ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

結果を残す選手の多くは、決められたルーティン(習慣)を持っている。

2013年04月30日 | Weblog
結果を残す選手の多くは、決められたルーティン(習慣)を持っている。
「プロフェッショナルの習慣力」森本貴義著より。

筆者は9年間、メジャーリーグのシアトルマリナーズでアスレチックトレーナーをしていた。その経験から成果を残す人には共通点があるという。それはルーティンの力だった。

個人的なことではあるが、今までルーティンといえば、単なる決まりきった作業の繰り返しというイメージで、あまりいい意味ではとらえていなかった。しかし、ここでは決まった行動こそがいい結果をもたらすものだと語っていた。

たとえば、有名なのがイチロー選手だった。毎日同じ時間に起きて、決めた時間に食事をして、同じ時間に球場に入っていた。ストレッチに時間や夕食も毎日変わることがないようだ。

さらにバッターボックスに入る前や打席に立った時のバットを立てる動作もルーティンだった。このような同じことの習慣づけは日本人には向いているそうだ。

同じ動作を繰り返すことで、無意識に身体が動くようになるのだった。もっと身近な経験では、ラジオ体操がそうかもしれない。一度からだで覚えてしまうと、自然と次の動作に移ることができる。ただこれを毎日の習慣にするのはそうそうた易いことではない・・・な。

努力をするときには、「自分一人で」が絶対条件・・・

2013年04月29日 | Weblog
努力をするときには、「自分一人で」が絶対条件・・・

「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。

スポーツではチームプレーが優先される場合が多い。練習もチームですることになる。しかし、基本的な努力は、チームではなく、個人でしなければならなかった。

野球もサッカーもチームプレーではあるが、個人の能力が高くなければ、チームとしての力も強くならない。個人の力が十分発揮できてこそ、チームの勝利に結びつくといえる。そこで大事なのが個人練習だった。

勉強となると、むしろ個人の努力がものをいう。グループ学習となると、誰かが手を抜いてしまうらしい。能率も悪そうだ。勉強は孤独との戦いでもあるかも。

グループとかチームでの結果だけが問われる場合は、やはりどこかに甘えが出てきてしまうようだ。人を当てにしてるうちは、まだまだ本物の力はついてないということかもしれないな・・・・

人と同じことをしているうちは、「努力」とは呼ばない。

2013年04月28日 | Weblog
人と同じことをしているうちは、「努力」とは呼ばない。
「継続は、だれも裏切らない」内藤誼人著より。

ここでの継続とは、努力の継続のことだった。いくら努力したところで、継続が伴わなければあまり意味がないということだろうが、それは納得できる。

たとえ、思いつきでも、それを継続することで、自分の身につくことも多いのではないだろうか。思いつきではじめたことも、すぐにやめてしまえばただの時間つぶしにしかならない。

またその努力も、人と同じ程度のものなら、そこから得られる結果も平凡なものになるのは当然だ。時間も創意工夫も人以上にやって初めて努力したといえるのだろう。

しかし、いくら自分が努力したといっても、人がそれ以上やっていれば、差は開いてしまう。とかく、自分のことは甘く見てしまう傾向があるから、注意せねば。

人間も走っていないと、バッテリーが上がる。

2013年04月27日 | Weblog
人間も走っていないと、バッテリーが上がる。

「ワルの作法」中谷彰宏著より。

車は長期間乗らないままだとバッテリーが上がってしまうが、人間も同じだという。この場合のバッテリーとはスタミナ、やる気などのようなものだろうか。

つまり行動する気力とも考えられる。確かに、座ったままでエネルギーを蓄えておこうと考えても、いざ立ち上がっても、すぐにはトップスピードにはなれない。

そういえば、電車でも似たようなことが感じられる。つり革につかまって立っていると、駅に電車が着いて近くで座席を立つ人がいても、すぐには初めの一歩が出にくい。しかし、開いたドアから乗りこんできた場合は、逆に動いているので席をとりやすいものだ。

中谷氏は、しばしば「どうしてそんなにたくさん本を書くんですか」と聞かれるという。氏は書いているから、ますますネタが生まれてくるのだと答えている。今をつかむから上昇気流に乗っていけるようだ。

いつ、ここで倒れてもいいという生き方が、今を大切にする生き方。

2013年04月26日 | Weblog
「ワルの作法」中谷彰宏著より。

元気なうちは、まだ明日も来週も来月も、来年もずっと同じような日々が続いていくように思ってしまう。そのため将来のために今をおろそかに過ごしていることにも気づかないものだ。

かつて流行った歌のように、“明日があるさ~~♪”、と頭の中だけで思っていて、なかなかスタートできないことも多い。時間は過ぎるのが早い。結局何もしないまま終わってしまう。それで後悔がなければいいのだろうが、やはりやらなかったことは後悔が残る。

ここでのタイトルは“まずトロから食べはじめる”となっていた。本当は大好きなトロがあるにもかかわらず、あまり好きなものでないものから食べはじめると、それでお腹がいっぱいになってしまい好きなものが食べられなくなってしまうと述べていたが、まさにその通りだ。

むしろ好きなものから食べたほうがいいということになる。そのほうが美味く味わえ満足感もあるものだ。仕事も好きなことから始めれば、その勢いで面倒な雑用も片付けられる、という理屈だ。やはり得意な仕事ならテンションも上がり、ノッて仕事をしていれば、それも周囲や相手に通じるものだ。


人間関係にとって、一番大切なことは挨拶である。

2013年04月25日 | Weblog
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。

実にあっけないフレーズでもあるが、この筆者(心理学者)から改めて言われるとまた深い意味にも思えてくるから不思議なものだ。

人間関係など、挨拶ができれば、それで十分とまで言う。その当たり前のことが、意外とできていないものだ。筆者は海釣りが趣味らしいが、釣り場では全く面識もないのに普通に挨拶ができるという。

電車や道路ですれ違う人にはそうはいかない。やはり場所と趣味などの共通点があれば、コミュニケーションもとりやすいということだろうか。

むしろ細かいテクニックなどより、積極的に挨拶ができることの方が、大事なことだ。いくら優秀な社員でも頭がいい人でも、挨拶が満足にできない人間には近づきにくいものだな。


サービスは、やりすぎるくらいでちょうどいい。

2013年04月24日 | Weblog
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。

サービス精神のある人は、相手を喜ばせてやろうという気持ちがあるからそれができるようだ。それは時にはサプライズのようなこともある。

相手の期待を上回るなにかができてはじめて、感動に近づくものだ。しばしばマニュアル通りの接客ではそれほど満足しないといわれる。やはりそこに何らかのプラスアルファがなければサービスにはならないのだろう。

心構えとしては、他の誰もやっていないような、また思いつかないようなサービスにはどんなものがあるだろうか、と考えてみることも必要だろう。

しかし、たとえ頭の中で考えたとしても、それを実際にやってみなければ全く意味はない。人一倍頑張れることでのみ、相手を喜ばせられるのではないだろうか。やはり中途半端なサービスでは感動とはほど遠い・・・かも。


人脈を広げるためには、相手にとってトクと思われるようなことをしてあげる・・・

2013年04月23日 | Weblog
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。

人と付き合っていて楽しい時間を過ごせれば、それだけでもトクをしたも同然だ、とふと思ってしまった。べつに何かモノをもらわなくても、それだけでも気持ちは満足するものだ。

すると、またそんな人と会ってみたいとも思うものだ。モノをあげても喜ばれるだろうが、それには限界がある。しかし、相手が欲しているような情報なら、それもトクしたと思ってもらえるものだ。

もし相手が何かに困っていたら、それを解決するような情報はありがたいに違いない。また、別に困ってはいなくても、雑学的なものでも楽しめる。かつてトリビアという言葉が流行ったことがあるが、知らないことを知ることも楽しみでもある。

少しぐらいくだらない知識でもそれを知らない人にとっては喜んでもらえるものだ。人脈を広げたりコミュニケーションを良くするためには、積極的に貸しを作ることもポイントのようだ。


「何のために何をやる」というのは根本的な「段取り力」だ。

2013年04月22日 | Weblog
「段取り力」齋藤孝著より。

最近ブレイクしている流行語にカリスマ予備校講師の「いつやるか?」「今でしょ」がある。しかしその前の段階として上記フレーズにあげた、「何のために何をやる」がきっちりと確定できていなくてならないだろう。

大ざっぱに「受験合格のために科目の勉強をやる」だけではまだ漠然としていそうだ。英語の読解力を増すために、どうするかなどの傾向と対策をきめ細かく考えて段取りを組む必要もありそうだ。

その後での「今でしょ」ではないだろうか、とふと思った次第。しばしば普段の生活では、何のためにこれをやっているのだろう、と考えてしまうこともある。

またこんなことをしていていいのだろうか、と疑問や不安を感じることもある。そんな時は、ほとんど充実した時間を過ごしていない。

いずれにしても努力が無駄にならないようにするためには、今何のためにこれをやっているのかを意識することが大事なようだな。


マニュアルはむしろ覚えてはいけない。

2013年04月21日 | Weblog
マニュアルはむしろ覚えてはいけない。
「段取り力」齋藤孝著より。

ふつうマニュアルは覚えておくべきものというのが当たり前に思っていたので、これはちょっと意外なフレーズだった。結論をいえばこれは鉄道の現場でのことだった。

予定通りに運行されていれば問題ないのだろうが、時として異常事態は起こる。そんな時、現場の作業員はまず気を落ち着かせるため、一つ深呼吸をするのだった。これもマニュアルに書いてあるという。

その後マニュアルを目で見ながら、しかもマニュアルを指で差して、声に出して確認しながら作業をすることになっている。その理由は、覚えると勘違いが起きる可能性があるからだった。

そういえば、たまに電車の運転手が進行方向を向きながら、指差し確認で出発進行と、声を出しているのを目にする。また、車掌も指差し確認をしていた。

安全第一の現場では、その後作業完了の確認も駅長に報告する。また報告される駅長も、これを復唱するという念の入れようだった。地味だがきっちりした段取りができていることがわかる。

人生というのは、挫折したように見えるところから実はスタートする・・・

2013年04月20日 | Weblog
人生というのは、挫折したように見えるところから実はスタートする・・・

『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。

つまり人生は思うように行かないというのが普通だということだろう。確かに何でも自分の第一志望の通りで歩める人などいないと思える。

振り返ってみれば、高校も大学も会社も第一志望ではなく、どれも第二志望ばかりだった。でも、結果的にはそれでよかったように思える。

どれもこれもそこそこで、自分にあっていたからだった。もし、他の所にいっていたらとおもうと、逆にぞっとすることもある。厳し過ぎてついていけなかったかもしれない。

第一志望に落ちると始めはがっかりするが、それも時間の経過によって忘れてしまうことがほとんどだ。自分はツイていると思ったほうがいろいろなことがうまくいくようだ。

ここには、“失敗しても気にしないことは、あなたの幸運度を高めるだけでなく、人を惹きつける効果もある”と書かれていた。なるほど!これを肝に銘じたい。

ホメ言葉は、人間関係にとっては、必要不可欠な潤滑油だ。

2013年04月19日 | Weblog
『「人たらしの」ブラック謝罪術』内藤誼人著より。

人をホメることはめったにないが、やはりちょっとしたことでも気がついたら言葉に出すのがいいようだ。たとえ感心したことがあっても、思うだけであえて口に出すことはしていない。

まあ、ホメられれば嫌な気持ちになる人はいないだろう。たとえそれがお世辞とわかってはいても。そこで、ホメる時のポイントがあった。それは、周囲に人がいる時のほうがよりいいということだった。

そういえば、二人きりだけの時にホメてもらってもそれほど嬉しくは感じられないが、周りにいれば嬉しさも増す気もする。

しばしば営業部門ではよい成果を出した人や部門に対して表彰があるが、それもその日に大勢が出勤しているほうが効果がありそうだ。

ポイントは人前で、ということだった。筆者はいずれにしてもホメるクセを身につけることが大切だと語っている。ついつい忘れがちなことでもあるな・・・


まずは動いてみるというのが段取りとしては正しいやり方だろう。

2013年04月18日 | Weblog
「段取り力」齋藤孝著より。

かつてマガジンハウスが発行していた『ポパイ』という雑誌は70年代から80年代にかけて若者に人気があった。普通ならマーケティングをしてから雑誌を発行するのが当たり前だが、『ポパイ』が創刊された当時はマーケティングをしたところで、「ポパイ族」はいるはずもなかった。

むしろ実際は逆で雑誌が「ポパイ族」を作ったいうことらしい。そういえば、もう40年以上前のことだが「アンノン族」という言葉も若い女性向きの雑誌「アンアン」と「ノンノ」から生まれていたことを思い出した。

段取りをするときの悪いイメージとして、事前の調査に時間をかけ過ぎるというのがあるらしい。なんでも調査をしてからでないと前に進まないというのでは効率も悪い。調査なんてどこまでやれば十分なんてわかりにくいものだ。

総合的、直感的に捉えて、自分たちで石を投げ、その反応で動くというのもありなようだ。つまり仮説と検証というものだろう。その経験を積み重ねるからこそ独自のノウハウをつかめたのだろうか。それがイキイキとした誌面になって、当時の若者の感性を刺激したのかも。


「段取り力」とは、全体を通して見る予測力のこと・・・

2013年04月17日 | Weblog
「段取り力」齋藤孝著より。

ここではあるホテルマンの話題があった。ホテル内の和食レストランの厨房が暑いので改善して欲しいとの要望があったときだった。

普通ならモーターに問題があると考えるものだが、そのホテルマンは設計図を取り出して、全館の空気の流れを調べたのだった。

するとエアフローに問題があることがわかったのだ。そこで厨房のモーターを取り外してみると空気の流れがよくなって涼しくなったという。意外なところに問題解決の糸口があるものだ。

プロのホテルマンは、やはり細かいところにも気づかなければならない。ちょっとしたこだわりこそが、お客様にとっては心地よい空間やサービスの提供につながるからだ。

一流ホテルかどうかは、当然快適かどうかの違いだろう。部屋の清潔さだけでなく、備品であるコップ、タオル、髭そり、シーツ等などどれをとっても一流であることが条件なのだろう。すべては段取力の集積だった。


不自由さの中でこそアイデアが刺激される。

2013年04月16日 | Weblog
「段取り力」齋藤孝著より。

ここではいくつかの例を出していた。その一つが建築だった。スペインの建築家ガウディが活躍した時代は、鉄やコンクリートなどの近代的な工業材料が出現していた。当時のエッフェル塔などはその例だ。

しかし彼はあえて古臭い石とレンガを使っていたのだ。それによってある種の創造性が生まれて、サグラダ・ファミリア大聖堂に行きついていた。つまり素材を限定することで手順がクリアに見えることがあると齋藤氏は指摘している。

素材に習熟していればこそ、その中でさまざまな工夫ができるということでもあるだろう。安藤氏の場合は、鉄とガラスとコンクリートを素材として、建築を構成しているようだ。それによって誰にでもできない空間を生み出していた。素材を限定することで、自分のスタイルを確立している。

別の例ではテレビ番組の『料理の鉄人』をあげていた。ここでは限られた素材と時間内に創造とアイデアを生かさねばならなかった。不自由な制限の中で生み出されるアイデアにはプロの段取り力が試される。

齋藤氏は、「段取り力」を鍛えるためには、ある程度限定した中で訓練をしたほうがいいとアドバイスしている。その限定とは時間や使える素材、金額、環境などさまざまなものが考えられる。

そういえばこれを書きながら思い出したのは、プロのシェフが100円ショップや数百円で購入した素材を使ってフレンチの味を仕上げたことだった。それを試食した誰もがすべて高級素材を使ったものだと信じていた・・・な。恐るべしプロの段取り力と創造力!