ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「用いざる時は虎もねずみに劣る」

2017年05月31日 | Weblog
「用いざる時は虎もねずみに劣る」

「人と違うことをやれ!」堀紘一著より。

虎のように強い動物でも、その力をふるう環境に置かれなければ、ねずみにもおよばないという意味だった。

これは筆者が読者に贈る金言だという。チャンスは自分のほうからつかみに行くものだからだ。努力していればいつかは認めてくれるだろう、という考えは甘かったのだ。

果報は寝て待てという考え方は今ではまったく通用しなくなっていた。

能力があってもチャンスがなければ、その力は発揮できないからだ。大事なことは、どれだけ頭を使い、自分の将来を決めていくというのが筆者の主張のようだ。肝に銘じたい。

自分の得意技を徹底的に磨け。

2017年05月30日 | Weblog
自分の得意技を徹底的に磨け。

「人と違うことをやれ!」堀紘一著より。

この部分の最初に、「これからは集団主義ではなく、個人主義的な生き方が主流になってくる」と述べられていた。これは会社での営業を考えればわかりやすい。つまり組織は面倒をみてくれないからだ。頼れるのは自分の実力だけだった。

組織のなかで気を使って、決まり事ばかり守っていても結果がすべての営業では意味がない。自分の創意工夫で成果を上げなければならない。会社は結果だけでしか面倒をみてくれないのだ。

そのためには、他の人が真似のできない、自分だけの得意技を身につけることだった。人と同じことをやっていては、絶対に勝つことはできないからだ。

かつて、営業部門で仕事をした経験から、これは頷けるフレーズだった。仕事以外でも楽しく時間を過ごすためにも必要なことだと思える。

常に人生や仕事を引き算で考える癖をつける。

2017年05月29日 | Weblog
常に人生や仕事を引き算で考える癖をつける。

「人と違うことをやれ!」堀紘一著より。

これだけだと何のことかわからない。しかし、タイトルの部分には次のような式が書かれていた。

「自分はこうありたい」-「現状はこうだ」=「だからこうしよう」

「こうありたい」、とは目的とか夢だった。また「現状はこうだ」は、自分が現在置かれている状況や事実を冷静に考え分析することだった。

そうすることで、「だからこうしよう」という具体的な戦略という答えが得られることになる。始めにあるのは目的だった。これが明確でなければ、ならないのだ。

こう考えると、これは実にわかりやすい公式だった。マイホーム手に入れることを想定しても、仕事をうまくやることを考えても当てはまりそうだ。

精神論では、物事は解決しない。

2017年05月28日 | Weblog
精神論では、物事は解決しない。

「怒らない人は、うまくいく」中谷彰宏著より。

この精神論で一番多いのが、おそらく「努力」とか「一生懸命」だろう。そうすることで、自分が何かをやっている気がするだけだったのだ。頑張っているというの、も漠然とした言葉だ。

筆者は、「精神論を具体的な工夫にすること」で、怒りはおさまるという。「ちゃんとやっている」といっても、具体的にどういう工夫をしているかは不明だ。

何をいつまでに完了するのかがはっきりしていれば、動きやすい。「できるだけ早く」は曖昧な決め方だった。売り上げを上げようとするなら、そのために具体的に何をどうやっているかが明確になっていなければ、何も期待できないだろう。

怒られた人は、怒った人以上に、怒る。

2017年05月27日 | Weblog
怒られた人は、怒った人以上に、怒る。

「怒らない人は、うまくいく」中谷彰宏著より。

確かにそれは言えるだろう。怒られれば気分は悪くなる。すると怒りたくなってしまうものだ。ああ言えばこう言うが続いてしまう。

そのうち、言い方が悪い、態度が悪い、対応の仕方が悪いなど本来の問題からそれてしまうことも多いだろう。それが怒りを増幅させてしまうのだ。起こらないコツは、単純に怒り返さないことだという。

客観的に見えているうちは、怒ることはないようだ。怒りっぽい人は、客観というと「人からどう見えるか」だと思ってしまうようだ。

正しい客観は、「離れたところで、自分が自分を見ることだった。つまり、自分が自分を冷静にみることができているうちは、怒ることはないのだった。

出来事は選べないけど、感情は選べる。

2017年05月26日 | Weblog
出来事は選べないけど、感情は選べる。

「怒らない人は、うまくいく」中谷彰宏著より。

こんな考え方はしたことはなかった。出来事とはたとえば、レストランで食べたい料理が品切れだったというようなことだった。

その時にムッとするかニコッとするかは感情次第だった。それは自分で選べることだった。別にムッとするのが当たり前だと考えることではなかった。

ニコッとするのも選択肢だったのだ。いくらムッとしたところで、事態が変わるわけでもなかった。むしろ相手も不愉快になってしまうものだ。

行動する「0.3%」の人になろう。

2017年05月25日 | Weblog
行動する「0.3%」の人になろう。

「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。

いきなり、こんな数字が出てきたがこれは、この本に気づく人が全体の30%としたら、読み通す人は3%と想定している。しかも、行動に移す人は、0.3%だろうという考えだった。

だから、人生を変える扉を開けるのは、行動する0.3%の人ということだと筆者は主張している。

「早起き」×「読書」×「伝える」のスイートスポットに入って、人生を変える扉を開ける人は1000人のうち3人だというのだ。これはちょっと面白い考え方だとも思える。

あるいは、すでにこの本を読まなくても、意識しなくても、それを実行している人も多くいることだろう。

別のことでも言えそうだ、早起き、散歩、記録でも別のスイートスポットが考えられる。早起きでなくても、写真、ネット、交流でもまったく別の交流や発想、ヒントも得られそうだ。

いずれにしても、思い付きに価値を見出して、継続行動できるかどうかがポイントだろう。

「時間がない」は、流されている証拠。

2017年05月24日 | Weblog
「時間がない」は、流されている証拠。

「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。

筆者は「自分時間」は、自らつくり出すものだという考え方だった。人それぞれ置かれている状況は異なるから、自分時間をつくるのは難しい人もいるだろう。

早寝早起きができればそれも可能だともいえる。自分で自分の時間をコントロールできるならいいが、家族がいたり体調の状況でも異なってくるだろう。

いずれにしても、仕事などの「他人時間」だけで過ごすのはもったいというのは確かだ。毎日30分でも1時間でも自由になる時間を重ねれば、一年では膨大な時間になる。

ここには、イラストがあった。1つは「他人時間」に流される人生だった。そこには、時間がないよー、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃとあった。

もう1つは、「自分時間」を泳ぐ人生だった。そこには、人生楽しいなー、あれもやりたい、これもやりたい、とあった。

大きな違いは「流される」と「泳ぐ」だった。これはまったく正反対のことだった。できれば自主的に泳ぐ人生でを選びたいものだ。

“楽しい”の種をまけば、いつか花開く。

2017年05月23日 | Weblog
“楽しい”の種をまけば、いつか花開く。

「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。

「伝える」際に気をつけることは、「楽しみながら伝える」ことだった。だから、仕事に結び付くかなとか、人脈を増やそうと考えてはいけなかった。純粋に相手が喜ぶかどうかだけを考えて自分が楽しんで伝えればよかったのだ。

確かに自分が考えたことを伝えることは楽しいことだった。しかもそれが自分独自のもので人がやってないことならなおさらやる気も起きる。

かつて営業の仕事をしていた時には、そんな考えでハンドメイドの粗品を考えてコミュニケーションを楽しんだものだった。結果的に仕事が実にスムーズに進んだことを思いだせる。しかもやったことが形として残っているのはありがたいとも思える。

単にその時の営業数字が上がって評価されようとも、半年ごとにご破算になってしまい。またゼロからのスタートになってしまう。やったことは何も残らない。どうやったかもいつしか消えてしまう。

しかし、手作り粗品は目に見えるものとして残せる。書いたものは紙でもネット上にほとんど残っている。その頃何を話題に話したかもそれを読めば思いだせる。

「伝える」側に立ってみよう。

2017年05月22日 | Weblog
「伝える」側に立ってみよう。

「30分の朝読書で人生は変わる」松山真之助著より。

ここでは読んだ本の内容について、どこでそう人に伝えるかということについて述べられていた。大きく1、リアルの場で伝える。と2、ネットで伝える。の2種類があった。

リアルの場とは、友人や家族に話してみることがある。また読書会に参加するのもあった。簡単なのは身近な人に話すことだろう。

ネットでは、ツイッター、フェイスブック、ブログ、メールマガジンなどがメインだろう。私はFBとブログはやっているが、継続できているうちは面白い。また反応があると励みにはなるものだ。

書き方のポイントは次の3つだった。何について書かれた本であるか。著者は何を主張してのいるのか。自分自身はどう感じたか、の3点を中心にまとめると書きやすいそうだ。

とっておきの練習法・・・映画や小説の話をする。

2017年05月21日 | Weblog
とっておきの練習法・・・映画や小説の話をする。

「雑談力」百田尚樹著より。

面白く話をするためには、まず自分がよく理解していることが先決だった。自分がいくら感動しても、それをしっかりと人に伝えるのはそうそう簡単ではない。

どこの部分から話すかも大事なことだろう。細かい部分を話しても全体はわかりにくい。まずは映画の全体像をしっかりつかむことだった。

たとえば、「七人の侍」なら、「この映画は、戦国時代に貧しい百姓のために立ち上がった無名の七人の侍たちの物語です。・・・」というふうに始めればわかりやすいようだ。

見た映画について人に話すためには物語を頭の中で再構築することが必要だった。それはどんな話をする際にも役立つという。

「経験」というのは何よりの武器。

2017年05月20日 | Weblog
「経験」というのは何よりの武器。

「雑談力」百田尚樹著より。

これは話が上手くなる一番の方法だと筆者は述べていた。もちろん話だけではなくすべてのことに言えることだった。しかし、ふだんは意外にそれを忘れてしまっている。

人に面白いと思われる話を披露する場合、事前に何度か同じ話をして、人が面白がったところをさらに膨らませて、退屈したところを短くすればいいのだそうだ。

そこで、かつてのタレント島田紳助の例を出していた。彼は座談の名手だそうだ。彼の場合はローカル番組で練習をして、どのネタが受けてどのネタが受けなかったかを見ていたのだ。それでメインの番組でそれを披露していたらしい。なるほどと頷ける。

落語かも。ネタを何度も高座にかけているうちに上達していくのだった。それで間や盛り上げ方、話のテンポを考えているらしい。話芸以外でもピアニスト、バレリーナ、大道芸などパフォーマンスはすべて同じ要領だったのだ。

雑談の名手に共通するのはとにかく物をよく知っていることだった。

2017年05月19日 | Weblog
雑談の名手に共通するのはとにかく物をよく知っていることだった。

「雑談力」百田尚樹著より。

いろいろなものを読んで知識が多いほど、話すことができる。つまりネタを仕込んでいることが大事だった。それは本を読むばかりではなく、人の話を積極的に聞くことも大事だった。それは積極的な聞き役という意味だった。しっかりと質問できることで記憶にも残るものだ。

まずは面白い情報を仕入れて、その後に大事なことは話術だった。面白さの7割以上が話術だと筆者は語っている。それはある意味自信を持って話すことも入るだろう。

落語にしても、繰り返すことで話がブラッシュアップされてより面白くなっていくようだ。結局コツがあるとすれば、実践あるのみだった。間、抑揚、リズムは繰り返すうちに身につくという。

自分の感性に自信を持て。

2017年05月18日 | Weblog
自分の感性に自信を持て。

「雑談力」百田尚樹著より。

人に面白い話をする際に大事なことは、自分の感性に自信を持つことだった。もし話す内容が曖昧だったり、自信なげに話せば、人は一生懸命に聞いてはくれないようだ。

人はどういうところで感動するのか、どういうところで笑うのか、どういうところでビックリするのかが分かっているのがベストだった。それでこそ面白い話になるということだそうだ。

まず、自分ならどこで感動し、笑え、驚くかを知っておくということだろう。自分がそうでなければ、人はまったく聞いても何も感じないだろう。

自分が面白い、興味深いと思うものは、きっと人も面白いだろう。まずは自信を持って話すことだった。練習かな。

一番大切なことは「人を楽しませたい」という気持ち。

2017年05月17日 | Weblog
一番大切なことは「人を楽しませたい」という気持ち。

「雑談力」百田尚樹著より。

話はテクニックよりむしろそんな気持ちが大切だったのだ。つまらないのは、自分の話しかしない人だった。自分の話を聞いてもらいたいだけの人の話はすぐに飽きてしまう。

自分のネタで面白く感じさせる人は次のようなことを思っている人だという。「こんな話をすれば、喜んでくれるだろう、興味を持ってくれるだろう、笑ってくれるだろう」というものだった。

その場所に来るまでの直前にあった出来事の話やエピソードはリアル感もありそうだ。またその場でふと思いついたこともリアル感がある。

何度も筆者が繰り返しているのは、自慢話だった。金を儲けた話、異性にもてた話は最悪につまらないという。また営業成績が上がったこと、仕事で成功した話もつまらない。やはり失敗談を面白く話せるようになりたいものだな。