ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

習慣が人間をつくる。心も体も。

2016年12月31日 | Weblog
習慣が人間をつくる。心も体も。

「生きるのが楽しくなる15の習慣」日野原重明著より。

健康で長生きをしているこの筆者の前では、すべてが納得できそうだ。この言葉は短いがさすがだと思わせられる。そう言えば生活習慣病というのも、この日野原先生の発案らしい。かつては成人病と言われていた言葉もよりわかりやすっくなった。やはりいい習慣は健康の基本だろうな。15の習慣については次のものだった。

1、 愛することを心の習慣になる。2、「良くなろう」と思う心を持つ。3、新しいことにチャレンジする。4、集中力を鍛える。5、目標となる人に学ぶ。6、人の気持ちを感じる。7、出会いを大切にする。8、腹八分目より少なく食べる。9、食事に神経質になり過ぎない。10、なるべく歩く。11、大勢でスポーツを楽しむ。12、楽しみを見出す。13、ストレスを調節する。14、責任を自分のなかに求める。15、やみくもに習慣にとらわれない。

実にたくさんいろいろな習慣があるものだと気づかされる。いっぺんにはムリだろうが、そのうちいくつかは実践したいものだ。8の腹八分目より少なくというのは、かなり難しそうだ。健康であればついつい満腹まで食べないと気が済まないからだ。

言葉をたくさん持っているということは、打たれ強いということでもある。

2016年12月30日 | Weblog
言葉をたくさん持っているということは、打たれ強いということでもある。

「大人の精神力」齋藤孝著より。

もし、壁に当たった時に、いろいろな考え方を知っていれば、気持ちを切り替えられることもできるという。たしかに、たった一つの言葉の出会いから、気が楽になることもある。

そういえば、先月健康診断の結果、数値で気になったことがあったが、たまたま草野仁さんの新書版のオビに「考えても仕方ないことは考えない!割り切って前進あるのみ。」とあったのが救いになったものだ。読み進むうちに草野さんの生き方が心強く思えた次第だ。

とても捨てる気にならない一冊になった。

ここでの小タイトルには「引用を習慣化して『万有引用力』をつける」とあった。いい言葉に出合ったら、メモをしてどんどん使っていくことで、引用が習慣化して武器にもなるという。それが「万有引用力」だった。この本も以前読んだことがある。

アウトプット前提のインプットで記憶は定着する。

2016年12月29日 | Weblog
アウトプット前提のインプットで記憶は定着する。

「大人の精神力」齋藤孝著より。

脳研究者の池谷裕二さんによると、脳はそれほど疲れないから、加齢によって記憶力がガタ落ちするとは限らないらしい。しかし、それも日ごろからの訓練だと思える。

しばしば、何かを思い出そうとしても、その言葉が出てこないことがある。齋藤氏は記憶を定着させる最良の方法はあるという。

それは実にシンプルで、「使うこと」だった。覚えがいいか悪いかというのは記憶力もあるだろうが、むしろ使うかどうかの問題だったのだ。

日頃から使っているなら、忘れることも少ないと思われる。つまり誰かに話そうというアウトプット前提であれば、記憶力は格段に違ってくるのだった。どんどん話すことが記憶を定着させるポイントだったのだ。

つねに「言葉を拾うことを意識する」。

2016年12月28日 | Weblog
つねに「言葉を拾うことを意識する」。

「大人の精神力」齋藤孝著より。

この習慣づけが大切だという。そういえば、この10年間以上にわたって、このブログでは日ごろ読書などで気になった言葉を取り上げていた。それも言葉を拾うことと同じことだと思った次第。

一冊の本からいくつもの気になるフレーズが見つかる。気になる箇所は人によってさまざまだろう。たとえその時にいいと思った言葉も、ページをめくるとすぐに忘れてしまうものだ。しかしできるだけ記憶にとどめたいと思って抜き書きするようにしている。

ここでの小タイトルには「日記兼名言ノートを作って言葉を蓄える」とあった。実際にノートに書けばいいのだろうが、時間がかかるので、PCで書いている次第だ。大事なのは読み返すことだろうな。

精神とは、体を使い訓練して身につける「技」である。

2016年12月27日 | Weblog
精神とは、体を使い訓練して身につける「技」である。

「大人の精神力」齋藤孝著より。

精神と言われても抽象的でよくわからないことだと気づく。ここでは教養との違いについて述べられていた。

教養とは、物事を知っているかどうかであるらしい。しかし、精神は身についているかどうかだった。精神を身につけるためには、身体的な習練が必要らしい。

本をざっと一回読んだだけでは、教養止まりで、5,6回読んで、大事なところを音読すると自分の精神になってくるという。つまりそれで身につくということらしい。

ここには、「心は毎日揺れるが、精神は揺るがない」とあった。精神がしっかりしているとは、心がブレないことだった。これでようやく精神がどういうものかが理解できる。

人前での上機嫌も、習慣にしてしまえば身についてきます。

2016年12月26日 | Weblog
人前での上機嫌も、習慣にしてしまえば身についてきます。

「大人の精神力」齋藤孝著より。

そもそも上機嫌を続けることは難しいと考えがちだ。むしろ不機嫌でいることの方が多そうだ。しかし、そんな状態では決して得することはないのだった。

今ではとても考えられないことだが、筆者の齋藤氏は二十代の頃は不機嫌な人間だったと振り返っている。テレビで見る氏の姿はいつも笑顔だからだ。

今はなにかとストレスがたまりやすい時代だそうだ。だからこそ、人前では上機嫌でいることも大人の精神力の一つだという。なるほどそう言われれば頷ける。


最後の親友。

2016年12月25日 | Weblog
最後の親友。

「たった一人の熱狂」見城徹著より。

これも面白い表現だ。親友に最後などあるのだろうかと思ってしまう。それほど相手を信用して強い友情を感じているということだろう。

筆者が33歳の時に「月刊カドカワ」の編集長に就任したが、そのころ秋元康に小説を書いてもらったという。そして、修正依頼をしたものの、原稿は直さないといったのだ。

しかも、その頃は一人の人間の仕事とは思えないほど大量のプロジェクトを手掛けていたのだ。そして何でもかんでも成功させてしまうというのも驚きだったようだ。また見城は秋元のことを次のように評してした。

「秋元という人間の全てが大好きだ。秋元がいるだけで、僕の人生は捨てたもんじゃないと思う。秋元は天才である。さりげないひと言の中に次々と噴出する発想には舌を巻く。秋元のためなら、僕は命を張れる」

これほどまでに言い切ってしまえるほど入れ込んでいるというものスゴイ。相手をそれだけよく理解しているという証拠でもあるだろう。

堀江貴文が「動」だとすれば、藤田は「静」の男だ。

2016年12月24日 | Weblog
堀江貴文が「動」だとすれば、藤田は「静」の男だ。

「たった一人の熱狂」見城徹著より。

実に面白い表現だが、見城の長い付き合いからはそう見えるのだろう。また藤田については、次のようにも評している。

「信用できる。懐が深い。金にキレイ。謙虚だ。他にも一杯ある。藤田晋は見事な男だ」と。

辛口で実力のある見城がこれほどベタぼめするのだから、そのすごさがわかる。プランが出てからたった2~3か月で新会社を作ることもあると見城は驚いている。

また藤田は、堀江が出所してくるや否や、二人ですぐさまSNSの755を立ち上げたのだった。それは友情の証なのだと見城はいう。

先送りこそビジネスの最大の敵だ。

2016年12月23日 | Weblog
先送りこそビジネスの最大の敵だ。

「たった一人の熱狂」見城徹著より。

ここではサーバーエージェントを例として取り上げていた。この会社は今や3000人の精鋭集団に成長していた。社員はすさまじい情熱の燃えているという。

誰にも支持されることなく、自主的に「先送り撲滅会議」を開いているという。先送りはビジネスの敵だと感じていたからだ。

確かに組織が大きくなれば、一つのことが決まるまで長い時間がかかるものだ。しかしサイバーエージェントでは、スタッフ一人一人が打破して、驚嘆すべき機動力で次々と事業を形にしていくという。

この社内では部署異動が頻繁で、自分が働きたい仕事場を選べるというのもスゴイ。やはり選んだ部署なら頑張ろうという気持ちにもなるはずだ。

ビジネスにおいて、成功と失敗の分かれ目を測る基準は数字だ。

2016年12月22日 | Weblog
ビジネスにおいて、成功と失敗の分かれ目を測る基準は数字だ。

「たった一人の熱狂」見城徹著より。

実にシンプルで分かりやすい。確かに売り上げがあって利益を生み出せなければ、失敗だろう。民間の仕事はすべてそういうものだ。数字イコール売り上げ、利益ということだ。

社員の給料を上げるためにはその会社が儲かっていなければありえない。また存続していけないだろう。とくに経営者は常に数字にこだわっていなければならない。

筆者はビジネスは数学と似ているという。つまりそれは成功を証明する解答はたった一つしかないからだった。

世の中を良くしたい、とか社会貢献をしたいとはいっても、儲かっていなければ意味はない。売れるかどうかは、結果次第でもある。いくらいい商品だからといって、すべての人に受け入れられるとは限らないからだ。

人間誰しも「思い立った時がいつだって適齢期」。

2016年12月21日 | Weblog
人間誰しも「思い立った時がいつだって適齢期」。

「老い駆けろ!人生」草野仁著より。

まず、松下幸之助さんの次のお言葉を紹介している。「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功になる」だった。

だから、草野さんは70歳を過ぎようと、80歳を過ぎようと、あきらめる必要などないのだと述べている。いつでもなんでもチャレンジしてみるのも生き甲斐につながればもうけものだ。

確かに何かを継続しているとそこから、また別の興味も湧いてくるものだ。そしたら、それもやっているうちに面白くなる。これは自分の経験からも言える。

定年後フェイスブックをはじめたが、写真を撮っているうちに、植物の名前や野鳥、昆虫などの名前を知りたいと思って図鑑を買ったりしている。

すると、以前より身の回りの自然に関心が向くようになったのだ。これによって実に楽しくて、充実した時間を過ごせるようになっている。

損得ではなく、自分が「やりたい」と思ったことに全精力を注ぎ込む。

2016年12月20日 | Weblog
損得ではなく、自分が「やりたい」と思ったことに全精力を注ぎ込む。

「老い駆けろ!人生」草野仁著より。

結局それがその人にとっての生き甲斐となり、人生を歩んでいく力となると述べていた。

ここでは、競馬騎手の武豊さん(当時25歳)に教えられたことを披露していた。それは次のようなことだった。「○○をするために○○をしなければいけない」と考えた瞬間からそれが重荷になってしまうという。確かにそれは言えることだろう。

しかし、「これをやるのは当たり前だ」と思っていれば、苦しさも感じることはないというのだ。草野さんはこれを聞いて思わず唸ってしまったという。

草野さんは相手の年齢に関係なくいろいろなことを学ぼうとしているのもスゴイと思える。

仕事が生き甲斐になったのは実は60を過ぎてから。

2016年12月19日 | Weblog
仕事が生き甲斐になったのは実は60を過ぎてから。

「老い駆けろ!人生」草野仁著より。

そもそも生き甲斐とはどんなものかなど考えたこともなかった。実に曖昧なことのように思ってきたものだ。草野さんは、それを「楽しさや喜びを感じるもの」と述べていた。

つまりそれがあることで生きていく活力となればいいいのだ。明日が楽しみでわくわくするようなものはすべて生き甲斐だと述べていた。

草野さんは現在70を過ぎたばかりだが、仕事が生き甲斐だと思えるようになったのは、60過ぎからだと述べているのも意外だった。

必要とされ生かされているという感謝心が生き甲斐につながっているということだった。また生き甲斐というものは、感謝心の持ち方ひとつで見え方も変わると感じているようだ。

仕事であろうが趣味であろうが、いい加減にやるのが性に合わない。

2016年12月18日 | Weblog
仕事であろうが趣味であろうが、いい加減にやるのが性に合わない。

「老い駆けろ!人生」草野仁著より。

これは草野さん自身の考えだった。今までの趣味で特に好んだのが、麻雀と競馬だったという。これは意外な感じもする。どれも本気で取り組んできたようだが、とくに競馬では全身全霊で打ち込んだというからスゴイ。

麻雀も競馬も勝ち負けがある。だから勝つためにはとことん極めないと気が済まないようだ。徹底的に研究するというのもそうそう簡単に出来ることでもない。競馬も生き甲斐、仕事も生き甲斐のようだ。そうはっきりと言えるところがスゴイと思える。

趣味も立派な生き甲斐だと述べていた。確かに趣味だからといっていい加減にやっていたら面白味も半減だろう。自分は最近は地元で見られる自然の写真を撮るのが趣味になっているが、そのことで新たな発見があると嬉しくもなるものだ。

「明日は今日より絶対良くなる」

2016年12月17日 | Weblog
「明日は今日より絶対良くなる」

「老い駆けろ!人生」草野仁著より。

これは草野さんの母親が苦しい生活にもかかわらず行動で示してくれたことだったそうだ。

確かに物事は悪い方へ考え出すと、際限なく落ち込んでしまうようだ。ネガティブなところからは、ネガティブなものしか生まれてこないといいます。

確かに類は友を呼ぶで、そのように周囲を批判してばかりいる人の周りには似た人が集まるようです。決してそんな人には近づきたくないものだ。

母親が苦労して兄弟4人を育ててくれたことの感謝を、草野さんは決して忘れないようだ。だからこそ懸命に生きようと思うのだろう。