ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

固定観念に縛られることなく「見つける」「探す」「感じる」。

2008年12月31日 | Weblog
「朝日新聞」2008.12.14付けより。

“朝日求人”の中の「仕事力」というエッセイのなかで野村克也氏が言っていたこと。4回連載のうちの2回目で、この回のタイトルは“自分の意識でプロに育つ”だった。

ここではおもに2つのことについて述べらていた。一つは「プロ意識は恥の意識だ」という。自分のプレーが学生やアマチュアと比べられること自体が恥ずかしかったという。要するに「恥の意識」が張り詰めていない人間はプロフェッショナルとは言えないと思っていたのだ。

二つ目は野村氏自身の人生訓で、「小事が大事を生む」というものだった。プロ野球は実力の世界だから、他人と同じことをしていたら競争に勝てない。そこで結果を出すために様々な努力と工夫が必要だった。これはもちろんどんな仕事にも当てはまることだろうが。

それに関するエピソードがあった。野村氏はホームランバッターになりたいという夢を持っていたので、試合前の練習で相手方のベンチに行き、当時の名だたるホームランバッターである藤村富美男さん、川上哲治さん、大下弘さんたちのバットをこっそり握ってみたのだった。

すると、どのグリップも細いという共通点を見つけたのだった。そこで、自身もまねてみたものの、結果は出なかった。そしてある時もらったバットのグリップがたまたま太かったので、それをつかってみると気持よく打てることに気づいている。

つまりそれまではホームランバッターのバットグリップは細いものという固定観念に縛られていたのだった。そこで、「固定観念は悪、先入観は罪」と実感したようだ。何よりも大事なことは、自分自身で「見つける」「探す」「感じる」ということだったようだ。

他人のノウハウは必ずしも自分にとっても同じくノウハウとは考えられないという意味でもあろうな。またちょっとした成功のヒントは意外な偶然からやってくることもあるもの・・・かな。

グーグルカレンダーを使ってみる。

2008年12月30日 | Weblog
「仕事が速くなるプロの整理術」吉越浩一郎著より。

仕事は自分でやりやすいシステムを作り上げれば、余裕ができるもの。どうしても、仕事に振り回されているうちは、自分の持ち味を十分に発揮できるわけがない。

そんな余裕を持つためには、普段から幅広い情報を持つように心がけていれば強いとも思える。その元となるのはやはり読書ではないだろうか。焦っているときは気がつかなかったことも、あとであの本や雑誌に載っていたなんてことはあるもの。

少し前まで、仕事の予定は机の上にある1か月分の予定表に書き込んで確認していた。最近では、それらの予定はすべてグーグルカレンダーに打ち込んでいる。緊急の場合には紙にさっとメモることも必要だろうが。

グーグルカレンダーには数か月先まで書き込んでも大して時間はかからない。一度記入したものは、一日単位、週単位、月単位でも一覧が見られて便利なものだ。一日のうちでも時間ごとの記入もできる。しかも、自宅のパソコンからでもすぐにアクセスできて、スケジュールを確認したり書き込んだり変更もできる。

と、まあこんな方法を実際にやってみようと思ったのも、この一冊を読んだ結果だった。ちょっとした情報にも関心を持てるかどうかも、自分の仕事を面白くしていくポイントでもありそうだな。

「書類を減らす」より「書類を活かす」

2008年12月29日 | Weblog
「仕事が速くなるプロの整理術」吉越浩一郎著より。

仕事を続けていくうちに資料やデータなどの書類はどんどん増えていく。すべてがデジタルなら紙は必要ないだろうが、それは無理な話で紙の方が便利なときも多い。

デジタルとは違って、紙の書類にはちょっとしたコメントやメモを書き込める。矢印や図を描くことも容易にできる。また大量の資料を並べてさっと目を通して確認もできる。色をつけ加えれば、区別、目印も一瞬でできる。さらに移動中にはバッグから取り出して確認もできる。

このように紙に書かれ(印刷され)ていることで、便利なことも多い。パソコンが導入されたからといって一気に紙は減らせないもの。むしろ、実態はその逆で仕事場ではIT化される以前より紙の使用量は数倍に増えている。

もっとも、すぐにコピーがとれるから増えているともいえるが。不安だから、とりあえず一枚とっておくかという気持ちもあるのは確かだ。机の引出しのなかはそんなコピーのファイルがかなりたまってしまったな。そろそろ整理せねば。

仕事場ではパソコンは一人一台という状態で、そして家に帰っても家族の人数分ある。とはいっても、すべてが同じような頻度で使用しているわけではないが。家でも紙の印刷は頻繁に行われている。プリンターの稼働率は当然高い。でも、ありがたいことに機械は黙って働いてくれる。

だから無理に紙を減らそうとは思わなくていいのかもしれない。古いものから順に捨てれば済むことかも。むしろデジタルと紙をうまく融合させることで仕事のスピードアップは図れそうだ・・・な。

紙を使いこなすことは、ビジネス成功の基本的な条件。

2008年12月28日 | Weblog
「仕事が速くなるプロの整理術」吉越浩一郎著より。

筆者の吉越さんは経営者として成功した人で、かなり以前から有名なのでご存知の方も多いことでしょう。とくにトリンプ・インターナショナル・ジャパンの社長在任中には、19年連続増収増益を達成していた。

2004年には「平成の名経営者100人」(日本経済新聞)の一人に選出されている。そんな経営者だからこそ、“プロの整理術”と言われれば、ちょっとは耳を傾けたくなるものだ。単なる机上の学問ではなく、実践を通じての話には興味深いものがある。

さて、紙とはいってもこの場合、A4サイズの用紙ということになる。気がつけば仕事でも、自宅でも一番よく使うのはやはりA4の紙だった。最近では電子メールでの情報提供や交換が多いが、そのメールとA4の紙は相性がいいらしい。それはメールを印刷するときはA4サイズになるからだった。

紙であれば、デジタルと違って書き込みもその場で簡単にできる。個人的には、仕事ではしばしばファックスで送信されてくるものもあるが、たいていはそれに直接記入するか、コピーをとって必要事項やコメント書き加えて関連部署へ渡し指示している。

こんなことでも、実に簡単、確実でスピーディーでもあることを実感している。どんなに仕事がIT化されても、それだけですべてが間に合うわけでもない。やはり紙をどう使いこなしていくかも日々の仕事のスピードアップには欠かせないな。

「英語の授業は英語で指導することを基本とする」

2008年12月27日 | Weblog
「朝日新聞」社説2008.12.23付けより。

これはちょっと気になるフレーズというより、テレビのニュースでもどの新聞にも掲載されていた記事で、むしろ数日たっても気になることだった。この社説のタイトル部分には「高校指導要領」とあって、“英語で授業・・・really?”とあった。このアルファベットの単語(本当?)は実にインパクトがある。

そして、冒頭は「高校の英語の先生たちの中には、頭を抱える人も少なくないだろう。」と始まっている。要するに平成13年度からは、英語の授業は全面的に英語でやりなさいと言うことだった。

でも、本当に5年後には実施できるのだろうかと思った次第。簡単な会話をするのではない。テキストを見ながら説明も英語でしていく、さらに文法の説明までしなければいけないということになる。

いくら英語の教員免許を持っていても、正確な発音で喋れる先生はそれほど多くはいないだろう。大学入試にはリスニングのテストはあるとはいっても、読解や英作文が中心らしい。入試を考えたら、英語だけで授業を進めたらどれだけ理解度が深まるかも疑問だな。

あと5年で英語がちゃんと喋れる先生がどれだけ育つのだろうか。先生も大変だろうが、もともと英語が得意でない生徒にとってはますます、英語が嫌いになるばかりではないだろうか。中には英単語を覚えるだけでも苦労している生徒もいるだろうに・・・。

全員が平等に英語による指導を受けるよりむしろその対象者は、とくに関心がある生徒だけでもいいのではないだろうか。そして、やるなら徹底して英語が流暢にしゃべれる英会話学校の先生またはネイティブスピーカーを招いてやる方が効果が上がりそうだが。

むしろ初めから、「英語の“教師”は英語で“指導できる”ことを“条件”とする」とした方が先かも。生徒に期待するのはそれからあとかな・・・と思ったりしてね。

携帯充電器ソーラーのもの。これは便利でエコです。

2008年12月26日 | Weblog
「苦情クレーム博覧会ホームページ」より。

2008年『解決』“苦情クレーム博覧会”の当日(10月23日(木)・24日(金)開催)実施したアンケートによる来場者の展示物への意見・感想のなかより気になったものが上記のものだった。というのも、これはもしかしたら私が先日買った製品のことだろうか、と思ったからだ。

とくに今年からはワンセグでテレビを時どき観ているので電池の消耗が激しい。何度かスポーツを観ている途中で電池の残量が少ないという表示とともに画面が消えてしまって、ちょうどいい場面で見られなかったことが数回あった。

それではワンセグの良さも半減してしまう。メール程度なら操作できても電池の残量が急に少なくなると不安なことが多い。そのうち充電器を買おうと思っていたがどれにするか迷っていた。単三電池2本を使用するものもあったが、ちょっと重さが気になったので、ソーラー式のものを購入したのだ。これは小さくて軽いのでかなり重宝している。

電源からも太陽光からも充電できるので結構便利なものだ。ただし自然の太陽光からの場合は時間がかかるのがやや不満が残るが。しかしエコというところも悪くない。これを持っているだけでもかなり気が楽なもの。ソーラーなら乾電池を何度も買い替えるより“エコ”ノミーでもあるかな・・・(な~んてね!)

一般論を話されると、ガードされているような気がする・・・

2008年12月25日 | Weblog
「人生の答え」テリー伊藤、中谷彰宏著より。

よくおしゃべりが好きな人がいるが、その内容を聞いていると意外にも誰かが言っていそうなことばかりだったりする。で、いったい何が言いたいのかも曖昧だったり。

そして、一般的な話をされても聞いているだけ時間の無駄だとも思える時もある。本を読んでもどこかに書いてあるようなものだったらつまらない。やはりせっかく時間を費やすなら新鮮な感動や未知の情報を得たいと思う。

それと、このフレーズのように自分がどう考えるかでなくて、一般論ばかりだとその人に親しみも感じられない。よく自分のことは話さずに他人の話ばかりしている人もいるが、それも自分をガードしているようにも思える。何ごとも程度もので自分のことばかり話したがる人もまた敬遠されるのは事実だが。

そう考えると、ガードがきつい人ははじめからブログで日記など書いたりしないだろうな。もっとも、ある程度匿名性というガードの中で書いているから、自分のことも書けるともいえるかもしれないが。もしそれが本名だけだったらこれほどブログは広まらなかったに違いないな。


負けることの意義と価値を覚えなきゃ、勝てっこない・・・

2008年12月24日 | Weblog
「人生の答え」テリー伊藤、中谷彰宏著より。

だれでも、勝負のときには負けないと思ってやっている。とは言っても永遠に勝ち続けることも難しい。あの日本を代表する優良大企業のトヨタでさえも前年の驚くほどの利益から、今年は一転して1500億円の大幅赤字だという。結果、社長は辞任することになった。1年前のあの余裕がまるでウソのようにさえ思えてくる。

話がずれてしまった。個人レベルの生き方としては、勝ち負けの基準はひとつだけじゃないという。とくに学校では勉強はできないが運動はできるとか、またそのどちらもダメな場合はお笑いで勝負にいったら意外にいいところまでいったりとかいろいろな価値観があるもの。

あるものがダメなら別なものに価値を見出していくことも必要になってくる。だから負けることによって初めてわかるものもでてくる。理数系がダメだから文系にいくというのも多くの人が経験していることだ。その逆もあるが。人それぞれ自分だけの勝負できるフィールドを見つけられるかどうか。

例えば、おしゃべりの得意な人よりも口べたのほうが営業成績がよかったりというのもよく聞く。人にいかにしたら自分のことが伝えられるかは、たんに口先だけの問題ではないこともわかる。気持ちや熱意がどれほど伝わるかが大事なのだろう。なんであれほどの美人があんな男と付き合っているのか不思議に思えることもあったり。

ものごとの勝ち負けの価値基準は意外なところにあるかもしれない。ここに面白い話があった。それはどんなマイナーなバンドにもファンがいるということだった。ほとんどの人はその存在すらも知らないことが多いもの。何がよくて何がダメとはなかなか言い切れないところも多そうだ。世の中理屈では割り切れないところも多いものだなぁ~。(話がまたまたずれてしまったか、アルコールのせいかも・・・)


世の中に存在するマニュアルは100%「古いマニュアル」・・・

2008年12月23日 | Weblog
「人生の答え」テリー伊藤、中谷彰宏著より。

実に大げさなタイトルの本だ。でも中身は二人の対談にスピード感があって意外に面白い。いずれにしても、人が既に作ったマニュアルに従っている限りそれを超えることはできないという意味でもあるだろう。

だからもし、勝とうと思えば、自分にあったルールでゲームを作っていくしかないのだ。それはつまり生きるスタイルとも考えられる。自分のスタイルで人を納得させてしまうほどの個性があれば強い。

たとえば、最近では柔道から総合格闘技に転向した石井慧などはどうだろう。何となくそんな雰囲気を醸し出していそうだが。彼はオリンピックに出場する前から格闘技を目指して「オリンピックは通過点に過ぎない」とまでいってのけている。若いのに実に強い言葉にも思えた次第。あとはいつその結果を出せるかどうか。

作家が自分の得意とするジャンルで勝負するのも、自分で勝てるルールに従っているとも思える。古い例なら、松本清張は社会派推理のスタイルとか、司馬遼太郎なら歴史小説、星新一ならショートショート、藤沢周平なら時代小説みたなものかも。

しっかりした自分だけの世界を確立して、その中で勝負をしてしたら最高ではないだろうか。そういえば、いろいろな契約書などは結局は作った方が有利に出来ていることがほとんどだ。古いマニュアルとは、結局人が作ったものに過ぎない・・・か。

毎朝4時30分に起きている。

2008年12月22日 | Weblog
「どらく」(朝日新聞ホームページ)より。
(さらに前日のつづき)
サードステージとして、「65歳以降のことは考えていますか?」という質問に対して「小説を書きたい、山あいの無医村の医者になりたい」と語る。常に自分のた人のためにメッセージを発信していこうという気持ちがあるようだ。

さて、実にエネルギッシュで活動の幅が広い鎌田さんだが、その原動力の秘密があったのだ。それは早朝の3時間にあるらしい。18歳から60歳まで朝は4時30分に起きて7時30分までは自分の自由時間として使っていたのだ。

その3時間は誰にも邪魔されず、本を読んだりCDを聴いたり、散歩もできたという。医学の勉強にいそしんだ時期もあり、今では本も書いている。そんな宝物のような時間を確保してきたことに原動力の秘密があるようだ。

もっともこれはかなり強い意志がないと続けられない。私のような軟弱人間には無理かも。早朝から仕事として活動をしている人は実に多い。交通関係、テレビ、ラジオ報道などのマスコミ関係者、深夜人が熟睡している時間にも必ず誰かが働いている。

しかし、それは人生の一時期であり、仕事だからやむ負えないともいえる。しかし、鎌田さんはそれとは別に自分の意志で早朝に起きて40年以上も勉強を続けている。こんなことは凡人では無理だろう。ここで、もう一度三日前の日記を思い出した。・・・がんばらない、でもあきらめない、ということ・・・かな。

「自分の弱さを認めることで心にしなやかさや強さが出てきた。」

2008年12月21日 | Weblog
「どらく」(朝日新聞ホームページ)より。

(前日のつづき)
鎌田さんはもともとかなりのがんばり屋さんだったようだ。30年以上前には地域に心の通う医療を目指しそのリーダーとして努力を続けていたのだ。そのため無理をして日々の業務をこなしていたという。仕事中毒になってしまった結果、自身はパニック障害になってしまったと振り返る。

無理な生き方をしているとどこかにほころびが出てしまうということだったようだ。それは心と身体と家庭だった。それ以来、自分の弱さを知ってからはがんばらなくなったという。

しかし鎌田さんは常に人のために役に立ちたいという気持ちが強く、55歳から65歳までのセカンドステージでは命、環境、平和に積極的にかかわっていこうと、チェルノブイリやイラクの子どもたちの支援活動を実行している。

実際には日本各地で講演会などもこなしており、忙しい日々を過ごしている。しかし、今ではそんな忙しささえも自分が一番楽しませてもらっていると語る。人のために役立つことを楽しめるのは実に素晴らしいことだ。そんな気持ちを見習わねばな。

蛇足・・・なお、鎌田さん自身のブログのタイトルは『なげださない』だった。

「勇気をもって、いい加減に生きていこう」

2008年12月20日 | Weblog
「どらく」(朝日新聞ホームページ)より。

長野県の諏訪中央病院院長、鎌田實さんのインタビュー記事から。どこかで聞いたことのある名前だった。何らかのNPOの記事を読んでいたときだったかもしれない。この10月末の新刊本は『いいかげんがいい』というタイトルだった。

いいかげん、はべつにだらしなくテキトーにやればいいという意味ではなく、良い加減ということだったようだが、さらに力を抜いて相反するものもうまく心でハンドリングして加減していくことだと語る。

その例として鎌田さんは自身の本を取り上げている。先に『がんばらない』、次に『あきらめない』を書いている。この二つは一見矛盾しているが、どちらもほどほどにせよということのようだ。

頑張り過ぎない、簡単に諦めないということなのだ。健康オタクは実際には健康優良児とは限らない。また病気をしていても不健康だとは言えないともいう。

最近よく病気の一歩手前の状態のことを未病といわれるが、それを察知してほどほどに気を付けながら過ごすことも大事なのでしょうね。健康の中にも不健康はあって、不健康のなかにも健康はあると鎌田さんは語っている。

そういえば話はずれるが、若い頃徹夜マージャンなどをしていたが、あれは実に不健康な過ごし方だったような気もする。しかし、それができたということは、ある程度健康だったからだとも思えるし。若い時はあまり深くも考えないもので、エネルギーの量もかなり違っていたな。

似たようなことが、ギャンブルの一つパチンコにも言える。あの騒音で空気が悪い中、長時間にわたって同じ姿勢でいられるのもすごいことだ。とても今の自分にはあの世界に入っていく気にもならないなぁ~。何しろ“時間がもったい”が先に立ってしまう。

犬猫型印鑑。

2008年12月19日 | Weblog
「メトロポリターナ」2008.12月号より。

このところ、ペットを飼う人が増えているらしい。自宅の周辺でも犬を散歩させる人が毎年増えているような気もする。少子高齢化の影響だろうか。ペットのツートップはなんといっても犬と猫だ。ブログでも猫派と犬派がいることがわかる。

その犬と猫の形を利用して作った印鑑があったのだ。それが商売になっているというから、面白いところに目をつけたもの。印字する漢字(名字)を犬や猫の形に変形させて作ったものだった。

デザインは犬が約100種類、猫は11種類、そのほかのペットもあるそうだ。それぞれの動物の特徴の中に文字をあてはめて造形している。

家族の一員としてのペットを利用して印鑑ではあるが、一部の銀行、郵便局では届け印としても利用できるという。また、足立区、北区では印鑑証明としても登録できた例もあるようだ。それまでして使いたい人はよほどペットへの愛情が深いのだろうな。

この印鑑は「ワン書体印鑑」と呼ぶらしいが、猫なら「ニャン書体~」となるのだろうか。ちょっと気になるという方は→http://www.inkan.name/sinsyo/index.htmlをどうぞ。(別に宣伝じゃありませんので、念のため)

化粧が脳を活性化。

2008年12月18日 | Weblog
「メトロポリターナ」2008.12月号より。

「明るい色のメークをすると気分が華やぎ、まゆをしっかり描けば気合が入る」って多くの女性が感じているらしい。こんな化粧効果はかなり大きいだろうことは、オジサンでも想像できる。

しかも10月に開催された化粧品の学会では高齢者の女性にファンデーションでメークを行ったところ、脳機能が活性化したという研究成果が発表されたそうだ。実際には、認知症の注意レベルにある高齢女性(平均77歳)をメークし、その前後の脳波を測定して、脳機能が活性化したことが分かったのだ。

また高齢者や患者に化粧をすると癒し効果があるという。「セラピーメーク」として介護施設や医療機関でも導入されているケースが増えているようだ。確かに女性の場合は、化粧がキマればそこそこ自信を持って気分よく外出できることだろう。

しかし化粧などしないオジサンの場合はどうだろう。せいぜいヘアスタイル程度だろうか。人によっては、髪の毛の残量が減ってくると、深刻になる場合もあるだろう。中にはまったく気にしない人もいるだろうが。高齢者のオジサンの場合は髪の毛が増えると脳が活性化すのだろうか・・・?

ふろしきイコール古くさいというイメージを払拭すること・・・

2008年12月17日 | Weblog
「相鉄瓦版」2008.12月号より。

ふだんの生活ではほとんどふろしきを目にすることも使う機会もない。扇子やうちわ、ぞうりなどとともに実に日本の伝統的アイテムの一つだ。上記は“ふろしき、はじめてみませんか?”というタイトルで京都和文化研究所「むす美」のアートディレクター山田悦子さんが語っていたなかにあったフレーズ。

ふろしきの語源は漢字にするとわかりやすい。つまり「風呂敷」となって、もともと入浴時に脱衣所に敷いた布の上で身繕いしたり、行き帰りに着替えを包んだものだった。

またもう一つは、かなり昔からある「包むための布」の文化からきたものだ。ここには次のようにあった。「奈良時代には正倉院に納める宝物、平安時代には貴族の装束を包み運ぶ布」だったようだ。

「包みの文化」の歴史はなんと、1200年以上もまえから続いていたのだ。物を大切に扱ってきたこともうかがえる。しかし、今では使い捨ての紙袋が増えたせいか、粗末に扱うことに慣れてしまったようだ。

いずれにしてもふろしきを使うチャンスがほとんどなくなったようにも思える。考えれば、四角い布一枚でいろいろな形のものを包め運べるのは便利なもの。色柄も豊富でその包んだ形や結びも一種のアートにさえ見えてくる。

バッグのなかに一枚忍ばせておいて、預かりものやいただき物の際に、さりげなくサッと取り出して包めたらけっこうカッコいいだろうになぁ~・・・。