ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

暗中模索にだけ、価値のある世界。

2014年12月31日 | Weblog
暗中模索にだけ、価値のある世界。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

(前日のつづき)
これは藤田氏の言葉だった。いま行っているネットビジネスは、ある意味憂鬱な仕事だと言う。歴史も浅く先が見えないからだった。

手探り状態にならざるを得ない。悩みや苦しみ、痛みを感じながら仕事をしているようだ。だからこそ、いろいろな可能性もあるので、そこに価値があるともいう。

前日のフレーズでもとりあげたが、誰もが簡単に(=楽して)思いつくアイデアなど何の価値もないのだろう。

一度ネットで成功すれば、簡単なように見えても、それを生み出すまでには苦労も重ねなければならないのだ。大事なのは執念や執着心らしい。

楽な仕事など、大した成果は得られない。

2014年12月31日 | Weblog
楽な仕事など、大した成果は得られない。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

見城氏のことばだった。このあとには「憂鬱こそが、黄金を生む」と続いていた。また、その直前には「憂鬱なことが3つ以上ないと、かえって不安になる」ともあった。

こんなことは、誰も考えないのではないだろうか。気が小さい私など、憂鬱なことが一つでもあれば不安になってしまう。

氏は悩みがあって、それを乗り越えるところに前進があると考えていた。それは理屈では分かるが、実際その場になるとうまく避けて通りたいと思ってしまう。

氏は実に積極的な人間なのだろう。「迷った時は、前に出ろ」が信条だという。42歳のときに角川書店を退社して、幻冬舎を立ち上げたときが最大のリスクだったと振り返っている。

まだまだ楽な生き方もあったはずだが、闇の中で、力いっぱいジャンプしたと述懐している。だからこそ今があるのだろう。凡人にはなかなかできないことだな。

結局、人は自分のスケールでしか、物事をはかることはできない。

2014年12月29日 | Weblog
結局、人は自分のスケールでしか、物事をはかることはできない。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

これも見城氏の言葉だった。しかもシンプルでわかりやすい。気持ちの大きな人というものはいるもので、それは時には大物とも表現されることもあるだろう。

私などのような小さい人間には考えられないことも、スケールの大きい人は軽く考えて実行してしまうのだろう。そんな時はただただすごいとしか言いようがない。

世の中を動かすような、生まれつきスケールの大きい人はいるのだろう。見城氏が成功すると、同業者からは「あいつは、たまたま運がよかったのだ」ともいわれたらしい。

しかし、氏は血の滲むような努力をしたからだと考えていた。圧倒的な努力など人にはわからないからだ。なぜ、彼らは運というのかがわかったようだ。

それは彼らが本当の努力をしたことがないからだと考えたのだ。結局自分のスケールでしか考えられないからだ。見城氏のような極端な努力は人には理解できないのだろうな。

僕にとってなにより重要なのは「極端」であることだ。

2014年12月28日 | Weblog
僕にとってなにより重要なのは「極端」であることだ。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

こう語ってるのは見城氏だった。もうこれだけで、熱い人間であることが伝わってくる。極端であるからこそ、オリジナリティーが生まれるとも言えそうだ。

また当然ながらインパクトもある。人を惹きつけるのもそれがあるからこそだとも言える。当たり前のままだったら誰も関心を持ってくれない。どれだけ人と異なったことができるかがポイントだと思える。また極端を生み出すには圧倒的な努力が不可欠だった。

氏が1993年に会社の設立登記をしたときに、電車賃を節約するために代々木の自宅から会社のある四谷まで徒歩で通ったという。

そして、年末年始の休みの間中、書いてもらいたい書き手に毎日、便箋7,8枚の依頼書を書いていたのだ。朝9時から夜中の2時まで書いていたというから驚きだ。実に極端なことがうかがえる。そんな自負が氏を支えていたようだ。

また恩返しも、極端なくらいするようだ。そうしなければ、相手の心に響かないからと考えていたからだ。中途半端な恩返しは意味がないようだ。そこで人間力の差がつくらしい。考えたいものだ。

人は誰と一緒に食事をするかで決まる。

2014年12月27日 | Weblog
人は誰と一緒に食事をするかで決まる。

「自分らしさをうまく生かして成功する法」ミック・ウクレヤ、ロバート・ローバー著齋藤孝訳。

単に仕事ができるだけでは面白くもない。むしろその他の時間でもどれだけ充実しているかが人生の価値ともいえるのではないだろうか。

生きていく上では人間関係は重要な問題だろう。ここには、次のような言葉もあった。「人生の質は、築こうとする人間関係の質に比例する」と。

つまりこれがフレーズにあげた意味だったのだろう。たしかに栄養価のあるものを適切に食べるのは必要なことだが、同時に適切な友人と付き合うことも同様に大切なことだった。

これはかなり意識してやらないとできないことに違いない。ただ待っているだけでは素敵な時間は過ごせないものだ。自分から企画することが大事なのだろう。

「変化を起こす秘訣は、一度に一歩ずつ進むことだ。これしかない」

2014年12月26日 | Weblog
「変化を起こす秘訣は、一度に一歩ずつ進むことだ。これしかない」

「自分らしさをうまく生かして成功する法」ミック・ウクレヤ、ロバート・ローバー著齋藤孝訳。

上記のフレーズはマーク・トウェインの言葉だった。シンプルだが、変化はそうそう簡単には起こせないものだから、まずはその通り実行することが必要だろう。

しかも、いきなり大きな目標が達成できるとは限らないから、より小さいステップに分割することもポイントのようだ。そこで、道のりを快適にするために「SMARTな目標」の立て方を提案していた。

1.具体的であること。Specific・・・曖昧さのないはっきりしたものだった。

2.進捗状況がはかれるものであること。Measurable・・・測れなければ管理もできいない。

3.達成可能であること。Attainable・・・限界ぎりぎりの力を必要とする目標を立てる。

4.適切であること。Relevant・・・未来の実現像に役立つか。

5.期限があること。Time-bound・・・最終期限のない目標は夢であり、実現性がない。

目標はできるだけ絞ることも大事だった。そのためにどれだけ集中できるかがカギを握っているようだ。

人は繰り返すことで何かになる。

2014年12月25日 | Weblog
人は繰り返すことで何かになる。

「自分らしさをうまく生かして成功する法」ミック・ウクレヤ、ロバート・ローバー著齋藤孝訳。

このあとには次のように続いていた。「つまり、すばらしいのは、行いではなく習慣だ」この言葉を残していたのは、アリストテレスだった。

たった一行のこのフレーズが印象に残った次第。第5章のタイトルは『いちばん確実で、実りも多い「人生設計」法』となっていた。またサブタイトルには、“人生「これができるか、できないか」で結果に大差が!”ともあった。

まずは、人生を最良にするためには、計画をたてることが不可欠だという。自分が本当にやりたいことは何なのかを考えてやることだった。

そして、心から好きなことをしていれば、仕事だと感じなくて済むとも言う。変化を起こしたいと思えば、今すぐやることが必要だった。

何ごとも昨年の流行語のように「今でしょ」がポイントだった。今すぐに準備しなければ将来も何も変わらないことになってしまう。

強く頑丈な樹木を育てるには、風がかかせない。

2014年12月24日 | Weblog
強く頑丈な樹木を育てるには、風がかかせない。
「自分らしさをうまく生かして成功する法」ミック・ウクレヤ、ロバート・ローバー著齋藤孝訳。

上記のことは、壮大なガラス張りの建築物(実験装置)を作って行った結果わかったことだった。本来なら、風がないことは成長には利点に思えるがそうではなかったのだ。

つまり無風状態では、野生の状態で育った同じ種類の樹木のようにはしっかり育たなかった。樹木にはストレスや緊張がないと強く育たないことがわかったのだ。

まったく同様のことが人にも言えるようだ。苦労や失敗といったものが、人生を考えれば後になっていい経験だったこともわかる。

自分が苦労することで他人の痛みもわかってくるとも言える。そんな繰り返しで人も成長していくのだろう。自分でつくったストレスをうまく利用すれば逆にやりがいさえ感じられるものかも。

エネルギーは、自分や未来を変えることにそそごう。

2014年12月23日 | Weblog
エネルギーは、自分や未来を変えることにそそごう。

「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。

ここでのタイトルは「他人と比較するより、過去の自分と比較しよう」となっていた。いつまでも負けたことを引きずっていても、意味がなかった。それは過去を変えられないからだ。

もし、過去に10点差で負けても、8点差になれば、2点地縮まったことになるから、成長したとも言える。つらくなる比較は意味がないらしい。むしろエネルギーは未来のために使うべきだったのだ。

過去の自分と比べてどれだけ成長したかにポイントを置くべきだった。そうすれば、エネルギーの使い方がラクになるという。落ち込むこともなくなるようだ。

年をとれば肉体が体力が衰えるのは当たり前のことだが、その分知性や経験やアイデアでカバーできるとも考えたい。若いころには思いつかなかったような発想が思い浮かぶこともある。常に前向きになれる何かを求めていきたいものだな。



豊かで潤いのある人生を送れるかどうかは、経験欲で決まる。

2014年12月22日 | Weblog
豊かで潤いのある人生を送れるかどうかは、経験欲で決まる。

「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。

(前日のつづき)
また同時に人をドキドキさせられるかどうかも、経験欲があるかどうかで決まるらしい。それはある意味変化とも言い換えられそうだ。

一般に物欲・金銭欲を通り過ぎると、経験欲が生まれるらしい。経験欲は別の言葉では名誉欲や出世欲とも言われるものだろう。旅行は経験欲の最たるものらしい。

そんないろいろな体験は人を成長させてくれるものだ。いくらいい服をたくさん持っていても、それを着て出かけるところがなければ意味がない。つまりそれが経験とも言える。

仕事なんだから仕方ないと思ってやるか、その目標にチャレンジしようと考えるかは大きい違いだった。ちょっとした気持ちの持ちようでイキイキと過ごすことができるようだ。

仕事をサボることは、人生をサボることだ。

2014年12月21日 | Weblog
仕事をサボることは、人生をサボることだ。

「あせらず、止まらず、退かず」中谷彰宏著より。

上記のフレーズはこの章のタイトルだった。そして、その一行目には「経営者として最も大切なことは、社員をドキドキさせることです」とあった。

私はこのドキドキをワクワクと置きかえてみたいと思った次第。ドキドキというとなんだか不安のような印象を持ちやすい。ワクワクはなんだか楽しい感じが伝わってくるからだ。

また、ドキドキできることは、誰でも一生懸命します、というが仕事でワクワクできればそれ自体で楽しんでいることになりそうだ。

中谷氏はやっていることが、仕事という意識があまりないらしい。肩書や職業を聞かれても職種の意識もないのだった。ただ自分の人生を生きているだけという。

仕事だと思えば、そこには手を抜いたりサボるという意識や義務感もあるだろうが、人生だと思えばそういう考えはなくなるそうだ。いずれにしても、ワクワク仕事ができれば一番やりがいがあると思えるな。

あらゆる仕事は、価値を生み出すために行うもの。

2014年12月20日 | Weblog
あらゆる仕事は、価値を生み出すために行うもの。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

これは藤田氏が考えていることだった。価値や付加価値は絶対なければ、相手を動かすことはできないだろう。もちろん価値の重みは相手によってさまざまなことは確かだろうが。

とくに付加価値は競争相手との差のことだという。これは実にシンプルでわかりやすいたとえだった。相手と同じではゼロだった。どれだけ相手を上回ったかで価値が生まれることになる。

当然ながら、価値を生み出すためには相当の努力がなければ、無理だ。他の誰もが思いつかないようなことが仕事に結びつくのだろう。

一番価値があるのは、ほかの誰もが真似ができないことだった。なんの苦労もなく思いついただけの仕事やアイデアなどほとんど価値がないものだ。それは誰でもが思いつくありふれたものだからだ。

一般的に言う「努力」など、その名に値しない。

2014年12月19日 | Weblog
一般的に言う「努力」など、その名に値しない。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

努力を評価するのは、常に他人だということを再度認識する必要がありそうだ。見城氏にとっては、「努力」とは、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言えるそうだ。

それは、人が足元にもおよばないほど、行った凄まじい努力のことを意味していた。氏は20代のころ憧れていた石原慎太郎さんと仕事をしたかったという。

そこで、見城氏は「太陽の季節」と「処刑の部屋」の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗唱したという。こんなことは誰にもできない、また考えたりもしないことだろう。

すると、石原さんは「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と言って苦笑したそうだ。つまり圧倒的努力は、いつか必ず実を結ぶと信じていたのだ。努力とは並みの人間ができないことをやってしまうことだった。

しかも、石原さんは見城氏が会社を作ったばかりの頃、「もしも、まだ俺が君の役に立つなら、何でもやるぞ」とまで言ってくれたそうだ。その後大ミリオンセラー「弟」が誕生している。かなり前に読んだが、迫力を感じた一冊だった。

そもそも電話をかけるというのは、非常にぶしつけな行為だ。

2014年12月18日 | Weblog
そもそも電話をかけるというのは、非常にぶしつけな行為だ。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

まさに、パソコンに向かってこれを書いているときに、電話がかかってきたのだ。何かと思えば、ダイレクトメールでの宣伝だった。即断って切ったが、やっていることを中断せざるを得ないのは、いつも実に腹立たしい。

電話をかけられるのも嫌いだから、こちらからかけるのも実に億劫だと感じている。電話は相手がどんな状態かもわからない。そういえば、食事をしているときもDMの電話があって迷惑だったものだ。仕事にせよ食事にせよ、趣味にせよ、中断させられるのは実に迷惑だ。

見城氏は、コミュニケーションは、関係に上下があることが多いから、それをきちんとわきまえないといけないという。そこのところをどれだけデリケートになれるかによって、相手に与える印象は雲泥の差がついてしまうらしい。

これは、実際に会っている場合だけでなく、ネット上でも言えることだろう。第一印象はかなり後まで残ってしまうものだ。気をつけねばと、思った次第。

小さなことを守れないやつに、大きな仕事などできるはずがない。

2014年12月17日 | Weblog
小さなことを守れないやつに、大きな仕事などできるはずがない。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

見城氏のことばだった。まずこの本のタイトルからして実にユニークだった。話言葉がそのまま題名になっているようだ。氏が徹底しているのは、どんな小さな約束でも必ず口にだしたことは相手が誰であろうと守るということだった。

氏の考えの根底には、「あらゆる人間関係は、細かい情が基礎になっている・・・」ということがあるようだ。やはり人間は感情の動物だから、ちょっとしたことでも意外に気になるものだ。

仕事ではそのちょっとしたことを大事にすることがスタートだった。ここで面白い略号を使っていた、それはGNOだった。つまりそれは義理、人情、恩のことで、それを知らなければ、何ごともうまくいかないという。

小さいことにくよくよするな、とはよく言われるが、むしろその逆で仕事ではくよくよすることで相手の心がつかめるとも指摘していた。面白い気づきだ。