ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

人間はインセンティブに反応する。それこそが、経済学の核心だ。

2014年09月30日 | Weblog
人間はインセンティブに反応する。それこそが、経済学の核心だ。

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

これも、一昨日触れたスティーヴン・ランズバーグの言葉だった。インセンティブとは、報酬、動機、刺激という意味だった。

誰でもインセンティブに反応するのは当然のことだった。それなりのメリットがあれば動きやすい。経済学は、お金の学問ではなく、「選択と交換を考える学問」だという。

人は自分にとって最もインセンティブの高い選択をするものらしい。その人と付き合って、それなりのインセンティブがあると思えば、だれでも付き合いたいと思うものだ。

わざわざインセンティブという言葉を知らなくても、自然とそんな自分にとって有利な選択を常に行っている。いつ買うかなどのタイミングも入りそうだ。

数字は嘘つきではない。嘘つきが数字を使う。

2014年09月29日 | Weblog
数字は嘘つきではない。嘘つきが数字を使う。
『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

この言葉を残しているのは、スティーヴン・ランズバーグ(1954~)というシカゴ大学の経済学の教授だった。森永氏は新聞やテレビでニュースを見る時には、絶対頭に入れておきたい言葉だという。

数字を使ったトリックはしばしばあるようだ。使う側が有利な数字を使えば、それを信じてしまうかもしれない。すぐに数字を使いたがる人間は、逆に警戒した方がいいようだ。

数字を前面に出して説明されると、それがすべて真実かと錯覚してしまうこともある。それは危険なことだった。どのようなデータに基づいているか確認する必要もあるのだろう。

何かを決める際にも、単に出てきた数字だけで判断すると、しばしば大きな間違いを犯すこともある。大事なのは現場や現状を把握することが第一だろう。

予測不可能なリスクを乗り越えることで、利潤が生まれる。

2014年09月28日 | Weblog
予測不可能なリスクを乗り越えることで、利潤が生まれる。

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

フランク・ナイト(シカゴ大学の教授・1885~1972)の言葉だった。ハイリスク・ハイリターンとかローリスク・ローリターンという言葉は聞いたことがある。

森永氏はかつての日本にはローリスク・ハイリターンの世界が存在していたという。それはお役所や超一流企業に勤めることだった。

巨大組織に入り込んでしまえば、定年まで収入が上がり続けたからだった。しかし、それは過去のことだろう。今ではそんなことはあり得ない。どんな一流会社も倒産する危険はある。

意外なことだが、アメリカでは学歴に基づいた階級社会だったのだ。一度エリートコースに入れなかった人間は、自分で会社を作らない限り、絶対高収入を得られないという。

だから放っておいても、年収が上がる日本の企業の方が、世界的には特殊だったようだ。もし高収入を得たいと思えば、予測不可能なリスクを乗り越えねばならないということだった。

アイデアは、熱心に働いているときに限って現れる。

2014年09月27日 | Weblog
アイデアは、熱心に働いているときに限って現れる。

『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

マックス・ウェーバーが残した言葉だった。何かで成功したいと思えば、その発想はまったくの無からは生まれるはずはない。

どんなことでも、夢中になってやっているときやその後にリラックスしているときに、ふと、思い浮かんだりするものだ。

それなりに努力しなければ、何も生み出すことは不可能だろう。楽をしてできることは、誰でもできることで価値はないとも言えそうだ。

アイデアが浮かぶためには、新しい刺激をうけることも大事なようだ。それは仕事ばかりとは限らない。遊びも積極的にやればこそ、得るものはあるのだろう。

人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る。

2014年09月26日 | Weblog
人間は、行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る。
『本当の幸福を得る「唯一の方法」』森永卓郎著より。

サブタイトルには、“お金に踊らされない経済学の名言102”とあった。もともとのタイトルはかなり大げさだとも思える。むしろサブのほうがわかりやすい。

上記のフレーズを残しているのはトーマス・ギロビッチ(1954年生まれ)というコーネル大学の心理学教授だった。しかも経済学賞を受賞していた。

私たちは、とくに物を買う場合にはよく迷ってしまうことがある。そして、また後日にしようと思って買いそびれると、あとで後悔することもしばしばだ。やはり欲しい商品を買い逃した後悔は、お金に換算できない。

森永氏はミニカーのコレクターでも有名だが、迷った時には必ず買うようにしているらしい。もし、ダブってしまってもオークションに出せばいいという考えだったのだ。なるほどとも思える。

リスクの少ないことばかりやっていたら、達成感がない。

2014年09月25日 | Weblog
リスクの少ないことばかりやっていたら、達成感がない。

『「ヤミツキ」の力』廣中直行・遠藤智樹著より。

勝負事でも仕事でもいくら勝ったとかトップをとれたからといっても、そのレベル自体が低ければ、達成感もイマイチだろう。

ゲームなら、何もヒントがないところから勝てるノウハウを見出して勝った場合と、先に攻略本を読んでから進めるのとでは、結果の充実感は異なってくるものだ。

仕事でもたんにマニュアル通りにやっているだけでは、面白味もないだろう。営業なら予算さえ達成できれば、それで満足かといえば、やはり自分なりの力を思う存分発揮できたときだ。

営業もオリジナルなことを考えてやる場合はそれなりのリスクは伴うものだ。しかし、それを実行して思うような結果がでたときの達成感は一味違う。ちょっとしたリスクは仕事でもスパイスと考えたい。

「やみつき」は自分を伸ばしてくれる。

2014年09月24日 | Weblog
「やみつき」は自分を伸ばしてくれる。

『「ヤミツキ」の力』廣中直行・遠藤智樹著より。

これはいったいどういうことだろうと、ちょっと気になった次第。ここではピアニストを例に出していた。1日練習をさぼったら自分にわかり、2日さぼったら批評家にわかり、3日さぼったら客にわかってしまうという。

それくらい、厳しく練習をする必要があるという意味だろう。もし、人からの評価を得ようとするなら、少々さぼっても大丈夫だった。

ところが自分自身はそれでは満足できるはずもないだろう。「やみつき」はしょせん自分の満足だという。自分がダメだと思えばダメなものだった。

写真も人がホメれくれたら、それで満足かといえば、自分ではまだまだ何かが足りないと思えば、満足感は得られないものだ。根気よくチャレンジできるのも、やはりやみつきの力なのだろう。

ネットにある情報はしょせん、誰か別の人間が用意した情報。

2014年09月23日 | Weblog
ネットにある情報はしょせん、誰か別の人間が用意した情報。
『「ヤミツキ」の力』廣中直行・遠藤智樹著より。

この第5章のタイトルは、“やみつきがくれるパワー”となっていた。まずは、何かわからないことがあった場合、ネットで検索することが多い。それを「ググる」とも表現される。

つまり、「グーグルで検索する」という意味だった。インターネットで検索すればいろいろなことを調べることができてしまう。

当たり前のように、検索できるから便利ではあるが、その知りたい答えを知ってしまえば用はなくなってしまう。むしろほとんど考えることなしに知ることができる。

これはある意味考える習慣をネットに預けてしまったとも指摘していたが、なるほどそうとも言えそうだ。いとも簡単に知ることができただけで、何かを理解したような気にもなってしまう。

実際に映画を見ていなくても、その内容を知ることはできるが、本当の感動など得られないものだ。わかったような気にならないということがポイントだろうな。気をつけねば。

マイ○○を持つとテンションは上がる。

2014年09月22日 | Weblog
マイ○○を持つとテンションは上がる。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

(前日のつづき)
これは前日触れた、お気に入りの道具とも似ている。マイ○○というようなものを意識して持ったことがあるだろうか。

振り返ってみれば、ボールペンがそうだったかもしれない。それはゲル状インキのもので、力を入れなくてもスラスラと書けるものだった。今でもしばしば使っている。

インクがなくなれば替え芯を買ってまで使ったものだった。ノートに落書きをする時には実に都合がよかった。思いつきをどんどん書いていけるからだった。

今まで何十本使ったかわからないくらいだ。また、ノートも同じ大学ノートを使っていた。安いものだから、空白のページができても気にならなかった。

これは前日も触れたことだったが、その後はオリジナル一筆箋だった。手作りなら好きなデザイン、イラストができる。だからそこテンションも上がったものだった。

道具からもらうテンションは大きい。

2014年09月21日 | Weblog
道具からもらうテンションは大きい。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

中谷氏はボウリングをするが、マイボールを持っているのが当たり前だという考えだった。多くの人はうまくもないのにマイボールなんか持てないと考えているようだ。それほどの腕前じゃないと考えているからだった。

うまくなってマイボールを持つより、最初にマイボールを持ってコツコツ努力していくほうが、テンションを上げていけるそうだ。

つまりそれが、道具からテンションをもらうという意味だった。道具に凝ることは、上達のヒントかもしれない。

私は以前一筆箋をよく使っていたが、既成のものより自分で作ったオリジナルなもので書いたほうがテンションが上がったものだった。

人の集まるところには、エネルギーがある。

2014年09月20日 | Weblog
人の集まるところには、エネルギーがある。

「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

たとえばパーティーなら人は集まるが、そこに行くまでは億劫なときもあるものだ。宴会も同様だろう。

しかし実際にその場に行ってみれば、その人の集まりからエネルギーをもらえることもある。まあ、人や雰囲気でその場はかなり異なるだろうが。

それはもともとテンションが高いパーティーのことだった。逆にテンションが低いと寂しいものだ。できればそんな人とはかかわりあいたくはない。

人に会うことで気分が高まることも多い。やはりその相手が元気があるからだろう。できれば自分も相手を元気にしてあげられればベストなのだろうな。

自分が主催して、幹事になって人を集めるのもいいものだ。それでみんなが喜んでもらえれば自分も満足感を得られる。

習い事は、疲れても行くとテンションが上がる。

2014年09月19日 | Weblog
習い事は、疲れても行くとテンションが上がる。
「テンションを上げる45の方法」中谷彰宏著より。

サブタイトルは“3分で「やる気モード」になれる”となっていた。筆者の中谷氏は毎日のボウリングと週2日のボールルームダンスを4年続けているという。

習い事の時間にテンションの低いこともあるようだ。曜日と時間を決めてなければ、行くのがめんどうくさいときもあるらしい。

しかし、予約が入っていれば行かざるを得ない。でも、行くと元気になるのだった。継続してやっているものは、テンションが低い時でも行くとテンションがあがる。

ここでのポイントは生活の中に組み込んでしまうことだった。テレビの番組も行くのが面倒な時もあるらしいが、行けば元気になって帰ってこれるようだ。

ブログやフェイスブックも時間があれば、また何かネタがあればアップしようと思っていると、頻繁には更新できない。ところが、生活の一部としてやっていればそれほど苦にはならずにやれるものだ。

だから、日にちを決めて、習い事をするのは結果的にテンションを保つ元になっているのだろう。まあ、そんなことを意識しなくても継続できれば、まあいいか・・・

仮説は単なる「勉強」だけでは生まれない。

2014年09月18日 | Weblog
仮説は単なる「勉強」だけでは生まれない。

「朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。

(前日のつづき)
何か新しいことを始めるときに、人はとかく勉強から始めようとする。本を読み専門家の意見を聞こうとする。しかし、それは過去の経験の積み重ねをなぞるにすぎないことが多いと鈴木氏は指摘する。

温故知新という言葉があるように、確かに過去を知ることは大事だが、それに縛られているうちは、前には進めないだろう。さらに大事なことは、仮説だという。

それは単に勉強からは生まれないのだった。セブンイレブンが店舗にATMを設置するために自前の銀行を設立しようと考えたのも仮説だった。

すると学者も金融コンサルタントも、銀行業界の人も、収益源がATM手数料だけでは、コスト的にも成り立たないと否定論がほとんどだった。

その既存の常識に染まっていたら、セブン銀行は生まれなかったのだ。これが成功したのは常に顧客の利便性という立場で考えて、必要なものだと仮説したからだった。

最後の行には「過去の経験の積み重ねをなぞる勉強だけをしていては、いつまで経ってもあたらしい仮説は生まれない」とあった。肝に銘じたい。

いまは顧客自身に「こんな商品がほしい」という意見のない時代。

2014年09月17日 | Weblog
いまは顧客自身に「こんな商品がほしい」という意見のない時代。

「朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。

いま何が欲しいと聞かれても、すぐには答えられないことが多い。つまり目の前にないものについては答えられないのだ。

しかし、現物を見せられると初めて、こんなものがほしかったと気づくこともある。消費が飽和状態だと、どんな商品が欲しいかが自分自身わからないということだった。

消費者調査やアンケート調査は、誰が聞いても同じような結果がでるので、どこも同じような商品しかつくれないし、差別化できずに終わってしまうそうだ。

顧客は自分でも気づいていない潜在的ニーズについては答えられない。そこで大事なのは「仮説と検証」だった。いろいろ考えて、こんなものがあったらうれしいのではないかと考えるのが仮説だった。

誕生日にプレゼントを送る場合、もっとも感動してくれるのは、自分でも意識しなかったが、本当はこんなものが欲しかったものだろう。つまり自分の潜在願望を掘り起こしてくれるようなプレゼントなのだ。

経験や常識の壁を破らなければ、感動を伝える仕事はできない。

2014年09月16日 | Weblog
経験や常識の壁を破らなければ、感動を伝える仕事はできない。

「朝令暮改の発想」鈴木敏文著より。

(前日のつづき)
ここでは、オリジナル高級アイスクリームを開発したときのことについて述べられていた。それまでは、低コスト最優先のアイスクリームを提供していたので、やはり無理、不可能という言葉がほとんどだったそうだ。

そこで、とりあえず試作品だけでも作ってみませんか、それでおいしくなければ商品化はあきらめる、と提案したそうだ。

するとメーカー側の開発担当者は、自分たちの作った試作の味に感動し「ぜひ商品化したい」と一転消極論から積極姿勢に180度変わったのだ。

できない理由を一つ一つつぶしていくことで、可能性は高まるのだった。多少コストはかかても高品質の商品をつくるにはどうすればいいかと考えたのだ。

結果的にヒット商品になって、同業他社が伸び悩むなかで、業績を大幅に伸ばすことができたと述懐している。