「白洲正子自伝」白洲正子著より。
これは、白洲さん自身のことを語っていた。ある意味、実にすごく珍しい家庭に育ったものだと思える。自身はそれが薩摩隼人の気風だったかもしれないと振り返っている。
言葉には出さないものの、そのかわり変なことをしたら有無をいわせぬといった気配は目配せにも感じられていたという。だから甘やかせるだけの親ではなかった雰囲気がある。子どもは親の後ろ姿をみて学んだというやつだろうか。
しかし、叱られたことがないということで、両親は正子さんのわがままにはかなり我慢して付き合ってくれたようだ。それは次のエピソードでもわかる。
小学校へ入る前に、富士山へ登りたいとダダをこねたこと(その後6歳でお供と一緒に登っている)。14歳の時に一人でアメリカに行くといってゴネたこと、(4年間留学していた)。18歳の時にあばれんぼうの白洲次郎と結婚させねば家出をするとおどかしたことなどだ。
両親は結局はどのわがままも許してくれたのだった。恵まれているといってしまえばそれまでだが。こんなことからも子どもの頃から気が強かったこともうかがえる。
(うちの子供らは気が強いが親に叱られないことことはない・・・教えてもほとんど無視をする・・・困りもの。これも大いに甘えていることに違いない。親(私)がだらしないからかも・・・う~む・・・)
これは、白洲さん自身のことを語っていた。ある意味、実にすごく珍しい家庭に育ったものだと思える。自身はそれが薩摩隼人の気風だったかもしれないと振り返っている。
言葉には出さないものの、そのかわり変なことをしたら有無をいわせぬといった気配は目配せにも感じられていたという。だから甘やかせるだけの親ではなかった雰囲気がある。子どもは親の後ろ姿をみて学んだというやつだろうか。
しかし、叱られたことがないということで、両親は正子さんのわがままにはかなり我慢して付き合ってくれたようだ。それは次のエピソードでもわかる。
小学校へ入る前に、富士山へ登りたいとダダをこねたこと(その後6歳でお供と一緒に登っている)。14歳の時に一人でアメリカに行くといってゴネたこと、(4年間留学していた)。18歳の時にあばれんぼうの白洲次郎と結婚させねば家出をするとおどかしたことなどだ。
両親は結局はどのわがままも許してくれたのだった。恵まれているといってしまえばそれまでだが。こんなことからも子どもの頃から気が強かったこともうかがえる。
(うちの子供らは気が強いが親に叱られないことことはない・・・教えてもほとんど無視をする・・・困りもの。これも大いに甘えていることに違いない。親(私)がだらしないからかも・・・う~む・・・)