ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

サラリーマン世界の常識はサラリーマンの世界でしか通用しない。

2015年08月31日 | Weblog
サラリーマン世界の常識はサラリーマンの世界でしか通用しない。

「逃げない男の生き方」川北義則著より。

要するに定年退職をしたら、もうサラリーマンではないということを自覚すべきだということだった。労働条件はかつてとは全く異なって当然だった。

大した責任もなく働かせてくれるなら、給料のことは安いなどとは言えない。むしろ自分なりのテーマを見つけて、それをはじめてみるというのも一つの考え方だった。

自分のやりたいことってなんだろう・・・。それがすぐに見つかる人は有意義な時間を過ごせる人なのだろう。それは損得勘定からは生まれてこないものらしい。

男は何か一つでもいいから「俺はこうなんだ!」というこだわりを持つべきだ。

2015年08月30日 | Weblog
男は何か一つでもいいから「俺はこうなんだ!」というこだわりを持つべきだ。

「逃げない男の生き方」川北義則著より。

筆者の長年の経験では、そういうものを持っていると、不思議と自分に自信が持てるという。そうなら、実に簡単そうに思える。縁起をかついだり、占いを信じたりするのとも似ている。

それで常にうまくいくなら、その人にとってはそれがこだわりとなるのだろう。またうまくいくかどうかより、気分が落ち着くなら十分ともいえる。

筆者は意外にくだらないと思えることにもこだわっていた。それはタヌキと名の付くものは食べないということだった。代表はタヌキうどんやそばだろう。タヌキいや人間にだまされた気がするからだった。

天かす(揚げ玉)を入れただけで一丁前の料金をとるからだそうだ。かつてはそれがタダだったからだ。むしろそれなら、天ぷらそばを食べるという。

キツネそばなら、油揚げという立派な商品を入れたるから納得できるそうだ。なるほどとも思わせられる。なんだか食べ物にこだわってしまったようだが、私の場合はスパゲッティは進んで食べないというこだわりがあった。しかしピザなら時々食べている。だからどうということはないが。

協調は大事だが、競争することはもっと大事だ。

2015年08月29日 | Weblog
協調は大事だが、競争することはもっと大事だ。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

これは組織というものについて触れている部分にあったフレーズだった。仕事で成果を上げるためには、組織内では協調性も大事だろうが、それ以上にチャレンジ精神も大事なポイントだった。

ある意味ライバルを想定して、仕事に取り組むことで成果が期待できることも多い。陳腐な表現では切磋琢磨ということになるかもしれない。また自分が勝手にそれなりの目標を立てて取り組むことも必要だろう。

安藤氏はさらに、「競争とは知恵比べであり、知恵のある会社には自ずと人が集まる。落ち目になると人は去っていく」とも述べていた。厳しいがこれが現実なのだろう。

常に人から与えられたノルマだけを頼りに仕事をしてもつまらないものだ。人とは違った創造的な仕事ができれば、やりがいも違ってくる。競争を意識することで創意工夫も生まれる・・・と思うが。

君子豹変すべし。

2015年08月28日 | Weblog
君子豹変すべし。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

これは経営者について述べられている部分にあったものだ。そして、たった二行で次のように述べられていた。

「少しでもよい方向がみつかれば、即刻変更したらよろしい。朝令暮改は恥ではない。柔軟さの証明である。」と。

そういえば、かつて鈴木敏文氏の著書に「朝令暮改の発想」というのがあったが、そこでも似たようなことが述べられていた。その本のサブタイトルは“仕事の壁を突破する95の直言”となっていた。

その本の「はじめに」の部分で私が赤線を引いていたのは次の表現だった。「チャンスをつかめるかどうかは、才能ではなく、ものの見方、仕事の取り組み方にかかっています。・・・」とあったところだった。

安藤氏も同様なことを言いたかったのだろう。かつては朝令暮改は決していい意味では使われなかったが、いまではそんな臨機応変が次へのチャンスにつながっているのだろう。

自分なりに「元気の出る思考回路を持つ」こと。

2015年08月27日 | Weblog
自分なりに「元気の出る思考回路を持つ」こと。

「逃げない男の生き方」川北義則著より。

いきなり元気を出せと、ことばで言われてもあまりピンとこない。そこで大事なことは、そんな元気のでる思考回路だったのだ。

いいこと、自分が過去よかったことを思い出すこともその一つのようだ。いい記録を出したとき、褒められたときのことなどを思い出すことで元気を出せるという。

ことあるごとに、いくつかのいいキーワードを思い出すことだった。実際に、いつも元気な人はそんな思考回路で生きているらしい。

もし元気がないとしたら、雲の上にある晴れた世界を見ていないということになる。それは自分に責任があるということだった。頑張らねば。

人生一度くらい損得抜きで自分のやりたいことに取り組んでみたらどうだろうか。

2015年08月26日 | Weblog
人生一度くらい損得抜きで自分のやりたいことに取り組んでみたらどうだろうか。

「逃げない男の生き方」川北義則著より。

これある女性評論家が「定年退職して、そば打ちなんかに逃げるな」というテーマで本を出版したからだった。こんなことを言われたら本当に頭にくるものだ。

せっかく定年まで勤めたのだから、何をやろうと自由ではないか。しかも趣味に打ち込むことは最高ではないだろうか。批判するべきではないだろう。

定年後なら、働いても働かなくても人の勝手だろう。川北氏はサラリーマン時代の垢を落とす一番いい方法が、自分の本音で生きることであると述べていた。まさにそれを実践したいものだな。

チャレンジする姿勢を持ち続けることが、創造性につながっていく。

2015年08月25日 | Weblog
チャレンジする姿勢を持ち続けることが、創造性につながっていく。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

あらゆるものは、無から有ではなくて、むしろそれまであったものの組み合わせによるものが多い。つまり大事なのはアレンジ力ともいえそうだ。

そこで例に出しているのが発明王、エジソンだった。彼はブリタニカ百科事典を丸暗記するような勢いでむさぼり読んで、あらゆる知識を貪欲に吸収していたという。そして、知識を組み合わせてアイデアを生み出していたのだ。

エジソンの発明の多くは、知識と発想力を両輪のように回して作り上げたものだったのだ。そして、科学者の発見した原理を商品に応用していったのだ。今ある知識や原理にひとひねり加えて、特許をとるのが得意技だったようだ。

日々の仕事もそう考えれば、まだまだいろいろと応用ができそうだが・・・

「なぜ?」の興奮、「そうか!」の喜びが肝心。

2015年08月24日 | Weblog
「なぜ?」の興奮、「そうか!」の喜びが肝心。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

これも前日の続きとなるが、問いかけをすることで、意識も目覚めるということだった。詩人のまど・みちおさんの言葉があった。「世の中は、あれという?マークと、これだという!マークのふたつで、だいたいいいのではないか」だった。

シンプルなところが素晴らしい。齋藤氏は仕事をするときに、この二つの記号で取り組んでいくと、もっとクリエイティブになっていくのではないか、と提案していた。

104歳の生涯を生きた、まどさんは、100歳になっても何か発見することは必ずあるとおっしゃっていたそうだ。詩人はいままで人が見ていなかったところに、何かをみつけることだそうだ。

たしかに、「?」と思っていたことが判明して「!」となればわくわくするものだ。そのワクワク、ドキドキして気持ちがいいときはドーパミンという物質が脳に出ているらしい。

「問いを立てる」と、頭にスイッチが入る。

2015年08月23日 | Weblog
「問いを立てる」と、頭にスイッチが入る。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

この第三章では“「「?」と「!」で考えれば頭は創造性を発揮する” 、となっていた。そして、想像力を高めるためには、考えることを頭の中で対話的な作業にするといいと提案していた。

つまり自問自答ということで、ここで大切なのは問いを立てることだったのだ。面白い実例があった。それは「フェルマーの定理」でこれは証明できるはずと、17世紀に提示されたものだった。

そして、ようやく1994年にイギリスの数学者アンドリュー・ワイルズが解くことができたのだ。どちらも素晴らしいが、この問いを出したフェルマーがすごかったのだ。

いずれにしても、問いかけがなければ、考える行為にスイッチがはいらないと齋藤氏は述べていた。

ちょっとしたポイントで笑える人は、頭が働いているといえる。

2015年08月22日 | Weblog
ちょっとしたポイントで笑える人は、頭が働いているといえる。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

仕事をする際には、「細胞が活性化する」という感覚を持ち込んでほしいと齋藤氏は語っている。ある意味、ワクワク、ドキドキすることだった。ちょっとした楽しみを見つけるという程度でいいらしい。

仕事のなかで、ときどき笑いが起きることは重要だという。確かに職場でどこかで笑い声が聞こえないと寂しい気もする。

のあまりにも仕事で緊張していると、体まで固まってしまいそうだ。そんな時は頭の働きも悪いのだろう。

ある意味、ボケに対するツッコミのようなテンポのよさを大事にして、コミュニケーションをしていくこともポイントだった。常にライブ感覚を意識してみたいものだ。

地味な仕事のなかに「興奮」を見つけられるか。

2015年08月22日 | Weblog
地味な仕事のなかに「興奮」を見つけられるか。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。ら

もともと初めから面白い仕事などないだろう。実際に面白そうだと思って取り組んでも、実際はそれほど甘くもないことに気づかされる。

むしろ単調だったり、かなり緊張しなければならないことも多い。一見そんなつまらない仕事のなかに、自分なりの面白さを見つけていくしかない。

ここには、辞書を編纂した方の例があった。その際膨大な用例を探さねばならない。実に地味な仕事に違いない。しかし、そこにも興奮があって、ドキドキするらしい。新しい用例を見つけた時などだそうだ。

齋藤氏は、仕事はもともと地味なものだという。そのなかにも軽く興奮があって、そんなスパイシーさが大切だと述べていた。まさにその通りだと思った次第。

ラーメンを売るな。食文化を売れ。

2015年08月20日 | Weblog
ラーメンを売るな。食文化を売れ。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

単に売り上げを伸ばすために、ラーメンを売るということ以上に、食文化というところまで考えているところがすごい。

ポイントは、食品というモノではなくて、文化というコトだったのだ。カップヌードルによって、食文化が大きく変わったことは確かだ。お湯さえ注げば、どこでも食べられるということは画期的なことだった。

かつて、私は時計を売ろうとする前に、時と時計の関係を考えてみることも必要だと思ったのだ。時間のことに関する読み物も意外に面白いものだ。普段はすっかり忘れていることも、思い出すことができたものだ。

そういえば、ここにも時間に関係ある言葉があった。~インスタントとは「即時」「即刻」「瞬間」という意味である。してみるとインスタント食品とは時間を大切にする食品ということになる。~とあった。

あらためて、インスタントの意味の深さを感じさせられた。

市場調査の結果は、過去のデータの集大成にすぎない。

2015年08月19日 | Weblog
市場調査の結果は、過去のデータの集大成にすぎない。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

まさにその通りだと思った次第だ。売り上げの結果だけを見て、予測を立てたりしても、必ずしもその通りにいくとは限らない。過去のデータはその時のものであって、将来も同じように行く保証はない。

前回うまく行ったことも、条件が変われば、まったく未知数といえる。むしろ今までやらなかった方法で商品を提供すべきだったのだ。

そして、氏は「人々の感動を呼ぶような商品を作りなさい」と述べている。まさにそれこそが、本来の商売だろう。今まで通りならとても飛躍的な伸びは期待できないものだ。

時代の変化に対応するのではなく、変化をつくり出せ。

2015年08月18日 | Weblog
時代の変化に対応するのではなく、変化をつくり出せ。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

しばしば、最も強いものは変化に対応できるものだともいわれるが、この言葉はその上をいくものだった。あらためてすごいと思わせられた。

たとえば、環境などの変化に対応することで生き延びることはできるだろうが、むしろよりよい環境を作り出した人間のほうが強そうだ。

そう考えれば、世の中の変化に対応するだけなら、消極的だがその変化を作りだすのはかなりのエネルギーがなければならないだろう。

新しいものが発明されると、世の中の価値観がかなり変わってしまうものだ。カップヌードルの発明は日本発だが、世界にまで影響を及ぼすことができたのだ。

私は眠るときにも、メモと鉛筆を枕元に用意する。

2015年08月17日 | Weblog
私は眠るときにも、メモと鉛筆を枕元に用意する。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

これは安藤氏の発明には欠かせないものらしい。これはたとえ眠っていても考えを継続しているということを意味する。

それくらいの執念がなければ、何事もなすことはできないのだろう。氏は私たちに次のようにアドバイスしている。「あなたも四六時中、考える習慣をつけなさい」と。

また「人間五年かければ、一つの仕事ができる」とも語っている。じっくりと時間をかければ、それなりの結果を出せるのだろう。しかし、職場での仕事では、しばしば早い結果を求められるものだ。

やはり発明と日常の仕事とは心構えが異なっているのかもしれない。氏は「発明はひらめきから。ひらめきは執念から。執念なきものに発明はない」とも語っていた。

執念がなければ、ひらめきもおこらない、ということだろう。無から有は生じてはこないと思っていたほうがいいのだろう。