ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

子供が描いた絵をぬいぐるみにして販売。

2008年07月31日 | Weblog
ウェブサイトの「百式」2008.7.25付けより。

へ~こんなものまで商売になってしまうのかと、ちょっと驚いた次第。ある親子と子供二人で運営されているサイトの紹介だった。そこでは子供が描いたいろんな落書きをぬいぐるみにして販売している。

素朴でシンプルで親しみやすい感じがする。これらの作品はサイトを運営する子供たちが描いた絵からのものだろうか。それとも一般の子ともたちが描いた落書きを公募してぬいぐるみ作品に仕上げてくれるのだろうか。

もし後者の方なら面白いビジネスとも思える。落書きという平面のものを立体にすると実に臨場感があって面白い。子供たちも自分の描いたものが、手に持てるほどのモノになればびっくり、そして感動かもしれない。

世界でたった一つのものが手に入る喜びは親も同じだろう。こんなものの応用で違ったビジネスが考えらないだろうか。作品の見本は下記のホームページからどうぞ。
http://www.lizettegreco.com/

「修正能力」のスゴさ。

2008年07月30日 | Weblog
「R25」2008.7.17号より。

現在の注目の的は日米通算3000本安打を達成したばかりのイチロー選手だろう。しかしここではメジャー2年目の松坂大輔投手のことだった。むしろ、松坂は安定しているためか去年ほど注目されていないようだ。

今季は開幕から負け知らずで8勝をマークしている。現在まで11勝はかなりすごい。(28日、エンゼルス戦に先発したが、六回途中6失点でKOされ、今季2敗目を喫していたが)昨年に比べて内容がかなり向上しているのは数字を見るとわかる。

被打率というのがあるが、これは文字どおりヒットを打たれる確率のことだが、昨季は2割4分6厘だったのが、今季は1割9分5厘に改善しているという。つまり修正能力が上がっていることを示すものだろう。

ということは好投手の条件を満たしているともいえるようだ。被本塁打率も下がってる。昨季の反省点を改善し誤りを繰り返さないという強い気持ちの表れだろう。その決め手はカットボールらしい。(どんな種類かよくわからないが)

また昨年ほど騒がれなくなっているのもいいのだろうか。これからもどんどん勝ち星を増やしてほしいものだ。イチロー選手もスランプの期間が短いのは当然ながら「修正能力」が優れているからに違いない。

あの店がウケているのは、感性情報デザインの妙なのだ。

2008年07月29日 | Weblog
「ビジネス脳を磨く」小阪裕司著より。

まず、あの店とは「ヴィレッジ・ヴァンガード」のことだった。今日現在全国で265店舗がある。この店の名前を聞いたのはもう何年も前のことだったが、行ってみたのは最近になってからだった。

コンセプトは遊べる本屋とはなっているが、本よりも雑貨の方が多い。昔ながらのお菓子が並んでいたり、いきなり駄菓子屋に入ったようにも思える。時計やゲームやDVDやいろいろな食品までも置かれている。

また本にしてもかなりマニアックな芸術関連のものがあったりする。新宿の店には渋澤龍彦の著書が数十冊も並んでいたので、この作家に強く関心がある職場の同僚にケータイで撮った写真を見せてあげた。すると、まだ読んだことのない本があるといって喜ばれたのだ。

この店では他の書店では目立たないような本もまとめてあり、それが売れるようだ。こんなことろが感性情報デザインの妙というのだろう。この店は慣れないとどこに何が置いてあるのかもわかりにくい。しかし、実はその中から発見することや意外なものとの出会いが楽しいのだろう。(ドンキホーテもやや似ているが)

地元にもこの店はあるが、当然品揃えはかなり異なっている。だからこそ楽しいのかもしれない。たとえこの店がウケているからといって、似たような店を作っても同じように売れるとは限らないだろう。結局はしっかりした店独自のポリシーがないとお客さんもついてこないだろし・・・

感性情報デザイン。

2008年07月28日 | Weblog
「ビジネス脳を磨く」小阪裕司著より。

フレーズというよりむしろ初めてみたこの言葉が気になった次第。この言葉は感性社会におけるビジネスでの最重要なキーワードらしい。つまりお客さんの感性に向けて発信する情報を変えることで(つまりこのことをデザインと表現しているのだろう)、お客さんの心の中に価値が生まれてくるということだった。

するとお客さんの消費行動が変わってきて、結果として売り上げが増えてくるということになる。仕事上で感性情報をいかうまくデザインできるかがポイントのようだ。

といっても言葉では抽象的にになってわかりにくいので、ここにあった実例を上げてみよう。店頭のPOPのツールに書かれた情報によってかなり変化があることがわかる。防水スプレーの例だった。雨の季節には売れるだろうが、通常の月には売れるものではない。

はじめにPOPが「防水スプレー980円」とだけ書かれたままだった時は、1か月で0本だった。それが、「水滴がほかの類似商品よりきれいに丸くなるイラストを添えた場合、8本が売れたのだ。

次に忘年会のシーズンにPOPを「忘年会でビールをこぼさない自信がありますか?」としたら100本売れたという。また、年が明けたら今度は「あっこぼしちゃった。「せっかくの新年会を台無しにしたくないあなたに」と書いたら同じように売れ続けたという。

これは一例だが、その場その場で的確に状況判断をしながらお客さんにアピールすれば、それなりに大きいい効果が表れるということだろう。それが意外にできそうでできないことかも。

「書」はメッセージを伝えるための武器。

2008年07月27日 | Weblog
「R25」2008.7.17付けより。

“しごとの手帖”というコーナーで書道家の武田双雲が言っていること。売れっ子の書道家だ。マスコミへの露出度も高い。33歳という若さでもう頂点を極めてしまったような感じさえある。

「書」が武器とは実に力強い言葉だ。しかも相手の人生が変わるくらい強いメッセージを伝えたいともいう。そして現状を把握することで、自分にしかできない自分色の表現が生まれるというのも彼らしい。

彼は常に強烈な好奇心で人と接して世の中をみているようだ。それにしてもこれほど若くて人気のある書道家は過去にいただろうか。

映画の題字を書くときには監督の世界観や伝えたいこと、観客が何を欲しているかなどを徹底的にスタッフと話し合うという。まさにマーケティングの世界でもあるようだ。

「書」は彼にとってはあくまで武器に過ぎなかった。彼にとって仕事は「書」を通じて人の人生をプラスに変えていくことだと考えている。こんなことをはっきり言えるのは、3歳からずっと書道を続けてきた自信だとも思える。

母親の書道家という仕事を客観的にみられたのは社会人になってからだと述べている。独立してからは8年だった。若くても同じことを30年間続けているからこそ自信をもって言える言葉なのだろう・・・な。

ジーンズというのは、どこかぼくたちの人生に似ている。

2008年07月26日 | Weblog
「R25」2008.7.17号より。

最後のページにある石田衣良のエッセイのなかで目にしたワンフレーズだった。いかにも作家らしい表現にも思える。ジーンズは長くはいていると色褪せて、自分だけのものになって味が出てきたりもする。

こんな感覚はスーツのスラックスでは味わえないだろう。若い頃にはジーンズもはいてはいたが、最近はしめつけられるのがいやなのでほどんど身につけたことはない。とくに腹が出ているとジーンズもはきにくいもの。

ジーンズがいいのは丈夫であるここととコンクリートでも草の上でも平気でそのまま座れることだろう。また若い頃油絵を描いていた頃にも絵具がついてもへっちゃらだったもの。まあ作業着だったのかもしれない。

もっとも、人によっては作業着なんてとんでもない、高級品はファッションだと考える人もいるだろう。わざわざ擦り切れたようなものも流行っていたり。石田氏はジーンズ大好き人間らしい。直木賞授賞式パーティーにもブラックジーンズをはいていたという。

思い出せばジーンズをはいていた頃は、胴周りが今より10センチ以上細かったなぁ。まあ、ジーンズははかなくてもそこそこ味のある人生を過ごせたらいいな~とは思ってますがね。(私の場合はいろいろと、よれよれボロボロかな・・・)




ひょっとしたら昨今の小学生の作文や絵は親同士の競い合いの場となっているのではないか・・・

2008年07月25日 | Weblog
「メトロミニッツ」2008.7.20号より。

自分が小学生の頃の夏休みは実に長く感じられたものだったが、今の子どもたちにとってはどうなのだろう。習いごとや塾に通っているのだろうか。

藤原新也氏(写真家、作家)のエッセイのなかにあったワンフレーズだった。子どもたちは長い休みと同時にいろいろな宿題も課されていることだろう。

自由研究、図画工作、ポスター、読書感想文なども入っているものだ。それらはしばしば親がかなり手伝って仕上げることもあるだろう。実際うちでも子どもらが小学生のころは手伝わないと始めなかったものだった。

音楽や算数などは妻の叱咤激励でやっていたようだ。私自身は子どもの頃は図工が好きだったので、それらを手伝うこともそれほど苦ではなかったな。しかし、それも限度ものだろう。

すべて親が仕上げたりしたらタイトルに挙げたように親同士の競い合いになってしまう。過剰な手伝いは子どもにとっては決していい結果を残さないだろうな。何ごともほどほどかな。

花見と「キャッツ」の共通点。

2008年07月24日 | Weblog
「ビジネス脳を磨く」小阪祐司著より。

このまったく異質に見えるものの一体どこに共通点があるのだろうか、ちょっと気になった次第。花見を楽しむのは日本人だけだそうだ。花は当然桜になるが毎年同じ時期に咲いて珍しくもない。なのになぜその桜の下で宴を開くのだろう。

桜は飽きたから別の木の下で、というわけにはいかない。桜の樹木または花の力だろうか。日本人独特の感性で花見を毎年楽しんでいる。たとえ実際に花見をしなくても花びらがいっせいに散る木の下を通るだけでも気持ちがいいもの。

花見で少しづつ変わっているのはメンバーや飲食物ではないだろうか。

劇団四季の「キャッツ」も何年にもわたって同じようなミュージカルを繰り返している(らしい)。実際に見たわけではないが。長年同じ舞台を繰り返しても、リピーターとなるお客さんが大勢いるということだ。

花見と同じように毎年繰り返しても、演出や衣装、舞台装置が常に変わっているようだ。だから、熱心なファンはどこがどう違っているのかを楽しみに来ているのだろう。筆者の奥さんは10年ぶりに「キャッツ」を観たようだが「すごくよかった!でも、前とぜんぜん違う」という感想を漏らしたそうだ。

そういえば、ディズニーリゾートもリピーターで成り立っているのだろう。中身のアトラクションやパレードは常に新しいものが開発されている。だから毎年行くたびに新鮮さが味わえるのだろう。

日本語の「感性」に相当する英単語がない・・・

2008年07月23日 | Weblog
「ビジネス脳を磨く」小阪祐司著より。

しばしば何気なく「感性」という言葉を使っていることがある。ところが、これを英語で表現しようとするとき適切な言葉は見つからないらしい。エモーションやセンシティビティーやデザインでもないようだ。で、国際会議では「KANSEI」と表記されているという。

小阪さんの説明によれば、感性とは人の高次情報処理機能という意味だというが、もう少しわかりやすく言えば、大量に降ってくる情報を複雑に素早く処理できる機能らしい。

たとえば、同じ人を見て「ステキ」「かわいい」と感じる人もいるし、別に何とも感じない人もいるだろうが、それは感性の違いということになるのだろう。またある商品を見て「いいなあ」と思ったり、ある店で過ごして「なごむ」というのも高次情報処理ということになる。

現代は感性社会と言われているが、ビジネスを考えればそこには主に3つの特徴があった。

1、「これをやれば必ずこうなる」というきまりきった解答がないということ。つまり他店で売れている商品を仕入れて並べても同じようには売れるとは限らない、というようなことだった。

2、「今日の解は明日の解ではないこと」社会の変化が早く、商品寿命がどんどん短くなっているからだった。

3、「A社の解はB社の解ではない」重要なのは真似ではなくて「差違」や「らしさ」のほうだった。

感性を自分なりに理解して生かしていくことも、今後仕事を実りあるものにするためには必要なのかもしれない・・・な。

「アウトにならない技術」が重視されるようになった。

2008年07月22日 | Weblog
「朝日新聞、土曜版」2008.7.12付けより。

現在メジャーリーグのカブスで活躍している福留孝介選手についての評価が掲載されていた。今年移籍していきなりオールスターのファン投票(ナショナルリーグ外野手部門)で選ばれたのはそれなりに全米で素晴らしい評価を得ている何よりの証拠でもあろう。

開幕戦での同点本塁打など派手な活躍は印象深いが、何よりも福留らしさが出ているのは出塁率の高さのようだ。4割前後で推移してして、カブスではトップで、ナ・リーグでも上位だった。

それは当然ながら選球眼がよく我慢強くて四球を選べるからだった。こんなこともカブスが首位を走っている原動力ともいえそうだ。打率は2割8分5厘はそれほど目立たない。かつて日本では出塁率がいいという理由ではそれほど高い評価は得られなかったと思える。

通常打者の紹介時には打率、打点、本塁打だが、ニューヨークのあるテレビ局ではそのほか出塁率の数字まで示しているという。安打を多く打って打率をあげたところで、アウトが多ければ出塁率はあがらない。つまり勝利への貢献度では四球を選んだほうが評価されるようだ。

松井秀喜選手も故障に泣かされているが、出塁率は高いほうだ。(膝の手術で今季絶望は残念!)今後は日本人選手は出塁率が高いことでメジャーでは高い評価を受けそうだ。時代の流れで評価基準が変わってきつつあることが感じられる。

そういえば、会社などでの評価基準も時代によって変わるもの。バブル経済全盛期のころは実績・成果主義とかいって結果だけがかなり重きを置かれて評価されてきたが、その弊害も多く指摘されたことも事実だな。

また年功序列や終身雇用制度も過去の言葉になってしまったかな。「アウトにならない技術」・・・勤め人だったら失敗(ヘマ)をしない技術ともなるのだろうか。でも、「可もなく不可もなく」、「細く長く」、「遅れず休まず働かず」も難しそうだが・・・

離職率の高い企業に、富裕層向けのサービスはできない。

2008年07月21日 | Weblog
「富裕層ビジネス 成功の秘訣」中谷彰宏著より。

一般的なことではあるが、ある人の応対がよくて再度頼もうと思うことはある。そして「○○さんいますか?」と聞いたとき、「辞めました」とか「転勤になりました」などと応えられるとがっかりするものだ。

つまり人事異動が頻繁な会社なら、よほど引き継ぎがしっかりしていないと、いいお客さんは固定化できないだろう。当然、富裕層ならその人(担当者)を信頼して指名し、商品を購入したりサービスを受けている。

だから、富裕層は商品についてサービスマンからパンフレットの内容を聞いて購買の決定をするより、その人間を見て決めることが多いようだ。あの人が言うのなら間違いないというように。

たまに初めて会った販売員でも、接客応対がすばらしい(しばしば説明が簡潔で分かり易かったり)と感じる人がいるが、もうそれだけで私など安心して信用してしまう。やはり人柄もあるだろうな。

ファーストフード店ならマニュアルどおりにやればそれなりの接客販売サービスはできるだろうが、富裕層相手なら担当者をコロコロと変えたりすれば、いいサービスが継続できるとは言えないだろうな・・・

すべての開発の歴史は「交流」と「組み合わせ」がかぎになっている。

2008年07月20日 | Weblog
「朝日新聞、土曜版」2008.7.12付けより。

これは“ゴーン道場”というコーナーでのカルロス・ゴーンさんの言葉だった。「仕事や研究を飛躍的に進化させるイノベーション(革新)はどうすれば生まれますか?」という質問に対して答えている部分にあったもの。

ゴーンさんは「革新の大半は異なる領域同士の交流から生み出されます」と答えている。またその言葉を別の表現で繰り返しているのが上記フレーズだった。

例として「iPod」を世に送り出したスティーブ・ジョブズを引き合いに出していた。ジョブズは創業したコンピューター会社(アップル)を離れ、アニメーション会社を経営するようになったことが「iPod」誕生に大いに影響しているようだと考えている。

ゴーンさんは「iPod」は世界最大の革新だととも述べているが、これは異なる経験がひらめきにつながったからのようだ。だから、研究者がコツコツと続ける研究も大事だろうが、同時に週末に友人と交わす何気ない会話からも革新が生まれる可能性があるとも述べている。

あまり堅苦しく考えるよりも、むしろふっと息を抜いたところにこそ意外な解答が待ちかまえているのかもしれないな。もっとも、昔から新製品のアイデアはいろいろなものの組み合わせから、とは言われている。しかし、もっと大きなイノベーションと言われるような開発はそれだけではモノ足りないのだろうな。


富裕層はストーリーを食べ、ストーリーを味わう・・・

2008年07月19日 | Weblog
「富裕層ビジネス 成功の秘訣」中谷彰宏著より。

これだけだと、いったい何のことだろうと思ってしまう。真の富裕層と思われる人は、一流シェフ、店のインテリア、高級食材、高級食器だけをウリにしているところに行くとは限らない。むしろそれを好むのは準富裕層の人たちらしい。

真の富裕層は料理のおいしさよりも、そこでの人との会話や情報交換こそを楽しむのだという。要するに面白い話を聞いたり自分で話すことがメインだったのだ。体験、交流、学びなど目に見えないことに関心が高い人たちでもあるようだ。

そこで楽しい話ができ時間を過ごせたかどうかが問題だった。ということは、富裕層を相手にするビジネスなら商品やサービスを売る前に、面白い話ができるかどうか、そんな雰囲気があるかどうかがまず先にくることがわかる。

もうそのレベルまでいくと割引きなどはほとんど問題にならないことも考えられる。だからこそ、上記の表現のように“ストーリーを食べ、ストーリーを味わう”となっているのだ。ストーリーを持っていることは財産にもなってくるか。

もっとも、これは富裕層に限らず、日常でもいえそうなことにも思えてくる。(商談時に限らず)新鮮で味わい深い話のネタをもっているだろうか。その話で自分も相手も少しでも充実したひと時をすごせるだろうか。(飲み会でのバカ話で盛り上がるのとはかなり違うかな)

働く女性は“自分にどんなごほうびをあげているか?”

2008年07月18日 | Weblog
「メトロポリターナ」2008.7月号より。

アンケート企画が掲載されていた。ここには「サンプル百貨店」というサイトに「プチごほうび」についてアンケートに答えた女性からの集計がされたものがまとめられていた。調査対象は働く女性20~40代、12356名だった。

まず、ツッコミを入れたくなってしまったのは、じゃあ働かない女性とはどういう人だろうと思ってしまったことだ。会社勤めで月給はもらってなくても、専業主婦も毎日仕事をこなしている。かえって重労働もしているとも思えるが。

それから、50代、60代でも重要ポストでしっかりと働いている女性も多いと思われるが調査対象には入っていない。まあ、そんなことはここで述べてもしょうがないが、気になるアンケートの結果を抜粋してみよう。

Q1.あなたが、“自分にごほうび”をあげたくなるときは?その答えのなんと60%が「仕事や家事を頑張ったとき」となっていた。まあ、がんばったからこそのご褒美だから当然だとは思えるが。

Q2.あなたにとっての“プチごほうび”ってどんなこと?では、いつもより少し高いものを買う、が25%でトップ。その次がスイーツを買って食べる、が21%。またほぼ同じくらいの割合でいつもより高いものを食べる、が20%だった。ここでは,“いつもより”がキーワードだろう。

Q3.あなたの買い物傾向はどのタイプ?のトップは「どちらかというと、生活を充実させるものを購入」が41%。その次が「どちらかというと、必需品のみを購入」34%だった。いったい、“生活を充実させるもの”とは何のことだろう?

さて、最後に、じゃあ働くオジサンは自分にどんなごほうびをあげたらいいのだろう・・・なんて自分のことを振り返ってしまった・・・(やはりちょっと贅沢なランチかアルコールだろうか・・・)

富裕層向けブランドビジネスの盲点・・・

2008年07月18日 | Weblog
「富裕層ビジネス 成功の秘訣」中谷彰宏著より。

準富裕層だろうが真の富裕層だろうがお金持ちには違いない。「世界に何個だけ」「あの有名人が持っているものと同じモデル」などの希少性や見栄で買う人は、商品そのものにはそれほど興味がないのかもしれない。むしろそれをネタにして人に自慢できるところに価値を見出しているのだろう。

車の性能がどうのこうのよりもそのブランドの限定車であることのほうが重要なのだ。それもしっかり見極められればビジネスにつながるのだろう。大学などもそういう一面がありそうだ。そこで何を学ぶかよりもむしろ学校の知名度、難易度を優先していないだろうか。

世の中のヒット商品をお勧めするのはむしろ準富裕層向けともいえそうだ。真の富裕層はそんなものにはのってこないからだ。どんな商売もターゲットを誤っていては成果は望めそうにないな。

つい先日、私の知り合いの中小企業の女性社長が約1千万円の宝石を買ったという。やはりある意味富裕層だといえる。ご自分もそれを気に入ったのだろうが、娘さんが2人いるし孫もいるのでいずれ彼女たちに楽しんでもらえるとも言っていた。

つまり高額品を買うということで、一時迷ったらしいが、自分を納得させる理由を探していたのだ。いいビジネスとはお客さんが、自分で納得する際の手伝いをすることでもありそうだ・・・な。(自信をもって間違いありません、その通り!なんて言えたらいいのだろうが)