ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

セリフを軽くするのは肉体訓練でね。

2008年08月31日 | Weblog
「R25」2008.8.28号より。

俳優の津川雅彦さんの言葉だった。現在68歳で52年のキャリアがあった。子役時代を含めれば63年になるという。映画に出てくる役はいつもかなりの存在感がある。余裕というか貫禄を感じさせる。もともと両親も俳優で、祖父も日本初の職業的映画監督、叔父も叔母も、さらに兄の長門裕之も俳優という映画一族だった。

上記は最近「落語娘」という作品の中で落語家を演じた時にとくに実感したようだ。津川さんは落語でも歌舞伎でも“抜く業”があると感じている。一見すると力が入っているように見えても、ものすごく軽く言葉を操っているからだ。

また、「工夫を重ねることは、実は余計なところを削ってシンプルにしていく作業」とも述べている。きっと役になりきるには単にセリフを覚えた程度では物足りないということだろう。むしろ不自然さをまったく感じさせないために熟練工になるというような意識ではないだろうか。

だからこそ、「セリフを軽くするのは肉体訓練」という言葉がでてくるのだろう。落語は何百回と量をこなして口になじませたという。もしそうでもしなければ、筋肉をつけずにスポーツ選手を演じるに等しいと断言する。とにかく質より量を重視している。

「きちんとお客さんをだましきるため、俳優は詐欺師である」という部分も津川さんの言葉だろう。この部分もちょっと気になる。それは映画を観た人に“もしかしたらこんな人だったかもしれない”と思わせなければならないからかだ。とくに過去に実際に存在した歴史上の人物を演じる時などはそうだろうな。


自分にエネルギーを与えてくれるアイテムを見つける。

2008年08月30日 | Weblog
「フロイトで自己管理」齋藤孝著より。            

なぜか持っているだけで癒されたり、気持が落ち着いたり、安心感がある。そんなものを持っているだろうか。さらに自分のモチベーションが上がるようなものがあればなお嬉しい。

筆者には面白い実例があった。それは「イチローモデル」というイチロー仕様のグローブだった。それで子どもとキャッチボールをやると捕りやすいばかりでなくイチローの卓越した技術までこちらに乗り移ってくるような感覚(錯覚)に浸れるらしい。そんなことが、キャッチボールを続けようというモチベーションにつながっているのだろう。実にいい思い込みでもありそうだ。

自分の身の回りやポケットには様々なものが目に入る。筆記具、財布、カレンダー、手帳、メモ帳、パスケース、バッグ、さらにネクタイやタイピンなのどの小物までまだまだいろいろとある。

そんなものの中で、最も手になじむのはいつも使っている安いボールペンかもしれない。エネルギーやパワーをまではいかないが、そのゲル状のボールペンだと力を入れなくてもすらすらとメモをとりやすい。

その滑るような感覚が気に入っている。あまりにも滑らかで書きやすいので書いた文字(もともと悪筆だが)が自分でも読めなくなるほどだ。その同じタイプのボールペンだけでも何十本買い換えたかもわからない。

逆にそのペンが身近にないとちょっとしたメモさえ億劫になってしまう。自分にとってのラッキー・アイテム・・・・・これから探してみたいもの。たとえ思い込みでも錯覚でもいいが。

水泳を「吐き出す」行為としてとらえる・・・

2008年08月29日 | Weblog
「フロイトで自己管理」齋藤孝著より。

これは実に面白い考え方だと思った次第。水泳ほど「息を吐き出す」さまがはっきりわかる運動はない、とここに書かれていたので改めてその通りだと感じた。とにかく水の中では息を吐き出せば体で実感できる。

その息と一緒に、自分になかにたまっているものを一緒に吐き出すような気持を持つのがいいようだ。その時はフォーム、スピード、泳いだ距離などはまったく気にしないこと。ひたすら吐き出すことで心地よさを感じられるのがポイントだった。

次にクロールで水をとらえて「引き寄せる」という行為の力感が体に残るが、それを意識するのもいいようだ。自分の力で引き寄せることが実感できる瞬間だからだろう。筆者はそれで「よし、やるか」と力が湧きやすいという。

さらに、水の中では脱力ができる。とくに背泳ぎをした場合には力を入れずに「たゆたう」浮遊感がわかる。普段はなかなか感じられない感覚だ。これはリラックスする場合に有効に思えてくるな。

時にはこのように運動(ここでは水泳だが)別の意識をもってみると心身にもよさそうな気にもなってくる・・・な。水泳は単に体に良さそうだと漠然と考えるより、こんなふうに息を吐き出す、引き寄せる、脱力して浮かんでみること思えば面白そうだ。

といっても、最近なんだかプールに行くまでがちょっと億劫になってしまったかも。歩いて行けるほどの距離にはあるのだが・・・

この喜びは今日で忘れよう・・・

2008年08月28日 | Weblog
「R25」2008.8.21号より。

普通ならうれしいことがあったら、できるだけ長く浸っていたいと思うもの。しかし、彼は“いつまでも喜んでいたら次に行けないなと思った、”と振り返る。彼とはかつて映画で日本アカデミー賞、ゴールデンアロー賞、ブルーリボン賞、日本映画批評家協会賞、毎日映画コンクールの各新人賞の計5冠を受賞した中村獅童だった。

だから、その役のあと悪役のオファーをたくさんもらったものの、やらなかったという。安易に役には就かなかったのだ。型にはまらない役柄をバランスよく演じていきたいと思ったのが理由だった。それが、後に幅広い現在の活躍につながってきたのだろう。

並みの役者ではない。もともと歌舞伎役者で家柄も申し分なかった。幼いころから日舞や長唄などを習っていた。そして初舞台は8歳というから芸歴は長い。歌舞伎のほかに現代劇の舞台にも映画にも出演している。

私が最近観た映画では、ジェット・リーと共演した「SPIRIT」や「硫黄島からの手紙」があった。かなり国際的な映画にも強そうな感じがする。しかし役者の仕事以外のところでも注目を浴びやすい男でもあるかな。

もう20年近く前に仕事でこの獅童のお祖母さんと何度も会っていたのを思い出した。そのころまだ彼も十代だったろうか。玄関には歌舞伎役者の子役としての写真が数枚か飾られていたのを思い出す。とても可愛がっている様子で、孫の獅童と教えられたがまだ知名度もなくピンとこなかった。

その後これほど存在感のある役者になるとはちょっとおどろき・・・。彼は真剣にできることは芝居だけという。うれしいことがあっても、そうそういつまでも喜んでいられないのだろう。常に先を見ようとしている。これも役者魂だろうか・・・

自分の弱みを上手に表現できる人・・・

2008年08月27日 | Weblog
「フロイトで自己管理」齋藤孝著より。

齋藤氏は、そんな人は「人の心に訴えるものが強い」と述べていた。つまり、自分の成功した自慢話よりも、弱い部分をどう乗り越えたかの話の方が共感を得やすいということだった。

コンプレックスを持たない生き方よりも、むしろそれを時間をかけて飼いならしていくほうが、人間的魅力は出てくるようだ。

例えば、プロ野球で活躍するダルビッシュ有投手にとっては、意外なことに思えるがルックスがコンプレックスだったという。他者から見れば抜群なイケメンに見えるが、本人にとっては他の日本人と異なって見えるのが嫌だったらしい。

しかし、野球を続け一流になることで日本人としてのアイデンティティ(簡単にいえば「自分が自分である証」)を見出しているようだ。

コンプレックスをエネルギーに変換できたら素晴らしいことだ。結局、コンプレックスとどれだけ調和できたかが、人間の成熟度ともなっている。

大手コンビニでさえも、米パンをメニューに加えはじめている。

2008年08月26日 | Weblog
「メトロミニッツ」2008.9月号より。

藤原新也氏(写真家、作家)がエッセイの中で、“米パンは本当に歴史的革命だと言いたい”と書いていたのが印象的だった。日本人がパンを日常的に食べはじめたのは戦後のことだった。それはアメリカが日本をパン食国家にするための政策があったからだ。

そして、当時小学校の給食の主食を全部米からパンに切り替えていた。また「コメを食うと頭がぼける」とか「記憶力が落ちる」というようなウソも流行らせていた。

ところがその後、アメリカは米を作るようになっている。アメリカ人はあまり米を食べないが、米を食べるヨーロッパの国々に輸出する目的だった。その際「子供の健康にコメを」「コメは完全栄養食」とまで、昔日本に言ったことと反対に近いことをうたっているようだ。実に調子がいい。

現在、小麦粉が高騰してパンの価格もじりじりと値上がりしている。ならば、米粉でパンを作ってみようということになっている。米作が行われている日本には好都合かもしれない。

そういえば、今朝口にしたパンには“お米入りロールパン”と表示されていた。しかも、「新潟産こしひかり使用」とまで赤で印刷されている。たしかにもっちりとした触感。悪くないと思えるが、今後どれだけ増えるかな・・・


逆境エネルギーは、モチベーションを高める効果を持つ。

2008年08月25日 | Weblog
「フロイトで自己管理」齋藤孝著より。

なんらかのコンプレックスを持っている人は多いが、それを克服しようとする努力が結果として素晴らしい力を発揮することがある。

かつて三島由紀夫は自分がやせていることにコンプレックスを持っていた。それを克服しようと肉体改造に取り組んでいたのだ。古い雑誌などにはボディビルで鍛えた筋肉質の上半身の体が掲載されていた。またボクシング、剣道などにも挑戦している。それが男らしいというイメージを持っていたのだろう。

エジソンにしても学校に行けなかったが、「行かなかった」と逆にポジティブに考えることでエネルギーに変換したようだ。そして、社員は勉強ができるばかりでなく実践的な知識を持っている人を採用していたという。学歴に頼らず役に立つ知恵やアイデア出せることのほうを重視していたのだ。

子どもの頃貧しい生活が続いたことで、その逆境をエネルギーに変えて素晴らしい業績を残した人も多いだろう。むしろ順風満帆に過ごしてきた人よりもパワーを秘めているかもしれない。

もし、身体的コンプレックスがあったとしても、人を面白がらせる能力を磨けば人気ものになれるかもしれない。第一線のお笑い界で活躍している芸人にはそんな人もいるのではないだろうか・・・

何かに「繰り返しこだわる」ことにも、自分を調える作用がある。

2008年08月24日 | Weblog
「フロイトで自己管理」齋藤孝著より。

たとえば、繰り返し気持ちが向く対象があることで自分の心が調ってくることもあるようだ。この場合、調(ととの)うということは本来の自分らしさが保てる、または戻るという意味のような気がする。

例えば、画家は同じモチーフを何度も繰り返し描く。ゴッホはひまわり、藤田嗣治は猫、東山魁夷は白い馬、シャガールは馬、セザンヌは故郷の山を描いていた。このような例はまだまだ沢山あるだろう。

それが得意だというのとは別の次元のようだ。何か強い思いがあるからこそ、同じモチーフを描いていたのだ。セザンヌは故郷に対する思いが強かったようだ。

画家でなくても繰り返し描いても飽きないものはあるかもしれない。また行きたくなる場所、そこに行けば本来の自分が取り戻せる場所があるかもしれない。好きな音楽に浸るのが向いている人もいるだろう。

海でも川でも山でも、そこに行けば気持ちが落ち着くというような場所、対象が見つかれば心のバランスを保て、落ち着くらしい。なんだか最近あわただしい・・・夏の疲れが出てくることだろうか。

今度散歩に出かけたら地元の川の流れでもゆっくりと眺めてみようかな~。まあ、最近は繰り返し日記を書いていることでも、少しは自分の気持ちは調えられているのかもしれないが・・・

わざとすきま時間をつくるという発想・・・

2008年08月23日 | Weblog
「プレジデント」2008.8.4号より。

学生時代の勉強というと、なんだか義務的で疲れやすくいやなものだった。今でも勉強嫌いは続いているが。勉強の達人たちによれば、「大人の勉強」のよさは自分で学び方を選べるところだという。そのため「ラクラク」続けられる仕組みをつくるのが大事らしい。

いかに「つらく、苦しいもの」から離れるかがポイントのようだ。当然ながら苦しみながら無理をしようと思えば、長続きしない。勉強の習慣化は一度にたくさん勉強せず、疲れる前にやめるのがコツだともいう。30分を300日やれば150時間の時間を確保したことになるようだ。

その30分を一日のどこでつくるかが問題だが。またその前に何を勉強するかがないといけない。一年というより、3か月サイクルの勉強法も飽きない仕組みのようだ。ある関連ある勉強を3か月単位に集中してやるということになる。

また学んだことを人に教えるというのも、自分の知識を定着できる方法らしい。確かに人に説明できるほどなら自分でも理解していることだろう。また同時に新たな発見もありそうだ。

電車を一本やりすごして、わざとすきま時間を作るのも悪くない。時どき喫茶店で勉強に集中している人も見かけるが、見習ってもいいかもな・・・

ビジネスマンこそイノベーターたれ。

2008年08月22日 | Weblog
「プレジデント」2008.8.4号より。

科学の特徴は「あらかじめ進歩が組み込まれた文化だ」と江崎玲於奈氏は言う。コンピューター、インターネットの進歩は目ざましい。現代のビジネスマンも、常にブレークスルーを追い求める科学者のようであるべきだと述べている。

挑戦には当然リスクが伴うものだが、それで成功しても失敗しても得るものはあるはずだともいう。江崎氏自身の体験からも数多くの失敗から多くのことを学ぶことができたと振り返る。

若いころは真空管の研究をしていたが、いち早く見切りをつけ、その後20世紀最大の発明であるトランジスタの研究に打ち込んだことが大きな収穫につながったようだ。半導体におけるトンネル効果を発見したことで成功し、1973年にノーベル物理学賞を授賞している。

その後、米国へ渡ったとき、アレクサンダー・グラハム・ベルの胸像に刻まれた次の言葉に感銘を受けている。「時には踏みならされた道を離れ、森の中に入ってみなさい。・・・きっと新しいものを見出すに違いありません。」

そして、氏は米国の「森の中」へ飛び込んでみようと決心している。そして、自身としてはむしろそこでの研究成果のほうがノーベル賞を授賞した時の発見よりも大きいと感じているようだと確信している。

イノベーター とは辞書では「 革新者。新しい動向のつくり手。」となっている。日々ルーティーンワークだけでマンネリに陥っている自分を反省せねばな・・・

四割の顧客をつかむために、六割の市場を捨てる・・・

2008年08月21日 | Weblog
「プレジデント」2008.8.4号より。

現アサヒビール社長の荻田伍氏が2002年当時、赤字続きだったアサヒ飲料へ行くよう命じられた。その時苦しい状況を打開するために、仲間とともに考え抜いたことが上記フレーズだった。

しかし、言葉で伝えたところでなかなか人は動くものではない。そこで、苦境に陥ったメーカーを立て直すのは、何をおいても商品だと悟ったのだ。それは二十数年前にアサヒビールが経験したことが生きている。

「コクキレビール」「スーパードライ」の大ヒットで息を吹き返していたからだ。アサヒ飲料では、主力商品の缶コーヒーを立て直すことが劣性を挽回できると考えたのだ。

そして、「ワンダ」を再生することにした。調査の結果、缶コーヒーの四割以上は朝飲まれていることがわかった。だったら、朝飲まれるコーヒーをつくろうということになった。そのかわり昼間、夕方に飲まれなくてもいいと思ったという。

朝飲まれることを強調しようと決めて、新商品は「ワンダモーニングショット」として売り出し、市場でも好評を博しているという。つまり、このヒットで現場にも活気が戻りアサヒ飲料は正のサイクルに入ることができた。

時には常識では考えられない、思いきった決断がその後の苦境を打開することもあることがわかってくる。そして何よりも小さな成功体験の力が大きいことがうかがえる。

五輪に出る日本の柔道選手はみんな「プロ」である。

2008年08月20日 | Weblog
「日経新聞、夕刊」2008.8.15付けより。

“千里眼”というコラムのなかで山口香さんが述べていたこと。まずは山口さんについて・・・彼女は元女子柔道選手で現在は筑波大学大学院准教授。段位は六段。浦沢直樹原作漫画「YAWARA!」の主人公のモデルである。ソウルオリンピック女子柔道銅メダル(当時は公開競技)、世界選手権金メダルなど。別名「女三四郎」。

男子ではもっとも金メダルに近いと思っていた鈴木桂治がよもやの一回戦で敗退してしまったあとで、彼女からの厳しい指摘があった。それは特に北京五輪での男子柔道の期待はずれについてだった。内柴選手、石井選手だけは金メダルを獲得できたが、その他の選手の活躍を目にすることはできなかった。

とにかく日本の柔道選手は恵まれているようだ。それは競技に専念できる環境を与えられ、普通のサラリーマンよりもはるかに高い給料を得ているからだという。そんな意味で「プロ」という表現を使っているのだろう。

だからこそ、外国の選手に比べてハングリーさが欠けているのではないかというような意味のことを述べている。つまり恵まれた環境があだになっているように見えるのだ。国内の柔道が世界で通用しなくなってきている。

かつてはお家芸だった柔道もすでに世界の競技になってしまっている。今後世界から取り残されないためには強化方法の見直しが必要だと山口さんは述べている。

リーダーはやる気をなくしているメンバーのカウンセラー。

2008年08月19日 | Weblog
「そのとき選手が変わった!」児玉光雄著より。

「プロジェクトがうまく運んでいるとき、リーダーは居眠りしていればよい」というのは、実に逆説的な表現で面白い。問題なのは、プロジェクトがうまくいってないときだった。

そんなときメンバーのモチベーションをどれだけ引き上げられるかでリーダーの手腕は試されているのだ。全体的にみて、成果が上がってないときでも、全員がそろってダメというわけでもない。中にはきっちりと成果を上げているメンバーもいるもの。

そんな有能なメンバーを褒めることは誰にでもできる。むしろ成果が上がらず、落胆しているメンバーに対してどうしたら長所を引き出せるかの方が重要だったのだ。

つまりそれがタイトルにあげたフレーズ「リーダーはやる気をなくしているメンバーのカウンセラー」ということになる。リーダーはメンバーの長所を見つける観察眼も必要になってくるかな。欠点の指摘や批判なら素人でもできるし・・・


野武士の2連覇と少年旋風。

2008年08月18日 | Weblog
「ニッポン五輪メダルプロジェクト」岡田忠著より。

このタイトルからはいったいどんな種目を連想できるだろうか。実は日本のオリンピックでの水泳競技のことだった。日本の水泳は1920年のアントワープ大会が初出場だった。

そして、最初の金メダリストはその8年後に生まれている。第9回アムステルダム大会(1928年)だった。男子200メートル平泳ぎで鶴田義行選手が優勝していた。さらに次の第10回ロサンゼルス大会(1932年)でも鶴田選手は2大会連続で金メダルを獲得していた。

そして、その第10回大会では何と男子競泳は6種目中5種目に優勝していたのだ。その中でも大きな特徴は10代の選手の活躍だった。14,15,16,17歳という選手たち、さらには大学生たちが大活躍していた。

その大会での各メダル数の集計があった。金メダル7つのうち5つは水泳だった。銀メダルも7つのうち5つは水泳、銅は4つのうち2つは水泳となっていた。ついでに翌第11回ベルリン大会(1936年)の水泳のメダル獲得数も見てみよう。金メダル6つのうち4つ、銀メダル4つのうち2つ、銅メダル10のうち5つ。

振り返ってみれば、戦前のこの2回の大会は水泳ニッポンと言われたピークだったようだ。その後世界のレベルは上がっていき、日本人選手の活躍はまばらなものとなってしまった。今北京大会では北島選手の活躍で水泳も楽しめたが、次の大会はどうなるのだろう。各競技ともうまく世代交代できればいいが。


夢を実現するためのマジックなどない・・・

2008年08月17日 | Weblog
「そのとき選手が変わった!」児玉光雄著より。

いま開催中の北京五輪のメダリストたちの姿を見るたびに、ごく当り前に思えてくるフレーズだ。ここでは千葉ロッテのバレンタイン監督が述べていた言葉だった。確かにかつては低迷していたチームを活性化させ強化できたのはバレンタイン監督のリーダーシップなしにはあり得ないだろう。それはマジックのようにも思えたものだ。

彼は「現実を無視した軌跡はない。もし奇跡を起こすとすれば、それは現実的な努力だけだ」ともいう。「現実的になる」とは、目標を立てて努力することだった。

バレンタインの監督歴は長い。メジャーリーガーだった23歳のときに、試合中外野フェンスに激突して右足を骨折し、故障者リスト入りして、ポジションをチームメイトに奪われていた。結果として様々なポジションを経験したことが監督としての資質を高めるのに役立っているようだ。

27歳の時マイナーの選手兼監督をしている。35歳の若さでテキサス・レンジャーズの監督を務めて、低迷していたチームを立ち直らせ、2年目でリーグ2位になり最優秀監督賞を受賞していた。95年にロッテで監督を経験してたも1年間だけで去っている。ところが96年ニューヨーク・メッツの監督に就任し、その年のワールドシリーズに進出していた。

その後再びロッテの監督となり05年には31年ぶりのリーグ優勝、日本シリーズでも優勝していた。バレンタインの勝利に導くキーワードは「一体感」だった。だから、チームをファミリーとも呼んでいるようだ。