ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

「何をした人として記憶されたいか、今でも考えることはあるかね」

2011年04月30日 | Weblog
「これだけは知っておきたいドラッカー」牛越博文著より。

これとほとんど同じフレーズは以前も取り上げたことがあった。(4月16日の記事では「 何によって人に憶えられたいか」となっている)その時はドラッカー本人の言葉としてだった。

しかし、今回はドラッカーの父の言葉だった。ドラッカーが病床のシュンペーターを見舞ったときに、同行した父がこのように聞いたのだった。これはドラッカーの人生を変えた言葉だったという。

父がこう聞くと、シュンペーターは「多くの一流経済学者を育てた教師として記憶されたい」と答えたそうだ。このように明確に答えられるということはこれがシュンペーターの自己実現でもあったのだ。

ドラッカーはその後、この父の言葉を自身の言葉として身につけていた。それだけ、強く頭に刻み込まれたということだろう。やはり人の記憶に残るような仕事をしなければと感じたに違いない。

数年ごとにドラッカーブームがやってくるのは、それだけ世間がドラッカーの思想を必要としているからだろう。

「スマイル効果」が売上げを伸ばすという話は事実・・・

2011年04月29日 | Weblog

『「人たらし」のブラック心理術』内藤 誼人著より。

マクドナルドではかつて商品の価格のなかで“スマイル0円”というのがあった。マニュアルの中でも最も重要視されているのが、「スマイル」らしい。

商品ではないが、タダでできるサービスこそがこの笑顔だろう。お客の立場からすれば、笑顔がいい店員からサービスされたりモノを買いたいと思うのは当然だろう。

筆者は別に難しいスマイル訓練は必要ないという。ただ言葉の末尾に「イ」とつければいいのだった。もうこれだけで魅力的な、笑顔になってしまう!

数年前に遊びで“Healthy & Smile”というシールを作ったことがあった。健康であればこその笑顔かな・・・な~んてね。


「ちょっとしたウソ」が得意な人ほど、仲間集団で人気者になれる・・・

2011年04月28日 | Weblog

『「人たらし」のブラック心理術』内藤 誼人著より。

ここでの小タイトルは“真実を言うことが、必ずしも美徳とは限らない”となっていた。ということで、時には正直になってはいけないということだった。ウソも方便という言葉も思い出させる。

いくつかの例があった。「この企画どうだろう?」に対しては「いいですね」とか、「この仕事って楽しいよね」では「本当ですね」、などと本音とは別にそう答えるほうがいいようだ。

つまり相手がそれほど本気で聞いているわけではないなら、適当に合わせておけばいいという意味でもあるだろう。そのほうが相手は気持ちがいいはず。

もし上司が「あそこのソバおいしいよね」と言ったなら、心の中で「フツーのソバだなあ」と思ってもそれは口に出さないほうがいいという。どうでもいいような世間話、質問に対しては、ウソをついても困らないようだ。

本当の気持ちや正直に答えることにどれだけブレーキをかけて対応できるか、これが社会生活や人間関係ででうまくやっていくコツかもしれないな。かといって、あまり調子よすぎるのも問題だろうが。


自信をもつためには、自分の長所だけを伸ばそうとすればいい。

2011年04月27日 | Weblog

『「人たらし」のブラック心理術』内藤 誼人著より。

とかく自分の欠点ばかりに目がいくと、積極的になれないものだ。ということは、人たらしになるためには、自信をつけることが第一だった。自信がないとボソボソと小声になってしまう。そんな人には誰も近づいてこないだろう。

長所を最大限に伸ばすことで、短所がそれほど気にならなくなってくるものだ。ここに卓球王国の中国の例があった。彼らのバックハンドは弱いらしい。だからそれを使わずに、フォアハンドに磨きをかけて無敵になっているようだ。自信をもって望めば強い。

どんなことでも長所に磨きをかけて、最強の武器にできれば強くなれるようだ。たとえば、それがお酒、身体、映画、音楽など趣味嗜好にかかわるものでもいいようだ。

何かに詳しくなれれば、人に話す場合も自然と熱を込めて話してしまうもの。好きなことをしている時には、脳内から快楽ホルモンが分泌されやすいらしい。

確かに付け焼刃の知識を披露したところで、面白く説得力をもって話せるわけではないだろう。やはり長年自分自信が面白がってきたことこそ、楽しく語れるはず。


人間というのは、生来、他人に感謝しない動物・・・

2011年04月26日 | Weblog
『「人たらし」のブラック心理術』内藤 誼人著より。

筆者は人に関しては、性悪説だという考え方だった。だから、自分の都合のいいように解釈しているとうまくいかないことの方が多いという。人はこちらの都合のいいようには考えたり行動してはくれないものだ。

だからこそ、一度や二度くらい思いつきでサービスをしたからといって、覚えていてくれるわけではなった。それを伝えたいと思うならむしろ過剰なくらいのサービスを考えるべきだった。

人に好かれるコツ、信頼されるコツについて、ある英国のビジネススクールで教える教授の言葉があった。それは「とにかくいろいろなサービスを、何度でもくり返してあげること」だった。

これでもかこれでもかと手を変え品を変えて、継続することがポイントのようだ。これはまったく営業活動にも通じることだろう。単なる売らんかなの姿勢ばかり見せられてもその気にはならないものだな。



新しいモノに恐れを抱かず、次々と挑んでいく「身軽さ」・・・

2011年04月25日 | Weblog

「ブレない生き方」齋藤孝著より。

この身軽さで一生を生きた人物は江戸時代の平賀源内だった。彼には「人を呼ぶマルチな発想をプロデュース力」があったようだ。彼はいったい何をしたのだろうか。

ここに簡単な略歴があった。エレキテルなどの発明家、本草学者、事業家、西洋画家、陶芸家、コピーライター、イベントプロデューサー(物産展の開催)、鉱山開発者・・・と実にいろいろな顔を持っていた。

江戸時代のマルチプロデューサー兼マルチタレントだった。とくに有名なのは、夏にウナギを食べる習慣は「本日土用丑の日」というキャッチコピーだろう。

齋藤氏が秋元康さんと対談した時に「成功だけを求めてはダメ」という言葉が印象的だったようだ。秋元さんには大ヒットはいくつもあるが、その何百倍の失敗があるということだった。

失敗したものは、結果的に知られないだけのことだった。失敗を恐れずにチャレンジし続けるという「身軽さ」こそが大事なことのようだ。あまりこだわり過ぎない、という生き方もあったのだ・・・なぁ。



どんな世界であっても、評価される人は「自分のスタイル」を持っている。

2011年04月24日 | Weblog

「ブレない生き方」齋藤孝著より。

これは“藤田嗣治に学ぶ 人の目を引くプレースタイル”という章で目にしたフレーズだった。フジタといえば、世界で最も有名な日本人画家でもあった。今でも彼の絵のファンは多い。

齋藤氏はスタイルを確立することは「戦略」と解釈していた。それは「得意技を組み合わせること」によって組み立てるものだという。例として総合格闘技をあげていた。選手はそれぞれ持った得意技で攻めるものだが、それがなければ「戦略」も立てられないことになってしまう。

また別の例ではお笑い芸人も自分の芸をアピールできたからこそ、世間に知られるようになる、というのもわかりやすい。しかも得意技をスタイルにまで昇華するためには、3つ以上の得意技が欲しいという。

で、藤田が評価されたスタイルは、3つの得意技を組み合わせた戦略によるものだった。それらは、乳白色(色彩)、デッサン(線)、女と猫(モチーフ)となっていた。これは藤田の作品を何点も見たことのある人ならすぐにピンとくるはず。




「三」が導き出す合理化の思考法。

2011年04月23日 | Weblog

「ブレない生き方」齋藤孝著より。

(前日のつづき)
同じく千葉周作の合理的コーチングについて述べられている部分にあったフレーズだ。彼の合理化の象徴は「三」という数字にあった。

彼の遺した「兵法」(=今のマニュアル)では「三」が多用されていたという。たとえば、構えは「上中下」、突きも三つ、間合いも三つ・・・など。

また「剣道の極意は、心気力の三つ」とも言ったそうだ。これが一つだけだと、これだけやっていればいいと単純になって、成長もなくなる。二つならあれかこれかで迷いが起こり、それだけで満足して次のものを求める意欲も欠けてしまうという。

三つに絞るのは合理的らしい。齋藤氏も授業では「三」を意識しているようだ。「大事なことはこの一つ」といえば、学んでいる側が物足りなく感じるようだ。また5や10だと頭に入りにくくなってしまうからでもあった。

企画書などもまず、大事なことを三つ箇条書きにしてみるのもいいらしい。報告書も同様に三カ条で仕上げるとわかりやすいという。今日やるべきことも3つぐらいなら覚えていられるかも。それ以上となると書いておかねば・・・


「理」を頭に入れておけば、上達は早くなる。

2011年04月22日 | Weblog
「ブレない生き方」齋藤孝著より。

これは「千葉周作に学ぶ 究極のコーチング力」という章にあったフレーズだった。彼は幕末に活躍した剣術家だった。29歳で北辰一刀流を創始していた。開設した「玄武館」は「江戸三大道場」として江戸でもっとも栄えた道場だった。輩出した出子は5000人以上という。

千葉は上達には理より入るものと、業(わざ)から入るものがあるが、「理」から入ったほうが上達が早いと言っている。何も考えずに練習してもダメということだった。

「理」と「業」は車の両輪だともいう。これによって10年の修業は5年で終わるということだった。そこで「理」の意味だが、齋藤氏は次のように説明していた。

“流派の教義をカリキュラム化し、それを具体的に文章化できるか、”ということだった。また「魔術的・神秘的な部分を排除する」ことだともいう。剣術の神秘性をはぎとるものが「理」だった。

練習に合理性を持ち込んだことによって学ぶものにとって分かりやすくなったようだ。これは現在の企業が情報の整理、公開をすることで、信頼を獲得できるのと同じようなものらしい。


優れた者ほど間違いは多い。

2011年04月21日 | Weblog
「ドラッカー名言集」上田惇生編訳より。

これも逆説的な表現になっている。ここでのタイトルは「一度も間違わない人の欠点」となっていた。

決して間違わないだけがいいことではなかったのだ。ドラッカーによると間違いをしたことのない人は凡庸だという。もっとも間違わない人などいないだろうが。

つまり間違ってもそれを早く発見して、その直し方を知ってればいいのだ。間違いをそのままにしておいては意味がないことになる。

ここには「一度も間違いをしたことのない者、それも大きな間違いをしたことのない者をトップレベルの地位に就かせてはならない」ともあった。

要するに間違い(ミステイク)をしてしまうのは、それだけ新しいことを試みている証拠でもあったのだ。何ごともいつも通りなら間違いも起こりにくいに違いない。

マーケティングの理想は、販売を不要にすることである。

2011年04月20日 | Weblog


「ドラッカー名言集」上田惇生編訳より。

これはちょっと意外なフレーズでもあった。マーケティング=(イコール)販売(営業活動)することではないかという気もしていたからだ。

ドラッカーによると、「マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである」と述べている。

あえて“販売不要”といっているのは、それだけ魅力ある商品なら自然と売れていくはずだという意味合いも含まれているようだ。それなりの商品、サービスを開発せよと言っているのかもしれない。

たとえば、すぐに連想できるのは、ディズニーランドだ。あれだけ楽しく過ごせ、サービスがよいからこそお客は何度もリピーターになるのだろう。また美味しい食堂であれば、あえて宣伝しなくてもクチコミで繁盛している。

顧客が欲しいと思うようないい商品をつねに提供することが、すなわち販売を不要にするマーケティングということになるのだろう。しかし、これは理想でもあるが。

菊池寛は、文学に「マーケット感覚」を持ち込んだ。

2011年04月19日 | Weblog

「ブレない生き方」齋藤孝著より。

これは「菊池寛に学ぶ 需要を嗅ぎとるマーケティング術」という章にあったフレーズだった。彼は単なる作家ではなかったようだ。

はじめの部分に略歴紹介があった。その部分の一部を抜粋してみる。「大衆小説や新聞小説というジャンルを確立したといわれる。文藝春秋社を創設し、成功を収めた実業家でもある。・・・」

とあって、さらに「芥川賞・直木賞を創設した男」と言った方が分かりやすかった。芥川龍之介とは一校時代からの親友だったという。同じ作家ではあったが芥川は早くから才能を認めらた早熟の天才だった。

その時代の作家の生活は不安定だったらしいが、菊池は精神的にも安定していたらしい。芸術のために小説を書くのではなく、それは生きるためだと割り切っていたのだ。より多くの読者を相手に書くというスタイルだったらしい。

文学作品として優れているよりもむしろ、マーケットに受け入れられる作品を残すべきだと考えていたのだ。例えば、当時森鴎外の評価は高かったが、夏目漱石の人気のほうが勝っていたのは事実らしい。現在でもそうだろう。


社会で生きるということは、実は常に「断念」の連続である。

2011年04月18日 | Weblog

「ブレない生き方」齋藤孝著より。

これも、前日のつづきになるが、齋藤氏自身の経験を語っている部分にあったフレーズだった。「マイナスの局面が、最大のチャンス」という小項目があった。

その中で齋藤氏は、中学、高校と青春のすべてを運動部の部活動に打ち込んでいたという。しかし、高校二年の終わり頃に、友人に「お前、その成績でどこの大学にいくつもりなの?」と見下され、思い悩んだ結果部活を辞めていた。

辞めたところで自問自答ばかりしていたようだ。部活動を最後まで全うした方が充実感を得やすい、しかしそれは氏にとってぬるま湯になってしまったはずだと振り返る。

それを断ち切って勉強に方向転換したが、結果は不合格だった。まあ、こんなことは多くの人が経験しているかもしれない。しかし「断ち切る勇気」が氏をぐいと押し上げたことは確かなようだ。

人生は思い通りにいかないことの方が多いものだ。氏の場合はまた「断念エネルギー」という表現も用いている。マイナスの状況をプラスに転換するには相当な気持ちの強さがなければならない。

こんなことを書きがながら、ふと東日本大震災のことを思い出してしまった。被災者の皆様には、本当に健康に気をつけてがんばって欲しいと心から願っています。一日も早い復興を祈ります。



若い時期に自己を高めるのは、「単独者マインド」・・・

2011年04月17日 | Weblog
「ブレない生き方」齋藤孝著より。

これは「葛飾北斎に学ぶ 退路を断ち、単独者として生きる覚悟」と題した章にあったものだった。北斎といえば、日本人なら誰でも知っている名前だろう。またゴッホなど印象派絵画の画家たちにも大きな影響を与えていた絵師だ。

彼は33歳で破門されていたが、そのマイナスを契機として単独者として生きてきた結果独自の世界を創り上げていたのだった。協調的なことはいいことだが、ともするとなれ合いになれば緊張感をなくしてしまう。

とくにクリエイティブな現場では自分ひとりで何かに向き合わなければならない。それは非常に疲れることでもあった。しかし自分を追い込むという経験こそが「単独者マインド」を育てると齋藤氏はいう。

ぬるま湯のような関係を断ち切るきっかけ、勇気がなければなかなかそうはできない。絵の道で生きていこうという強い決心で、技を磨き続け生涯チャレンジを繰り返していたのだった。88歳まで貪欲にあらゆる画法を追求したのはすごいことだ。

何によって人に憶えられたいか。

2011年04月16日 | Weblog
「ドラッカー名言集」上田惇生編訳より。

ふだんあまりこういうことは意識していないものだ。どんな人にも他人によって持たれるイメージというものがあるだろう。自分ではあえて目立たないとは思っていても、そんな人(消極的)だという印象は持たれるものだ。

しかし、仕事をする際にはある程度意識的に印象付けることも必要になってくる。もし営業なら、まずは覚えてもらわなければ仕事は進まないであろう。そこで、第一印象が大事になってくる。

ここでは、ドラッカーが13歳の時に、宗教の先生が生徒に「何によって憶えられたいかね」と聞いたという。すると誰も答えられなかったのだ。子どもには無理な質問だろう。

すると先生は笑いながら「いま答えられるとは思わなかったよ。でも50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね」と言ったそうだ。

つまり、自分はこれをしてきたのだということを、しっかりと主張できることが大事なのだという意味なのだろう。身近にいる人にあの人はこんなことをしてきたのだと思いだしてもらえればいいのだろう。(もちろんいい意味でだが。)