ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

グーグルが登場してから、私は検索エンジンに対する否定的な考えを改めた。

2009年07月31日 | Weblog
「アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。

この“私”とは野口氏自身のことだ。かつては検索しても重要でないものが上位にきてしまい、探す手間暇が大変だったということだろう。以前NTTも開発に携わったある検索エンジンでも「NTT」と入力しても、NTTの本社を探すことができなかったという。

野口氏はこれでは役に立たないので「自分のことを探し出せないのは何たること」とあるところに書いたらしい。しかし、今ではNTTの公式ホームページがトップに表示されるようになったようだ。

一般的な言葉では、サイトが膨大な数になるため、関連の言葉が数10万件になってしまえば、使いものにならない。そこで、グーグルでは「リンク数(他のサイトで引用される回数)の多い順に並べる」という方法を採用して、この問題を解決していた。

実際、検索して読み始めるのははじめの方にリストアップされた項目だけだろう。それだけ読めばいいいから実に効率的だ。私ももっぱら検索にはグーグルを使用することが多いかな。その中でも特に「I'm Feeling Lucky」はありがたい。

インターネットで不可欠な水先案内人。

2009年07月30日 | Weblog
「アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。

19990年代の半ばに、ジェリー・ヤン(当時26歳)とデビッド・ファイロ(当時28歳)の趣味がビジネスになっていた。そのとき会社名をつけるため、二人はYAで始まる言葉を辞書で調べたのだ。

YAにこだわった理由は、当時のコンピュータ業界では、“Yet Another”(もう一つの)という言葉が新しいソフトの頭文字に使われていたからだった。そして、辞書で「Yahoo」を見つけて、会社名を「Yahoo!」にしたという。

さっそく、手元にある古くて分厚い英語辞書で引いてみると確かに見つかった。「ガリバー旅行記」に登場する人間に似た愚かな動物のことらしい。不作法者ともあった。これはちょっと驚きだった。

ヤフーにしても、グーグルにしてもスタンフォード大学の大学院生が、なかば趣味で行っていたことがその後、世界的なビッグビジネスに発展したものだったのだ。

インターネットは彼らが作り上げた検索エンジンがなければ、実に使いづらいものだったろう。これがインターネットの水先案内人というわけだった。

いつの時代も人が必要とするものを作り上げた人は成功するものだな。たとえそれが個人的な趣味から始まったものでも。

グーグルは、信じられないほどの「超超優良企業」

2009年07月29日 | Weblog
「アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。

グーグルのような企業は日本には存在していない。この会社は1998年にスタンフォード大学の大学院生2人によって作られていた。ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンともに31歳ごろだった。約10年ほど前という若い会社だ。

設立して6年目の2004年時点では、企業の価値は当時ナンバーワンだったゼネラル・モータース(今年破たんした)と比較すると4倍弱で、日本の日立やソニーを大きく上回っていたという。

2004年の従業員数は1628人、GMや日立は23万6000人だった。グーグルの従業員一人当たりの企業価値は、GMや日立の800倍を超えていた。ソニーの200倍以上になる。これだけで十分「超超優良企業」だと感じられる。

株式時価総額は10兆円で、マイクロソフトの15兆円には及ばないが、トヨタ自動車に肩を並べている。ソニー(2兆円)と比較しても5倍になる。

大学院の学生2人によって作られた会社が、10年ほどであっさりとかつて経済を支えてきた歴史の長い日本の会社を抜いてしまったのだ。これからいったいどれくらい発展していくのか実に興味深いところでもあるな。

いつの時代においても、大きな変化が生じたとき、新しい需要が生まれる。

2009年07月28日 | Weblog
「アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。

(前日のつづき)
カリフォルニアでゴールドラッシュが起きたとき、モノばかりでなく輸送、通信も大きなビジネスになっていた。ウェルズ・ファーゴという会社では、輸送、通信手段として当時それまでなかった馬車便によるサービスを提供し始めたのだった。

金を採掘して所得を得た人々は、故郷に送金するための手段がなかったので、このサービスは発展したようだった。1869年に大陸横断鉄道が完成してからは、それほどビジネスは順調ではなかったようだが、鉄道がない場所への駅馬車便サービスは必要だったのだ。

その後この会社は銀行部門だけが残って、ウェルズ・ファーゴ銀行となって残っている。アメリカ有数の銀行で、全米銀行中で時価総額で1位、資産規模で4位、支店数3200、従業員数15万9800人に及ぶという。時代の変化を読んで馬車便から金融にビジネスモデルを変えて、生き延びているのはすごい。

現代はIT情報革命という変化の真っただ中といってもいいだろう。無数のIT関連ビジネスによって、私たちの生活も大いに便利になってきている。20年前までは、ポケットに入るほど小さくて軽い電話で話しながら歩くなどは考えられなかったし。また個人で数件キロも離れた人に携帯電話で一瞬にして文字や写真などの情報(メール)を送れることも想像できなかった。

今後もっと便利で快適なサービスやモノが開発されるだろうが、そのスピードは毎年加速化されているようにも思えてくる。需要は今後の新製品や情報が作っていくといったほうがいいのかもしれないな。出来上ってみて初めてその便利さを痛感するのだろうな。今のケータイのように。

「情報は無料で公開せよ。利益をうるのは別の方法で」

2009年07月27日 | Weblog
「アメリカ型成功者の物語」野口悠紀雄著より。

この本のサブタイトルには“ゴールドラッシュとシリコンバレー”とつけられていた。つまり筆者は150年前に起こったゴールドラッシュの状況でのビジネスモデルと今のIT革命が似通っていると指摘している。

カリフォルニアで起きたゴールドラッシュには、多くの人々が金を堀りに詰めかけた。その一方で、金を掘るための道具を買い占めて独占販売して成功した人もいたのだ。

また、誰もが知っているジーンズもそんな多くの人の要求をかなえる丈夫なズボンを供給するということから生まれてきたのだった。当時その製造特許を共同でとった人物が、リーバイ・ストラウスだった。ということで、金を掘る人が必要なものを供給して成功していたのだ。

インターネットでは情報を有料にしてもなかなか成功しない。むしろヤフーやグーグルなどの検索エンジンのように情報サービスを無料にして、その広告費で費用を回収するビジネスが成功している。これは民放テレビがCM収入で番組を作っているのと同じことだった。

貴重な情報の周辺にはいろいろとビジネスチャンスがあるものだなぁ。でも、大多数はそれをどう実現すればいいかがわからないことも事実だろうな。ほんの一握りの人だけがチャンスをつかんでいるか・・・

パンフレットは、あくまでもプロセス。

2009年07月26日 | Weblog
「サービスを極めよう」中谷彰宏著より。

サービス(または販売)ということを考えた場合、いくら立派なパンフレットを渡されたからといって、それで十分とは思えない。いったいそのどこがポイントなのかが分かりにくい。

ところが、もしポストイット(付箋)などにひと言、お客さんが求めている情報が書かれていれば、読む側は気持ちが楽になるだろう。

私自身、一見完璧に見えるパンフレットこそ不完全なものだなといつも感じている。むしろ、人の手書きのメモがつけられていることで完璧に近くなると考えている。

もし仮に、3つの店から同じ商品、サービスのパンフレットが届いたなら、一番最初に中身を見てみたい(パンフを開けたい)のは、ポストイットに手書きのひと言があるものだろう。

またそこまで気配りがあれば、きっとその後もいいサービスだと想像してしまう。印刷されただけの、キレイなパンフだけでは、その気にはならない。

その人に向けたメッセージがあれば、他よりも優位に立てるかも。要するにそれがサービス精神かな。

「気が変わった」という理由の返品・・・

2009年07月25日 | Weblog
「サービスを極めよう」中谷彰宏著より。

ふつうの会社ではこんな理由ではまず返品を受け付けたりはしないだろうと思われる。むしろ、ふざけるな!ということになるに違いない。お客の側からすれば、商品やサービスをキャンセルする場合に、あれこれと理由を述べるのは気が引けるものだ。

たとえ、気が変わって欲しくなくなったとしても、たまたま同じものが家にもう一つあった、などと言い訳をせねばならない。それも実に面倒なことだ。しかし、この理由の項目がいくつかすでに印刷されていて、あとはただチェックするだけなら、顧客の立場からは気が楽になる。

アメリカはもともと国が広いためか通販が盛んらしい。ある通販会社では返品理由のチェック欄の一番最初に、「気が変わった」というのがきていたという。つまり選択肢の一番上にこの理由を持ってきているところにサービス精神があるということだった。

買ったあとで、気が変わることはあるもの、という前提にたっているのだろう。お客の立場からも、気持よく返品を受け入れてくれたら、次回は必ずこの店(会社)から買おうという気持ちになることは確かだな。

むしろ迷っているとき無理やり納得させようとしたり、強制されたりすると、よけいにその店や会社が嫌になってしまうだろう。気持ちよくキャンセルを受け取ってくれないと、心の中ではもう二度とこんな店には、などと思うもの・・・かも。

香りのようなかすかなサービスをしよう。

2009年07月24日 | Weblog
「サービスを極めよう」中谷彰宏著より。

ここのトピックのタイトルは“サービスはボディーブロー。あるかなきかが大切”となっていた。この本を約5年前に読んだ時もこのトピックが気になったのだ。

しかも、なぜかほかのトピックに比べて筆者も力を入れて書いているようにも思えた次第。というのも、50ほどもあるトピックのうちここだけは6ページを割いていたからだった。ほかはほとんど2ページから4ページほどだった。

ホテルにはたいていBGMが流れていますが、大きすぎると心地よくないもの。じゃまにならないほどの音が耳には心地いい。

温泉ならそこのいい香りが気分を盛り上げてくれますね。それは人工的なトイレの芳香剤とはまったく異なるものだからでしょう。どうしても、強すぎる匂いは逆効果になりますね。たまに電車の中でも強い香水をつけている人がいますが、私など思わずくしゃみが出てしまうことさえあります。

サービスもまさにそれと同じような匂いのようなものだと言います。これがサービスだとはっきりわかるようなものだと、人は敬遠してしまうでしょうね。だからこそ、サービスは香りのように、あるかなきかが大事で、それがやがてボディーブローのように後からじわじわと効いていくるということなのでしょう。

お礼状の書き方で、その人のサービス精神がわかる。

2009年07月23日 | Weblog
「サービスを極めよう」中谷彰宏著より。

実はこの本も二度買いしてしまった本だった。最初に読んだのは2004年の冬頃だった。今回読み進むうちになんだか読んだことがあることに気付いたのだ。この本は文庫だったが、本棚には単行本が並んでいたのだ。

しかも間違って買ってしまったのは、単行本のときとタイトルが変わっていたからでもあった。その時は「あなたのサービスが伝説になる」というタイトルだった。

前置きはこのくらいにして、中谷さんは毎月6冊も本を書いているという。作家にしてもかなり多い。だから、「いつそんな時間があるのですか?」とよく聞かれるらしい。しかし、驚いたのは、その本を書いている時間よりもお礼状を書いている時間のほうが圧倒的に多いと述べてたからだった。

本業の仕事よりお礼状に費やす時間のほうが長い、などという人がいること自体びっくりしてしまう。お礼状を書けることは幸せだという。それはそれだけ人から嬉しいことをされているからでもあったのだ。感謝できるほどのことがあるなんて確かに幸せなことだろう。

ここで問題なのはお礼状の書き方だった。中谷氏自身本をプレゼントしたあとで、お礼状をもらうことがあるが、そのどれもが「大変参考になりました。これからも頑張りたいと思います」というような、抽象的なものばかりで淋しいという。

やはりお礼状は、自分だけの言葉で具体的に書いてほしいというのが本音のようだ。誰にでも通用するようなお礼の言葉はやはり相手の心には届かないだろう。と言いながらも万人に共通するような言葉しか書けない私は、反省せねば・・・な。

向かい風をつかまえているときはすごいチャンス・・・

2009年07月22日 | Weblog
ホームページ「どらく」(2009.7.18)より。

(前日のつづき)
この人(谷村新司)だからこそ、言えることだろうな、と思ったのがこの部分だった。というよりも最近は不況のせいか、しばしば似たような言葉を見たり聞いたりするようになった。

書店に行っても「ピンチはチャンス」のようなタイトルの本もある。また“人生に失敗はない、それがあるからこそ見えてくるものがある”などと言われれば実にカッコよく聞こえてくる。これらはすでに成功している人の言葉だろう。

谷村氏は表現者らしく、さらにカッコよく次のように語っている。「向かい風だからこそ、飛行機も凧も高く上がっていける。・・・」と。

しかし、その風だって程度次第だろう。もし台風のような大風なら当然ながら飛行は中止されるし、凧も上がらない。つまりは、そこそこ自分が克服できる程度の逆風ならば、という条件付きだとわかる。

私などむしろ、向かい風よりも、無風状態、または追い風を祈っているばかり・・・結局祈っても風は吹いてこない・・だからダメなんだろなぁ~

僕らが学んできたことの大半が「HOW」・・・

2009年07月21日 | Weblog
ホームページ「どらく」(2009.7.18)より。

谷村新司さんは、昨年60歳になって初めて小説「昴」を書いていた。そして、今年は2冊目「階」を書いたという。そこでのキーワードに「HOW」と「WHY」があるらしい。

確かに振り返れば、「なぜ?」よりも、手っとり早く、「どうすれば」、などの方法を手に入れたいと思うことの方が多かったかもしれない。物事のちょっとしたノウハウさえつかめれば、うまくいくだろうと考えたりするもの。

しかし、秘訣やノウハウはそうそう簡単につかめるものではないだろう。他人がそれでうまくいったからと言って、自分もうまくいくとは限らない。ほとんど失敗するのではないだろうか。

たとえば、はじめブログは“どうやって”書いたらいいのだろう、と考えたりしていた。はたして続けられるだろかとも思っていた。つまりそれは「HOW」だったのだ。

そこで、「WHY」を持ち出してみると面白い。いったいなぜブログを書いているのだろうと。結局それは、自分が面白いと思っていたからだとわかる。もし、つまらなければもうとっくに辞めていただろうし。

幼い子どものときほど、なぜ?どうして?を連発していたもの。それにどう答えをもらったり、していたのだろうか。大人になるにつれて、どういうわけか知ったかぶりをしたがるようになってしまうものだなぁ~(私のことですが)。

一時停止ボタンを解除すれば、・・・

2009年07月20日 | Weblog
ホームページ「どらく」(2009.7.18)より。

この週の“ひとインタビュー”のコーナーでは谷村新司さんが答えていた。なんと28年ぶりにアリスとしての全国ツアーを今月から開始するという。この中で「実はアリスは一度も解散するとは言ってない」と語っていたのだった。

28年も活動してないのだから、もうとっくに解散しているのかと思っていたが、それは一時停止のボタンを押すように活動を停止していたのだった。

つまり今度のアリスとしての活動は再結成ではなく、活動の再開で、“一時停止のボタンを解除すれば、また自然に動き出せる”ということだった。もちろんそれだけのパワーをもったグループだからこそできるとも言える。

この“一時停止ボタンの解除”という考え方は応用ができそうだ。何らかの理由で長年中断していた趣味や運動や勉強もまたある時期から再開できる言い訳にもなりそうだ。(でも、それが禁煙の場合は解除しない方がいいかも・・・)

ということは、それなりに再開できるだけのパワーをふだんから蓄えておくということが前提になるだろうが・・・、実はそれにはちょっと努力を要するかな。

出会いが作品の有無を決定する。

2009年07月19日 | Weblog
「作家とは何か」森村誠一著より。

森村さんには、自分はこれを描き、伝えるために生まれてきたといえる作品があったと語る。そんな情熱を呼び起こす作品とは「悪魔の飽食」だった。

これは小説ではなく、関東軍七三一部隊の生体実験のドキュメントだった。私も数十年前に読んだことはある。しかも、これは取材インタビューによって、リアルな証言を得られたからこそ書けた作品だったようだ。

それ以前は七三一部隊の全貌はほとんど歴史の闇に閉ざされていたのだ。人との出会い、インタビュー、現地調査により出来ていた。しかも、いろいろな困難のなか三部作を仕上げていたのだ。作家の根性というほかないだろう。ここではテーマとの出会いがあったということらしい。

また、「人間の証明」では2つの出会いがあったからこそ、書きあげられたと語る。その一つは学生時代に群馬県の霧積温泉を訪れたとき、弁当の包み紙に「母さん、ぼくのあの帽子、どうしたでせうね」の麦わら帽子の詩が刷られていたことだった。

もう一つは、角川春樹氏から、「作家の証明となるような作品を書いてください」と言われたからだったと振り返る。それまでは、小説は一人で書くものを思っていたが、一人の仕事である小説も出会いによって生まれることを知ったという。

また私たちは人間以外にもいろいろな芸術、小説、植物、自然、芸術、土地・・・との出会いによって人生が変わっていくことになるのだろうな。今後ともいい出会いに期待したいもの。

インターネットは資料の宝庫ではあるが、同時にだれでも無責任に発信できる・・・

2009年07月18日 | Weblog
「作家とは何か」森村誠一著より。

これは作家の取材力について書かれていた部分にあったフレーズで、このあとには「~鵜呑みにするのは危険である」と続いていた。確かにそれは言えそうだ。とくにブログなどは個人的な意見で書かれているものが多いため、一般の私たちも注意をする必要があるだろう。

作家の能力の一つに取材力があるだろう。そして、取材には1、文献渉猟。2、現地取材。3、インタビューがあるという。

「渉猟」とはあまり聞きなれない言葉だが、ウェブの辞書では「 広い範囲を捜し求めること。また、たくさんの書物をあさり読むこと。」とある。また、手元の辞書にも「1、広くあさり歩くこと。2、たくさんの本を読みあさること」とあった。これで、ウェブの辞書も間違いでないことがわかる。

いずれにしても、ネットの情報はあくまでも補助手段として利用する方がよさそうだ。とはいっても、一般人にとっては、書くことを職業としているわけではないので、大体のことがわかるだけでも便利な手段でもあるかな。

鏡は決してオシャレのための道具ではない。

2009年07月17日 | Weblog

ホームページ「日経ワガマガ」2009.7.14付より。

(さらに前日のつづき)
ここの小さな見出しには「男も手鏡を携帯しよう」とあった。もちろんあれば便利だろうが、いまだかつて持ち歩いたことなどない。少しでも余分なものは持ちたくはないと思うからでもあった。

鏡は女性が持ち歩くものだという先入観があった。女性は電車やバスの中でも朝から手鏡を眺めて化粧などしている。これはきっとオシャレのためだろう。

しかし、「男も手鏡を携帯しよう」というのは、身だしなみには必需品だからだったのだ。そういえば、朝鏡を見るのは髭そりと整髪時程度かな。朝ネクタイを締めたあとには鏡を見ないことが多いので、あとで曲がっていたことに気がつくこともあるな。

また、猛暑の日にはワイシャツが汗で染みていることも多いだろうし。食後の口元も見てはいない。本当はいろいろとチェックしなければならないのかもしれない。

手のひらにすっぽり入る薄いカードサイズで、財布や名刺入れにも入るような小さい鏡があるらしいが、まだそんなものは見たことはないなぁ。あればおじさんにも便利そうだが・・・。