「メトロミニッツ」2009.7月号より。
これは「山田五郎のMADE IN TOKYO」というコラムにあったものだが、サブタイトルには“聴いて、触って、調べた東京生まれの東京モノ”とあった。ここでは大学ノートについて書かれていた。
このありふれた大学ノートは、明治17年(1884)に本郷の松屋という洋書、文具店が売り出したのが最初らしい。要するに万年筆に適したノートとして作られていたのだ。
そういえば、かなり前に何かの展示会で明治の文豪森鴎外の直筆の大学ノートを見たことを思い出した。それがドイツ語か英語かは忘れたが、筆記体で流れるように書かれたその文字はまさにそれ自体が芸術品にさえ思えたものだった。
大学に通うエリートしか使えないほど立派なノートという意味で、大学ノートと呼ばれたようだ。当時は大学といえば、東大しかなかった時代とのことだ。今では社会人になってしまうと、大学ノートからは離れてしまうものだ。まともにノートを使ったのは高校時代までだろうか。
今でもまったく使わないというわけでもない。思いつきを書きなぐったり、切り抜きをベタベタと貼りつけたりしている程度だが。まあ、PCのように電源スイッチを入れなくても見られるのがいいかも。(でも悪筆だから読み返すがの億劫で・・・)
これは「山田五郎のMADE IN TOKYO」というコラムにあったものだが、サブタイトルには“聴いて、触って、調べた東京生まれの東京モノ”とあった。ここでは大学ノートについて書かれていた。
このありふれた大学ノートは、明治17年(1884)に本郷の松屋という洋書、文具店が売り出したのが最初らしい。要するに万年筆に適したノートとして作られていたのだ。
そういえば、かなり前に何かの展示会で明治の文豪森鴎外の直筆の大学ノートを見たことを思い出した。それがドイツ語か英語かは忘れたが、筆記体で流れるように書かれたその文字はまさにそれ自体が芸術品にさえ思えたものだった。
大学に通うエリートしか使えないほど立派なノートという意味で、大学ノートと呼ばれたようだ。当時は大学といえば、東大しかなかった時代とのことだ。今では社会人になってしまうと、大学ノートからは離れてしまうものだ。まともにノートを使ったのは高校時代までだろうか。
今でもまったく使わないというわけでもない。思いつきを書きなぐったり、切り抜きをベタベタと貼りつけたりしている程度だが。まあ、PCのように電源スイッチを入れなくても見られるのがいいかも。(でも悪筆だから読み返すがの億劫で・・・)