ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「時間を買う」という視点・・・

2012年02月29日 | Weblog

『[図解]スピードノート』主藤孝司監修より。

この本には“人より10倍速く成功するための”、というサブタイトルがつけられていた。早くではなく速くとなっていた。つまり本のタイトルにもあるようにスピードがポイントのようだ。

ここでは時間を買うということだが、ある結果を得るために必要な時間を金銭を投資することで節約することだった。これは企業買収を例にとればわかりやすい。お金を払って高い技術力のある企業を買収できれば、そのほうが手っとり早く目的を達成できるという考え方だった。

一般の人にとっては、パソコンで仕事が速く処理できれば目的を達成できる。しかし、そのためには高性能のパソコンに投資するということでもあった。つまりそこでもお金がかかる。

成功者のタイムマネジメントの基本は「時間を買う」という考え方だ。たとえば、「技術習得の労力を買う」→アウトソーシング。「通勤時間を買う」→交通が便利な立地のオフィス。「自分の時間を買う」→アシスタントや秘書の採用。「移動時間を買う」→高いが速い移動手段(新幹線、飛行機)・・・といろいろあった。

昔から言われるのは、「タイム・イズ・マネー」だが、この場合もある意味金で節約する時間を買うにはお金がかかるもの、と考えばいいのだろうな。


他人を動かそうとするより、自分が動いてしまえ。

2012年02月28日 | Weblog

「ストレスゼロでラクして働く62のテクニック」内藤誼人著より。

この章のタイトルは「わずらわしい人づきあいのストレスをきれいに解消する心理的アドバイス」とちょっと長ったらしい。その始めのセンテンスは“他人には、そんなに期待しないほうがいい。なぜなら、期待しても、その通りにしてくれないことが多い・・・”となっていた。

まさにその通りだと最近も感じたばかりだった。期待してガッカリすることほど精神的に疲れることはない。結局人に期待した自分が甘かったと反省するしかない。

そして、結果的にはイライラとしてしまう。だったら、初めから他人をあてにしていないほうが、ガッカリすることもないのだろう。どうせならいっそ始めから自分がやってしまったほうがよいかもしれない。

筆者の内藤氏は、基本的には、他人を信用していないという。そう考えていれば、期待を裏切られることもないそうだ。信じられるのは自分の努力と行動だけだと考えるほうが納得できるかも。

ここに氏の名言があった。「もし他人に頼むときには、アテにせず待つのが正しい姿勢」と。大至急の仕事なら、自分が大至急やってしまったほうが早く確実に、期待通りの仕上がりになる。ただし自分の時間があればだろうが。


仕事の中における自由度が大きくなれば、それだけメリットがある。

2012年02月27日 | Weblog

「ストレスゼロでラクして働く62のテクニック」内藤誼人著より。

勤務時間中は管理された時間のなかにいることになる。しかし、移動時間はかなり自由がある。通勤時間も限定されるが、その時間は自由だからできるだけ楽しく過ごしたい。

ここにちょっと面白い実験データがあった。4週間にわたって好きな音楽をヘッドホンで聴きながら仕事をしたグループとそうでないグループに分けたのだった。すると前者のグループのほうが仕事に自信がもて、生産性も高まったという。

これが上記フレーズの意味合いだった。だからあまり息がつまりそうな職場というもの生産性が悪いということなのだろう。せいぜい、通勤の往復や休憩時間、移動時間には思いきりその限られた時間を有効に楽しみいたいものだな。

いずれにしても、楽しければ仕事もはかどるに違いない。また、サービス業なら、自分が楽しく仕事ができてこそ、それが相手にも伝わるはずだ。ストレスを強く感じるほど仕事の成果は望めないと考えられるし。


競争しないですむ道を模索する・・・

2012年02月26日 | Weblog
「ストレスゼロでラクして働く62のテクニック」内藤誼人著より。

たいてい本屋で本を手にするのは、そのタイトルが気になるからだった。この一冊その例外ではなかった。競争すればやはりストレスはたまりやすい。逆に言えば、競争がなければストレスも少なくて済むということになる。

はじめから人とは競合していなければ、気持ちもぐっと楽になる。敵がいないところではいくらでも頑張れるのではないだろうか。人とは異なる特技を磨ければ、またそれで仕事ができるなら楽しめるだろう。

社内なら何かのチームリーダーになるということも考えられるという。そこで自信がつけばしめたものだろう。もし、人が嫌がることや雑用を進んでできるならそんなことでもリーダーになれるという。

意外につまらないことでも、誰よりも熱心にやれればそれも特技ともいえるのかもしれない。ある領域で強みを発揮できるなら仕事も少しは楽しめそうだ。内藤氏は、「誰も勝負したがらないところで勝負しよう」と語っていた。それなら勝てる(=ストレスも感じない)かも。

商品そのものよりオマケや付録のほうが価値が高かったりする。

2012年02月25日 | Weblog
「アイデア革命」齋藤孝著より。

最近では婦人雑誌に付録としてバッグや化粧品関連の小物などがついてきたりする。雑誌よりもその付録が欲しくて雑誌を買う人も多いことだろう。しかも、それらはオリジナル品だったりすればより購買意欲は増すのかもしれない。

そういえば、私も子どもの頃付録についてくる模型などが欲しくて、雑誌を買った覚えがある。その頃の付録は大した金額ではなかったろうが、今ではむしろ雑誌よりも金額が張ると思われるものもついてくる。

たとえば、定価700円の雑誌に定価1600円の化粧品が付録として付いてくるというものだ。商品のメーカーとしては、読者が使って気に入ればリピーターになってくれる可能性もあるから、宣伝料と考えれば効率的なのかもしれない。

雑誌出版社としては、付録の商品が欲しい人が増えるほど販売部数も増えるのだろう。読者は商品が安く手に入り、雑誌も読める。となれば、出版社、メーカー、読者の3者がみなトクするということになってくる。うまい商法だ。

そうえいば、昨年のクリスマスにはセブンイレブンでクリスマスケーキを予約して買った場合、AKB48のオリジナルCDがついてくるというキャンペーンがあった。これなども、熱狂的なファンにはぜひとも欲しいオリジナルオマケだろう。売りものではなくしかも期間も数量も限定ともなれば、マニアにとっては、やはりより欲しくなる一品に違いない。

およそ“遊び”とは、要するに日常を忘れて別世界を求めること・・・

2012年02月24日 | Weblog

「アイデア革命」齋藤孝著より。

ここでのタイトルは「“パックワールド化”で別世界をつくる」とあった。食玩と呼ばれるオマケの小さいオモチャが長い間人気があることを引き合いに出していた。

それらは動物、アニメのキャラクター、レトロもの、恐竜などさまざまなものがある。ガチャガチャとよばれるプラスチックのカプセルに入っていたりする。安い割にはリアル感があるものも多い。

そして、リアリティがあるほどその世界にはまりやすいようだ。しかも、それは子どもよりむしろ大人の鑑賞にも耐えるものでもある。コレクターはかなり幅広く存在している。

オモチャを通じて別世界を楽しんでいるということのようだ。タカラでは「ザ・昭和テレビジョン」という昭和30年代の居間の風景をミニチュアで作っていた。しかもそのテレビは実際に映るという。

中高年にとっては郷愁を誘う別世界なのかもしれない。これからは高齢者が増えるにつれて、こんな郷愁を感じさせる商品もアイデアのヒントになるのかもしれないな。


「時間限定」が消費意欲を喚起する。

2012年02月23日 | Weblog

「アイデア革命」齋藤孝著より。

しばしば、商品を売る場合値段の設定が効力を発揮するものだ。バーゲンだからといって、2割引き程度ではインパクトがなくても、50%、70%offともなればふと足を止めたくなることもある。

それと同じように、時間も限定することで消費意欲がわいてくる。この商法はいろいろな店で行われているタイムセールでもあった。それを幅広く一般の商品に印刷してしまったものが、例えば缶コーヒー「ワンダ・モーニングショット」だった。

この時間を朝に限定したというアイデアで大ヒット商品になったのだった。実際自動販売機に並んでいる商品は膨大な商品から勝ち抜いてきたごく一部の商品だ。そこに常に入ることは実に大変なことになる。

たとえ、その商品の時間が限定されていようが、いつ飲んでも味が変わるわけではない。しかし、缶コーヒーがもっとも売れるのは午前中の時間帯だったらしい。そこに注目して、モーニングという設定にしたようだ。

いずれにしても、激戦を勝ち抜いてきた商品には、他との差別化で成功したという結果でもあるのだろう。「朝専用」とあれば、やはり朝に飲む人が多ければ、その商品に手を出してしまいそうだ。

で、紅茶は午後に飲む人が多いから「午後の紅茶」となっているのだろうか。たまに一般的にはアフタヌーンティーなどという言葉も聞くことはある。若い頃は喫茶店のモーニングサービスという時間帯に行ったものだったが。


自分の心のなかにビジョンを描き、それに向かって勇気を持って行動することは、人生の創造につながる。

2012年02月21日 | Weblog

「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。

ここでのタイトルは「人生のビジョンを立てる」となっていた。普段あまりビジョンということを意識することはなかった。ここでは人生の目標というような意味合いがあった。

筆者の日野原氏はそれを父から学んだという。そして、父である善輔氏は“3つのV”ということを述べていた。それは三つ目のVであるビクトリー(勝利)があると信じて、一つ目のVであるビジョン(将来に対する展望)を描いて二つ目のVベンチャー(勇気ある行動)を実行したという。

だからこそまず、第一のV(ビジョン)を立てることが大事だと言う。日野原氏は若い頃から常にビジョンを持つように心がけてきている。たとえば30年以上前に、習慣病という言葉をつくったが、それを浸透させるためには四半世紀の努力が必要だったと語る。

そういえば、森村誠一の作品の題名にも「ビジョン」というのがあった。そこには次のようにあった。「生きている者はそれぞれの人生にビジョンを描いている」と。それはああなりたい、とかああなりたくない、というような志という意味でもあった。



希望とは、どうありたいかという「being」・・・

2012年02月20日 | Weblog

「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。

しばしば、希望や願望というような言葉を耳にすることはあるが、それらの言葉の違いについてあまり考えたことはなった。

たとえば、出世したい、有名になりたい、金持ちになりたい、大きな家に住みたいなどは希望ではなく、欲望だったのだ。地位、名声、財産を求めることは外に向かっての願望を持つことだった。つまり何を持つかという「having」だった。

それに対して希望は内なるものだという。それはどうありたいかという「being」になる。こんな考え方を初めて知るとわかりやすい。どういう人になりたいか、どんな人生を過ごしたいかというような、意味合いだった。

ここには、希望について次のような表現もあった。「・・・自分を見つめ、自分の内側に求める未知なる能力」と。実に味わい深い言葉にも思えた次第。


「人間は繰り返された行動によってつくられる」

2012年02月19日 | Weblog


「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。

これは何と2400年も前のアリストテレスの言葉だったそうだ。日野原氏の目標としていたアメリカの医師であるオスラー(1849-1919)はこの言葉から、ヒントを得て健康と習慣について考えていた。

つまりオスラーは、ギリシャの哲学者の言っていたことに、健康の秘訣を発見したのだった。そして、今度はオスラーを師と仰ぐ日野原氏は「習慣」というテーマで研究を重ねていたのだ。

1979年ごろ、アメリカでは「健康を害する要因の半分が、不健康な習慣によるもの」という統計を発表していた。当時の日本ではまだまだその考えは取り入れられなかったようだ。

ところが、オスラーは100年以上も前に人間の健康には習慣が影響しているという考え方をしていたのだった。今ではそれが普通だと思えることでも、理解されるまでは苦労があったのだろう。

「五〇歳になったからには、これから人生の午後が始まる・・・

2012年02月18日 | Weblog
「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。

こう語っていたのは、アメリカ女性パイロットのパイオニアと言われるアン・リンドバーグ。彼女は大西洋無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグの奥さんだった。

午前、午後といえば午前はなんとなくあわただしく過ぎてしまうものだが、午後はかなり長く感じられる。50歳を過ぎたあとの人生のほうが長く解放されているという考え方だったようだ。子育てやそれに関係ある付き合いなどからの解放が大きいのだろうか。

起きている時間を考えれば午前より午後のほうが圧倒的に長い。実際の寿命のことだけなら、50歳過ぎのほうは短いかもしれないが、その間にはそれまで生きてきた経験による知恵や知識があるので、より有意義に過ごせるという意味合いでもあるのだろう。

自分だけの時間をどう使って今後の人生をデザインしていくかを考える、いい時期かもしれない。とは言っても、個人的にはもう人生の午後という年齢に入ってしまったが、まだまだ楽しく過ごそうという気持ちは持っていたいものだな。

「果報は練って待て」

2012年02月17日 | Weblog

「アイデア革命」齋藤孝著より。

思わずこのダジャレに座布団一枚!と言ってしまいそうだが、本田宗一郎の名言だったらしい。「練る」とはさまざまな状況を想定して考えるということだった。単純に思いついたことではまだまだ甘いのだ。

思いつきは誰でもできるのだろうが、問題はそこから先にどれだけのオリジナル性を加えられるかかもしれないな。ここでのタイトルは「アイデアは身体経験をもとに“練って”出せ」となっていた。

日々の日常の仕事でも、練るということはあまりしてこなかった。状況が身体経験としてしみ込んでいれば、自分自身も実験材料になるらしい。

たんに頭の中で浮かび上がったことだけでは、思いつきに過ぎない。問題はその先だった。しばしば周囲が反対しても練り上げたアイデアだからこそ成功したという例もあった。

誰もが満場一致で賛成した企画だからといって、成功するとは限らない。それは無難で面白味がないからだとも言えそうだ。独創的アイデアはそこにはないのだろうな。


私たちはアイデアの出し方というものを学んでこなかった。

2012年02月16日 | Weblog
「アイデア革命」齋藤孝著より。

そう言われてみれば、小学校から大学までの学生時代には、そんな科目はなかった。また誰もその重要性については語っていなかったことにも気づく。

しかし、実際に仕事で職場にでてみれば、アイデアによって仕事の成果も効率も大きく異なってくるものだ。特別な才能などなくてもちょとした工夫なら誰でもその気になれば思いつくはずだ。

それもいきなり思いつくはずはなく、過去の経験の積み重ねがあってこそ、ひらめいてくるものらしい。日々のこころがけが大事になってくるようだ。

話はややずれるが、ここに面白いたとえがあった。ノーベル賞を受賞した小柴博士が、「アインシュタインとモーツアルトはどちらがより天才か」ということについての話があった。

結論的にはアインシュタインの相対性理論は彼でなくても後世の誰かが発見した可能性が高いが、モーツアルト音楽は彼にしかつくれないから、「モーツアルトのほうがより天才」ということだった。

どちらも天才には違いないが、あえて比べるなら、オンリーワンのものを生み出す可能性の人をより天才だと考えていたのだ。これは頷ける。いずれにしてもアイデアは理論の積み重ねの上に生まれるそうだ。


あらゆる「仕事」は「アイデアを出すこと」だ。

2012年02月15日 | Weblog

「アイデア革命」齋藤孝著より。

この本のサブタイトルには、“アイデア連発の人はここが違う!”とあった。仕事でのアイデアというとなんだか商品開発や大きなプロジェクトを連想してしまいそうだ。

しかし、ここでは別にそれほど大きな意味合いはなかった。たとえば売上げを伸ばすための工夫や日々の仕事の改善なども含まれていた。要するに現状維持ではまずいと思ったときに考えることでもあった。

ちょっとした工夫なら誰にでもできるはずだろう。だからこそ、あらゆる仕事はアイデアを出すことだと言っているのだ。アイデアが活かされてこそ仕事のやりがいも出てくるとも言えそうだ。

ここには本田宗一郎の言葉もあった。「・・・数億の設備投資金よりも、数千人の労働力よりも、一人の秀でた生産手段の発明発見が、能率を高めることがありうる。・・・」

確かに、今使っているパソコンにしても仕事ではIT化が進んで業務の効率化も大幅にアップしていることを思えば、頷ける。いずれにしてもゼロからの出発は難しい、何ごとも積み重ねが大事なことだろう。


これまでに得てきた知識や体験を、子どもたちや若者に伝えるのは、人生の先輩として大切な仕事。

2012年02月14日 | Weblog
「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。

筆者は現在100歳だが、この本を書いた当時は90歳をいくつか越えた頃だったらしい。そして、氏は60歳達した人に決まってするアドバイスが、上記フレーズだった。

そして、氏自身も90年以上も生きてきたのだから、これまでに得た知識や知恵を次世代の人々にもきちんと伝えたいと思っていた。

その一つとして、新しいことにチャレンジすることを薦めている。チャレンジすることを恐れなければ、やがて才能が花開くことも訪れるはずだという。

また好奇心と興味は若さの象徴だとも語る。たとえ体は老いたとしても、新しいことに興味を持てれば本質的には若い人らしい。こういう人を目指したいもの。