ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

道具を大切にすれば、道具も裏切らない。

2008年04月30日 | Weblog
「読売新聞朝刊」2008.4.23付けより。

そのあとには「イチローの華麗な好守がそれを教えてくれる」と続いていた。これはスポーツ面のコラム“熱視線”というコーナーで目にしたものだった。

ここでの表題は「イチローを支えた名工引退」となっていた。日米200人以上のプロ野球選手のグラブを作ってきたミズノの坪田信義さん(75)が勤続60年の区切りとして引退したと記されていた。

イチロー選手のグラブを作り始めたのはオリックス時代の1994年だというからもう14年間も作っていることになる。彼のリクエストは「軽く、柔らかく、良く開く」という3点が基本的なものだったという。

イチロー選手は毎年のように数ミリの単位で「ダメなものはダメ」と言ってマイナーチェンジを繰り返していたようだ。実に妥協のない姿勢だが、さすがにそれにしっかりと応えてきた名人もすごい!

オリックスでは7年連続ゴールデングラブ賞、マリナーズでも7年連続ゴールドグラブ賞を受賞しているがその裏には道具に対する緻密なこだわりもあったようだ。

時どきエラーをした選手がグラブを叩きつけたりするのをテレビ画面で見ることがあるが、「イチロー選手は絶対にそんなことはしない」と坪田さんは述懐している。むしろ外野からベンチに戻るとグラブをきちんと置いていることまで見ていた。

はたして自分はふだん使う道具類を大切に扱っているだろうか、と振り返ってしまった。本当に価値ある物を手入れしながら使っていくことは上達へのひとつの心構えかもしれないな~。


先行する野球に比べて、かなり凝らなければ差別化が難しい・・・

2008年04月29日 | Weblog
「すべてはネーミング」岩永嘉弘著より。

(前日のつづき)
プロ野球ではマスコットの名前がチーム名につけられているが、サッカーほど凝ってはいない。せいぜいあとからメーミングされたオリックスブルーウェーブとかロッテマリーンズなどはその雰囲気が出ているがサッカーのチーム名ほどの造語ではない。

やはり地域性が色濃いサッカーのほうがチーム名としては面白みがある。前日の続きをいくつかあげてみよう。

ベガルタ仙台・・・仙台の名物七夕からのイメージだった。織り姫(ベガ)と彦星(アルタイル)を合成したもの。
水戸ホーリーホック・・・ホーリーホックとは聞き慣れないが英語で「葵」を意味していた。徳川御三家のひとつ水戸藩の「葵」にあやかったもの。
湘南ベルマーレ・・・ラテン語のベラム(美しい)とマーレ(海)から「美しい海」をイメージしている。
サガン鳥栖・・・長い年月をかけて砂粒が固まって砂岩(サガン)になるようにとの思いから。また「佐賀の」という意味にも通じる。
大分トリニータ・・・クラブ運営の3本柱である県民、企業、行政を表す三位一体は英語でトリニティ(trinity)とホームタウンの大分(Oita)を加えた造語。

どれもこれも実によく練られて考えだされたネーミングであることがわかる。まあ、こんなことも知らないより知っていほうが楽しいし、知ったかぶりもできる・・・かな。

ネーミングのなんたるかを理解するのに格好のサブテクスト・・・

2008年04月28日 | Weblog
「すべてはネーミング」岩永嘉弘著より。

そのサブテクストとはサッカーJリーグのチーム名だという。語源も日本語、英語に限らず、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ラテン語と多様で面白い。もうすでに聞き飽きた方もいらっしゃるでしょうが、ここでもう一度J1,J2からいくつか取り出してみよう。

コンサドーレ札幌・・・「どさんこ」の逆さ読みにラテン語の響きを持つ「オーレ」をつけたもの。
鹿島アントラーズ・・・アントラーが英語で「鹿の枝角」を意味していることは有名かもしれない。
ジェフユナイテッド市原・・・JEFはJR東日本と古河が提携をして誕生したチームであることから。
清水エスパルス・・・S-PULSEのSは「サッカー、清水、静岡」の頭文字。パルスは「心臓の鼓動」。
ジュビロ磐田・・・JUBILOはポルトガル語で「歓喜」の意味だった。派手なジェスチャーを思い出す。
ガンバ大阪・・・GAMBAはイタリア語で「脚」の意味。サッカーの原点は脚。さらに日本語の「頑張る」にも通じる。
ヴィッセル神戸・・・VICTORY(勝利)とVESSEL(船)から勝利の船出の意味と国際港神戸のイメージから。

地元チーム以外は意外に知らなかったりするものもあるかも。けっこうこじつけは面白く、納得してしまう。


「後期高齢者医療制度」というネーミング。

2008年04月27日 | Weblog
「朝日新聞」2008.4.22付けより。

たまたま前日ネーミングについて書いていたら、新聞のコラムにも関連した内容があったので気になった次第。天野祐吉氏の“CM天気図”というコラムは長年続いている。

そのなかで、最近よく話題にのぼっている「後期高齢者医療制度」について少し触れていた。このネーミング自体実にセンスがなく冷たいというのが共通した感じではないだろうか。天野氏は次のように言っていた。

~~即物的というよりもキカイ的だ。敬老の気持ちがないどころか、人を「物」として分別し、数字として処理しようとしている役人の無表情な顔がその向こうにすけて見える。~~

と、実に短いセンテンスで的確に批判しているのがすごい。う~む、ナルホドと思える。そしてそう強く感じるのは天野氏自身がその「後期高齢者」の一人だからだかもしれない。

そういえば、先日、今年その後期高齢者になったばかりの人もその制度に怒っていると言っていたな。制度を変えるのが無理なら、やはりこのネーミングだけでも、一般公募したほうがよかったようにも思えるがな~~

ちょっとしたアイデアなどにも名前をつける。

2008年04月26日 | Weblog
「すべてはネーミング」岩永嘉弘著より。

形あるものだけではなく仕事上のプロジェクトにも親しみのある名前をつけるだけでやる気が出るかもしれない。それは自分で勝手に“○○作戦”などとネーミングすればちょっとした仕事の励みにもなりそうだ。

スポーツ界では人の名前もいろいろあって面白い。サッカー界ではかつてカズやヒデといえば、いちいち説明しなくてもその選手の顔が思い浮かんだものだった。今の若い人にはピンとこないかもしれないが。

また、野球界で一番のヒット作は仰木監督が命名したとされる“イチロー”だろう。またゴジラ松井というのも日本だけではなくニューヨークでも通用するようだ。たまに向こうの新聞に掲載されたりや球場の電光掲示板にも表示されていることもある。

力士も入門したての頃は本名でも、その後は部屋や親方になじみがある四股名がつけられる。関係ないが、かつて大鵬自身がテレビの中で「巨人、大鵬、卵焼き」と言われてたと話していたを聞いてちょっと笑ってしまった。これも、昭和30年代の子供たちが好きな物の代表でもあったのだ。

広告では短くてインパクトがあるネーミングが印象に残りやすい。筆者の岩永氏が考えたものに洗濯機の“からまん棒”というのがあった。実はこの洗濯機には“日立洗濯機全自動『青空』”という本名(?)があったが、かえって部品の“からまん棒”というネーミングのほうが大きくてインパクトがあった。

考えだす方は産みの苦しみで大変だと思うが、消費者にとってはネーミングは実に面白いものでもある・・・な。

家が富めるほど進学や就職に有利・・・

2008年04月25日 | Weblog
「朝日新聞」2008.4.18付けより。

この日の“天声人語”のなかにあったワンフレーズ。この最初の部分に現代学生百人一首の入選作のひとつが紹介されていた。

<受験費用心配しなくて良いからと父のメールに涙こらえる>・・・恐らく自らの体験を歌い詠んだものだろう。実に伝わってくるものがある。大学受験費用だけでも1校当たり2、3万円だったろうか。

いまや受験のためには学校の授業だけでは十分ではないようだ。よりよい学校を目指そうと思えば、塾へ通うのが当たり前の時代になってしまった。

学校では受験に必要と思われる技術を教えてくれるわけではないだろう。学校の授業以外にどれだけ多くの時間と費用を費やしたかでも結果は違ってきてしまう。

結局親がどれだけ受験のための費用を出せるかが進学には影響してくるのだな。もちろん本人のやる気が第一だろうが。でも、就職には家が富んでいることとどういう関係があるのだろう。

簡単に想像してしまえば、無名の大学より一流大学の学生であるほうがいい会社に入りやすいということだろうか。いい会社だと思っても永遠に継続できる保証はないとは思うが・・・

コミュニケーションにも有効な調味料・・・

2008年04月24日 | Weblog
「R25」2008.4.17付けより。

その調味料は「あいうえおっ」!から始まる感嘆詞の中にあったのだ。実はこれはある缶コーヒーの宣伝へと導くものだったが、ちょっと気になり、面白かったので取り上げてみたい。

1.上司に自慢された時の「あ」
×「あ~っ、そうなんですか」・・・ただの相づちはNG.余裕をもって肯定すること。
○「あ~っ!そう来ましたか!」・・・これで緩やかに肯定できる。うなづき多め。

2.得意先から無茶な提案をされた時の「い」
×「いや、それは無理です」・・・真っ向からの全否定はNG.
○「いい!それはいいですね!」・・・無理と思っても最初は肯定から入り、自分の意見を添えていく。

3.同僚にヒミツを打ち明けられた時の「う」
×「うぁっ!マジかよ」・・・うろたえないこと。
○「うわ~、やられた!」・・・最初は相手を和ませる。

4.人数合わせの合コンに誘われた時の「え」
×「ええ~っ、いやですよ」・・・否定すると、今後は誘われなくなる。
○「えっ、いいんですか」・・・「縁」を大事にする。テンション高め。

5.変化に気付いたときの「おっ」
○「おっ、やるじゃん!」・・・心に余裕があれば、些細な気付きもあり、ちょっと幸せになれる。
○「おっ!変わったな!」・・・観察力があるとコミュニケーションがうまくいくようだ。

ちょっと笑えるものばかり。実際のところ感嘆詞など意識して使ったことなどはない。上記は当然「あいうえおっ」をこじつけて面白くしてるだけだろう。しかし、心に余裕があるほど感動や気付き発見があることは確かだろう・・・な。

人間関係を「忙しい」で断ち切るのはもったいない。

2008年04月23日 | Weblog
「R25」2008.4.17号より。

要するに時間を上手に使えれば、心にも余裕ができて人間関係もうまくゆくはずだということなのだろう。そこで、ここでは時間管理のワザについて述べられていたので4つだけ紹介しておこう。

1.「1分間」をフルに活用する。・・・別に1分にこだわることはないと思う。まとまった30分は難しいとしても、コマ切れの数分間なら利用できる。たとえば、何かの準備やスケジュールの確認などに。

2.見直す書類はカバンにしまう。・・・社内から持ち出してもいい回覧や書類は会社内で読まずに移動時や家でもじっくり読める。(個人情報には注意せねば)会社では緊急度の高い仕事に集中する。

3.デスクまわりに誘惑の種は置かない。・・・新聞、雑誌など直接仕事と関係ないものは遠ざける。「ちょっと息抜き」のつもりで手に取ると意外に時間を費やしてしまう。とはいっても雑談程度はけっこうやっているが。

4.将来の自分のために「自分ファイル」を作る。・・・これはかなり大げさな表現だ。要するにボツになった企画書や資料は「自分ファイル」に蓄積しておけば、あらゆるパターンの企画のひな形ができるというわけだ。つまり、一から考えるより時間が大幅に短縮できる。

ただし4については、探すまでの時間がかからないという条件も必要だろうが。心に余裕ができれば、きっといい仕事もできるに違いない(と思う)。その結果人間関係もきっちり継続できる・・・はず。


「ありえたかもしれない人生」への夢・・・

2008年04月22日 | Weblog
『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。

(これも前日のつづき)
むしろ、これから書こうとしていることのほうが、「人生の分岐点となるような出来事」に近いかもしれない。ここには筆者自身の分岐点ともいえるようなことについて触れられていた。今まで沢木氏の著書は何冊か読んだことはあったがここにあった10行程度のことは初めて知ったことでもあった。

氏の分岐点は22歳のある雨の朝のことだったと振り返る。よくその日の天気まで覚えているものだ!大学を卒業して入社の決まっていた会社に向かって歩いているときのことだった。その日の明け方まで迷いに迷っていて、駅から会社に向かう途中の横断歩道で会社に入るのはやめようと決心している。

丸の内に本社をおくその会社に不満があったわけでもなかったようだ。会社員になること自体がいやだったと振り返っている。つまり入社式の日に退社する旨を告げたという。なんとドラマチックなことだろう!

結局その時が沢木氏にとっての分岐点の一つだったようだ。まあ、その後世界を放浪して一流のノンフィクションライターになれたからいいものを、ほとんどの人は妥協して会社員として一生を過ごすのではないだろうか。

“IF”を言い出したら切りがないだろう。もしあの学校に入らなかったら、もしあの会社に入らなかったら、もし彼(彼女)と結婚してなかったら・・・。時には後悔、時にはラッキーとも思えることも・・・迷いながらもやはり人生いろいろ・・・かな。

いずれにしても、今がそれほど不幸だと思えなければ、けっこうそれなりにそこそこ自分にあった人生を歩んでいるのかもしれない。満足か不満足かは、やじろべえのようなものかも・・・(諦めかもしれないが・・・)

どんな人生にも分岐点となるような出来事がある。

2008年04月21日 | Weblog
『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。

(前日のつづき)
齢をとるにしたがって、残念ながら将来の夢は少なくなっていくようだ。それに反比例して過去の思い出が多くなってくる。先日あるお寺のベンチで休憩していたら、80代のおじいさんが60代後半らしい人に懸命に昔はよかったというような思い出話をしていた。

声が大きいので隣のベンチにすわっている私にも聞こえてきたのだ。まだ自然がたっぷりとあって川もきれでそこで泳ぎ魚がいくらでも捕れたというような話をしていた。もう60年以上前のことを実に鮮明に思い出して聞かせていたのだ。

それらはみないい思い出のようだった。いい思い出を持とうとするならやはりいまそれなりに行動していなければ無理かもしれない。だらだらとした日常は大した思い出にもなりそうもない。たとえば日記を残すことがそれに当たるかどうかは分からないが。

古き良き時代・・・誰にもそれなりに昔のいい思い出はもっているだろう。たしかに私にもそう思える若いころはあった。やはり子どもの頃まだたっぷりあった自然のなかで遊んだこともそうだった。実に健康的に遊びまわっていたことを思い出す。

少なくとも塾や習い事に追いまくられたりはしていなかった。部屋のなかでゲームで遊ぶこともなかった。振り返ればそんな“ない”ことのほうがよかったと思える時代を過ごせたということかもしれない。(かなりタイトルのテーマと離れてしまったか)

「使われなかった人生」・・・

2008年04月20日 | Weblog
『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。

いささか長いこのタイトル自体が気になった。内容は30本以上の映画の評論のようなものだった。“使われなかった人生”という表現が面白いが、要するに若い頃思い描いていたが選択しなかった方の自分の夢や希望に近いものだろう。

人生にはいくつかの節目があって、そのつど決断をしなければならない。その時「もしあのとき、こうしていたら~~」というように思い振り返ってみることもあるもの。

著者が映画評論家の淀川長治さんと対談した時のことが述べられていた。その中で「淀川さんから映画を引いたら何が残るのですか?」と訊ねていた。すると淀川さんは「あんたやさしい顔してずいぶん残酷な質問をするね」と笑いながら答えたという。

こんな一言からも淀川さんの笑顔を想像してしまう。「わたしから映画を引いたら、教師をやりたかった、という夢が残るかな」と答えている。それは沢木氏にとっては意外だったようだ。

また筆者が別の機会の対談で女優の吉永小百合さんに「もし女優になっていなかったら、どんな職業についたと思いますか?」と質問したことがあった。すると「学校の先生でしょうか」と答えている。さらに「姉たちも教師になっているので、小学校か中学校の教師になるのが一番自然だったと思います」と付け加えている。

きっとそのようなことが使われなかった人生ということなのだろう。人は社会に出るときその時点でとりあえずその後何をやるか、どうやって生きていくかを決めなければならない。しかし、場合によっては別の選択肢もあったかもしれない・・・のだな。。。。。

アジア地域に六億もの字が読めない人・・・

2008年04月19日 | Weblog
「アニメが世界をつなぐ」鈴木伸一著より。

筆者は現在、杉並アニメーション博物館館長をしている。本業はアニメーション作家、漫画家でもあった。今から17年ほど前に、ユネスコ・アジア文化センターから識字教育のためのアニメの制作依頼をされていた。

そして、日本が得意とするアニメで世界に役立つ仕事をするようになっている。アジア地域には文字が読めないために貧しい生活を強いられている人が実に多くいるということにも驚いた次第。

アニメなら文字を読まなくても、見ているだけで内容が理解できるはず。人の感じるものは世界共通に違いない。そのアニメの主人公の声は日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさんがボランティアで担当してくれたそうだ。

アニメはその内容により理屈ではなく、人に何かを訴え教育もしてくれる。だからこそのタイトル「アニメが世界をつなぐ」となっていたのだろう。

蛇足ながら、筆者の鈴木氏は若い頃に後に有名になった漫画家たち、赤塚不二夫、つのだじろう、藤子不二雄(安孫子素雄・藤本弘)、石森章太郎などと一緒にトキワ荘で漫画の仕事をしていた人だった。

そして、「オバQ」に登場する小池さんのモデルでもあったのだ。当時(昭和30年代)は手塚治虫とも交流があり貧しくても勢いがあったようだ。


選手にとっては、プレーこそがファンの方へのメッセージ。

2008年04月18日 | Weblog
「不動心」松井秀喜著より。

ブックオフで105円で売られていたから買ったのであって、定価だったらきっと手にしなかったであろうと思うような本はけっこう多い。実はこの一冊もそうだった。実に大きなテーマをタイトルにした本だなという印象を受けた。

しかも「不動心」とは何となく松井選手が書く本のタイトルではないような気もしたからだった。この本の初版は2007年2月だった。私が手にしたのは3月発売分だった。つまり1年ちょっと前に発売された本がどのブックオフでも105円で売られていたのだ。

ということは、それだけたくさん売り出され、また一気に古本としてブックオフ売られてしまったということかもしれない。私なら本当にいいと思った本はすぐに売りに出すのは惜しいと思う。

この本の中には松井選手の手首の骨折から復帰するまで、さらにそれまでの思い出話がつづられている。それらがジェントルマンらしく周囲の人々への気遣いや感謝の言葉で語られている。松井選手らしい実に礼儀正しい一冊だった。

そのためかどうか深い感動や印象は残らなかった。(実際に本人がどれだけ書いたかはわからないが)実に優等生が書いた本でもあった。いずれにしても現役の野球選手はグラウンドのプレーで感動のメッセージ伝えてほしいもの・・・だな。

別の顔は人を振り向かせる魅力になる!?

2008年04月17日 | Weblog
「R25」2008.4.10号より。

“2つの顔”を極めた偉人たちに学べ、という特集ページがあった。そこでは、6名の歴史に残る人を取り上げていた。彼らの特徴は2つの職業のどちらでもすぐれた業績を残していたことだった。

ここに取り上げられたのは、渋沢栄一(大蔵官僚と実業家)、森鴎外(医者と作家)、白洲次郎(実業家と交渉人)、小津安二郎(教員と映画監督)、いかりや長介(コメディアンと俳優)、寺山修司(劇団主宰と作家)だった。

そういえば、最近でも医者や元医者で作家とかけもちをしている人って意外に多いですね。それだけ人を観察しているということでしょうか。ひとつのことに秀でている人はほかのことでも活躍できるということですかね。

お笑いをやっていた人って、後にかなりシリアスな演技ができる俳優になったりしてますね。かつてのドリフターズのメンバーもそうですが、植木等、伊東四郎、ビートたけしなどが思い浮かびましたね。

仕事も慣れてくると、新しいことにチャレンジして自分の中に新しい引出しを増やしていこうとも思わなくなってしまう。しかし大きな業績を残す人はそこが違うようだ。それにしても、自分が知らないもうひとつの自分の顔などそう簡単に見つかるものだろうか・・・


自由な発想で使うことができる魔法の布・・・

2008年04月16日 | Weblog
「メトロポチターナ」2008.4月号より。

表紙には“想いを込めて結び目ひとつ”とあったが、ページを開いてみるまで何のことやらわからなかった。要するに風呂敷のことだった。最近はたまにしか風呂敷を使っている人は見られない。風呂敷を使っているのは電車の中で絵画のようなサイズの箱ものを抱えている人が多い。

家にはあるものの箪笥の引出しに入ったままだ。子どもの頃は風呂敷をマントのようにして遊んだ記憶はある。しかし、実用として使っていたのはいつ頃かも思い出せない。

職場の女性もきっと使ったりはしないだろうと思っていたら、目の前の人はバッグの中に持っているという。出して見せてもらった。意外だった。たまにバッグに入らないものは包んだりするという。確かにあれば便利だろう。

最近使わなくなったのは、何でも手提げ袋やバッグに放り込んでしまうからだとも思える。またちゃんとした結び方を知らないので使えないというのもあろう。

いろんな使い方を知っていればかなりオシャレにも見える。一枚の布に“用の美”が隠されている。要するに実用的なのにその中に形の美しさも感じられるのだ。

持ちにくいものも柔軟に包んで運びやすくなる。だからきちんと使えれば、またある意味教養さえも感じさせるな、と思った次第。さらには、身近でエコを実践できることでもあるかな。