ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

自然界には、・・・まるでアートのような造形物がある。

2013年08月31日 | Weblog
自然界には、・・・まるでアートのような造形物がある。

「超思考」北野武著より。

たまたまこのフレーズが気になったのは、最近デジカメを持って近所の植物の写真などを撮り始めたからだった。まず、上記フレーズの“・・・”の部分には次のような言葉が入っていた。

“蟻塚だのスズメバチの巣だの、蟻や蜂はちっともそんなことを考えて作っているわけじゃないのに、”とあった。ついでに私は、クモの巣も実にきれいに上手くできているものだと感心してしまう。

そこに雨粒がついて光っているとまたきれいなものだ。6月ごろ自宅のガクアジサイの花の中身を接写してみたら、まるでアートに思えた次第。

北野氏はしばしば映画の中で自作の絵画を使用しているが、実に素晴らしいアートだ。それらは氏が作品を作ろうと考えたものではなくて、自分が描きたいように描いているだけだという。

つまり迎合しないからこそ純粋にいい作品ができるのかもしれない。これからも自然界にあるアートのように見える造形物に気づいてみたいものだ。


何か途轍もないことをやりとげたスポーツ選手に、人は感動する。

2013年08月30日 | Weblog
何か途轍もないことをやりとげたスポーツ選手に、人は感動する。

「超思考」北野武著より。

つい数日前のことでいえば、メジャーで活躍するイチロー選手が日米通算で4000本安打を達成したことが思い出される。長いメジャーの歴史でもそれまで2人しか達成していない記録だ。

もちろんメジャーだけの記録でなないから参考記録ということになるのだろうが。本当にすごいのはメジャーリーグだけで10年連続で200安打以上を達成したことかもしれない。

いずれにしても、後者の記録は誰も達成することができなかった大記録に違いない。これにはメジャーの選手誰もが脱帽することだろう。当然ながら人々に感動を与えてくれた。

途轍もないことは、別にスポーツの世界だけのものではない。舞台公演での連続出演もすごい記録ではある。それだけ多くの大衆に支持されている証拠でもあるからだ。自分のなかでもそんなものが持てたらいいのだが。


不調な時ほど、ちがうところから吸収していくことで活路が開ける。

2013年08月29日 | Weblog
不調な時ほど、ちがうところから吸収していくことで活路が開ける。

「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

たとえば、レストラン業界で仕事をしている人は、レストラン業界だけから学ぼうとしていると、筆者は指摘している。同じようなことが、べつの業界にもいえるのだろう。

つまり行き詰ってしまうと、同業者だけから何かをつかみ取ろうとしてしまうようだ。それよりむしろ別の業界からの方が新しいヒントをつかめるものだという。それは頷ける。

ほかでやっているサービスを別のところでも活かせることは多い。日常のすべてからヒントを得ようとすればいいだけのことだった。

もし調子が悪くなったら、別のところからヒントを得るチャンスだと考えればいいのだ。視野は広く持つほど、可能性も拡がると言えそうだ。


一見地味な仕事が、感性を磨くチャンスになる。

2013年08月28日 | Weblog
一見地味な仕事が、感性を磨くチャンスになる。
「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

かなり以前から、感性という言葉はよく聞かれるようになってきた。その感性は、意外にも単調な仕事で磨いていくものだという。

花形の職場は感性を発揮する場であって、感性を磨く場所ではなかったのだ。むしろ雑用をしっかりやることで感性は磨かれるようだ。

筆者はクリエイティブでないものをクリエイティブにするほうが、より感性が求められると指摘している。なるほどと思える。

誰もができることで差をつけることは難しい。しかし、感性が磨かれていれば差がつく。だからこそ地味な仕事は感性を磨くチャンスだと捉えるべきなのだろう。

地味なことをこつこつとやっているうちに、ある時ちょっとしたアイデアがひらめく時がある。探していた何かは意外に身近になるのかもしれない。


みんなと同じようにやっていたのでは、伸びない。

2013年08月27日 | Weblog
みんなと同じようにやっていたのでは、伸びない。

「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

ふつう、みんなと同じようにやってるのに、なぜ伸びないのだろうとおもったりするかもしれない。しかし、それは甘い考えだったのだ。

伸びていく人は、人一倍頑張っているようだ。みんなと同じように、ということは与えられた宿題をこなしているに過ぎないことだった。そう考えると実にわかりやすい。

言われたことだけをやっていては、それ以上伸びようがない。学校ではそれで正解でも、社会に出てからは、そこからいかにプラスアルファがあるかがポイントだった。

100点は、社会では100点ではなった。プラスアルファができて初めて100点になるというが、それも納得できそうだ。みんながやってないことを工夫して、どれだけやっているかを考えるべきだろう。


技はテクニックではなく、「アート(芸術)」・・・

2013年08月26日 | Weblog
技はテクニックではなく、「アート(芸術)」・・・
編集「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

ふつ技イコール、テクニックと思ってしまう。しかしそうではないらしい。英語の辞書でARTを引いてみれば、そこには、芸術、美術の他に技術、技能、技巧、熟練なども出ている。

だから技=芸術ともいえるのだろう。技は場数を踏んで練習すれば、確実に上達するものだった。技がなくてもできるようにするのが、マニュアルだった。

マニュアルをはるかに超えたところにあるのが技であるようにも思える。どんなことも技のつもりでやれば上達するのだろう。

いつもしている仕事も技でもあった。技には上達も、稽古も、スランプもつきものだった。技は単に習いごとのようなものだけにあるのではなかったのだな。


演芸というツクリモノとスポーツの違い。

2013年08月25日 | Weblog
演芸というツクリモノとスポーツの違い。

「超思考」北野武著より。

これは「人知の及ぶ範囲」という章の中での小タイトルだった。かつて漫才ブームというのがあって、ツービートもそのブームの影響で売れたコンビだった。しかし、北野氏は飽きられないように必死だったと振り返る。

どんな人気者もいつかは飽きられてしまう。しかし、それほど漫才に執着しなかったことがその後の活躍にもつながっているようだ。無理してしがみつかないことも時には大事なことのようだ。またそれだけの実力を蓄えていたとも言える。

自身の言葉では「人気者になってテレビに出れば出るほど、飽きられるのが俺たち芸人の宿命なのだ」という。そこで大事なのは、飽きられないようにネタを作り続けることだった。ネタ作りができなければ消えていくしかない。

芸人はツクリモノで勝負しているが、スポーツのような真剣勝負にはかなわないと感じていたようだ。スポーツは真剣勝負そのものが、エンターテイメントになっている。そこが強い。もちろん実力が伴ってのことだろうが。


眠っている才能なんてものはない。

2013年08月24日 | Weblog
眠っている才能なんてものはない。

「超思考」北野武著より。

才能はあるかないかのどっちかだ、と北野氏はいう。探しているのは、むしろやりたい仕事より、楽して稼げる仕事なのではないかと指摘している。なるほどこれはわかりやすい表現でもある。

自分の才能を生かせる仕事に就きたい、というのもよほど余裕があるからかもしれない。その前にどんな仕事でも仕事にありつけるかどうかの問題が先だろう。

北野氏の経験からは、「仕事の面白さとか、やりがいというものは、何年も辛抱して続けて、ようやく見つかるかどうかというものだろう」と話している。

最初から簡単に要領がわかってできたら、仕事の満足度も少ないだろう。やりがいは自分の苦労に伴って得られるとも言えそうだ。誰でもが簡単にできることなら自分の存在価値もないことになってしまう。


夢を売る商売は、永遠に廃れない。

2013年08月23日 | Weblog
夢を売る商売は、永遠に廃れない。

「超思考」北野武著より。

ここで引き合いに出されていたのは、昔アメリカであったゴールドラッシュのことだった。金が出たという話が広まって、大量の人が集まって街までできてしまったという。

ところが、その押し寄せた全員が金持ちになったわけでもないようだ。そんな噂が流れてきた時点でもうピークは過ぎているのだろう。これは株式相場でも似ていそうだ。

マスコミを通じて一般に情報が流れた時点でもう下降線をたどっているのだろう。砂金を探すより、そこに集まった人に向けて商売を始めた人の方が儲かったのだ。確かジーンズもそうだったはず。

今では金のうわさは通用しないだだろうが、似たように夢を売る商売はあった。「あなたの中に眠っている才能」「あなたが本当にやりたい仕事」「やりがいのある仕事」などもそうらしい。北野氏はそれらは幻だというが、きっとそうだろうな。


芸能の世界も、いつの間にか家電メーカーのようなことになっている。

2013年08月22日 | Weblog
芸能の世界も、いつの間にか家電メーカーのようなことになっている。

「超思考」北野武著より。

その心は、新製品を次々と売り出して、旬が過ぎた旧型は使い捨てにするということのようだ。長持ちされたら、新製品が売れなくなってしまうからだった。

同様なことが歌手やお笑い芸人にも言えるらしい。北野氏によれば、昔の芸人は芸を売ったものだが、今の芸人はキャラクターを切り売りさせられているという。

芸人になりたい人は日本中にいくらでもいる。テレビに出られるならどんなことでもするのだろう。しかし、キャラクターはすぐにすり切れて飽きられて、使い捨てになってしまう。

若手にすれば、長い年月をかけて芸を磨かなくても、ちょっとしたキャラクターだけで人気者になることができる。しかし、視聴者はいつまでも同じ芸を見たくもないものだ。

もう一つ気になったのが、「テレビという装置が、流れ作業の機械のように芸人を大量生産するようになった」だった。実にこれは厳しい現実でもあるな。テレビが芸を育ててくれるわけではなかった。


説得に重要なのは「共感してもらう」こと。

2013年08月21日 | Weblog
説得に重要なのは「共感してもらう」こと。

『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。

説得というとややいやな感じがするものだ。無理やりわからせるというようなイメージもある。しかし、それでは本当に話を相手に受け入れてもらえるかどうかは疑問だ。

むしろ、相手と一緒に考えていくということも必要なようだ。齋藤氏はこれをわざと「?」という穴をくつって、そこをアイデアで埋める作業に携わってもらう、と表現していた。

これは一般的なプレゼンやコミュニケーションについても同じことが言えそうだ。つまり問いで相手の興味・関心を惹いて一緒に考えて解を導き出すということだった。

そして、当初想定した結論通りに誘導できればベストなのだろう。だから、ある意味「コミュニケーションは問いから始まる」と決めてかかったほうがいいようだ。練習してみたいものだ。


活字の中に手書きの部分があれば、必然的に目立つし、“熱さ”も伝わる。

2013年08月20日 | Weblog
活字の中に手書きの部分があれば、必然的に目立つし、“熱さ”も伝わる。
『一瞬で伝える「わかりやすさ」の技術』齋藤孝著より。

仕事ではしばしば資料が必要なことが多い。しかし、そこにびっしりと活字ばかりだと、すぐには内容やポイントがつかみづらい。手にしただけでうんざりしてしまうものだ。

しかし、そこに手書きでここが重要だとわかるようにマークしてあれば、理解の助けになる。またレイアウトや図があれば、理解しやすいものだが、美しいだけで伝えられるとは限らない。

何を訴えたいのかを明確にするためには、むしろアナログのほうがいいこともある。活字だけでは、見やすくても作成者の主体性も熱も感じられないというが、以前からその通りだと思っていた。

私自身かなり前から、“一見完璧に見えるものほど不完全”だと考えていた。たとえば、パンフレットが一枚あったとして、それだけでは何がポイントなのかは分かりづらい。

むしろ、マーカーや丸で囲んであれば、注目してもらえるものだ。時間をかけずに伝えるためには、やはりキーワードをアナログでわかりやすく表現することかもしれない。


上達はたんに時間や努力の量だけでは達成できない。

2013年08月19日 | Weblog
上達はたんに時間や努力の量だけでは達成できない。

「上達の法則」岡本浩一著より。

上達は、意外にちょっとしたきっかけがヒントになる場合もありそうだ。後から考えれば、なんだそんなことだったのか、というようなことも、迷っている時はわからないものだ。

師からのアドバイスや偶然接した風景や偶然耳にした言葉が機縁となることが多いらしい。よく言われるコツというようなものがつかめるまでは、それなりに苦労も伴う。

筆者は経験から、「技能に自分なりの洞察を持ち、その洞察に基づいて、自分独自に工夫したトレーニング法が、みごとに実るという経験をひとりでも多くの方にしていただきたい」と述べていた。

また上達していく過程での出会いも人生のロマンの一つらしい。筆者は最後の部分で「上達への思いは、人との奇縁をも豊かに人生にもたらしてくれる」と語っていたのが印象的だ。


睡眠は頭のなかを整理する貴重な時間である。

2013年08月18日 | Weblog
睡眠は頭のなかを整理する貴重な時間である。

「上達の法則」岡本浩一著より。

これもまた、“上達を極める10のステップ”のなかの一つで気になったフレーズだった。もちろん、上級者に向けたことだが、“なにもしない時期を活かす”ということらしい。

筆者の体験が述べられていた。子どもの頃、父親からピアノを教えられていて、夜寝る時間までにどうしても弾けるようにならないフレーズがあったそうだ。

そんな時、父親は「朝起きてすぐ弾いてみなさい」と言って寝かしつけたという。そして、朝一番に弾いてみると、あれほどつまって引っかかったのが、嘘のようにすんなりと弾けた経験が何度もあるそうだ。

たとえば、スランプに差し掛かったときも、思い切ってなにもしない時期を作るもの上級者の特徴らしい。行き詰ったらしばらく頭を冷やすほうが効果的だというのと似ていそうだな。


妥当な範囲で少しは贅沢を楽しむのが、上達のためにはよい・・・

2013年08月17日 | Weblog
妥当な範囲で少しは贅沢を楽しむのが、上達のためにはよい・・・

「上達の法則」岡本浩一著より。

これは「上級者になる特訓法」という最後の第六章の中で“上達を極める10のステップ”という部分で目にしたフレーズだった。まあ、いずれにしてもそのレベルまでいった人には有益なのだろう。

その一つが、“少し高い買い物をする”だった。実にシンプルでわかりやすい。初心者から中級者まではそこそこの道具でもいいかもしれないが、やはりある程度本格的にやるなら、よいものを揃えたほうがいいようだ。

よい道具は値段も高くなる。だからこそ、また頑張ろうという気になればしめたものだ。だから、ある意味それは無駄な買い物ではなくなるとも言える。

古いことわざには、弘法は筆を選ばずというものあったが、実際には上達は道具に左右されることも事実だろう。写真も上手になろうと思えば、一眼レフの方がより技術が上達するようだ。

同様なことがテニス、ゴルフ・・・にも言える。ポイントは「妥当な範囲で」というところかもしれない。自分の技能にあった程度のもので無理しても意味はなくなるのだろう。