ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

企画倒れするぐらいでないと、新しいものは生み出せない。

2014年10月31日 | Weblog
企画倒れするぐらいでないと、新しいものは生み出せない。

「サラリーマン合気道」箭内道彦著より。

企画にはある程度斬新さが求められるのだろう。とはいっても、時には無難なものに落ち着いてしまうことも多いようだ。それはさまざまな条件のためにボツになっていまうからだ。

企画倒れを歓迎することで、今までなかったものが生まれる近道にもなると氏は考えてきた。それはそれまでの経験から言えることらしい。

いずれにしても無難なことばかり考えていたら、何も面白いものは生まれないだろう。だからこそ、思い切って企画倒れになるくらいの意気込みが必要だったのだ。

むしろダメ出しをされたものもすべて捨ててしまうのではなく、それを利用することで、新しいものを生み出せると実感していた。

企画倒れするくらいのバカバカしいものを考えるべきだというのが、氏の主張だった。たとえ、それが実現しなくても、そこからまた新しいものが生まれるからだった。

常に同じようなことをなぞるような仕事をしない・・・

2014年10月30日 | Weblog
常に同じようなことをなぞるような仕事をしない・・・

「サラリーマン合気道」箭内道彦著より。

ここでのタイトルは“初めてのことしかしない”となっていた。初めてのことにチャレンジするのは何となく不安が大きい。たとえば、一人で初めての店に入って食事をするとなるとやや緊張してしまうものだ。

できれば、事前に人の話を聞いておけば気が楽になるだろう。何ごとも初めからうまくやろと思ってもできないことがほとんどだ。しかし、繰り返すことで要領もわかってくる。

箭内氏は、逆に物事に慣れてしまわないために、意識して必ずいつもなにかしら新しい要素を取り入れるようにしているという。これはマンネリをふせぐためにもいいかもしれない。

ほんのちょっとしたことでも、チャレンジ的要素をいれることで、それがスパイスになると考えているようだ。ここでの、結論は「初めてのこと」を常に取り入れることで、ドキドキするもの作りやコミュニケーションが可能となる」だった。試してみたいものだ。

合気道の基本は「脱力」だと言う。

2014年10月29日 | Weblog
合気道の基本は「脱力」だと言う。
「サラリーマン合気道」箭内道彦著より。

サラリーマンという言葉と合気道はいったいどういう関係なのだろうと思ってしまった。ここでは脱力とは言っても、だらしなくゴロゴロすることではなく、余分な力を入れないという意味だった。

つまり「脱力」した状態を保つことで、相手と気を合わせやすくし、相手の力を利用して相手を倒すという意味らしい。身体の小さい老人が、指一本で大きな相手を投げ飛ばすイメージだった。

箭内氏は、自分はこうだというような個性やこだわりを捨てて「脱力」することからはじめているという。そんなことができるものだろうかと思ってしまう。

むしろ私などは、自分の個性を出しながら仕事はすべきだと思ってやってきた。そうでもないらしい。気合いだ!といって自己流でやるより、相手に合わすほうがラクなのかもしれない。キーワードを考えるとしたら、自然体だろうか。

日常生活の中に非日常的な瞬間が入るのは、人生のスパイスだ。

2014年10月28日 | Weblog
日常生活の中に非日常的な瞬間が入るのは、人生のスパイスだ。

「団塊生活」弘兼憲史著より。

日々の生活はマンネリに陥りやすい。だからこそ自分で何かを企てることが必要なのだろう。頭のなかでいろいろと想像をしてみるのも楽しい。

計画を立てて旅行に出かけるのも、リフレッシュするいい機会だ。また、それを計画するときからその楽しみは始まっている。

大きなことでなくても、意識して一日のなかでリズムを作ることは必要なのだろう。そうでもしないとどんどん時間に流されてしまう。

いつもと違うところでの食事や映画を観るのもちょっとしたアクセントにはなる。すでに使える洋服があっても、さらにお気に入りのものを手に入れるのもいいかもしれない。

ちょっとした工夫で人生は楽しくなるものだと思う。自分にはクリエイティブな何かをやっているときかもしれない。没頭して時間を忘れる何かを持てれば幸せだろう。

歳をとることで、男は自信を失うことは何もないのだ。

2014年10月27日 | Weblog
歳をとることで、男は自信を失うことは何もないのだ。

「団塊生活」弘兼憲史著より。

ここに面白いことが書かれていた。「老後を楽しむという観点からすれば、女性のほうが上手なようだが、本来は、良い歳の重ね方をして味が出るのは、男のほうなのだと思う」とあったからだ。

なるほど、老婆よりも歳を重ねた男のほうが、何となく味がありそうだ。ここで、俳優のショーン・コネリーを例に出していた。かつてのウィスキーのCMで「時は流れない、それは積み重なる」というコピーがぴったりだと語っていた。

かわいいおばいちゃんはいるが、セクシーなおばあちゃんはいないという。これもなるほどと思わせる。男もしっかり歳を積み重ねてきたという自信を持てればいいが。

歳をとった時に男にあったほうがいいことが3つ書かれていた。それらは、「知性」、「柔軟な考え方」、それに人を楽しませる「サービス精神」だそうだ。頑張りたいものだな。

人生はすべてエンターテイメントで生きるべきだと思っている。

2014年10月26日 | Weblog
人生はすべてエンターテイメントで生きるべきだと思っている。
「団塊生活」弘兼憲史著より。

氏は50歳を過ぎたら、楽しんだ者の勝ちであると語っていた。さらに、目標に向かって努力するよりも、楽しいことを追求して生きたほうがいいとも強調していた。

まさにその通りだろう。病気になったり気が重くなるのはストレスが原因であることが多いようだ。健康は、やはりやりたいことを中心にしていけば得られる気もする。

人間はほかの動物とは違って楽しむということを知っている。むしろ楽しむために生きる動物だという考えも面白い。

若い頃に出合った格言を思い出す。それは、笑いのない一日は損した一日だ、というものだった。楽しく生きられなければ損だということのようだ。

それは自分の考え方でも変わるだろうが、自分でつくるしかないことだろう。自分が楽しむための努力をすべきだったのだ。

モチベーションに頼らず、自動化していく。

2014年10月25日 | Weblog
モチベーションに頼らず、自動化していく。

「反射力」中谷彰宏著より。

もし、何かをやる際に、モチベーションがあがらないからやらない、スタートしない、と考えていたら何ごともできなくなってしまう。

その度ごとに、何かでモチベーションを上げなければ、と考える方がしんどい気もする。むしろルーティーンでやったほうが、いちいち考えなくても物事は進むものだ。

ここではイチロー選手をとりあげていた。朝からカレーを食べ、午後1時半に球場に入って、準備運動をして、練習をすることを当たり前のように繰り返している。

やる気よりも先に、勝手にできてしまう仕組みを作っているからできることだった。これが反射力ともいえるものだった。

社員だったら、机の前に座ったらやることが自然とできるようになれば、けっこう楽なものだ。いくつかのルーティーンをもっていると効率もよさそうだ。

だからモチベーションンに頼らないことは大事なことでもあった。たとえば、このブログもいちいち何かあったら書いてみよう、などと考えていたら、決して10年も継続していない。

つまらないことだが、朝はブログ、夜はFBと決めていると何かを継続するのは、意外にできていると実感できるものだ。まあ、面白く気楽というのもあるだろうが。

いかに人より早く失敗できるかが、反射力なのです。

2014年10月24日 | Weblog
いかに人より早く失敗できるかが、反射力なのです。

「反射力」中谷彰宏著より。

もし、夢を実現したいと思えば、人より早く失敗することだともいう。それを繰り返すたびにノウハウが身についてくるからだった。

先ごろノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏が本の中で語っていたことは、数年間は失敗の連続だったという。実験のための装置作りから始めていたのだ。それさえも素人からのスタートだった。だからこそ人にマネのできないノウハウが身についたとも語っていた。

ベンチャーで起業して成功した人も若い頃に失敗を繰り返して、そこから学んだことがあるからこそ夢を実現できたのだろう。

トライもしなければ失敗もない。そこには成功もないとも言えるのだろう。ギャンブルでも相当な授業料を払わずに、その道のプロにはなれないだろうな。

プロとアマの違いは、すぐできるかどうかだ。

2014年10月23日 | Weblog
プロとアマの違いは、すぐできるかどうかだ。

「反射力」中谷彰宏著より。

中谷氏は、反射力のない人は、最初から正しいやり方をしようとすると指摘していた。そうすると準備でぐずぐずしてしまい、なかなかすぐにはスタートできないものだ。

むしろ、反射的にやってしまい、その途中で修正していくというのもありなのだろう。つまり、結果的にいいものであればよしとすべきものと考えたい。

その一例として考えられるのがお礼状だ。ちゃんとしたものを書かねば、と思っているうちに面倒になってしまう。むしろその時の勢いで書いてしまうべきものだろう。

一番いけないのが出遅れることだろう。あとでやろう、と思った瞬間にすっかり忘れてしまうことがほとんどだ。

プロの絵描きは、描くのが速いという。それはすでに、基本ができているというのもあるだろう。文章も完璧なものをはじめから書こうとするとなかなか始められない。

ここでの結論は「すぐに試作品をつくる」となっていた。そんな気持ちが大事なのだろう。試作だと思えば、完成までにいろいろと試行錯誤ができそうだ。

アイデアというのは、くだらない意見の中にヒットするものが隠れている。

2014年10月22日 | Weblog
アイデアというのは、くだらない意見の中にヒットするものが隠れている。

「反射力」中谷彰宏著より。

はじめからいいアイデアなどそうそう簡単に出るものではない。むしろ大事なのは、くだらない意見でもどんどん言える雰囲気を作ることがスタートのようだ。

できれば一番に手をあげて「アホなこと言ってるな」と言われるくらいでちょうどいいのかもしれない。そうすると、次の意見も出やすくなるのだ。

はじめから、完璧に近い意見を出そうとすると、あとが出にくくなってしまうようだ。だからこそ、初めはどんな意見でも叩き台になるような意見が必要だった。

たとえば、旅行に行く前にどの辺を見ようかと考えるが、調べてみると意外に観光スポットから離れたところに面白そうなところが見つかるものだ。一つそんなところが見つかると、視点が変わって別の個所も見つけやすい。

ここでの結論は、「ます、くだらない企画を、3つ出す」だった。そう考えると、けっこう気楽にものごとは考えられそうだ。今日やるべきこと3つ考えてみるかな・・・

夢を実現する人は反射力がある。

2014年10月21日 | Weblog
夢を実現する人は反射力がある。
「反射力」中谷彰宏著より。

サブタイトルは、“早く失敗してうまくいく人の習慣”となっていた。いきなり反射力と言っても、ふだんあまりなじみがない言葉だった。しかし、このサブタイトルでやや想像がついた。

中谷氏は「反射力」とは、言われたらすぐできることだという。頭で考えるより先に行動ができるという意味だった。伸びる新入社員は反射力があるようだ。きっと何でも「はい」といって行動できるからだろう。

たとえば、何かを調べてこい、と言われて、「え、どこで調べればいいんですか?」と言うようじゃダメらしい。それを調べることころからが仕事だったのだ。

スポーツを考えれば、いちいち考えているヒマはない。即座に身体が反応していなければ、勝つことはできない。

仕事も人に言われる前に自分から動かないと面白くもないものだ。運もそんなところから開けるのだろう。

人間は明日に生きるべきであって、過去に生きるべきではない。

2014年10月20日 | Weblog
人間は明日に生きるべきであって、過去に生きるべきではない。

「団塊生活」弘兼憲史著より。

「いらない過去は、すべて捨て去ってしまおう」と語っているが、これがなかなか難しい。今までこつこつと集めてきたものを一気に捨てる勇気はまだない。

自分の持っている不要なものは捨てるべきだとは思う。本がその代表だろう。昨年思い切って数百冊はまとめてゴミに出したものだ。しかし、まだまだかなりある。

まず、捨てるものを選択するのが大変時間がかかりそうだ。なくしたくないものが多ければ、それは前進しようとするエネルギーの妨げになるらしい。

嫌でも時間はどんどんなくなってしまう。第二の人生はやはり前日のフレーズでとりあげたように、「ま、いっか」「それがどうした」「人それぞれ」で楽しく生きたいものだな。

「ま、いっか」「それがどうした」「人それぞれ」

2014年10月19日 | Weblog
「ま、いっか」「それがどうした」「人それぞれ」

「団塊生活」弘兼憲史著より。

これは弘兼氏のモットーだった。以前、新聞でも同じ言葉があったのを思い出した。その時もフレーズとしてとりあげていたが、再び肝に銘じたいと思った次第。

「ま、いっか」は、自分の気持ちが少し落ち込みかけたときに、割り切る気持ちを表わしていた。「それがどうした」は開き直ることだった。「人それぞれ」は達観することだった。

定年になると、多くの人は役職、収入などを失ってしまう。だから定年は失うことが多いと考えてしまうことがある。しかし、逆に得られるものもある。自由時間が増え今まで振り返ることができなかったことを見直す時間だ。責任もなくなり、心も解放される。

一つの会社でできることは限られるが、自由になれば発想も広がりそうだ。今までじっくり見られなかったものも見る余裕ができてくる。何もしない自由も何をしてもいい自由もあると考えたい。

とにかく、第二の人生は「自分のために、自分なりに生きる」べきだ。

2014年10月18日 | Weblog
とにかく、第二の人生は「自分のために、自分なりに生きる」べきだ。

「団塊生活」弘兼憲史著より。

こんなふうに言われると、実にうれしくなってしまう。また別のページには似たようなフレーズで、「第二の人生のキーワードは、気楽に無責任に楽しむ」ともあった。

要するに周りに迷惑をかけなければ、自分のすきにやったっていいじゃないかとも語っている。確かに責任から解放されたら、自由に生きた方が楽しいに決まっている。

発想や価値観を変えるためには、それをある程度意識してやらないとできないだろう。常に自分に、これでいいのだと言い聞かせておくこともいいのかもしれない。

ささやかながらも、時間とお金を使いながら自分の好きなことに没頭できたら、ハッピーだとも思える。基本は健康であることだと痛感しているが。弘兼氏のことばは今の自分を後押ししてくれるような気がした次第。

転ばぬ先のつまようじ。

2014年10月17日 | Weblog
転ばぬ先のつまようじ。
「団塊生活」弘兼憲史著より。

弘兼氏はまさに団塊の世代だった。だからこんなタイトルにしたのだろう。私自身はそのあとの世代になるが、共感するところはほとんど同じだった。

この本のサブタイトルには“転ばぬ先のつまようじ”とあった。杖ではなくつまようじというのが面白い。それには理由があった。杖とは用心するということで、しばしばお金と考えてしまうことが多いらしい。しかしここではお金のような物質ではなかった。

物質として考えると、それはどんどん大きくなってしまって、太くなり持ち歩けなくなってしまうと考えたようだ。なるほどとも思える。細い杖だと折れてしまうかもしれないが。

そもそも転びそうになった人は一本の杖では無理だという。立派な杖でなくても心構えができていれば、つま楊枝程度でも大丈夫だということらしい。それは価値観や発想を変えることで可能だという。

つまり人と比べることなしに、発想の転換をすすめている。ほどほどのお金で自分なりに楽しむという意味にも考えてよさそうだ。