ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

ほんとうにセンスのいい人であれば、それほどお金をかけなくともひじょうに高級に見える。

2010年10月31日 | Weblog
「偏愛マップ」齋藤孝著より。

偏愛マップの先生みたいな人だと、筆者がいうのは作家の向田邦子(1929-1981)さんだった。彼女の著作から、好きだったものをマップにしていくと、実にきちんと整理され、そのまますぐに役立つ生活カタログになりそうだという。

マップを作ってみて、はじめて現代女性に人気の秘密がわかったと述べている。つまりそこには今の若い人たちのライフスタイルのお手本のようなものが実に豊かに含まれていたからだった。

食器類なども自分で買うことで、だんだんと目利きになっていったようだ。身の回りにセンスのいいもの、質のいいものを配備して、生活を豊かにしたいということが、マップから見えてきたという。

衣食住、いい意味でこだわりがあったようだ。もちろん本当に好きな物には贅沢をしたようだが。それによって、さらにセンスが磨かれたのだろう。

偏愛するものの幅の広さがあった人だった。身近なさまざまなものに関心があったこともホームドラマ作家の条件だったのだろうな。

コミュニケーションが苦手な人間にアンテナと武器を与える。

2010年10月30日 | Weblog
「偏愛マップ」齋藤孝著より。

つまりこれが偏愛マップなのだった。このあまりなじみのない「偏愛マップ」とは、自分が偏って愛するものを一枚の紙に書き込んだマップのことだった。

ちょっと好きなものではないところがポイントのようだ。自分の関心が強いものは何だろうかと考える機会でもある。ここには当然個性が表れるはずだ。

ふだんの付き合いでも、相手がどんなことに関心があるのかは、黙っていたらなかなか分からない。そして、コミュニケーションを考えた場合に、このマップを見せ合うことで一気に気持ちが通じ合うようだ。

たとえば合コンなら、自分も関心があり相手も喜んで話したいネタがそれによって一瞬で提供できてしまう、という。齋藤氏が実際それを企画したら、参加した男女は思いのほか盛り上がったそうだ。しかも話し足りずに二次会にまでもつれ込んだという。

自分が偏愛するものを書きだすということは、人に話したいことの棚卸しともいえそうだ。自分でも実際にいろいろと書き出してみると、忘れていたことも思いだしてくるものだ。これがあればなんだか自然にコミュニケーションもうまくいきそうな気もしてくる。


今、50代以上の年配者が映画館の観客層の中心になっている。

2010年10月29日 | Weblog

「朝日新聞」2010.10.23付けより。

文化面では現在TOHOシネマズで行われれいる、「午前十時の映画祭」についての記事があった。この映画祭では、一年間にわたり、毎週異なる50~70年代の名作洋画を上映している。

私も地元の映画館で時どきこの企画の作品を観ている。わざわざレンタルショップでDVDを借りるよりお手軽で大画面で見られるのがいい。

人から聞いて観たかった作品も上映されたので嬉しかった。午前10時からの1回だけだが、ゆっくり観られる。しかも数十年前の作品ばかりだから、観客も年配者が多い。きっと50代以上なのだろう。

この企画では年間動員目標が五十万人のところ、半分が終了した7月時点で約30万人で、70万人に達する可能性もあるらしい。かつて観そこなった作品ももう一度映画館で観られるのはありがたい。

今月観たのは、スピルバーグの知名度がまだなかったころの『激突』だった。春頃、人から勧められた『ショーシャンクの空に』は感動した。若いころのモーガン・フリーマンも印象的。しかも、来年はまた別の50作品の上映もされるというからまた楽しみだ。


人がアンテナをどの方向に向けるかで、アンテナの感度は変わってくる。

2010年10月28日 | Weblog
「朝日新聞」土曜版、2010.10.23付けより。

これは「99歳私の証 あるがまま行く」という日野原重明先生の連載コラムの中のワンフレーズだった。今月10月4日に99歳の誕生日を迎えていた。

それにしても、元気に活動され、いろいろと素晴らしい意見を書かれている。しかもどれも新鮮で豊富な経験を語っている。実に教えられることが多い。ここでのタイトルは“受容体の大切さ”となっていた。

ふだんあまり聞き慣れない言葉だ。これをウェブの辞書で引くと次のように出ている。「レセプター《receptor》細胞表面にあり、細胞外の物質や光を選択的に受容する物質の総称。」ちょっと難しい。

そして日野原氏は、このレセプターが人より多いのではないかと感じていた。つまり、様々な事象を見聞きすると、表面上のことだけではなく、その裏に隠された意味合いまで考えずにはいられないという。

好奇心が旺盛な人なのだろう。ここには98歳で俳句を始めたとも述べられていた。日々新しい出会いを経験して刺激を受けることも大事なようだ。何よりも「邂逅(巡り合い)」という言葉に非常に関心があるという。全く年齢を感じさせない。むしろ並みの人間より実に若い感性だと驚かされる。


「質」の部分となると、自分では気づかず、あるいは目を逸らしてしまい、・・・

2010年10月27日 | Weblog

「朝日新聞」2010.10.23付けより。

生活面の連載エッセイ「積極的その日暮らし」(落合恵子)からのフレーズ。この日のタイトルは“約束ひとつ”だった。この約束とは同世代の同業者、つまり作家と交わしたものだった。

彼は「もしぼくの講演がいかなる意味でもパワーダウンしてきたと思ったら、その時は遠慮しないで言ってくれる?・・・」と話したそうだ。そして、お互いにそう指摘しあおうということになったのだ。

そこで、パワーダウンとは、量ではなく、むしろ質を意味していたのだ。質の低下は、自分でも分かりにくく、周囲も言い出しかねることもあるからのようだ。

たとえ客観的に分かっていても、実際に口に出して本人には伝えにくいことも想像できる。当然ながら彼女自身も相手に伝えるためにはそれなりの努力も必要だと感じている。

振り返ってみれば、30代、40代には、それなりにスタミナもあって、自分なりの仕事の質の濃さも感じられたもの。ところが、歳をとるにつれて、多少要領はよくなったものの、なかなか満足な仕事もできにくい。頭で考えるほど体が動かない・・・残念!


自分の「気」を引き出すものは何か、自分はどのポイントで炸裂するか・・・

2010年10月26日 | Weblog
「なぜか好かれる〈気〉の技術」齋藤孝著より。

こんなことが分かっていれば、自分のスタイルになるようだ。やる気が出るのは、どういう時だろうか、何をしている時だろうか。たまにはそんなことを考えてもいいかもしれない。

ここでは数人の画家について述べられていた。佐伯祐三は、東京美術学校を出てパリに行ってから才能を開花させていた。筆者はその要因とは、パリの乾いた空気、石造りの道や建物が彼のセンスを喜ばせてやる気を起させてくれたとみている。

ところが、帰国してからの作品はさえなかった。佐伯はそれでは駄目になると思い、再びパリに戻り修業して、画家として一流になったのだ。

またゴーギャンの場合は、パリに生まれながらも、南の島のタヒチでの原色の世界を描き、自分のスタイルを見つけていた。ゴッホは、日本の浮世絵の影響を受け強い憧れをもったことがその後の発展にもつながっていた。さらに独特の黄色の世界を見出し自分のスタイルを完成させている。

また見る側としても、どんな作品が自分の好みに合うかは、個人の気質にもよるのだろう。本当に気に入った作家の作品は何度でも観たくなるものだ。やる気がでるポイント探さねばな。


冗談、ジョークをうまく言える能力は、サービス精神、エンターテイメント性とも結びつく。

2010年10月24日 | Weblog
「なぜか好かれる〈気〉の技術」齋藤孝著より。

日本人に比べてアメリカ人のほうが、サービス精神が旺盛かもしれない。ジョークで場を和ませたり、スピーチのなかにもそれが交えてあったりするからだ。

コメントを述べる際にもそこにユーモアが含まれていると、思わず耳を傾けたくなるものだ。あまり真面目なものだと印象にも残りにくい。

プレゼンでも月並みな一般論だけ述べても、人の心に響かない。ユーモアを交えて、個性的なものであれば、よりアピールできそうだ。もちろんその前に内容も重要だが。

ハリウッド俳優のインタビューなどには、ウィットがきいた話がでてくることがある。やはりそれも普段からの訓練だろうな。たとえばさまざまなことわざなど覚えておいて、それをパロディにしてみるのも面白そうだ。

たまにはダジャレなどもいいかも。たとえ人が既に言ったことでも、そのタイミングさえよければウケそうだ。例として「ローマは一日にして成らず」→「老婆は一日にしてならず」。(ただしそれを言ったために嫌われたら、しょうがない。不運だと思ってあきらめるか・・・)


細やかな気が遣える人ほど売上げを伸ばすことができる。

2010年10月23日 | Weblog
「なぜか好かれる〈気〉の技術」齋藤孝著より。

これは接客業でのことだった。接客はサービスが第一だ。ここでは実際に山形新幹線で車内販売の達人と言われた女性が紹介されていた。彼女は東京~山形の一往復で30万円も売り上げていた。

彼女の例は私も以前別の本で読んだことがあった。普通の販売員の場合は、数万円から10万円程度のもの。30万円と言えば小さなコンビニの1日の売上げに匹敵する。

彼女はどうしたらお客さんに喜んでもらえるかをつねに考えているようだ。そのため、声がかからなくても「買いたい乗客のオーラを感じ取る」ことができるという。

迷っている人には、さりげなく目を合わせるか声をかけて、買いそびれがないように気配りしていた。つまり気のセンサーを360度張りめぐらしていたということらしい。

その上、商品を渡す際には、「これはつばさ限定商品です」「全国駅弁コンクールで優勝したお弁当です」「淹れたてのコーヒーです」と一言添えていたのだった。言われたほうは当然ちょっと嬉しくなるに違いない。

彼女にとっては、気を配ることは、決してつらいことではなく、楽しいことだったようだ。仕事も楽しく感じられるほど、いい結果が期待できるとは、私も常々感じているところ。気配りを楽しめる人は強い!

脳の状態などというものは、やる気次第で簡単に変わってしまう。

2010年10月21日 | Weblog
「なぜか好かれる〈気〉の技術」齋藤孝著より。

齋藤先生の本はいつも読みやすく、気になるフレーズがたくさん見つかってしまう。氏は「気」と頭とどちらを優先するかと問われたら、迷わず気の流れを優先させるという。

野口整体の創始者の野口氏が、子供の勉強意欲について語っている部分があった。気ということを考えれば、やる気のほかにもいろいろな表現がある。気嫌、天気、陽気、元気・・・。さまざまな状態の表現に使われている。

その気を起こさせるということが大事なのだった。強制してやらせても、その気にならなければ意味がない。行動は興味が起こって、気が集まって始めて行動になるという。

齋藤氏は、やる気というのは、気の流れがいい方向にぐっと傾く状態だという。気がいい流れになれば、脳も活性化するのだそうだ。

大人だって、まずはやる気をどう出すかだろうな。たとえば、目標達成したら何かいいことがあるとかだろうか。いいモチベーションをどう起こせるかな・・・。



技術を超えた、“自分だけのスタイル”をモノにした・・・

2010年10月19日 | Weblog


「天才になる瞬間」齋藤孝著より。

美術史に名を残した天才画家、ゴッホのことだった。30代になったゴッホが大きな影響を受けたのが、日本の浮世絵だった。弟への手紙の中で、「色彩が、それ自体で、あるものを表現している」と述べていた。

そして、ゴッホはやがて色彩自体が自分の芸術を表現する方法を、手に入れている。さまざまな黄色で描かれた作品は多い。しかも絵具を厚く塗りこめるような大胆なマチュールだった。

それまではほかの画家が誰も試みなかった表現手法を手に入れたときがブレイクスルーのときだったのだ。ゴッホが描く絵は彼にしか描けない作品になっていた。

別に卓越した絵の技術がなかったが、自分独自の強烈なスタイルを手に入れたことで今もなお有名な画家なのだろう。たんに一見して技術的に上手いとかきれいな作品だという以上に、感動を与えてくれる。

試合というのは、“できることを表現する場”・・・

2010年10月18日 | Weblog
「天才になる瞬間」齋藤孝著より。

この本のサブタイトルには次のように書かれていた。「自分の中の未知能力をスパークさせる方法」と。ここでのスパークとは最高の状態や結果そ出すことだろう。

プロ野球のキャンプについて述べられていた。そして、できることのレベルを高めるのが、このキャンプでのトレーニングだった。というのもシーズンが始まってから、試合でレベルアップを図ろうとしてもそれは無茶なことらしい。

相撲の世界でも「3年先の稽古をしろ」と言われるそうだ。目先の白星に直結する小手先の練習ではなく、3年後に安定した強さを発揮できるように練習を積みなさいということだった。

ここではさらに、まったく別のたとえもあった。それはウィスキーで、これも仕込みの段階が勝負だった。5年後、10年後、さらにもっと先を考えて仕込まれる。だから市場には熟成されたものが評価される。

さて、ここまで書いてきたら、日々の仕事の成果もまったく同様だと気づく。事前の段取りの良しあしで結果も異なってくる。いかにいい準備ができているか、常に考えねば、と反省させられた・・・


多少なりとも役に立つ夫のことを親愛の情を込めて昔の人は「宿六」と称した・・・

2010年10月17日 | Weblog
「相鉄瓦版」2010.10月号より。

そして、ただ遊び歩くだけの役立たずだと「ろくでなし」となるようだ。こう述べていたのは東京で一番古いといわれる、浅草のおにぎり専門店「宿六」の二代目女将だった。

彼女によれば、おにぎりはかつてはぜいたく品として尊ばれたという。つまりそのころは白いご飯は「銀シャリ」とも呼ばれていた時代だったのだ。(開店は昭和29年)そして、深夜でも気軽に食べられるものでもあった。

今ではコンビニの売れ筋商品だろう。私も時間がない時など、時どき買うことがある。またそれとは別におにぎり専門店もあるが、こちらはまだ暖かいご飯が海苔にくるまれている。

実はこれを読んだ後に、おにぎりが急に食べたくなってしまい、おにぎり専門店に行ってしまった。コンビニのものよりも大きく、やはり握りたては熱々でおいしかった。

米もいつも食べているものよりも、おいしく感じたな。ランチセットには大きめのおにぎり二個(具は選べる)と惣菜と味噌汁がついていた。たまにはこんなさっぱりもいいかも。

毎日やっていることだからこそ、おざなりになっていたり見落としたり・・・

2010年10月16日 | Weblog
「相鉄瓦版」2010.10月号より。

この号の特集は“やっぱり、お米でしょ!”だった。新米が出回る季節になった。そこで、ある米穀店を経営している方(お米のマイスターの資格を持つ)の言葉が上記フレーズだった。

お米のとぎ方や炊き方をアドバイスしようとしても、耳を傾けてくれない人がいるという。つまりそれは「毎日やっているから」という理由からだった。

毎日やっているから、もうそれだけで十分だと考えてしまうことはあり得る。しかし、専門家からみればまだ関心や興味を持つことで得られることもあるという。

これはどんなことにも言えそうだ。たとえば、歯磨き、洗髪、洗顔、食器洗い、食事のマナーなど身近な所にいろいろあるものだ。時どき歯医者に行けば、もっとしっかり磨かなければいけないと注意、指導される。(なかなかうまくいかないが)

どんなことも見直すべき時を大事にしなければ、いけないのかも・・・。誰かに言われる前に自主的にできるものかなぁ~。(う~む・・・)


家族の全盛期が終わった・・・

2010年10月15日 | Weblog
「家日和」奥田英朗著より。

この中の“サニーデイ”という小説の中にあった言葉だった。なぜか、考えさせられた。この主人公の家族の全盛期が終わったと述べていたが、考えてみれば私の家でも家族全員が揃って何かするということがなくなっていた。

つまり、子供が中学生ころになれば、家族で出かけるという機会もめっきり減ってしまう。子供らは家族よりも学校の友人関係や部活動がメインになってしまう。また受験ともなれば、なお一層子供らは忙しくなってくる。

この主人公の家では、まずピクニック用の折りたたみテーブルが不用になったので、インターネットオークションで売ることにしたのだ。そう言えば、私の家でも季節がいい時などは庭に折りたたみテーブルとイスを出して、朝食などを楽しんだこともあった。

そのうち、そのテーブルもイスも古くなって壊れてしまい、処分してしまった。庭の樹木を眺めながら食事をしたのは、いったい何年前のことだったかさえ思いだせない。やはり家族の全盛期(揃って一緒に行動するという意味で)は、かなり短い期間だったのかもしれないな。

いかにして子供のように感じとることができるのか・・・

2010年10月14日 | Weblog
「科学と抒情」赤瀬川原平著より。

これは表現一般のことを述べていた。ある時赤瀬川さんは依頼で、「総合教育技術」といういかにもカタイ雑誌にエッセイを書いたのだ。テーマは私の受けた美術教育だった。

6人の人が書いていたが、安西水丸さんと長新太さんのエッセイがすごく良かったと感動している。それは子供のころの記憶をたどって、そのままが書かれていて、文章に鮮度があったからだという。

何より子供のころの実感がそのまま書くことができているところが素晴らしいと褒めていた。ところが、ほかの人のものは、子供のころに戻りきれていなかったという。

つまり今の大人の視点から、教育とは本当はこうあるべきだ、という意見で固められていたのが面白くない原因だった。どうしても、今の大人の立場から書かれている文章は鮮度が鈍るようだ。

だからこそ、フレーズにあげた「いかにして子供のように感じとることができるか」が大事なことだったのだ。大人になればいろいろと知識は増えるものの、同時に失われる感性もあるものだな。