ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

営業の仕事は知的ワークと仕掛けの工夫で成り立っている。

2010年04月30日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

以前は営業と言えば、根性、熱意、体力勝負で、いかに顧客を説得するかが実績につながっていたものだった。顧客を口説き落とすなどという言葉も聞かれた。またそれができる営業マンは「販売のプロ」だと言われていたものだ。

いまではむしろ、いかに高いコンサルティングの力があるかのほうが問われているようだ。顧客満足をどれだけ与えられるかが実績に影響してくる。つまりふだんからのいいコミュニケーションができているかどうかも当然問われているのだろう。

営業は「仕掛ける」仕事だと言われている。自ら仕掛けない限りは数字には跳ね返ってこない。むしろその仕掛け自体を楽しめる状態なら、きっと結果もそれなりに期待できそうだ。

どんな仕事も言われたままやっているだけでは、面白味もでてこない。そこにいかに自分なりの味付けをして相手に伝えられるかではないだろうか。誰がやっても同じ結果なら張りあいもない。

要するにタイトルにあげた「知的ワークと仕掛けの工夫」を心がけてこそ、その人らしい営業ができるのだろう。もちろんはじめにあげた根性、熱意、体力、それにスピード感なども当然ながら必要だろうが。

言い訳して例外を作るのはやめようと思っている。

2010年04月29日 | Weblog
「朝日新聞」2010.4.25付けより。

“朝日求人”の「仕事力」というコーナーで、黒柳徹子さんが語っていたことだった。彼女はいつも多忙だという。だからスポーツジムに通う時間もないくらいだった。

しかし、そんな中でも今の状態を保つためには何かをしなければならないと考えていた。そこで、継続的にやっていることがあった。それはジャイアント馬場さんに教えてもらったスクワットだった。これは毎日やっているという。

またウォーキングもやっているようだ。停電で暗でもスクワットをやっていたら、驚かれたという。つまりそれくらい例外なくやることは必要だといいたかったのだろう。言い訳をして止めるのは簡単なことだが、そんな例外を作らないように努力しているのがすごい。

また、テンポのある生き生きとした自分で仕事をするために、35年前の自分の番組の仕事ぶりを、現在とどう違うかも確認しているという。それによって番組のテンションを保っているのだろう。だからこそ、日本で初めてのトーク番組「徹子の部屋」は35年以上も続いているに違いない。

準備の果実が「質」・・・

2010年04月28日 | Weblog
「朝日新聞」2010.4.18付けより。

“朝日求人”のインタビュー記事の中で、黒柳徹子さんが述べていたフレーズだった。これはこの日のタイトルにもなっていたが、初めのうちはなんだかピンとこなかった。

記事を何度か読み返し、また実際に「徹子の部屋」を観たあとでようやく理解できるようになってきた。まず、ここには番組制作の過程(裏話のようなもの)までが書かれていた。

なんと月曜、火曜の二日間で3人づつのゲストを招いて収録していたのだ。またそのゲストに関するスタッフとの内合わせは金曜日に5,6人分集中して行っていた。一人のゲストにつきディレクターが一人いて、調べてきたエピソード、資料の説明をしてくれるのだった。

1件(つまり一人あたり)で1時間以上かかり、頭に入れるために自分で作る手書きのメモは12,3枚になるという。打ち合わせ時間は毎週6時間に及ぶようだ。また、ゲストのCD,DVD,著書、なども揃えてくれるようだ。作家ならデビュー作、受賞作、最新作などきっちりと読むという。映画なら出演作品を真剣に見ているそうだ。

実に入念な準備があってこそ、そのゲストに相応しいインタビュー番組ができあがっているのだということがわかる。つまりそれが、準備の果実としての番組の質になっていたのだ。しかし、いくら準備をしたからといって、必ずしも完璧なことばかりではないらしいが。しかし、ポイントは自分作るメモそこが大事なものだと感じた次第。


商品の背景に流れるストーリーを語る・・・

2010年04月27日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

“顧客心理分析”というちょっと難しそうなタイトルがつけられたコーナーがあった。またサブタイトルとしては、“「売り手の怠慢!安ければ売れる」のウソ”、となっていた。

消費者は単に商品が安いだけでは不安や不信感を持ちやすい。しかし、そこにきっちりとしたワケがあるなら納得して買える。時にはなぜそれほど安いのかとふと思ったりするものだが、生産工程で割れてしまったお煎餅にはちゃんとワケがあるので安心して買えるだろう。

迷いそうな時には、消費を正当化するワケの提供は必要だということだった。つまりそれが商品の背景に流れるストーリーというものだった。これを「ワケあり消費」と呼んでいるらしい。

その応用で、富裕層に効果があるのは「ソーシャル消費」だという。それは社会貢献志向の消費だった。例として、アメリカンエキスプレスでは、カード1回使うたびに1セントが自由の女神の修復に寄付されるキャンペーンだった。

キャストが自ら楽しむことでゲストに楽しんでもらう・・・

2010年04月26日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

ここでのキャストとはディズニーランドで働く従業員のことで、またゲストとは当然ながらそこに来場するお客さんだった。「もっとも好きなブランドランキング」のなかで、テーマパークを取り上げていた。

1000人中665人がディズニーリゾートをあげ、圧勝だった。第二位のUSJ(101人)を大きく引き離していた。関東圏は当然ながら、関西圏でもディズニーリゾートのほうが人気が高った。

「ディズニーランドは永遠に完成しない」というのはディズニーの言葉だった。つまり飽きさせないために、アトラクションの新規立ち上げを行って、スクラップ&ビルト、リニューアルを繰り返している。

また、クリスマスやハロウィンなどのイベント企画開発には一年強かけていた。これは潤沢な資本があるからこそ可能なのだろう。一日ではまわりきれないほどの豊富なコンテンツをいつも用意してある。

来場顧客はここに来れば、非日常を楽しめるようになっている。理屈抜きで楽しめるというところがこのテーマパークの何よりの強みなのだろう。その基本はキャスト自らが楽しんでいるからかも。

ディズニーランドで行われているそんな接客、コンテンツ、雰囲気、センス、イベント企画・・・。業種が変わっても、どれもこれも日々の仕事に生かせるヒントがそこにあるかもしれないな。

たった一つの共通項だけで出会うというところ・・・

2010年04月25日 | Weblog
「たんぽぽの日々」俵万智著より。

ここでの共通項とは、「子ども」だった。つまり同じ年に生まれた子どもの母親だったということだ。たまたま同い歳だったからというだけで知り合いになり、コミュニケーションが始まる。

もし、子どもという共通項がなければ、一生出会わなかった関係でもあるのだろう。俵さんはそういう、「たまたま」の出会いがまたおもしろいと感じていた。一緒に買い物に出かけ、ゴハンを食べ、自宅を行き来したりするようになる。

「子ども」と「地域」が共通してくると、話題はいくらでもでてくるようだ。同じような悩みを抱えているかもしれない。また、おしゃべりによってストレス解消というものその効果ともいえそうだ。

子育てでは、母親として先輩になる人もいた。そんな人の意見も参考になるのだろう。子育てという期間限定かもしれないが、子どもが運んできてくれた人間関係を楽しみたいと考えているようだ。

場合によっては、またそこから長い付き合いになるかもしれないし。子育てから人はなにか共通項があると、話が弾みやすいもなのだろう。オヤジたちにはあまり考えられないことだ。いずれにしても、男女とも学生時代に出会った気の合ったの同級生は、最もお気楽な友と言えるだろうな。

ここでの短歌は次のものだった。「子の友のママが私の友となる粘土で作ったサンタのブーツ」。下の句の七七の部分は季節に関係なく、遊びや行事にまつわるようなどんな言葉がきてもいいのだろうが。

夢の木の実。

2010年04月24日 | Weblog
「たんぽぽの日々」俵万智著より。

ここでの短歌は「ドラえもんのいないのび太と思うとき贈りたし君に夢の木の実を」だった。この歌を何の解説もなしに理解するのは難しそうだ。

もしこれをふつうの文章の順番にすれば、「ドラえもんのいない、のび太と思うとき、夢の木の実を、君に贈りたし。」となるのだろう。それはいったいどんな時なのだろうか。

ここにエッセイとしての解説があった。園に通うようになったお子さんは、俵さんに似て人一倍不器用らしく、スモックのボタンをはめるのにかなり時間がかかるようだった。

その幼い息子は「ドラえもんがいたらなあ」と思うらしい。俵さんは、ボタンを上手にはめられるようになることも、子どもにとっては立派な夢だと感じていた。

「なれるように、がんばろう」と思いつづける力は、夢見る力だという。子どもには夢の木が実をつけるように頑張ってほしいと思っている。そんな気持ちを歌ったものだった。

この「夢の木の実」という表現自体は俵さんのオリジナルではなく、師の佐々木信綱の歌からのものだった。ここではそれについても触れていた。

「自分の時間」という宝物・・・

2010年04月23日 | Weblog
「たんぽぽの日々」俵万智著より。

子どもが生まれてからよく「自分の時間がほしくありませんか?」と聞かれたという。俵さんは正直に語っていた。「好きなだけ寝たい」「ゆっくり本が読みたい」「芝居を見にいきたい」「外でお酒を飲みたい」など切りがない。

しかし、もし悪魔が取引にやってきて、「そういう時間をいやというほどあげますから、あなたの子どもをください」と言われたら、答えは即座にNOとなる。これはどんな親だってそうだろう。

自分の時間のつかいみちとして、子どもと過ごすことを選んでいるのだ。後から考えれば、子どもの時期はそれほど長くはない。つまりそれも限られた時間で、「たんぽぽの日々」と考えているようだ。

俵さんは、親しい友人に「仕事はやりがいはあっても、それには代わりをしてくれる人がいる。子どもにとっての母親は世界中で自分だけ。自分にしかできないことという意味では自己実現」だと言ってきたようだ。

さらに、子どもだって成長すれば、自分の自己実現に向かって生きていくということだった。俵さんは、むしろなんてことのない時間を宝物に変えてくれるものが子どもだと気づいている。そうそう、ここでの歌は次のものだった。「自分の時間ほしくないかと問われれば自分の時間をこの子と過ごす」だった。

いつかは、この子も、この綿毛のように飛んでゆく。

2010年04月22日 | Weblog
「たんぽぽの日々」俵万智著より。

この本は、短歌とそれにまつわるエッセイと写真で構成されている。写真はその歌に相応しいものが女性写真家によって撮られている。この本のタイトルは「たんぽぽの日々」でサブタイトルには“俵万智の子育て歌集”とあった。

ここでの短歌は、「たんぽぽの綿毛を吹いてみせてやるいつかはおまえも飛んでゆくから」だった。この歌集のメインテーマになっているものだろう。子どもを育てている過程だからこそ気づくことがある。

これはその代表的なものだ。幼い息子と隅田川ぞいの公園に散歩した時のことを歌っている。春の散歩の時に、綿毛になったたんぽぽを吹いて飛ばしているときに感じたことだった。黄色い花から綿毛に変化して離れていく。飛んでゆくまでの時間は限られている。

たんぽぽの綿毛が子どもたちに見えたのだ。俵さんも自身がたんぽぽの母親と同じだと感じている。今は一緒だが、やがて子どもも、成長して親離れしていく。こんな感情も幼い子どもがいなければ、たんぽぽの綿毛を見てもきっと気づかなかったに違いない。

味、店の雰囲気でスターバックスが低価格に打ち勝つ。

2010年04月21日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

ここではコーヒーチェーンでの“最も好きなブランドランキング”というものがあった。これも1000人を対象としたアンケートからの集計だった。ベスト3はスターバックス、ドトール、サンマルクカフェとなっていた。

集計人数でいえば、スタバ、455人、ドトール、282人、サンマルク71人となっていた。これでいかにスタバの人気が高いかがわかる。値段ではドトールのほうが勝っていたが、スタバは味と雰囲気の点で勝っていた。

たまたま上記3つのチェーン店は私の住む最寄り駅にもあって、たまに立ち寄ることがある。スタバで個人的にいいと思うのは、タバコを吸わないせいか、店内全面が禁煙になっていることだ。他の店は分煙となってはいるが、どうしても煙は流れてくる。

スタバではいいコーヒーの香り、座りやすい椅子、ソファ、ほどよいBGM、店内禁煙など空間演出の付加価値をつけたところに支持されている理由がありそうだ。別に喉が渇いたからとか、コーヒーを飲むことが目的でその店に行くわけではない。

むしろリラックスできる空間が欲しいと思って店に入ることがほとんどだ。だから多少お金を払っても長居がしやすい店を選んでしまうのかも。仕事の途中ではマクドナルド、ベローチェ、プロント、サブウェイなどもよく立ち寄るチェーン店だ。


1000のアイデアのうち店頭に並ぶのはわずか三つという。

2010年04月20日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

(前日のつづき)
セブンイレブンの優れた点について述べられた点の一つは、小売業の生命線である立地についていち早く交渉し、出店を進めてきたことがあげられた。さらに二つ目として、オリジナル商品開発があった。

商品の企画開発をしているのは、ほかのコンビニでも当然ながらやっていることだが、競合店に比べてセブンではそれを10倍以上の手間暇をかけているという。それはメーカー担当者の話を総合するとわかるそうだ。

つまり1000のアイデアがあったとして、店頭に並ぶのはわずか三つ程度だとということからもわかる。そのぶん厳しい企画審査が行われているのだろう。顧客のニーズに近づくばかりでなく、顧客が気付いてない新市場の創造に力を注いでいる。

またセブンの三つ目の優れた点は、超徹底された「QSC」だという。それらは商品の質(クオリティー)、接客(サービス)、清潔さ(クリーンネス)のことだった。

それらのうち特筆すべきは清潔さの徹底らしい。清掃は自店の前だけでなく、店頭の前後10メートルまで清掃しているようだ。こんなことからも地域社会との共生も感じられる。結果的にセブンがダントツだった顧客満足度は、外側から見える部分だけでなく、立地の選定、商品開発、地域との関係など地道な活動の成果なのだろう。

コンビニにおける「強さ」をつくるには3つの条件がある。

2010年04月19日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

この号の特集は「なぜ、この商品、サービスを選ぶのか?」となっていて、サブタイトルとして“消費者1000人の本音を心理分析!”とあった。ちょっと興味深いものだ。そこでは顧客支持率ランキングのようなものがあった。

コンビニのところで、最も好きなブランドランキングがあり、1000人のうち461人がセブンイレブンを選んでいた。当然ダントツの一位だった。二位には211人のファミリーマート。三位は203人でローソンだった。

場合によっては、店舗数の多さにも関係あるのかもしれないが、コンビニの強さをつくる3つの条件とは、「味と品揃えと立地」だった。そのどれをとってもセブンが支持をされていたのだ。

セブンはいち早く地域の一等地に目をつけて加盟を求めている。コンビニはわざわざ遠くに行かなくても、消費者が無意識のうちに生活の動線となっているところに出店していることが必要だった。なんと一号店からわずか6年で1000店舗に達していた。しかも1970年代にはもう夜中にも弁当やおにぎりが売れることを説いて回ったという。

アンケート結果として、ここにいくつか消費者の最も好きなコンビニについて集計があったが、先ほどあげたように3社のコンビニで1000人中、875人という数字になっていた。しかし私の自宅から徒歩5分圏内には1軒もコンビニはなかった・・・残念!・・・もう少し歩けばあるが。

権力の源泉とは・・・

2010年04月18日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

“歴史に学ぶ仕事道”(作家守屋淳)というコラムのなかで、韓非子の権力の使い方について述べられていた。この中で、初めて聞いた「権力の源泉」という表現がちょっと気になった。

そして、この権力の源泉の定番には2つあった。それらは、1、武力、懲罰権。2、金。それらをわかりやすく言えば、「殺しちゃうぞ」と「お金欲しいだろ/お金あげないぞ」という言葉が人には最も効く脅し文句だったのだ。

また組織ということを考えれば、もう一つ非常に大事な権力の源泉があった。それは3、人事権だ。会社なら「お前、左遷されたくなんだろ、だったらおとなしく仕事をしろ」という意味合いのことをほのめかすのだろう。

韓非子はこの3つの原理を巧みに操って権力維持を考えたという。さらに、あまり聞いたことのない「刑名参同」という賞罰の運用法を考えたようだ。つまり自己申告をさせて、実績がそれに伴うかどうかで判断するということだった。

現在行われている「成果主義」というものに近い。しかし権力を握って命令ばかりすれば組織内では怨みをかってしまうことも多いに違いない。つまりそれは負のエネルギーと考えられる。

そこで、そこに「法」や「刑名参同」というルールを挟んでみると、「ルールだから仕方ない」「自分が申告した目標だから自業自得」となって権力者は負のエネルギーから身をかわせると考えたようだ。

実際に組織に属していれば、「ルールだから仕方がない」「決まったことだからそれに従うしかない」というようなことがある。ここで問題なのは、そのルールや決まりごと自体にしばしば大きな欠陥があることだ。しかし、それを質そうと思っても(権力がなければ)それがなかなか難しい・・・

「父の贈ったレイノーがシェフの作品の舞台となりました。」

2010年04月17日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

“人間邂逅”というグラビアページで目にしたフレーズだった。なぜかこの文学的表現が気になっていた。ここでのタイトルは「父子二代」となっていた。(いまキーボードでフシニダイと打って変換すると、ズバリ!漢字で父子二代と変換されたので驚いた次第。ちょっと嬉しい)

さて、この言葉はハウス食品社長の浦上博史さんが、シェ・イノのオーナーシェフ井上旭さんに対して語っている時の表現だった。作品とは当然ながら料理のことだ。しかもその作品を乗せる舞台としてレイノーを選び贈ってたということだった。

もともとは、浦上氏の父親が井上氏の料理に感動して、独立する際に約束して100枚のレイノーを贈ったということだ。実は、レイノーはフランスの高級陶磁器だったのだが、私はフランスと言えばガラス製品のバカラ、サンルイ、ラリックなどのメーカーは知っていたが陶磁器のレイノーについては知識がなかった。

それまでは、ヨーロッパの陶磁器と言えば、ウェッジウッド、マイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ロイヤルドルトンなどがすぐに頭に浮かんできたものだ。レイノーについてウェブで検索すると、1849年の創業で高品質の陶磁器メーカーだということが確認できた。これでまた新しい知識を得られてトクをした感じがする。

作品と呼べるような料理は本当に価値のある食器によってより引き立てられるということだったのだろう。ついでながら、私の知り合いのある年配のご婦人は、かなり高級な食器類を日常から使用している。それは食器棚を飾るだけではもったいないということもでもあるらしいが、食器はどんどん使ってつかってこそその良さがわかるという考えでもあった。

「父の贈ったレイノーがシェフの作品の舞台となりました。」

2010年04月17日 | Weblog
「プレジデント」2010.3.29号より。

“人間邂逅”というグラビアページで目にしたフレーズだった。なぜかこの文学的表現が気になっていた。ここでのタイトルは「父子二代」となっていた。(いまキーボードでフシニダイと打って変換すると、ズバリ!漢字で父子二代と変換されたので驚いた次第。ちょっと嬉しい)

さて、この言葉はハウス食品社長の浦上博史さんが、シェ・イノのオーナーシェフ井上旭さんに対して語っている時の表現だった。作品とは当然ながら料理のことだ。しかもその作品を乗せる舞台としてレイノーを選び贈ってたということだった。

もともとは、浦上氏の父親が井上氏の料理に感動して、独立する際に約束して100枚のレイノーを贈ったということだ。実は、レイノーはフランスの高級陶磁器だったのだが、私はフランスと言えばガラス製品のバカラ、サンルイ、ラリックなどのメーカーは知っていたが陶磁器のレイノーについては知識がなかった。

それまでは、ヨーロッパの陶磁器と言えば、ウェッジウッド、マイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ロイヤルドルトンなどがすぐに頭に浮かんできたものだ。レイノーについてウェブで検索すると、1849年の創業で高品質の陶磁器メーカーだということが確認できた。これでまた新しい知識を得られてトクをした感じがする。

作品と呼べるような料理は本当に価値のある食器によってより引き立てられるということだったのだろう。ついでながら、私の知り合いのある年配のご婦人は、かなり高級な食器類を日常から使用している。それは食器棚を飾るだけではもったいないということもでもあるらしいが、食器はどんどん使ってつかってこそその良さがわかるという考えでもあった。