ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

脳に「発想」することを仕込む。

2009年04月30日 | Weblog
「R25」2009.4.23付けより。

これは難題を打破する発想法ということについて、小山龍介氏が提案していたことだった。仕事をしていれば、難題はつきもの。それをどうやってクリアしていくかという一つのヒントになりそうな気がした。

まずはそのために、いろいろなアイデアを捻出しなければならない。たんに頭の中で考えるより、思い浮かんだことを書き出すことだった。脳に発想することを強制的に組み込むという。

その方法として、3×3の9マスの正方形を書いて、その穴を埋めていくというマンダラートという発想を勧めている。マス目の真ん中にテーマを書いておく。そして、周辺の空白の空いたコマにアイデアを入れていくだけだった。

人は空白がある部分には、何か文字を埋めたくなるものらしい。クロスワードパスルをやり始めた時のそんな感じだろうか。すると、脳が自然と動き始めるというが、本当だろうか。(まだ試してないが・・・)

運じゃなく、運命だった。

2009年04月28日 | Weblog
映画「スラムドッグ$ミリオネア」より。

まず映画のストーリー意外の部分で気になったことがあった。それは映画の中ではインド人同士がなまりのある英語で話しているのが始めのうちはやや気になった。そして、かなりのセリフはインドの言語でも話されていて、それが英語の字幕となってそれがまた日本語の字幕というように二重の字幕になっていたのもユニークだった。

(インドの公用語はヒンディー語となっているが英語も一部は使われているようだ。)

またチャイという言葉が何度も出てくるので、それがお茶という意味であることもすぐにマスターできるほどだった。チャイは日本語のオチャという発音とも非常によく似ているので驚いた。子どもでもすぐに覚えてしまいそうだ。

さて、物語は一人のスラムに育った少年が青年になるまでのストーリーとテレビのクイズ番組「ミリオネア」で答えるシーンと警察の厳しい尋問を受けている場面の3つが交錯しながら進んでいく。心憎いいばかりの演出だ。しかもその中心にラブストーリーがあったのだ。

インドはいまや世界の中心になったというようなフレーズがあったが、まさに現在のITの発展を見ればうなずける。少年の成長とともに、かつてスラム街だった地域に立派な高層ビルが立ち並んでいる。そんなところにもインドの近代化の様子がうかがえてくる。映画にはスピード感と少年の生きる勢いも感じられた。

スラムで育った少年たちにとっては善悪よりもむしろ、どうやって逞しく生きていくかのほうが大事だったのだ。そして生きるために自然と身につけてきた知識が、いやでもクイズ番組での解答に役立っていたのだ。兄弟それぞれの過酷な生きざまもしっかりと描かれていた。

そして最後に映画のスローリー意外で気になったのはラストの音楽と踊りだった。エンドロールの文字と絡み合ってインド特有のリズムに乗った音楽と踊りには思わず笑えてしまった。というのも、かなり前に観た北野武監督の「座頭市」のラストシーンを思い出してしまったからだ。なんとよく似ていることだろうと。

なぜ、少年にとって「運じゃなくて、運命だった」のだろうか?・・・それは観てのお楽しみ・・・かな♪

蛇足

たまたま3つの異なる印刷物(映画のチラシ、新聞の映画評、フリーペーパー)の写真を見たが、どれも同じシーンの写真が使われていた。左には答える少年の姿、右にには「ファイナルアンサー!」と言っている司会者の男。ご存知のとおりこの作品は今年度アカデミー賞8部門受賞作品だった。

夢というのはふくらんだ分だけ、必ず経費がかかる・・・

2009年04月28日 | Weblog
「R25」2009.4.23付けより。

最後のページにある石田衣良のエッセイの中にあったワンフレーズ。この日のタイトルは「お金貯めてる?」というもので、最近の若者は実によく貯金しているという話から始まっていた。

それもそのはず、今では終身雇用がすっかりと崩壊している状態で、減俸やリストラも頻繁だ。しかも、経済自体が不安定な時代に入ってしまっている。給料も必ず上がるという保証もないから、将来のために貯蓄に励んでいるのだろう。

そう考えると、25年から30年前はまだいい時代だったのかもしれない。確実に毎年年収は増えていた。そんな見通しがあったから、自分なりのささやかながらも贅沢もできたかも。年齢に応じて上昇していった時代が懐かしい気もする。

将来への夢を持ちやすかった時代かもしれない。たとえばマイホームや海外旅行、車なども。夢がふくらめば経費はそれなりにかかるだろう。会社を起こして大きくしたいと思えばかなりの費用を準備する必要もあろう。

車を持っているだけで、また日々の生活を維持していくだけでも相当な経費はかかる。だからといって不安ばかり考えていてもはじまらない。いずれにしても貯めた貯金は有効に使ってこそ生きてるくるものかな。

魚は水、野菜は土次第。

2009年04月27日 | Weblog
ある自動車修理工場のオーナーの言葉より。

これも前日と同じ人との話の中で出てきた言葉だった。それまで釣りが趣味のメインだった彼が、菜園を始めたという。それは意外なことでもあった。

たまたま好意で貸してくれた畑が十坪あったという。家庭菜園としてはかなり広い。そこで昨年からいろいろな作物を作り始めているようだった。それまでまったく知らなかった趣味と実益の世界に踏み込んで実に楽しいらしい。

それは私自身も狭い庭の片隅で少しだけ家庭菜園や果樹を楽しんでいるのでよくわかる。それまで釣りキチ同然だった彼は、土の良さが野菜の出来栄えを左右することを実感していた。

そして上記フレーズは、飼っている魚が長生きするのは水質次第で、野菜が育つのは土次第だという意味だった。それは彼らしい面白い比較だが納得だ。つまりそれらは元気ですくすく育つ基本条件だろう。

そして、肥料のことをついつい「エサ」と言ってしまうので笑えた次第。確かに作物にとって肥料はある意味エサともいえそうだ。肥料が「エサ」なら、土づくりは「仕掛け」ともいえそうだな、なんていって笑ってしまった。

で、人の場合は何があると生き生きするのだろうか・・・。今の彼にとっては趣味としての野菜作りだろうか。私の場合は楽しく仕事ができたときだろうか、家族に笑顔がある時だろうか、気の合う仲間と飲んだ時だろうか・・・

車のライバルはケータイ・・・

2009年04月26日 | Weblog
ある自動車修理工場オーナーの言葉より。

車を運転する際にケータイは危険・・・などという意味ではなかった。実に意外な競争関係があるものだとちょっと驚いた。先日、地元の仲間数人で飲んでいた時、その一人が言っていたことが気になった次第。

彼は自動車修理工場と車の販売店を経営しているが、そんな彼にとっては最近の若者には車(販売)のライバルはケータイだという。

つまり若者にとってはケータイが命みたいなものだから、車よりもケータイにお金を費やしてしまうという。月に四~五万円を使ってしまえば、車のローンや維持費には回せなくなるからだ。

その結果として、若者が車を以前ほど買わなくなってしまったようだ。これは現場で働いている者の実感らしい。今後ますます若者の車購入は減ってくるだろうと予測している。

若者に限らず、自動車業界をはじめ各メーカー、小売業、不動産業、建設業・・・すべての業界が今のところ低迷しているのが現状だ。

それにもかかわらず、一部では業績がいいところもあるのだから、トップの発想がすごいのだろうな。tui
つい先日、新宿西口にユニクロがオープンしていた。もの凄い開店景気はいつまで続くのだろうか・・・

「芸術は余暇に楽しむだけのものではありません」

2009年04月25日 | Weblog
「朝日新聞ルーヴル美術館展記念号外」より。

現在、六本木の国立新美術館では6月1日まで「ルーヴル美術館 美の宮殿の子どもたち」というのが開催されている。

これを見に行った時に会場の出口で手にした号外に、ルーヴル美術館のロワレット館長の言葉があった。その一部が上記のもので、そのあとには次のように続いていた。「~人間にとって『必要』なものです」と。

今回は単なる名作を並べるというのではなく、子どもという感情を呼び起こすテーマで企画されていた。そこでは、「人類が残した重要な遺産や自分自身について考えてほしい」と、氏は語っている。

会場には油彩画、デッサンなどのほか大理石や粘土による彫刻など多数展示されていた。家族や子どもたちが生き生きと造形されている。紀元前の作品もかなり多くあり、数千年経っても親子の気持ちは変わらないものだとも感じさせられる。

また日本初公開となる古代エジプトの「少女のミイラと棺」は紀元前1295年~1186年ごろとされているが、描かれた文字や絵の色が実に鮮やかに残っているので驚きであった。実に歴史と奥行きを感じさせる展覧会だった。

和菓子の背景にある物語が、会話のきっかけになる・・・

2009年04月24日 | Weblog
「メトロポリターナ」2009.4月号より。

何となく春には和菓子が似合いそうだ。先月末に桜が開花し始めたころ、たまたま桜餅を買って帰ったことを思い出した。見た目がきれいでしかも旬の季節のものを味わえるのはうれしいもの。桜の葉の香りが春を感じさせてくれたようだった。

さて、和菓子には歴史の古いものが多そうだ。つまりそこには、言われやエピソードがあるものもありそうだ。贈る際に、そんないわれなども一緒に伝えられたら面白そうだという記事があった。

ここには「花かずら」という横浜の伊勢佐木町に本店がある和菓子が紹介されていた。三代も続いている老舗だという。そして、昭和初期にはそこは「銀ブラ」と似たように「ザキブラ」という言葉もあったくらい流行っていた町らしい。

また、別のとらえ方では日本文化のひとつであるシャレがあった。おめでたいときの鯛や受験シーズンのキットカットも定番だろう。縁起をかついだトンカツ。よろこぶの昆布巻きなど。

ここにはそんな感じのシャレた和菓子の紹介もあった。それらは「御目出糖」、「おとし文」、「切腹最中」などとというネーミングとなっていた。まだ食したことはないが。

ゲーム化の基本は、限定とポイント制とごほうびだ。

2009年04月23日 | Weblog
「教育力」齋藤孝著より。

ここでゲーム化するのは何かといえば、もちろん勉強ということになる。ある一つの習慣を身に着けさせようとするとき、このゲーム化は意味がでてくる。

たとえば生徒(恐らく低学年だろうが)に読書感想文を書くということを習慣にするためには、毎週書いたものを提出させてシールを貼るということにすれば簡単だ。毎週、シールを貼るということでもモチベーションはあがるらしい。

やる気を出させるための方法としては、作業をゲーム化するのがちょっとしたコツになってくる。時間、期間を区切ったり条件を付けることで目標が見えやすくなる。

サッカーも手を使わないことでゲームになっている。上手な限定はゲームの面白さを増してくる。やや関係ないが、サッカーに比べると野球のルールはかなり複雑にできている。そんなところもなかなか世界に広まっていかない理由だろうか。

目標設定ということを考えれば、会社の営業部門を想像すれば分かりやすい。その部門で設定された予算をクリアーできれば、その後のボーナスにも反映されるだろうし、それが継続すれば出世にもつながるかもしれない。つまりそれが、ごほうびとも考えられる。

やってもやらなくても同じことなら、モチベーションはどんどん下がってしまうことだろう。仕事ではあらかじめ期間や目標予算は決められている。これが限定ともいえる部分だろう。もし自分なりにそれをゲーム化して進められるなら、時間が過ぎるのが早いかもしれない・・・な。

学校というのは、幸い何の苦労もせずに、はじめから客がいてくれる。

2009年04月22日 | Weblog
「教育力」齋藤孝著より。

いきなりこの部分だけを取り上げてみると、実に面白いことを言っているように思えてくる。それは生徒(学生)のことを客という表現でとらえているからだ。

生徒が客なら教師はここでは演技者ということになる。つまり舞台にたつ役者とも言えよう。確かに演劇を考えれば、常にライブだ。客席の観客に満足してもらわねばならない。

生徒は授業料というお金を払って学びに来ているとも考えられる。しかし、学校の場合は楽しくなくても、ほとんど義務でその授業時間を過ごさねばならない。退屈でも次の時間にはお客(生徒)は入ってくれる。

同じライブでも一般の演劇ではそうはいかない。小さな演劇集団なら自分たちの手でチケットを売りさばかねばならない。期間の日数分だけ、また会場が大きくなるほどそのノルマは大きくなる。

そして、その舞台の芝居がつまらなければ、お客には途中でも帰ってしまう権利はある。さらには、いかにつまらないかをクチコミしてしまうかもしれない。

しかし、同じ教える立場とは言っても予備校の場合は、そこにいかに実力のある人気講師がいるかも繁盛する要素だろう。もちろん高額なサラリーを得られるカリスマと呼ばれる講師はごく一部だろうが。

その点、学校の教師は、幸い何の苦労もせずに、はじめから客がいてくれる、となるわけだ。そう考えれば、ある意味恵まれているとはいえまいか。とはいっても、実際は授業で科目を教えるより生徒指導のほうが負担が大きいかもしれないが。

メンテナンスという戦いが終わるまで・・・

2009年04月21日 | Weblog
gooのブログページ2009.4.21付けより。

今朝gooのブログを覗いてみたらメンテナンス中だった。そこには数時間のサービス停止報告ほか、ちょっと興味深いサイトの紹介があった。そこにあった上記フレーズがしゃれている!

メンテナンスや自宅のパソコンのトラブル自体は確かに戦いだなぁ~と思った次第。でも、こんな遊びがあると思わず試してみたくなってしまった。そこには次のように書かれていた。

「メンテナンスという戦いが終わるまで話題沸騰中レッドクリフPartIIの世界に皆さんをご招待!!名前と血液型を入れて判定をクリックするだけでカンタン診断!!
レッドクリフPartIIセリフメーカーあなたにおすすめの名セリフを名チェック!!」


ちょっとの時間が遊べるかも。適当な名前と血液型を入れてクリックするだけ。とくにレッドクリフPartIIは4月11日に観ていたので興味があった。この遊びで、いろいろと打ち込んで試してみて、そのセリフの一部を思い出して見た次第。

ご参考のためにURLは下記。よかったらお試しを。
http://maker.goo.ne.jp/works/play/maker/1387

蛇足
「あなたにとって大切なもの診断」というのもあった。

自分なりの締め切り設定が「仕事のエンジン」になる。

2009年04月20日 | Weblog
「明日できることは、今日しない!」小石雄一著より。

この本のサブタイトルは“割り切れば人生はこんなに楽しい”、とつけられていた。実はその割り切るまでにはちょっとした努力も必要な感じがするが。

さて、タイトルにあるように、与えられた期限とは別に自分なりの締め切りを(当然ながら早めに)設定してそれに向かってやると、あとの仕事に余裕ができて楽になるということだった。その期間をどれくらいに設定できるかが問題だし、自分に厳しくなければならないだろう。

要するに「100点満点」を目指さずに「80点でいいや」と割り切っていこうということでもあった。しかし、程よい緊張感をもってやることは必要だ。「私的締切り習慣」を身につけるまでは努力が必要だろう。

ゴールまでの期間が長すぎると途中でだらけやすいもの。そこで、筆者は「締め切りの細切れ設定が仕事エンジンを高性能にする」と述べている。

そのメリットは集中力が高まる、効率化できる、余裕が生まれる、などだった。仕事はできるだけラクして、結果を残したいものだなぁ~

フランスではどの街にもマルシェ(市場)があって・・・

2009年04月19日 | Weblog
朝日新聞のホームページ「どらく」2009.4.17より。

今、来日中のミッシェル・トロワグロ氏のインタビュー記事があった。メゾン・トロワグロは40年以上もフランスの三ツ星レストランだ。それはかなり凄いことだった。この店はロアンヌという小さな地方都市にある。

フランスではどの街にもマルシェ(市場)があって、5分も行ったらそこで新鮮なものが買える。したがって、ほとんどの食材は近郊で揃えるようにしているという。しかも、野生の食材も積極的に利用しているた。たとえば、近くの野山で野生のタンポポを摘んだり、キイチゴ、ハーブなども採れるようだ。

高級レストランがある地元にそんな環境があること自体素晴らしい。散歩に来る人は気づいてないだけで、道端に宝物は転がっているという。なるほど、見る目がある人には自然の中の素晴らしい食材が見抜けるということだろう。また、そんな自然のものから新たなレシピのアイデアを見つけるのかもしれない。

そんな地方の料理を世界中の人が食べに来てくれるのが、このトロワグロのレストランだったのだ。とくに人生の晴れの日、結婚記念日や誕生日に来てくれるお客さんが絶えないらしい。フランスではレストランが地方経済を活性化しているともいえるようだ。

そういえば、数年前に新宿にある、ハイアットリージェンシー東京でお見かけしたことがあった。また2006年にはそのホテルにレストランをオープンしていた。また入ったことはないが、いずれ行けたらいいのだが。

私がこのブランドのものを口にできたのは、お歳暮やお中元時などにトロワグログルメのセットを送っていただいた時ぐらいだった・・・かも。

下記はトロワグロのHP
http://www.troisgros.com/japon/v-jap.htm

http://www.cuisinesmicheltroisgros.com/

砂漠でオアシスを求めるように、生徒は余談を待っている。

2009年04月18日 | Weblog
「教育力」齋藤孝著より。

先生が教室に入るなり、ほとんど前置きもなく授業を始めたりするとなんだか気分が滅入ったりしたものだった。生徒は余談、雑談が好きなもの。ナルホド余談は砂漠のオアシスとはぴったりかもしれない。

教科書に入る前や途中で何らかの雑談があると、その先生には余裕が感じられたものだった。落語でいうマクラのようなものだろう。一流の落語家はそのマクラでその日のお客さんのレベルやノリを感じ取るらしい。そして、話の内容も変えられるという。

教師とは言ってもさまざまなレベルがあることは、生徒の側も感じ取ってしまう。その教師の授業の進め方が上手かどうかで、その教科への関心も変わってくるものでもあるし。

高校時代の国語の教師は確かに授業の何分の一かは必ず余談をしてくれたものだった。それが面白くてためになり、ノートに書いていたものだった。その後その内容はすべて忘れてしまったが。教科の授業よりもむしろその方が勉強になったかも。

よくトップセールスマンは雑談力があるとも言われている。それはいきなり商売の話に入らない、ということでもあろう。まずは、いいコミュニケーションを築きあげ、信頼を得られてから商談に入るからに違いない。

生徒が待っている余談にどれだけ答えられる教師がいるだろうか。当然興味深い話をするためには、教師自身がいろいろと幅広く勉強していなければ、できないことだろう・・・な。

素質と関係なく、技を丹念に磨けば誰もが一流になれる・・・

2009年04月17日 | Weblog
「教育力」齋藤孝著より。

ここでは、対談した柔道の野村忠宏選手を例に取り上げていた。野村選手は少年時代市の大会で女の子に負けたという。体が小さすぎて勝てなかったようだ。中学、高校になっても全く勝てなかった。

しかし、そんな時代でもずっと、技は切れると思っていたようだ。基本はできているが、ただパワーがないだけだった。だから時期がくれば必ずトップに立てると確信していたという。勝ち負けには経験や体力差などいろいろな要素が含まれる。

彼の向上心を支えたものは、きっちりした技を身につけておけば、絶対に一流になれるということだったようだ。常に技を磨き続け、その結果として五輪で三連覇という偉業を達成できたのだ。

あらゆる相手の技に対して、必ず反応できる体も技であったのだ。それを20年をかけてつくってきたのだった。その自信があるからこそ、試合本番ではリラックスしてのぞめるようだ。

さて、自分を振り返ってみて、仕事の中で人にないどんな技をもっているだろうか、また磨き続けているだろうか・・・とふと考えてしまった。

いい教育は人生の祝祭になるし、悪い教育は公害になる。

2009年04月16日 | Weblog
「教育力」齋藤孝著より。

いきなりかなりインパクトのあるフレーズに出くわした。実際に教育の現場にいるだけに実感としてそう感じているのだろう。齋藤氏は大学の教職課程で、教員志望者に授業をしている。そんな立場からの意見だから説得力もある。もし、これを一般人がいっても誰も納得しないかもしれない。

教育力とはいっても、すべてが教師向けの話ではないとも受け取れる。親子の間でも教育はある。会社に入れば一般的には新入社員教育が施されるだろう。別に一か所に集まらなくても現場でのマンツーマンの教育もある。

こう考えれば、学校時代の教室で行なわれる以外の方が多いかもしれない。もちろん教師自身も新人のうちは教育される立場だろう。そこで大事なのは教師自身が学び続けることだと齋藤氏は述べている。

教える相手がいるからこそ、学ぶ意欲が持続するという良さもあると指摘している。なるほど、これは一般の仕事に置き換えてみれば、買うお客さんがいるから、商売も継続できるとも考えられる。また身近なところでは、読んでくれる誰かがいるからブログも継続できるとも言えそうだ。

教師は単に教え方を知ってるだけでは、十分ではなかったのだ。しかも教える立場の人は最低限読書の習慣は必要だという。つまり教えることの専門家であると同時に、学ぶことの専門家であらねばならないと主張する。

また学ぶことのプロフェショナルであるからこそ、教える側に立つことができる、と似たような表現で繰り返し述べていた。教育者だからこその実に熱いメッセージだとも感じられる。