練る」だった。体もふだんから意識して柔軟性を養っておかないと、とっさの時にすぐにあちこちを痛めてしまうのも同じことだろう。

さて、しばしば「計画を立てる」はよく聞かれるが「計画を練る」まではいかないことが多い。「作戦を立てる」も、ただ一つの作戦を案出するだけでも用いられる。

しかし「作戦を練る」となれば、いくつもの作戦を比較吟味して、それぞれの良い点を組み合わせるながら、よりレベルの高い作戦へとブラッシュアップしていく意味合いがでてくる。困難な場合もシミュレーションをしておけば対処できることもあるだろう。

だから、計画にしても作戦にしても、練ることをしなければ、単に思いつきのものは長続きしなかったり、うまくいかないことが多い。文章にしても、よく練られたものは味わいがあったりする。どうしても、思いつきで書かれた日記などは深みが感じられないか・・・

「リクルートの入社案内」を四日間の合宿で作らせる・・・

2009年02月22日 | Weblog
「リクルートのDNA」江副浩正著より。

これを作るのは入社内定者だった。入社前の研修期間中に行われていたのだ。実に画期的なことでもある。まだ社会人にもなっていな学生に、その会社について書かせるというのは実に意表をつくことだ。それを人事マネージャーの前で発表させ、優勝チームを決めていた。

つまり書くためにはいろいろと取材しなければならなくなる。それを通じて会社のことについて深く理解をしてもらおうという意図があるのは当然だろう。同時に新入社員同士の連帯感も高まったようだ。(その時点では学生だろうが)

また、一方でこの内定者研修で入社辞する学生もいたようだ。それは会社の方針が内容が理解できたということかもしれない。しかし、この研修で入社前と後のギャップが少なくなったともいえるようだ。

やや蛇足になるが、氏はこんなことも述べている。「事件で私が逮捕された年、・・・約一千名の内定者がいたが、入社辞退率は五パーセント、と予想外の低率だった。・・・」。

それにしても、一千名の採用とはすごい人数だ。また今では会社側からの内定取り消しなどが行われいることから考えれば、辞退者がいること自体が不思議に思えてくる。

ところが、当時は事件の影響で内定者の半分以上が入社辞退するだろうとみていたが、内定者研修のおかげで五パーセントで済んだと述懐している。今なら内定取り消しの前に辞退者が出てくれれば会社は大喜び・・・?

「僕は一番表紙に力を入れている」

2009年02月21日 | Weblog
「リクルートのDNA」江副浩正著より。

この本のサブタイトルは“企業家精神とは何か」となっていた。自らの体験談が多く盛り込まれていて興味深い。しかも自身が逮捕されたことまでも述べている。

さて、上記フレーズは江副氏が東大新聞時代に、扇谷正造さんに、「週刊朝日」を初めて百万部の週刊誌にした秘訣を聞いた時に言われた言葉だった。

それは江副氏にとっては意外な言葉だったらしく印象に残っていたようだ。扇谷さんは「表紙だよ。書店に来た人は最初に表紙を見る。僕は表紙に一番力を入れている」と答えたそうだ。

人でも第一印象は顔をはじめとする外見で判断しやすい。実際にその人がどんな人かはその後のことだろう。つまり本や雑誌では内容に当たる部分だ。どうしても、本はタイトルや表紙で手にとってしまう、私。

とにかく手にとってもらうためには、表紙に力を入れることが先決だった。そこで、江副氏は一流のデザイナーに会社案内の雑誌の表紙デザインを依頼ていた。やはり思わず手にとってしまいたくなるような表紙はあるだろう。

ホームページならそのトップページだろうか。それによって、中身をのぞいてみたくなるようなものもある。ブログもかなり豊富に規制のデザインが用意されていて、自分のその時の雰囲気にあったものが使われているのかもしれない。

一流のスポーツ選手や芸術家にのみスタイルがあるわけではない。

2009年02月20日 | Weblog
「身体感覚を取り戻す」齋藤孝著より。

日常生活でも生きるスタイルとか仕事のスタイルというものはでき上ってくる。その人の仕事のスタイルはいいとか悪いとか。結局、営業ならその結果が問われる。いい場合はスタイルと呼んでいいかもしれないが、悪い時は癖と言われるかもしれない。

「かたくなであるという癖も、頑迷に映る時は癖と見なされ、“一本筋が通っている”と映る時は技と見なされる。」と筆者は述べている。人柄にもよるかもしれないが、これは誰にでも共通して考えられることでもあろう。

かつてトルネード投法で知られメジャーで活躍した野茂英雄投手は、誰にも真似のできないスタイルで素晴らしい実績を残している。つまり身体のひねりを技化したいい例だともいえよう。

もし、野球を始めたばかりの選手がこのような投法をしようものなら、すぐにコーチから矯正させられるだろう。しかし、プロでそれなりの実績がともなえば、誰にも負けない強み(技)ともなっていたのだ。

人との接し方、コミュニケーションのとり方にもそれぞれの癖がある。それがいい結果をもたらすなら技となり、結果的にその人なりのスタイルが形成されていくようだ。

究極の企画書は「相手に考えさせる」力を持つ。

2009年02月19日 | Weblog
「すごい人のすごい企画書」戸田覚著より。

これは企画書を「読んだ相手が、自ら考え、企画の内容を自分で咀嚼して考えてくれる」というものだった。

ここに、ある通販カタログの例があった。「このラーメンはうまいと言われる本格品だが、クセが強くて筆者の口には合わなかった・・・」。

これは真実の感想だった。単に「うまい」と書き連ねてあるよりも、信頼性が感じられる。そして、読者はには「自分の口にあうのだろうか」考えさせる。(もし本格品なら自分も一度試してみたいなどと考えたり)

確かに真実が書いてあれば、相手はちゃんと考えてくれる。いいことばっかり書いてあると、逆に疑いが先にきてしまうもの。

客観的なデータも時には有益だろう。もし、自社製品に劣る点があれば、あえてそれを比較表で明確にしておくことも悪くはないようだ。それによって書いた人が信頼される可能性もあるだろうし。

情報は見つけやすいものほど価値が低い。

2009年02月18日 | Weblog
「すごい人のすごい企画書」戸田覚著より。

最近ではなんでもお手軽にネットで検索することができる。ということは、誰にでも同じような内容の情報を入手できるということでもあろう。それだけでは価値は低いことになる。

知ったかぶりをしようと思っても、すでに多くの人にとっては目新しい情報ではないかもしれない。企画を立てる場合には、これを使ってはいけないということではなく、それを目玉にもってきてはいけないということだった。

価値があると思われるのは、相手のために足で稼いだ情報だった。むしろ手作りといってもよさそうだ。たとえば、自分でアンケートを考えて実行してみて、データを収集するなど。それは相手の利益を考えているからこそできることだともいえる。

やはり単にインターネットで収集した情報の組み合わせよりも、努力、工夫した企画書ほど受け入れられやすいだろう。意外なところでは、政府の統計や白書のなかの情報などは、利用価値がありそうだ。意外に宝の山だったり・・・

筆者は「手元にある情報や内容をどう組み合わせるか、それが知恵の使いどころだのだ。いわば演出ともいえる、とても楽しい作業である。」とも述べている。やはり楽しい作業と呼べるほどなら説得力もあるだろう・・・な。

マニュアルというのは、ユーザーにとっては必要悪・・・

2009年02月17日 | Weblog
『「ハンバーガーを待つ3分間」の値段』齋藤由多加著より。

パソコンやケータイを買った時には必ず分厚い取扱い説明書(マニュアル)がついている。ケータイの本体よりもそちらの方が重いほどだ。

初めてケータイを手にしたとき、これを全部読まないと使えないのだろうかと思ったりする。マニュアルは分厚いほど人に恐怖感を与えるものだ。

しかし、実際に必要最低限のポイントさえ押さえておけば、ほとんど不自由しないでケータイは使えるもの。むしろ普段は使わないであろう機能の説明が多過ぎるのかもしれない。

そうそう、この筆者の齋藤さんは、デジタルゲームのプランナーだった。かつて「シーマン」というゲームを開発する時に、できるだけ細かい説明がなくても、わかりやすいという印象を持ってもらうために「これはペットです」という説明をしたそうだ。

もし、それが頭から「音声認識技術により、付属のマイクを通して・・・」というような堅苦しい説明だったら、一部の人を覗いて敬遠されたかもしれない。しかも、雑誌などでは「言葉を話す魚」という表現を使ってもらったようだ。

マニュアルはなくては困るし、あってもわかりにくくても困るし・・・。説明の言葉次第で受け入れられやすくもなるのもだなぁ~

「いい顔」は、生きざまのご褒美・・・

2009年02月16日 | Weblog
「月刊4B」(ホームページ)2009年2月号のインタビュー記事より。

4Bとはフォービーと読ませて、“for busy person ”のことだった。忙しいビジネスマンに情熱と癒しを、というコンセプトらしい。

「生きざまが男の顔を決めるんです。自分の志や目標に向かって、1日1日を大切に生きていく。いい顔とは、その人の生きざまが刻まれた結果としての、ご褒美なんじゃないかな」と述べているのは歌舞伎俳優の中村師童だった。

う~む、実ににいいこといいますねぇ。今や渡辺謙と並んで、国際俳優の一人と言ってもいいかもしれない。

この師童のおばあさまは現在90歳を超えていますが、もう20年も前には何度も仕事でお会いしたことがありました。その際孫の師童がどうのこうのという話を聞きましたが、その時はこれほど有名になろうとは思わなかったな。

子どもの頃から歌舞伎役者として育てられたから、演技の基本はしっかりできているのだろう。おばあさまの家の玄関には子役としての師童の写真が何枚か貼ってあったのを思い出します。

映画「レッドクリフ」では「甘興」という武将を演じているが実にいい味をだしていた。私はこの映画の封切りが待ち遠しくて、封切り初日の第一回目に映画館に行って観た。パート2は4月10日にスタートするが、今から楽しみ。

ご参考・・・この記事が掲載されていたHPは下記です。
http://4b.yahoo.co.jp/contents/0902/special/theme01/page1/


50歳代の約18%、60歳代の約16%はブログ開設経験あり。

2009年02月15日 | Weblog
OCNのホームページ「ブリエ」より。

最近シニア向けのホームページを時どき目にするが、これもその一つだった。“学ぶ、こだわる、年齢を武器に!輝くセカンドライフ応援ホームページ”、とあった。「ブリエ」とはフランス語で輝くという意味。英語のブリリアントからも連想されますね。

そこで今回は「ブログの開設経験があるか」というアンケートの回答からの特集があった。(回答者は2万人)。実際にブログを開設した経験のある人の割合は、50歳代が18.1%、60歳代が15.7%、70歳代が17.4%という結果だった。そのうち現在も継続している人の割合は50代9.4%,60代8.9%,70代8.2%となっていた。

若い世代は当然ながらもっと多い。今も継続しているのは、20代19.7%,30代16.6%,40代12.0%だった。全体の平均では今も継続している割合が11%、で今はやめた割合は12%とほぼ同数に近いことがわかる。

問題は継続とは何年間のことをいうのかはちょっと曖昧な気もするが。3年間継続してやめた人と、半年間継続している人では結果は全く違ってくるだろう。いずれにしても、継続するのはかなり大変だということがわかる。

また、ブログの認知度は9割以上、開設経験は5人に1人という数字が出ている。しかし、自分の職場などを見回してもそんなに多くはない。メインは20代、30代の若者世代が多いせいで、そうなっているのではないだろうか。

参考までにブリエのホームページは、実にさまざまな特集や内容が含まれていて、ブログネタにもなりそうな気もしますね。アドレスは下記です。

http://briller.ocn.ne.jp/

蛇足・・・アメーバブログの登録人数。4,270,936人。(2009.2.14)(私が始めた時は30万人程度だった。年内には500万人を超えるであろう)しかし、登録だけ多くても書いている人はその1割程度いるかどうかな。

バレンタインデーには、若者がお年寄りにチョコレートを贈ることを広めてもよいか・・・

2009年02月14日 | Weblog
「朝日新聞」土曜版2009.2.14付けより。

“私の証あるがまま行く”という日野原重明氏のコラムのなかにあったフレーズ。今日が2月14日ということで、チョコレートにまつわる話が掲載されていた。日野原先生はココアがもともと好きだったという。

チョコレートもココアもカカオ豆を原料としている。最近では医学界でもチョコレートは健康食品としても注目されていたのだ。それはカカオ製品に含まれるポリフェノールは動脈硬化を抑えたり、アトピーや花粉症の発症も抑えてくれるという。

さらに、発がんを抑制し、胃がんの原因となるピロリ菌を抑えてくれ、がんの発生をとどめる働きがあることが発見されていた。また、最近流行っているインフルエンザに対しては、抗ウィルスとしての効果もあることが発表されていた。

ならば、ということでチョコレートは高齢者にも十分とってほしい食品だったのだ。しかし、気をつけなければいけないのは、「チョコレート(ココアも)は脂肪と糖分が多い高カロリー食品だから食べ過ぎに注意」とも先生は述べている。

タイトルにあげたフレーズ、“若者がお年寄りにチョコレートを贈る・・・”という発想はちょっと意外で面白いと思った次第。ならば、「敬老の日もチョコレート・・・」なんてね。(もしそうなれば、チョコレート業界もチョコっと喜び?)