ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

アイデアは、今この瞬間にしか存在しない・・・

2014年08月31日 | Weblog
アイデアは、今この瞬間にしか存在しない・・・

「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。

何かいい考えはないかと考えているときは、なかなかいいアイデアは浮かんではこないもの。しかし、何か別のことをしているときに、ふと面白いアイデアを思いついたりする。

それをその場ですぐに何かにメモっておけば忘れにくいし、あとで思い出すこともできる。ところが、あとでそれを思い出そうとしても、すっかり忘れてしまっているものだ。

とにかく、どんな小さなメモでも書いておけば手がかりにはなる。メモはその瞬間が勝負だろう。数分後には頭はほかのことでいっぱいになってしまう。

学習も常に今と言う中にしか存在しないと、中谷氏はいう。そのうちにやろうとおもってもまず無理なことだ。今だからこそ頭に入るのだろう。

ヒラメキをデザインすることで、アイデアになる。

2014年08月30日 | Weblog
ヒラメキをデザインすることで、アイデアになる。

「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。

ヒラメキとデザインといったいどういう関係があるのだろうと、思ってしまう。ひらめいただけでは、アイデアにはならないようだ。

具体的な例をあげることも、デザインと言えたのだ。デザインとは常に具体的なものであるべきだった。それに対して、ヒラメキはもやもやとした抽象だった。

もやもやした線を具体的にするプロセスの中で、アイデアになるという。たとえば子どもの名前を思いつくのはヒラメキだった。それを苗字とつなげたり、書いた場合にどうなるかがアイデアに変えていくデザインという作業だった。

単に思いついたアイデアは、ヒラメキであって、まだデザインが足りない状態だったのだ。ここでの結論はヒラメキをデザインしようだった。

ペンは、アンテナなのです。

2014年08月29日 | Weblog
ペンは、アンテナなのです。
「昨日と違う自分になる学習力」中谷彰宏著より。

この本のサブタイトルには“向上心がわいてくる54の具体例”ともあった。つまり学習することで向上心がわいているということだろう。

筆者によれば、ペンは単に思いついたアイデアを書きとめる道具ではなかったのだ。メモしたり伝言をするための発信機能と思いがちだ。しかし、受信機能のようだ。

まず、ペンを持つことで、そこに空の上のほうからアイデアが飛んできて、それが紙に書かれるというイメージだった。

だから、まずはペンを持たないとアンテナをつけてないのと同じで受信できないことになる。考えるまえにペンで受信するということのようだ。

ペンを実際に手に持っていないと、何も思いつかないが、落書きを始めるとアイデアも浮かんでくることはある。

「弘法は筆を択べ!」

2014年08月28日 | Weblog
「弘法は筆を択べ!」

「弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。

これもことわざの逆説で、本来は「・・・択ばず」で、昔からよく知られているように、名人は道具の善し悪しなど問題にしないという意味だった。

でも、実際はそうでないことのほうが多そうだ。名人ほど自分にこだわった道具を身につけているのではないだろうか。スポーツマンなら、フォームを大事にしている。

また、試合で使用する道具にもこだわりがあって、自分だけにあったバットやグローブを作ってもらっている選手も多い。最高のパフォーマンスをするためにはそれなりの道具も必要だと思われる。

スポーツ選手の不調はフォームが崩れていることが原因になっていることが多い。そこで結果が出ない時には、常にチェックしているようだ。

サラリーマンだって同じだろう。成績が低迷すれば、それなりにチェックする必要が出てくる。弘兼氏は遊びにも仕事にも自分なりのフォームをどんどん持ち込むべきだというのが持論だ。

自分なりの創意工夫があればこそ、フォームが身につくとも言えそうだ。ここ一番という時の決め技があると仕事もしやすいだろうな・・・

野球の打者がバットにこだわるなら、サラリーマンはペンやノートやバッグにこだわってもいいのかもしれない。それによって、仕事をスムーズに進めることができるなら。

体力に自信がつくと、物事をプラス思考に考えることができるようになる・・・

2014年08月27日 | Weblog
体力に自信がつくと、物事をプラス思考に考えることができるようになる・・・

「弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。

すべてに優先して健康は最も大事な事柄だろう。仕事も日々の生活も健康が基本になっている。

またさらに、体力に自信がつけば、積極的にもなれるだろう。これは、むしろその逆を考えればわかりやすい。すぐに疲れてしまうような体力だと、仕事もやる気が起きないものだ。

気力、体力が充実していてはじめて、いい仕事ができる。別に筋肉質である必要はないようだ。スリムで強靭な身体作りを目指すべきだった!

ところで、一流の役者は体もそれなりに鍛えているようだ。それは日々の節制と地味な鍛錬によって作り上げられるからだ。不健康なサラリーマンは多いらしい。気をつけねば。積極的に汗を流すことは必要なようだが・・・

「能ある鷹は爪を隠すな!」

2014年08月26日 | Weblog
「能ある鷹は爪を隠すな!」

「弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。

本来のことわざは誰でも知っているように、「・・・爪を隠す」で、素晴らしい能力や才能がある人は、それを見せびらかしたりしない、というものだった。

それに対して、弘兼は入社した時から漫画という能力を隠すことはなかったと語る。もちろん自分にどんな爪があるかを知っていなければならないが。

もしあるなら、会社のためにも自分のためにもそれをアピールすべきだという。確かに待っているだけでは自分のやりたい仕事にも就けないだろう。

誰も人のことは理解しようとは思わないものだ。自分のなかにある、「他人に誇れる部分」があるかどうか。そして、それを効果的かつ嫌味なく表現することが大事だったのだ。

目に見えないセールスポイントもあった。たとえば、人間関係の円滑化が得意、和み、癒しなども入るようだ。周りをホッとさせるような会話や行動ができればそれも入っていた。

夜中まで働ける「体内時計」を持っているか。

2014年08月25日 | Weblog
夜中まで働ける「体内時計」を持っているか。

「他人(ひと)と違うことをしなければ生き残れない」岡野雅行著より。

ここには岡野氏の経験が語られていた。若い頃朝から夕方まで父親の金型の仕事を手伝ったあと、自分で取ってきたプレスの仕事を、毎晩、夜中の二時、三時までぶっ通しでやることができたと述懐している。

しかも、70歳を過ぎた今でもそのままの時間に起きているというのだ。自身でもそれは中毒だと思っているようだ。夜中の一時、二時までは絶対に寝られないのだ。またウトウトして起きると四時半か五時だという。

アイデアは朝方にでるから、ゆっくりと寝たいと思っても寝られないらしい。しかも、仕事イコール遊びになっているから苦にならないともいう。だからちょっと前まではベッドや布団で寝たことがなくて、事務所で寝ていたのだ。

本当に驚きだ!しかも、読者に対して、そこまで仕事に打ち込める自信があるかい?と問うている。やはり一流のノウハウを身につけた人はやることが違うと思わせる。夜中まで働ける体内時計・・・凡人には無理だろうな。

「倍返し」が人付き合いの基本・・・

2014年08月24日 | Weblog
「倍返し」が人付き合いの基本・・・
「他人(ひと)と違うことをしなければ生き残れない」岡野雅行著より。

岡野氏のところにはひっきりなしにお客さんが訪れるという。そして、いろいろなお土産を持ってくるようだ。

岡野氏はそれに対して、値段の倍返しを基本にしているようだった。なかなか出来ないことかもしれない。同等なものでもできればいいほうだろう。大切なのは金額よりむしろ気持ちが込められるかどうかだった。

商売がうまくいくかどうかはそこのところにかかっている。ちょっとした気遣いはすべてに通じるものだ。極端な例では、100円ショップでこんな面白いものがあった、と言って見せてあげるだけでもいいという。

こんなちょっとしたことを継続していけば、人と人のつながりを深めることに役立つのだとも語っている。やはりそれを実践してきた人の言葉は信頼できそうだ。

誰でも夢中になったものがある。

2014年08月23日 | Weblog
誰でも夢中になったものがある。

「弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。

確かに無趣味と思われる人もいるものだ。仕事が忙し過ぎて、また生活も苦しくなかなか趣味までやってられない人も多いことだろう。

時間があればやってみたいことも多いはずだ。また同時にかつて若い頃に、夢中になってやっていたこともあるかもしれない。

仕事を離れたところで、自分の世界を持つことは価値があるものだ。経験的には、それが結果的に仕事に役立ったことも多い。

過去に誰も笛を吹かなくても、踊っていた自分がいたことを思い出せば、またそれに時間を費やすこともムダではなさそうだ。しばしば、それは書棚にあったりする。

特に熱心になって読んだ本は、その当時夢中になったことだったりするものだ。今の書棚には植物関連のものが多い。それによって充実した時間を過ごせているからだろう。

部下に人気のある上司というのは、必ずしも仕事がバリバリできる人ではない。

2014年08月22日 | Weblog
部下に人気のある上司というのは、必ずしも仕事がバリバリできる人ではない。

「弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。

そうそう、と納得してしまう。上司に限らず同僚や先輩社員でも同様なことが言える。いくら仕事ができても、どうしても人間的に尊敬できない人もいるものだ。

むしろ、その人を見ると安心できたりほっとするような人のほうが人気がある。それは人望というものだろう。とくに自慢をする人は最も嫌われるかもしれない。

すでに承知している事項について、部下から報告を受けた時に、「そんなことは百も承知だ。すでに手は打ってある」とクールに言われることがあった場合。また「それは知らなかった、いいことを教えてくれた。ありがとう」と言われた場合を比較していた。

やはり「ありがとう」と言われた部下は嬉しいだろう。すでにわかりきったことでも、「それは知らなかった。ありがとう」と言えるには勇気もいるかもしれない。

それができるのが優秀な上司らしい。つまりウソも方便というものだった。部下に恥をかかせないということも、上司としての人間の大きさかもしれないな。

隙のない人間なんてありえない。

2014年08月21日 | Weblog
隙のない人間なんてありえない。
「弘兼憲史のアツイ人生論」弘兼憲史著より。

このあとには、四十代でも五十代でもだ、と続いていた。仕事をしていれば、必ずのようにトラブルは発生するものだ。

自分では完璧だと思っていても、やはり結果的にはちょっとしたクレームは発生したりする。自分の責任ではないことも、対処しなければならないこともある。

若い頃に先輩社員や上司に言われたことがある。それは、失敗しても命までは取られない、ということだった。なかなか自分ではそこまでは考えられないものだ。でも、そんなひと言で気持ちが少しは楽になることもあった。

弘兼氏によれば、隙の少ない人間というのは、隙のあることを認めて、その対処をしてる人間のことだという。その対処の仕方がスマートなのだろう。

一芸に徹して、ずば抜けている人は必ず成功する。

2014年08月20日 | Weblog
一芸に徹して、ずば抜けている人は必ず成功する。

「他人(ひと)と違うことをしなければ生き残れない」岡野雅行著より。

このワンセンテンスを目にしたときに、すぐに連想したのは、野球の代走だった。試合でせっているときに、あと1点が欲しいというときに必ずのように出てくる選手がいるものだ。

走る職人だろう。もちろんプロ野球選手としても一流であることは確かだが、とくに走ることが専門的といわれるのだろう。

そして、その送られた選手によって得られた得点は価値が高い。その1点で勝敗を左右する場面はしばしばある。このように走塁という芸が抜群ならプロでも生き残れる。

サラリーマンは別にそれほどの特技がなくても生き残れる。しかし、抜群の成績を継続的におさめるためにはやはり特技が必要だろう。抜群の接客力があったり、サービス精神が誰よりもすごいなども入るはずだ。

もし、歌唱力が抜群の歌手なら、優れた作曲家や作詞家のつながりができて、名曲も生むことになるのだ。誰からも抜群だと認められるものを持っている人いるかな・・・

プロセスの失敗っていうのは「アヒルの水かき」みたいなもの。

2014年08月19日 | Weblog
プロセスの失敗っていうのは「アヒルの水かき」みたいなもの。

「他人(ひと)と違うことをしなければ生き残れない」岡野雅行著より。

この本を手にしたのは、まずこの本のタイトルが気になったからだった。確かにサラリーマンの仕事だって、人と同じレベルでやってもそうそうトップになれるわけでもないからだ。同じような仕事をしていたら、みんなどんぐりの背比べだろう。

また、ここでのタイトルは、「失敗の連続こそ成功の種」となっていた。岡野氏は大きな成功をいくつもしているが、その陰ではたくさんの失敗も繰り返していたのだ。

技術を身につけることができたのも、数えきれないほどの失敗を繰り返したからだった。ここで失敗を2つに分けていた。一つは「プロセスの失敗」でもう一つは「結果の失敗」だった。

プロセスの失敗はたくさんあっても、結果の失敗はなかったという。というのは、プロセスの失敗はすべて自分の技術やノウハウになったからだった。

アヒルの水かきは水面下でバシャバシャやりながらも前に進んでいるからだった。短いが参考になる意見だ。

「未知の仕事」に、見積もりなんかあり得ない。

2014年08月18日 | Weblog
「未知の仕事」に、見積もりなんかあり得ない。
「他人(ひと)と違うことをしなければ生き残れない」岡野雅行著より。

「未知の仕事」に、見積もりなんかあり得ない。

商売をするには、何ごとも見積もりがつきものだ。お客の側からすれば、何か注文する時にはそれが基本になっている。

先月家の和室をリフォームしたが、数か所で見積もりをしてもらったものだ。それぞれ違っていたが、やはり信頼できそうなところに注文をした。

見積もりには金額だけでは判断できないものもある。その時の雰囲気や熱意、信頼感などは当然入ってくる。出してくる資料などもその中に入るかもしれない。

岡野氏は見積もり依頼をされると、すぐに金の話になってしまうのが嫌だという。というのも、それまで誰もやったことがないから見積もりなどできないからだった。

それも依頼の仕方が問題なのだろう。作る側としては、見積りで金の話をする前に、まだ答えのないところに突き進んで、それでもやり抜くという意思を貫くことが大事だと感じているようだ。

相手の10倍納得しよう。

2014年08月17日 | Weblog
相手の10倍納得しよう。

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

ここでのタイトルは「相手に1の納得をさせるには、自分は10の納得をする」とあった。当然ながら、相手を納得させる前に自分が納得しているのは当然だろう。

商品を売る場合を考えればよくわかる。一番説得力があるのは、その商品を自分が使ってみてぜひ人にも勧めたいと思うものだ。単にマニュアルを読んだだけの説明では買う気も起らない。

相手の納得のレベルは常に10分の1程度だと考えておくほうが賢明なようだ。いくら熱心に説明しても、その気がなければ相手は感動してくれない。

最も納得できるのは、その商品を長年使ってこんな効果があったということを、自分を通して相手に見せられた時かもしれない。つまり信用してもらうには事実の提示と思える。