ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「やりたいことを決めるにはまず、自分が絶対やりたくないことを決めた方がいい・・・」

2012年07月31日 | Weblog

「凡人の逆襲」神田昌典・平秀信著より。

まず、神田と平が出会った時、神田はコンサルタントの先生で、平はその生徒という立場だった。お互いに学ぶことができ成長できたと振り返っている。その後よきライバルとして成長できる関係になったというからすごい。

平が独立する前に神田が彼にアドバイスしたのが、上記フレーズの言葉だったのだ。その理由は、そのほうがやりたいことがより明快になるからだった。

ところが、住宅業界の仕事をしているにもかかわらず、平のやりたくないことは、住宅営業だったのだ。それはイヤなお客さんに頭を下げるのが嫌いだったからだった。

中には値切るだけ値切って、最後にはクレームをつけて怒りだすようなお客さんがいることを経験してきたからだった。

しかし、家をつくったり、お客さんの喜ぶ顔を見るのは大好きだった。そこで、イヤなお客さんは断って、お願いするような営業はしないで済むようにすればいいと考えたのだ。

そして、そんな画期的な工務店をつくることにしたのだ。こんな非常識な発想で始めた会社は地元でナンバーワンの工務店となったという。当たり前の発想ではとても成長は望めないのだろう。


怒りや不満のエネルギーが、爆発的な力を生む。

2012年07月30日 | Weblog

「凡人の逆襲」神田昌典・平秀信著より。

これはなんとなくわかることだ。人に使われて仕事をしていれば誰にでも不満はあるだろうが、これを無理に抑え込む必要はないようだ。怒りを封印することにエネルギーを使うよりむしろ、そのエネルギーをどこに向けるかにエネルギーを使ったほうが賢かった。

たとえまじめに仕事をしていても、理不尽なことで怒りを感じることもあるものだ。実際、筆者が独立起業を果たしている人十数人に話を聞いてみると、「当時働いていた会社への不満、自分自身への怒りが独立へのエネルギーになった」と語ったそうだ。

せっかくエネルギーがわいたなら、いい方向に使うべきだろう。そのことで、ある意味充実した時間を過ごせるとも言えそうだ。しかし、ここで筆者は、怒りのエネルギーはいつまでも利用してはならないともアドバイスする。

作家の森村誠一氏も怨念のエネルギーを作家としての成功にうまく利用した人のように思える。森村氏自身もいろいろなエッセイなどで、サラリーマン時代に自分らしい仕事ができなかった思いから、その怒りのエネルギーを書くことにぶつけたと語っていたのを思いだす。


どんな素晴らしい発見でも、発表しなければ、ノーベル賞はとれない・・・

2012年07月29日 | Weblog
「凡人の逆襲」神田昌典・平秀信著より。

まずは、この本の背表紙の著者の部分で、神田氏はMBA役人崩れからカリスマコンサルタントへ、平氏は高卒現場監督から住宅業界の風雲児へ、とあった。本を読むと失敗を乗り越えて成功した経験も語られている。

実際会社から裏切られたり、リストラされたりしたときは辛かった時期もあり、自信を失っていたとも語っている。しかし、そこから逆襲に転じて成功をものにしていたのだ。

成功はコンプレックスがばねになって得られるともいう。ある意味障害はマイナスではないとも考えていたのだ。障害を成功に変えるためには鍵があったのだ。それは今までの経験に市場価値を見出す技術、自分を売る技術が必要らしい。

これは、タイトルにあげたように、仕事の成果をしっかりと伝えなければ、その価値は伝わらないということでもあった。アイデアも、文字や図面にして表現しなければ、正しい評価を得られないとも考えられる。やはり消えてしまうような言葉では弱いのだろうな。


拡大解釈が、価値を生み出す。

2012年07月28日 | Weblog

「ナニワ成功道」中谷彰宏著より。

これはちょっと気になるというより、実に共感するフレーズでもあった。というのも私自身がそれをしばしばやっていたからだった。

いずれにしても、現場のことをよくわかっていない上のものが勝手につくるきまりや、方針に従えという場合、実にやりにくかったりするものだ。

結局それでは成果が出しにくいということもしばしばだ。そこで、別にダメといわれていなければ、勝手に解釈して思い通りにやっていたものだった。そのほうが、仕事も楽しく成果も上がっていた。

たとえば、既成のパンフレットよりも自分が作り上げたチラシのほうがインパクトがあると思えば、それを作ること自体も楽しめる。とくに、自分流にビジュアルを重視して作り直したものだった。

仕事にやりがいを感じたいと思えば、やはり決まりきった業務をそれなりにこなしているだけでは不十分だろう。そこに何らかの自分なりの味付けがあってこそ仕事も少しは楽しめるはず。


ネタは芸人だけのものではない。

2012年07月27日 | Weblog
ネタは芸人だけのものではない。
「ナニワ成功道」中谷彰宏著より。

ここでのタイトルは“人生のエンターティナーになる”だった。すべての人がエンターティナーという考え方だった。しばしば、テレビで大阪の人と東京の人のリアクションの違いを実験している。

たとえば、商店街で通りすがりの人に向けて指で「バアーン!」と撃つ真似をすると、かなりの確率で大阪の人はその場で「ウワー」といいながら撃たれてよろめくアクションをしていた。

それに引き換え東京の通行人はそっけない様子で通り過ぎてしまう人たちの方がほとんどだった。こんなことからも大阪の人はノリがいいことがうかがえる。

一般の人もアドリブができるってすごいことだとも思える。大阪はかなり多くの人がエンターティナーなのだろう。やっている方も見ている方も楽しい。誰でもがちょっとした芸人にも思える。

ふつうネタといえば、すぐに芸人のことを連想してしまう。確かに売れている芸人はしっかりとネタ帳をつくている。しかし、実際に人前でウケるのはそのごく一部に違いない。

おなじネタはそう何度も使えない。そのため常に新しいネタをストックしておかねばならない。芸人に限らず人を楽しませるためにはネタが必要だ。つまり努力しなければエンターティナーではいられないということだとわかる。

ふつうの人にとってはお笑いである必要はない。たとえば、今日こんな恥ずかしい思いをしてしまった、というようなことは共感を得られるはず。逆に自慢話は嫌われるだろう。

細部にこだわれば、物語が生まれる。

2012年07月26日 | Weblog
細部にこだわれば、物語が生まれる。

「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。

もうここまでくると、「御用聞き」という言葉からはかなりかけ離れた内容になってしまいそうだ。しかし、東京にある老舗のバッグメーカーと筆者は書いているが、その内容から「吉田カバン」のことだとすぐにわかる。

確かにいろいろなものは中国製のものは安い。だから新しいバッグを作ってもすぐに類似品が出回ってしまう。そこで三代目社長は「中国でまねができないバッグを作ろう」と立ちあがった。

新しい技術を開発し、細部にこだわって中国にはまねのできない高品質の商品を生み出していた。つまりこだわり商品の背景にある物語が、情報発信の重要な材料でもあったのだ。

するとその製品はファッション誌をはじめ多くの雑誌で取り上げられた。かつてテレビ番組で流行った「トリビアの泉」的物語がメディアをひきつけたというわけだった。

やはり「へえ~」というちょっとした驚きや感動があれば、それが口コミとなって広がっていくのだろう。それはほかではまねのできない細部へのこだわりがいくつもあるからこそ可能だったのだ。

「限界に挑戦し、感動を呼ぶ」

2012年07月25日 | Weblog

「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。

オリンピックをはじめスポーツでの感動はわかりやすい。またモノ作りの世界でも同じようなことがいえるのだった。今ではインターネットで、素晴らしいモノ作りはすぐに世界に発信することができる。

それが世界的なものであるほど、反響は大きいものとなる。たとえば、実際にはどうい用途で使われるかわからないようなものでも、それを見た人が価値があると認めれば、その価値は貴重なものとなる。

ある意味、見せ球が、決め球を連れてくるということもいえる。それはたとえ、国内では認められなくとも、海外で認められて、新たに行内で市場が広まっていくこともありえる。

その例として、愛知のプラスチックメーカーが国際見本市に世界最小の歯車(肉眼では粉にしか見えない)を出展したところその技術が注目され多くの人に感動を与えたのだった。

その会社の可能性を認める大企業も多くあったのだ。その国際見本市から半年で全世界にその知名度は広がったという。限界に挑戦したからこそ生まれた感動だったのだろう。


情報は取りに行くより、まず発信。

2012年07月24日 | Weblog
「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。

筆者が全国の中小企業を訪問していると、情報を発信することで意外なニーズがあることがわかり会社が大きく変わっていた例があった。それはあるメッキ会社だった。

その会社は、それまで技術がまだ確立していなかったチタンメッキの新技術開発に成功していた。ところが大企業に行っても相手にしてもらえなかったのだ。

そこで、二代目社長がやったことは、1、英語で技術情報をホームページに紹介した。2、するとシンガポールから連絡が入った。3、そこでは遺伝子解析用の新しいチップを作るために要素技術を探していた。4、メッキの用途情報が向こうからやってきた。という流れになったのだ。

このように、発信した情報に価値があれば、さまざまな情報が引き寄せられるようにやってくるという例だった。意外にもメッキの技術が医療分野ににも生かせたのだ。結局この会社は、中小企業ではなく「ベンチャー企業」になったのだ。

「そこにしかないもの」の価値が高まっている。

2012年07月23日 | Weblog
「そこにしかないもの」の価値が高まっている。

「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。

名産品の取り寄せや地域限定商品の人気は高い。ということは地方にもチャンスはたくさんあるということでもあった。地域ならではの売り物があれば、それは大きな強みにもなる可能性がある。

ここでのタイトルは「地域が元気になるおばあちゃんビジネス」となっていた。つまり「おばあちゃん」が強みだったのだ。高齢化した農村が増えているが、長野県の白馬村の隣の小さな村にその会社はあった。そこでは高齢者が働き手で「おやき」という焼き饅頭を作っていた。

このお袋の味として伝わる料理はお年寄りが作る料理としてはちょうどよかったのだ。長年培った智恵と技術がいかせることは価値がある。つまり「おやき」のセールスポイントまたは付加価値は「おばあちゃん」だったのだ。

この「おやき」ビジネスの1年目の売上げは、1億5千万円で、18年後にはそれがなんと7億円にまでなっていた。そこにしかないものが、ビジネスチャンスを生み出していることがわかる。

現代は、モノを売るには「理由」が必要・・・

2012年07月22日 | Weblog
現代は、モノを売るには「理由」が必要・・・

「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。

これは「理屈」というより、むしろ「感覚」や「動機」のようなものらしい。はっきり言葉に出せないが「なんだか、いいかも・・・」というようなものがあれば、」それが「付加価値」と呼んでもいいのではないかと筆者は語っている。

商品やサービスに「付加価値」がついて初めて人に振り向いてもらえるものも多い。ここに一つの実例があった。それは今治のタオルメーカーだった。今では中国に生産を奪われつつある商品だ。

そこであるメーカーの社長は、「中国に生産を奪われないタオルを作ろう」と決意したのだった。たんに水分をふき取るだけでなく、肌ざわりや安全性にこだわった製品作りだった。つまり「人にも地球にも優しいタオル」というのがコンセプトだった。

しかし、そんなタオルを実現するためには機械から改造しなければならなかった。いろいろな工程は専門化されていたので、容易ではなかった。新しいタオルを作るには複数の企業間の協力体制が必要だった。

結果的に出来上がった製品は価格が高くて日本では受け入れられなかったが、アメリカでは高い評価を受けることができ、それが逆に日本でも受け入れられることともなったのだ。やはり強い決意と行動力のたまものだったのだろう。

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2012年07月22日 | Weblog
「なぜ、御用聞きビジネスが伸びているのか」藤沢久美著より。

これは「理屈」というより、むしろ「感覚」や「動機」のようなものらしい。そうえいば、はっきり言葉に出せないが「なんだか、いいかも・・・」というようなものがあれば、」それが「付加価値」と呼んでもいいのではないかと筆者は語っている。

商品やサービスに「付加価値」がついて初めて人に振り向いてもらえるものも多いだろう。ここに一つの実例があった。それは今治のタオルメーカーだった。今では中国に生産を奪われつつある。

しかし、そこで「中国に生産を奪われないタオルを作ろう」と決意したのだった。たんに水分をふき取るだけでなく、肌ざわりや安全性にこだわった製品作りだった。つまり「人にも地球にも優しいタオル」というのがコンセプトだった。

しかし、そんなタオルを実現するためには機械から改造しなければならなかった。いろいろな工程は専門化されていたので、容易ではなかった。新しいタオルを作るには複数の企業間の協力体制が必要だった。

結果的に出来上がった製品は価格が高くて日本では受け入れられなかったがアメリカでは高い評価を受けることができ、それが逆に日本でも受け入れられることともなったのだ。やはり強い決意と行動力のたまものだったのだろう。

“瞬食”体験だけでも十分に食育として意義がある。

2012年07月21日 | Weblog
“瞬食”体験だけでも十分に食育として意義がある。

「相鉄瓦版」平成24年7月1日発行より。

(前日のつづき)
そもそも“瞬食”などという言葉は今まで聞いたことがなかった。ブルーベリー農園で約1000本も栽培している金子さんが思いついた言葉らしい。

つまり木になっている実を自分の手で摘み取って、1秒後には口の中に入っているからだった。摘んで、あっという間に口の中に入れられるものってそう多くはないだろう。

私の地元ではイチゴ農園があるがそこでも、同じように瞬食ができる。新鮮なものほど果実の味わいが深い。収穫体験のできる果実や野菜はあるだろうが、このようにすぐに口に入れられるものは少ない。

もし家庭菜園でもやっていれば、庭やベランダで育ったトマトやキュウリなど生で食べられるものなら、すぐに食べられるだろう。完熟して真っ赤になったトマトをすぐに丸のまま食べることは、実に贅沢なことだとも思えてくる。

子供たちが実際に実った果実や野菜を自分の手で摘み取って、それを口にできれば、まさに生の体験学習といえるだろう。またそれを通じて本物の味も知ることができるのではないだろうか。

またそれとは別に自分たちが一生懸命に面倒をみて育てた、野菜や果実を食することも、体験学習になるはず。野菜や果樹の成長を眺めるのは実に楽しい。私は35歳過ぎてからその楽しみを知りましたがね。

たくさん汗をかく農作業はどんなスポーツにも勝るんじゃないか・・・

2012年07月20日 | Weblog
「相鉄瓦版」平成24年7月1日発行より。

この号の特集は“女性ファーマーズ”となっていた。女性の農業が注目されているらしい。女性だからこそできるきめ細かい工夫やアイデアがあるのだろう。

金子さんという女性はブルーベリーの栽培をしていて、観光農園まで作っていた。以前は会社員だった。農業に携わってから10年ほどだというが、農業の重労働を痛感しているようだ。

ブルーベリーも始めの数年間はうまく育てられなかったそうだ。そのうち、栽培は放任主義でもいけることがわかったようだ。雑草はある程度の長さまで伸びたら刈り取るだけで、樹木の下に置いておくだった。

それが土や根の乾燥を防いでくれ、時を経て肥料にもなるからだった。また雑草が地中に根を伸ばすことで、畑の土を耕してくれるから、耕運機を使ったことはないらしい。専門的な言葉では「草生栽培」だった。

草刈りや剪定もかなりの重労働だが、それ自体がかなりの運動量になっていた。私もたまに庭の雑草を抜いたり枝を切ることはあるが、汗びっしょりになってしまう。確かに汗の量だけは運動したのと同じだな。


大阪人は、アポなしが礼儀。

2012年07月19日 | Weblog

「ナニワ成功道」中谷彰宏著より。

大坂ではアポなしが当たり前になっているという。むしろアポをとるほうが、礼儀に反するらしい。というのも、相手の時間に制限を与えるからというのが理由だった。

アポなしでいいところもあれば、不都合なところもあるだろう。もしこちらの都合をまったく考えずに訪問されても困ることはあるに違いない。場合によってはアポがある方が心構えができる。

大坂ではいきなりやってきて、不在でも、涼しい顔で「また来ます」と言って帰っていくようだ。ポイントはアポがあるかないかより、相手に精神的負担をかけずに爽やかに帰ることができるかだった。

習慣の違いかもしれないが、ナニワだからこそうまくいくこともあるのだろう。ムダがあるかもしれないが、そのムダがあるからこそチャンスがつかめるというのもよく理解できる。


「禁止」という発想は、知恵を使わない発想・・・

2012年07月18日 | Weblog

「ナニワ成功道」中谷彰宏著より。

大坂には「禁止」という発想がないというが、本当だろうかと疑ってしまう。電車内の携帯電話の使用は全国どこでもいけないはずだが、大坂では「携帯電話はしゃあないやんか」と考えられているらしい。

ある意味まわりでしゃべっているほうが携帯電話よりうるさいから、携帯電話は迷惑にならないという発想のようだ。そういえば、長時間にわたって電車内でのうるさいおしゃべりが耳に入って迷惑だった経験は何度もある。

「~してはいけません」というという考えがとおるのは、それを受け入れる姿勢があるからできるということだった。確かに「電車内での携帯電話の使用他のお客様のご迷惑になるからお控えください」というアナウンスがあるだけで、「禁止」とは言われていなかった。

すべてを禁止というのは東京の発想らしい。困った問題もなんとか、トラブルにならないようにやっていこうという知恵を働かせることも大事なことのように思えてくる。たんにダメというだけなら簡単だろうな。