ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

他の誰かと比べて持った自信は、もろい。

2007年08月31日 | Weblog
「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

筆者は人と比べて得た自信は見せかけの自信だという。あの人より上手にできる、テストの結果がよかった、売上げがよかった・・・。

こんな「誰々より」という比較は、もっとすごい人の前ではかすんでしまうだろうし、自信も崩れやすい。世の中には上には上があるもの。

むしろ過去の自分と比べてどれだけ進歩できたかを確認するほうがいいようだ。どんなことでも進歩、上達するためには地道なコツコツとした努力は欠かせない。

また、学業にしても営業でも誰でもいつもコンスタントに成績はあげられるわけではない。進歩する時もかなりジグザグだったりするもの。時には思いがけず落ち込むことだってある。

しかし、それでもたまにはこんあこともあるさ、と軽く笑っていられるなら自分に自信があるということだろう。人になんと言われようと自分なりの基準、価値観で自信を持ちたいもの。

そうなれば、きっとスランプに落ち込んだときも復活は早そうだが。でも、自分にできるかな~


努力のないところにスランプは訪れない。

2007年08月30日 | Weblog
「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

このフレーズより先に目に入ったのは、この本のタイトルの英訳だった。表紙には“57 Ways to Get Back into the Spotlight.となっていた。この後半の“into the Spotlight.”という部分は日本語にはないがちょっと素敵で気に入った。

さて、この部分のワンセンテンスを抜き出してみよう。「調子が悪いことでダメになっていく人は、成績・スコア・数字・売上げなどという“事実”を重んじています。」とあった。

この“重んじている”という部分は「こだわっている」や「気にしている」に置き換えると分かりやすい。つまり結果ばかりに先に目がいっていると勘違いや間違いの元になりやすいということだろう。

しばしば「結果オーライ」という言葉を耳にする。たとえば、スポーツなら勝ったんだからいいじゃないか、とそれで済ませてしまう場合だ。でも、結局はどういう勝ち方をしたのかという中身のほうが大事なことも多い。

野球ではヒット一本にしても、打ちそこないでも運よく守備の不味さでヒットになることもある。また逆にボールを芯でとらえ、手ごたえを感じた場合でも相手の好守備に阻まれることもある。

また営業職なら売上げ実績が問われるが、それも単に予算さえクリアーできれば十分だともいえない。たまたまラッキーが重なった場合もある。それが実力と勘違いしたら大変なことにもなろう。

むしろ大事なのは手ごたえやいい感じがつかめたかどうかのほうなのだ。結局努力していないうちは、スランプだなんて言う資格もないのかもしれない・・・な。

あらゆる大学が趣向を凝らして盛り上げます。

2007年08月29日 | Weblog
朝日新聞のブログ「きょういくパーク」より。

かなり前からオープンキャンパスが花盛りのようだ。電車に乗っていると大学のオープンキャンパスと言うシステムの宣伝があちこちに見える。

私が受験した30年前以上前にはそんなものはなかった。各大学とも学校の様子を知ってもらうため学部や学校の説明をしている。まあ少子化だから少しでも志願者を増やし受験生集めを目指しているのだろう。

しかも、最近では父母同伴で参加する人もいるというからちょっと驚いた。そしてここでは「過保護?」と書かれていた。筆者がある大学のオープンキャンパスに行ってみると親まで一緒に参加する姿をかなりみかけたとあった。まあ、学校にもよるだろうが。

考えてみれば、受験するのは子供だから親まで付いて来るのはやや過保護な感じもするが、学校の様子を大学関係者に質問し理解すること悪いことではないかもしれない。

このオープンキャンパスなる行事に参加して受験先を決定することはしばしばだろう。うちの子供もそれでいくつか比較して行きたくなった学校もあったようだ。しかし、志願して受験したものの生憎そこには入れなかったが。

結局、住めば(入れば都)でそこが自分に合っていると思うようだ。私自身も第一志望校には入れなかったが、あとで考えたら自分ではそれでよかったとも思えるかも。(タイトルとは関係ない話になってしまったか・・・)

個人の成績だけであれだけの年棒はもらえるわけがない。

2007年08月29日 | Weblog
「プロ野球歳時記」永谷脩著より。

プロの選手は年齢に関係なく実力ある一流選手と認められれば、億の単位を手にすることもできる。あるいは契約金だけでも期待度で膨大な金額を提示される。それは、彼らが一般人には出来ないことをやる、エンターテイナーでもあるからだという。

当然ある程度の成績を残さなければ、翌年以降の契約はしてもらえない。だからつい成績ばかりに目がいってしまう。しかし、いくら個人がいい成績を残そうとも球場の観客動員が伴なわなければ、一球団が何人もの選手に億単位の年棒は払えるはずはない。

結局その選手がお客を呼べるかどうも大きい。プロの世界では真のエンターテイナーでもあるかどうかも問われているのだろう。この点は芝居や映画であの役者が出演するから観に行こうというのと似ている。

かつて横浜が優勝した1998年、大魔神・佐々木主浩投手は活躍し年棒は5億円だった。しかし球団社長は佐々木を見るために球場へ足を運んでくれるお客さんの数を考えれば5億円でも安いと言ったそうだ。

2年連続で首位打者となった鈴木尚典よりはるかに多かった。それはアピール度が桁違いに佐々木のほうが大きかったからだ。そういえば、日ハムを引退してしまった元メジャーリガーだった新庄選手も北海道に日ハムファンを定着させたと言う意味では一流のエンターテイナーでもあったな。

彼にしてみれば、それはサービス精神じゃなくてプロとして当たり前のことだったらしい。それまで野球に関心が薄かった人も彼のパフォーマンスを見たいために球場に足を運び日ハムファンになった人も多いに違いない。

やはり高い年棒をもらっている選手は高い成績を残すと同時に面白い、感動するプレーをみせてもらいたいもの・・・だな。

努力のないところにスランプは訪れない。

2007年08月28日 | Weblog
「復活して成功する57の方法」中谷彰宏著より。

このフレーズより先に目に入ったのは、この本のタイトルの英訳だった。表紙には“57 Ways to Get Back into the Spotlight."となっていた。この後半の“into the Spotlight.”という部分は日本語にはないがちょっと素敵で気に入った。

さて、この部分のワンセンテンスを抜き出してみよう。「調子が悪いことでダメになっていく人は、成績・スコア・数字・売上げなどという“事実”を重んじています。」とあった。

この“重んじている”という部分は「こだわっている」や「気にしている」に置き換えると分かりやすい。つまり結果ばかりに先に目がいっていると勘違いや間違いの元になりやすいということだろう。

しばしば「結果オーライ」という言葉を耳にする。たとえば、スポーツなら勝ったんだからいいじゃないか、とそれで済ませてしまう場合だ。でも、結局はどういう勝ち方をしたのかという中身のほうが大事なことも多い。

野球ではヒット一本にしても、打ちそこないでも運よく守備の不味さでヒットになることもある。また逆にボールを芯でとらえ、手ごたえを感じた場合でも相手の好守備に阻まれることもある。

また営業職なら売上げ実績が問われるが、それも単に予算さえクリアーできれば十分だともいえない。たまたまラッキーが重なった場合もある。それが実力と勘違いしたら大変なことにもなろう。

むしろ大事なのは手ごたえやいい感じがつかめたかどうかのほうなのだ。結局努力していないうちは、スランプだなんて言う資格もないのかもしれない・・・な。


自分の体力、肉体の限界を感じてやめられる選手はごくわずかである。

2007年08月28日 | Weblog
「プロ野球歳時記」永谷脩著より。
この後には「多くの選手は他人からの幕引きにより、野球人生に別れを告げていく」とあった。結局は、自分ではまだまだ現役で活躍できるという自信があっても周囲がそれを認めてくれないのだ。

実に厳しい世界でもあるが、サラリーマンもお役人も同様に定年になれば卒業せざるを得ない。それでも、年齢を考えれば、野球選手としての現役引退は30代が一番多いだろう。その後の人生の方がよほど長い。

野球では上司といわれる監督の意向に沿わなくなれば、戦力外となってしまう。またソリが合わないという場合もある。選手自身が監督の選手起用法に疑問を持つ事もありえる。チームの若返り、FAで獲得した選手の起用、即戦力の新人入団などいろいろなことが絡んでくうる。

それで、他球団からの要望がなければ現役続行に終止符が打たれてしまう。結局、その選手の持ち味を買ってくれる監督や首脳陣がいるかどうかが、選手寿命を左右することになるのだろう。

好きなプロ野球の世界に身を置くことができても、常に結果が問われる厳しい仕事でもある。同じプロでも相撲の世界は引退も早い。その時は体力の限界を理由に自分で判断することが多そうだ。しかし、横綱朝青龍の場合は今後いったいどういう展開になるのだろう・・・

消費者の心をつかめるものづくり、売り場づくりができるかどうか。

2007年08月26日 | Weblog
「朝日新聞」2007.8.22付けより。

「三越と伊勢丹 消費者に支持されてこそ」と題した社説を読んでみた。かつてワンマン社長と言われた岡田茂氏が取締役会で満場一致で解任にされたとき「なぜだ!」と叫んだことは有名な話。

そして、今回の三越、伊勢丹の経営統合では自分を含め一般の消費者は「まさか!」「なぜだ?」と思った人が多かったに違いない。新聞、雑誌およびネット上の記事などをいくつか読んでみた。

そこにはたいてい「買収圧力」によって三越が生き残りをかけて、業界の勝ち組である伊勢丹に助けを求めたという主旨のものが多かった。いくら伝統がある老舗百貨店とはいえ業績次第ではプライドも捨てなければならないか。

巨大化すれば買収防衛にもつながり、存続できる可能性も残る。しかし、それは消費者にとってどんなメリットがあるかは見えてこない。

たとえ日本一の巨大百貨店が誕生したとしても、消費者が常に注目しているのはその中身だ。サービスと楽しいショッピングで満足できるかどうか。そう考えれば、べつに巨大百貨店である必要もないか・・・

30年以上前の古い扇風機・・・

2007年08月25日 | Weblog
「朝日新聞、朝刊」2007.8.25付けより。

メーカーからの「古い扇風機についてお知らせとお願い」という部分だから恐らく他の新聞でも同じ文面のものが掲載されているに違いない。要するに文面は30年以上前に製造された三洋電機製造のものは、万一の事故防止のために使用を中止して欲しいとのことだった。

これは、今月20日に東京都内で老夫婦2人が死亡した火災について、1970年製造の同社製扇風機の発火が原因だったと発表した、ことから掲載されたものだ。そして30年以上前に製造された同社製品では、2000年以降で発火や火災の事故が24件もあったという。

つまり部品の劣化が原因だというわけだ。とすれば、このメーカーに限らず古い扇風機はすべて可能性がありそうでもある。最近ではエアコンばかりでめったに扇風機は使わなくなってしまった。しかし、たまには使用することもある。

同じ面の記事によれば、この10年間で扇風機による火災事故は全国で453件にのぼり、計10人が死亡してしたことが総務省消防庁のまとめでわかっている。ちょっと恐ろしい。

ということで、自宅のなかに30年以上使っている家電製品はあるのだろうか、と振り返ってみた。すぐに思いついたのは週に5回程度使用しているヘアドライヤー(ナショナル製)だった。購入してからもう35年になるが、20年ほど前に折れたコードを取り替えただけで問題なく使えている。

単純なものだから長持ちするのだろうか。しかし、よく見ればホコリもサビもかなりついていた。やはり長年手になじんだものは使いやすいし愛着もわいてくる。いったいあと何年くらい使用できるだろうか・・・。皆さんのご家庭に30年以上も使用している家電製品ありますかね?

窓を開ける生活でなければ、蚊取り線香は使えない。

2007年08月24日 | Weblog
「モノマガジン」2007.9.2号より。

“還ってきた夏の風物詩”と題して蚊取り線香についてのコーナーがあった。夏も終わろうとしているが、厳しい残暑の中で蚊はまだまだ元気なようだ。朝夕庭にでて家庭菜園の野菜を採ったり水をやっていると蚊が寄ってくる。

しかし、止まったところで叩いたりしているから、いまのところ指される気配はない。しかし、ただ立ち止まっていたり、庭の草むしりをするときには蚊取り線香をたいていないと必ず蚊に刺されてしまう。

実際家の中で蚊取り線香を使うことはめったにない。たいてい“○○ノーマット”という60日間使えるものを部屋の片隅に置いてあるからだ。

以前締め切った部屋で蚊取り線香をたいていたら、煙が充満して自分のほうが息苦しくなってしまったことがあった。また長時間使って部屋に匂いがこもってしまったこともある。だから、蚊取り線香を使うときには窓を開けて風を通さねばならない。煙が立ち上るのを見るとちょっと日本の風流さえ感じられる。

ところで私は蚊取り線香を本来の蚊取りとは別の目的でも使っている。それはノラ猫よけだった。自宅の芝生の庭にたまにフンをされて困っていたのだ。そこで、しばらくは犬猫忌避剤をホームセンターで買ってきて使っていた。

しかし、どこかの猫のために数千円も使うのはもったいないと思っていた。そして近くに蚊取り線香があったので、それを3センチほどにボキボキと折って庭のあちこちにまくことにしたのだ。そのほうが忌避剤より安くつくと考えたからだった。

雨が降ってもすぐに溶けてしまうことはない。かなり長持ちがする。しかし、その効果はどれほどのものかは分からないが、その後しばらくはノラ猫も庭に近づく気配もない。人だって嫌な匂いならきっと猫だって嫌いに違いないと単純に思っただけだが・・・

ヘビースモーカーのため日本禁煙学会が「医学的に極めて非常識」とする見解。

2007年08月23日 | Weblog
数日前のウェブ及び新聞記事より。

もうこれだけで、先週の日本テレビの24時間欽ちゃんのチャリティマラソンのことだとお分かりですね。ここには、「24時間」も、「欽ちゃん」も、「マラソン」と言う言葉もありませんが、それでもすぐにあの“24時間テレビ”のことだとすぐに連想できたことでしょう。

それだけ番組のインパクトがあった証拠でしょうね。ところで、この企画が実行される前に日本禁煙学会が、66歳という高齢、猛暑や、萩本氏がヘビースモーカーだからという理由で日本テレビに欽ちゃんの70キロマラソンの中止を申し入れた記事がありました。

しかし、終わってみれば26時間で欽ちゃんは苦痛の表情でゴールまでたどり着きました。実際は走った距離よりも歩いた距離のほうが多いかもしれません。しかし、それにチャレンジしようとした勇気はやはりプロ根性を感じますね。

また、この抗議で「日本禁煙学会」という学会があること自体はじめて知った人も多かったのではないでしょうか。これはただ禁煙を勧めるためではなく、“ヘビースモーカーのための”というところがミソですね。どこからがヘビースモーカーになるのでしょうね。

さて、今まではこんな人でも100キロを走れるんだ、という感じで意外な人がランナーになって毎年チャリティマラソンの企画をやってますね。それで勇気を与えられる人はいるのでしょうか。

ただの興味本位で眺めている人のほうが多そうです。私も初めと最後をちょこっとだけ見てただけですが、むしろ痛々しいランナーがかわいそうな生け贄にさえ感じられましたね。

できれば、キッチリと走れそうなスポーツ選手、たとえば、司会をしていた新庄などでもよさそうですがね。もちろん100キロは苦しいのは誰でも同じでしょうが。

久々にミラクルを見た。

2007年08月22日 | Weblog
たまにはただの日記のようなものを書いてみよう。

夏の甲子園の決勝戦。広陵対佐賀戦をどちらのチームを応援するでもなくテレビ観戦していた。こちらはエアコンの部屋で画面を眺めているだけだが、球場、スタンドの暑さはすごいものがありそうだ。かつて自分も野次馬の一人として、何年も続けてスタンドで観戦したこともあった。

べつに試合が面白ければいいなと言う気持ちで見てはいたが、7回まで4対0でしかもエースの野村投手に1安打だけに抑えられてきた佐賀北に判官贔屓の気持ちにもなっていた。そして、8回裏の佐賀北の攻撃はワンアウトとなってからヒットでランナーが出た。でもこれからの4点は高い壁にも思えた。しかし、その後四球も絡んで塁が埋まると佐賀北側のスタンドの応援は揺れていた。

テレビカメラは何度も繰り返し応援するスタンドを映し出す。それだけ応援団は最後の力を振り絞っているようでもあった。その揺れはマウンドに立つ野村投手に襲い掛かるようでもあった。内野手がピッチャーに声をかけるが、歓声の中で聞こえているのだろうか。

満塁になり、押し出しでまず1点を返していた。さらに満塁で打席に立った3番打者の副島がジャストミートで強振した打球は満員のレフトスタンドに吸い込まれるようだった。一瞬の出来事だった。

なんと、7回まで1安打に抑えられていたのがウソのようなミラクルで5-4と逆転していた。佐賀北のロング救援投手、久保は9回表は結果的に3人で抑えた。その瞬間、甲子園を目指した4081校の頂点に立った。県立高校が優勝したのはいったい何年ぶりだろうか。

百崎監督は試合後のインタビューで8回の攻撃が始まる前に選手たちに「あと2イニングに高校三年間のすべてをぶつけろ」とアドバイスしたと語っていた。やはり、テレビを通してとはいえミラクルを目の前で観戦でき嬉しかった・・・な。最後まであきらめないと“まさか”は起こるものか・・・

蛇足

佐賀北は開幕試合、延長再試合、帝京に延長サヨナラ勝ち、さまざまな勝ちのパターンを決勝戦までしてきた。さらに、馬場、久保という2人のしっかりした投手が確立出来たことが最後の勝因とも思えた次第。


試験を受けるような仕事は全部ダメだと思った。

2007年08月21日 | Weblog
「好きなことをやって、成功する法則」竹村健一、中谷彰宏著より。

これは、竹村氏の言っていたこと。氏はかつて頻繁にテレビ番組やCMに出演していたので“電波怪物”とまで言われた時代があった。そして、けっこう自分の好きなように生きている感じもする。

竹村氏が大学生の初めごろ、外交官か弁護士になろうと思っていたという。しかし、その種の本を買って読んだら面白くなかったという。自分に性があわないと感じて、自分の好きなようにやったら世の中に受け入れられてけっこううまくいったと述懐している。

そうは言っても、実際の生活では実にハードにコツコツと勉強していたに違いない。それは昔書いた本からもうかがえる。几帳面にメモをして蓄積していたからこそ多くの著作を残せたに違いない。また誰にでもわかりやすく伝えられるのは自分がそれだけ深く理解しているからだ。

竹村氏の書いた本やテレビでの話は分かりやすい。私も高校時代に買った氏の著書をいまだに持っている。その後に買った本は捨ててしまっているのに何故か捨てられないでいる。それは『頭は使いよう』というタイトルの本だった。

この本が出版された当時、氏は追手門学院大学の助教授をしていた。つまり英語の先生だった。この本は海外旅行したときにメモをした海外の(当時は)新しいアイデアをまとめたものだった。「はじめに」の部分に“この本は努力しないで出世する法を実例で教え、君の人生観を変えるものである。”とあった。

私は高校時代にこれを読んで、ただただ努力が嫌いなだけの人間になってしまった・・・。


本は人と会うためのインフラだ。

2007年08月21日 | Weblog
「好きなことをやって、成功する法則」竹村健一、中谷彰宏著より。

この本は数年前にもざっと読んだことがあったが、再読してみた。これは2人の対談をまとめたものだった。するとその時は通り過ぎてしまった箇所が気になった。それが上記のフレーズだった。

これを言っていたのは中谷氏。この本が出版されたのは2001年だが、当時までで竹村氏は550冊の本を書いていて、中谷氏は400冊だった。中谷氏は本を書くことで人と会ったりできるから、本はそのためのインフラだと言っている。

彼にとっては本を書くことは最終目的ではなかったのだ。きっと竹村氏にとってもきっと同じだろうとも語っている。確かに著作があれば、それをたたき台の話題として人に会うときにはいいかもしれない。

でも、一般の人はそういうわけにはいかない。そこで、誰にでも簡単にできそうなのがインターネットではないだろうか。たとえば、自分のホームページやブログを通じてあらかじめ自分を知ってもらうにはけっこう役立ちそうだ。

ネット自体がインフラには違いないが、そこに書かれた内容は個人個人異なるからそこから個性も伝わるに違いない。だから、私たちはブログ(ウェブ日記)は人と会うためのインフラだ、と言い換えてもよさそうだな、と思った次第。

再チャレンジ人間の代表。

2007年08月21日 | Weblog
「産経新聞」2007.8.17付けより。

一面の“産経抄”というコーナーにあったもの。先週、大リーグのパイレーツ所属だった桑田投手はとうとう戦力外通告を受けてしまった。これで現役の野球人生は終止符をうとうとしている。

今後は指導者という立場になろうが、もう少し長くメジャーで活躍できると思ったが、残念!19試合に登板したが、0勝1敗だった。せめて1勝はして欲しかったが。(1回だけ勝ち星を手に入れそうになったこともあったな)

当初、38歳と言う年齢でメジャーにチャレンジすること自体難しいと思われていたが、それでも結果的にはメジャーのマウンドに立つことができた。これは野球に対してこつこつと努力していたご褒美みたいにも思える。

実際40歳を目前にして日本人としてメジャーに再チャレンジし、それを成し遂げてしまいオールドルーキーとなってしまうものすごいこと。よほど強い意志と技術がなければ無理だったに違いない。そんな意味でも再チャレンジの代表とも言えそうだ。

桑田投手の甲子園での通算20勝という記録は戦後最多となっている。また日本のプロ野球巨人では一流投手としての実績を残している。そして、彼自身も数ヶ月間のメジャー在籍で学んだことも多いだろう。

また日本の野球で培ったよいところもパイレーツには残せたようだ。投手として思い通りのところへボールを転がすバントの見本、一塁ベースカバーに全力で走ること、練習前の独自のストレッチ、若手捕手へのリードやキャッチングの助言等。

14年間連続で負け越しているチーム(パイレーツ)に桑田のプロ意識というか野球道はきっと伝わったに違いない。もしかしたら、桑田が身体で学んだ以上のことをそのチームの若手投手陣は学んだのかもしれない・・な。

気に入った作品の感想は言葉にするといいかもしれません。

2007年08月19日 | Weblog
「どらく」(朝日新聞のホームページ)より。

これはインタビューのなかで美術家の森村泰昌さんが語っていたワンフレーズ。絵画を鑑賞する際にただ漠然と眺めてしまうことも多い。ざっと見た中でもし気に入った作品があれば、それを言葉にすることで見えてくるものがあるという。

これは森村さん自身の体験から実感したことだった。つまりその作品を人に説明するため文章や言葉にしてきたら、そこから思いもよらない新たな発見があったという。それでより自分自身を深く突きつめられ、次のアイデアにもつながったと述懐しています。

森村さんは20年以上前から独自の「セルフポートレート」というジャンルを作り上げ発表を続けている美術家だった。私も以前からよく雑誌やテレビでもその作品は見ていていつも驚かされている。また感心したり、思わず笑ってしまうこともある。

それは、森村さん自身がが「作品に“なる”」ことで作品を作り上げているからだった。たとえば、ゴッホの自画像、モナリザ、レンブラントのデッサンの作品やフェルメールの登場人物の女性になったりしている。それをコンピューターグラフィックで合成して作品に仕上げてあったのだ。

先日、横浜美術館で開催中の“森村泰昌「美の教室、静聴せよ」展”に行ってきた。作者自身の無料音声ガイド機器付きで各部屋(教室)の作品が紹介されていた。実にユニークな展覧会で楽しめる。既成美術への挑戦でもあるようにも感じられたな。

後日談

その展覧会を観に行って帰ってきた当日、朝日新聞社から一通の茶封筒が届いた。開くと中には横浜美術館で開催中の「森村泰昌展」の招待チケットが2枚入っていたのだ!なんてこった!!数日前にネットで応募したのが抽選で当選していたのだ。ワイフと子供が行くというが・・・・・ザ、ザンネン!!!