ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

人間から品性をとったものがオヤジ・・・

2012年12月31日 | Weblog
人間から品性をとったものがオヤジ・・・

「オヤジにならない60のビジネスマナー」中谷彰宏著より。

サブタイトルには、“お客様・女性・部下に愛される具体例”となっていた。そもそもオヤジとは、たんに老年になった男だけを指すものではなかった。

品がなければみなオヤジと呼ばれるのだった。年齢も男女の別も関係なく、人間はほうっておくとオヤジになってしまうようだ。品性は努力を要するものだった。

これはある意味サービスにも共通していることでもあった。何もしなければサービスの質はどんどん落ちてしまうからだった。いかに新しいサービスをつくっていくかは、仕事では大事なことだろう。

オヤジはジコチュウだったり、まわりの空気が読めなかったり、常識がなかったり、マナーが悪かったりする人だろう。そして、嫌われていることにも気づかない。

人は品性のなさを、教えてくれないからやっかいだ。だからこそ、品性は気づくことだと筆者は語っていた。言われて直す前にまずは自分でどれほど気がつけるだろうか・・・

手のかかった一流品にはきっといい気が宿る・・

2012年12月30日 | Weblog
手のかかった一流品にはきっといい気が宿る・・・

「オークン」10号、(フリーペーパー)

たまたま今月忘年会で、居酒屋の「和民」に行った時に手にしたフリーペーパーだったが、いろいろな読みものがあって楽しめた。特集は“夢の生まれる場所”となっていた。

上記フレーズは、辛酸なめ子さん(漫画家・コラムニスト)が語っていた中のワンフレーズ。ここには、彼女の夢に近づくための開運5箇条というのがあった。それらはすべて自分の体験から得たものだった。

具体的で参考になりそうなので、ここに残しておきたい。1、部屋をこまめに掃除する。2、売れている歌手のCDを聴く。3、ネガティブな人に近づかない。4、気の流れがいい場所に行く。5、古いものは思い切って捨てる。

どれもこれも、いいことばかりのようだ。とくに年末は不用品の整理にいい機会かもしれない。それと、手のかかったブランドのグッズにを身につけると、なんだかいつもより自信も持てそうな気もするな。

「一点豪華主義」は、心豊かに暮らすための貴重なヒントといえそうだ。

2012年12月29日 | Weblog
「人間、60歳からが一番おもしろい!」保坂隆著より。

さまざまなことで贅沢できるほどの余裕がある人はごく一部の人だけだろう。しかし、庶民でも、好きなこと一つに限れば、それは不可能ではないらしい。

生活の中で何か一つだけ豪華にするという贅沢が、豊かさを潤いをもたらしてくれるようだ。いいものを一度購入してしまえば、そうたびたび買い替えなくても済むようになる。

ブランド物の時計、アクセサリー、カバン、絵画、工芸品の花瓶・・・といろいろ考えられる。また日常使用する食器なども、本当にお気に入りのものが見つかれば、それを使って、贅沢なティータイムを過ごすこともできるかもしれない。

リタイア後もお気に入りの腕時計やアクセサリーを身に付けていれば、どこへ出かけても気分がいいものだろう。はじめだけは多少の負担にはなっても、それで長くいい気分が味わえれば十分お得ともいえそうだ。


学ぶことをやめた人はだれでも老いている。

2012年12月28日 | Weblog
「人間、60歳からが一番おもしろい!」保坂隆著より。

こんな言葉を残したのは、ヘンリー・フォード(アメリカの自動車王)だった。このあとには、次のようにつづいていた。「二十歳であっても八十歳であっても、学び続ける人はだれでも若い」と。

そういえば、以前『五十歳でも老人八十歳でも青年』(森村誠一著)を読んだことを思い出した。きっと心がけ次第で、年齢は関係なくなってくるということなのだろう。身体の老いよりも、怖いのはむしろ心の老いらしい。

筆者の保坂氏は「一日一発見」で、新しいことやモノに出会うことがいいとすすめている。つまり、ちょっとした刺激が気持ちを新鮮にしてくれるということのようだ。

同じことの繰り返しでは、変化もなくマンネリ化してしまい退屈してしまう。今までやってこなかったことを経験するのもいいようだ。新しいジャンルの書籍を手にとってみるだけでも違うとアドバイスしていた。



仕事をするうえでは「BQ(ビジネスの知能指数)」が大事になる。

2012年12月27日 | Weblog
「独立するためにしなければならない50のこと」中谷彰宏著より。

知能指数にもいろいろあるようだ。一般的にはIQで頭の知能指数が重要視されてきた。これからはEQ心の知能指数が大事になるという。

EQのEとはエモーショナルのことを指していた。心のやり取りで、気配りができるかどいうかなどのことだった。そして、仕事をする場合はBQが大事らしい。それは、問題を作る能力でもあった。

IQのインテリジェンスは問題を解く力で、EQは問題に気づく力でもあった。そして、BQは問題を作る力だった。実は社会に出たら答えを考えるよりも問題を考えていく発想をどれだけ持てるかがポイントになるようだ。

単に頭がいいだけでは、仕事をうまくやっていくことは無理なようだ。いいコミュニケーションができるかどうか、さらに自分から問題を作れるかどうかが問われるのだろう。当然平凡な問題なら誰でも思いついてしまうだろうし・・・


サラリーマンの仕事は、ハンコをもらうこと。

2012年12月26日 | Weblog
「独立するためにしなければならない50のこと」中谷彰宏著より。

これは実に端的に、また強烈な表現だと思える。何かを決める際に、また提出する際にも押印が必要になってくる。確かにハンコをもらうことは仕事の一部でもあるだろう。

組織というのは、実にまどろっこしいとも思える。そして、自分以外のいくつかのハンコが押されていないとものごとは前には進まない。えっ、こんなものまで、と思える小さなものまでハンコが必要とされる世界だ。

そこで、筆者はまたこういう。「あなたは、ハンコをもらうために生まれてきたのですか?」と。こう言われると、言われた方は実に小さな人間に思えてくるものだ。

筆者の経験から、独立して成功している人は、せっかくいいアイデアを思いついても会社に採用してもらえなかった人たちだという。今の時代は何が当たるかわからないから、いろいろと試してみることこそ正解なようだ。


人生には、好きなことをやる時間しか残されていない・・・

2012年12月25日 | Weblog
「独立するためにしなければならない50のこと」中谷彰宏著より。

筆者の中谷氏は、今でこそ次々と本を出版できているが、最初の10年間は1冊も出版できなかったと振り返っている。しかし、注文がないそんな時でも原稿を書きためていたという。

確かに小説家も、売れるかどうかわからない膨大な原稿を、アマチュア時代に書いているものだ。それでも、先のことはわからない。かなり好きでなければ継続できないだろう。

しかも、書いているうちに次々とアイデアが浮かんできて、それをすべて実現するのはかなり大変だ。そう考えると人生の短さを痛感するようだ。むしろやりたいことがあっても、それらを断念して切り捨てていくことになるらしい。

そこで、最後に残るのが本当にやりたいことになるのだった。まだまだ寿命があると思っているうちに、時間を無駄に使ってしまうのだろう。独立とは関係ないが、充実した時間を過ごさねばと思った次第。


組織で苦労した「負け」は、「勝ち」に等しい。

2012年12月24日 | Weblog
組織で苦労した「負け」は、「勝ち」に等しい。

『使える!「孫子の兵法」』齋藤孝著より。

仕事でも常にいいことばかりはありえない。いい時も悪い時もある。たとえば売上げ予算をかかえている営業部門なら、勝ったり負けたりがあって当たり前だ。

結果的には負けではあっても、問題はその内容にも善し悪しがあるということだった。当初はマイマス20だったものが、軌道修正した結果マイナス5になれば、マイナスを食い止めたという結果でもあった。

負けではあっても、マイナスや損失を最小限に食い止められることが重要なことだった。負けても、チームプレーでベストを尽くしたなら、次回への課題も見つかるかもしれない。

ただ何となく結果的に勝ちにつながっても、その分析をしていなければ、次もまた勝ち続けることは簡単ではないだろう。しかし、苦しい戦いであるほど、簡単に勝った時より、組織の結束力は増すものだったのだ。

「真摯さ」を追求するなら、上司の命令に背いてでも、自らの責任で最善策を導き出す必要がある。

2012年12月23日 | Weblog
『使える!「孫子の兵法」』齋藤孝著より。

真摯さという言葉は、ドラッカーの書物にも出てきた。齋藤氏は、これは単に「誠実さ」「まじめさ」とはニュアンスが異なるという。そこには仕事や組織に対する倫理観やひたむきな態度が含まれると考えていた。

孫子の兵法の中では、戦闘の道理として絶対の勝算があるときは、たとえ主君が戦闘するなといっても、戦闘してもいいという。また逆に勝算がなければ、たとえ命令であっても戦うべきではないと論じていたのだ。

職場での命令も同様らしい。組織の利益をまず優先して考えるべきでもあった。上司の命令だからといって、自分で考えることなしに従うのは問題だということなのだろう。

何も考えなくても、命令に従ってさえいれば、そこそこ仕事をやったことにはなるが、必ずしも上司の考えが最善だとは限らないものだ。やはり現場の状況を共有していることが大事のだろうな。


「やりたいことリスト」が充実した老後をつくる。

2012年12月22日 | Weblog
「人間、60歳からが一番おもしろい!」保坂隆著より。

いきなり老後という言葉を聞くと、やや抵抗があるが、生きている限り誰にでもやがてその時は必ずやってきてしまう。何時からがその老後なのかはわからない。

60歳を過ぎて、仕事を離れたときからだろうか。リタイアすれば、時間管理はすべて自分でしなければならなくなる。何もしなくても時間はどんどん過ぎてしまう。

その時間を無駄遣いしないためには、やりたいことを明確にしておくことだった。頭のなかで漠然と考えているだけではだめなようだ。やはり思っても目に見えるようにリストアップすることが大事らしい。

たとえば、どこそこへ旅行する、あるレストランで食事をする、やりたかった勉強をする・・・など、まずはできるできないにとらわれないこともポイントだった。

短期、中期、長期の人生目標がはっきりすれば、それに向かう気にもなってくるようだ。そう考えるとたっぷりあると思われた時間も短く感じられそうだ。


無理をしない「自然体」が格好いい。

2012年12月21日 | Weblog
「人間、60歳からが一番おもしろい!」保坂隆著より。

ここでの無理をしない、という意味は、たとえば「まだまだ若い者には負けないぞ」というような頑張る気持のようだ。筆者は肩に力を入れない方がいいとアドバイスしている。

気持ちは若々しい方がいいのだろうが、体力はついていかないものだ。まあ、現役時代に頑張ったから今があると考えたほうが楽でもあろう。今さら頑張らなくて誰にも文句は言わせないのが老いの特権だというくらいでいいそうだ。

保坂氏は意地を張るよりも、むしろ人間としての器の大きさを感じさせるべきだという。そして年相応に悠然と生きることをすすめている。いぶし銀の輝きというのが理想らしい。

もし、人生を楽しもうと思うなら、どの世代であっても「らしく」生きることがその秘訣だったのだ。今さらもう、体力だって今以上に上がるとは考えられない。むしろ維持することのほうが大事なのだろうな・・・


「これから何をしよう」と悩めるのは最高の贅沢。

2012年12月20日 | Weblog
「これから何をしよう」と悩めるのは最高の贅沢。

「人間、60歳からが一番おもしろい!」保坂隆著より。

何かやりたいことを見つけている時間というものは、たしかに仕事に追いまくられているときより贅沢な時間を過ごしているともいえそうだ。強制されない時間はありがたい。

もし、仕事からまったく離れているなら、時間はたっぷりあるはずだ。いきなりそんな時間のなかに放り込まれたら、どんな気持ちなのだろう。まだそんな経験はないのでわからないが。

現役時代には読めなかった本や行ってみたかった旅行、見たかった映画、聞きたい音楽・・・なんでもできそうな気もする。とはいっても、ある程度経済的に余裕も必要だろうが。

いずれにしても、気分的にあくせくする必要もない。たとえ会社勤めをしていても、定年後は責任もぐっと減ってくるから、その間にやりたいことを見つけてもいいのかもしれない。

六十歳からこそが、好きなように生きられる「人生で一番自由なとき」。

2012年12月19日 | Weblog
「人間、60歳からが一番おもしろい!」保坂隆著より。

これは一般的には会社などの組織に勤めて60歳で定年を迎えた人だけが感じられることではないだろうか。もし、定年という一区切りがなければ、そのままの仕事の状態がまだ数年先(仕事ができる限り)まで続くと思われる。

数年前に地元の整骨院に行った時そこの先生が、「私のような仕事をしていると、定年がないので、区切りがつきませんね。その点、サラリーマンはいいですよね」としみじみ話していたことを思い出した。

ある意味定年がない仕事は、60歳になったからといって、それなりに収入も激減することもなく続けられるからいいとも考えられる。多くの自由業や家業のある人は同様だろう。また、会社員なら長年仕事を続けたという一区切りがあれば、またリフレッシュできるのかも。

どちらがいいのかはわからないものだ。元気なうちは、ある程度仕事が続けられればありがたいことかもしれない。実際は、仕事がしたくてもなかなか見つからないということも事実だろう。

ここに、筆者の言葉があった。「これまでの人生で重ねてきた経験や苦労は、これからの毎日を心から楽しみ、幸せに生きるための滑走路だったのかもしれない」と。まあ、60歳以降に好きなことに時間を費やせるなら幸せといえそうだ。


簡単に、今すぐ「交」を深める方法がある。職場での雑談を増やすことだ。

2012年12月18日 | Weblog
『使える!「孫子の兵法」』齋藤孝著より。

孫氏の兵法が職場のコミュニケーションにまで関連しているとは、ちょっと意外な気もするが、勝つために強い組織をつくることと考えれば、関係があるのだろう。

職場で意識してコミュニケーションをはかるために、わざわざその時間をもうけるというのは上司、部下の関係がある場合やや億劫に感じるものだ。飲みに行ってもやはり仕事が頭から離れないかもしれない。

そこで、手っ取り早いのは、雑談だった。ちょっとした時間なら、誰にでもある。そんな時に身近な話題で語りかければ、それだけでもコミュニケーションはとれたことになる。もしそんな雑談さえできない雰囲気なら、それはどこかに問題があるのだろう。

筆者は軽い会話を重ねることが「交」の第一歩だという。むしろ、コミュニケーションをとるための材料があれば、もっと簡単なはず。個人的には、ちょっとした話題やモノを提示したりしたことも多い。それだけで、かなり話題も盛り上がったものだ。

ここでの、小タイトルは“上司・先輩には「雑談力」が必要”となっていた。これができる人が意外に少ないものだ。雑談とはいっても、相手がそこそこの関心を示してくれなければ意味がない。これがしっかりできる人が本当のリーダーかも。


自分が簡単に手に入れた情報は、他の人もすでに知っている可能性が高い。

2012年12月17日 | Weblog
『使える!「孫子の兵法」』齋藤孝著より。

まあ、当たり前と言ってしまえばそれまでのことだろう。時どきテレビ番組や他のマスコミで仕入れた情報をいかにも知ったかぶりをして話す人がいる。そんな話には厚みや面白さが欠けているものだ。

また聞きの情報も面白くない。むしろ自分だけが体験したことのほうが興味深い。ある情報を得たとしても、さらにそこから掘り下げるという姿勢が大事だと筆者は語っている。

つまり関連する新聞、雑誌の記事を検索してみることも一つの方法だった。また、より知っていそうな人に聞くのもいいようだ。私は以前、雑なかわら版を書いていた時は、複数の本を読んで知識を得たものだった。

本を読んでみると意外にネットでは得られなかった新しいことや視点が得られるものだ。齋藤氏はさらに、英語のホームページからは、さらに多くの人が知らない情報を得られたりするともあった。

確かに、それは盲点かもしれないが、読むためにはかなりの努力や意欲が必要だと思われる。やはりよほど必要に迫られないとそこまではできないだろうな・・・