ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

最初から万人ウケを狙うと、必ず失敗する。

2015年09月30日 | Weblog
最初から万人ウケを狙うと、必ず失敗する。

「なぜ、島田紳助は人の心をつかむのが上手いのか?」内藤誼人著より。

では、どうすればいいのかといえば、その逆をいけばいいだけのことだった。ここでの表題は、「あえてニッチなところからスタートせよ」だった。

紳助さんは、万人ウケするタレントでもあったが、それは結果論でもあった。最初からそれを狙っていたわけではなかった。

面白い実例があった。今では誰でも普通に飲んでいるコカコーラも、最初は病人向けの飲み物だったらしい。疲れた人の活力剤的な飲料水だったのだ。そういえば、初めて飲んだ時はなんだかクスリのような匂いだった気もする。

最初は大きなところを狙わずに、自分にできること、やれそうなところからスタートするのが賢明らしい。テストマーケティングをする気持ちで始めるのがいいようだ。

スピーチなら、聞いている人に感動を与えようとするよりも、ソツなくこなすことに意識をおくほうが緊張しないものらしい。

友だちづきあいのコツは、自分をさらけ出して、ガラス張りにすること・・・

2015年09月29日 | Weblog
友だちづきあいのコツは、自分をさらけ出して、ガラス張りにすること・・・

「なぜ、島田紳助は人の心をつかむのが上手いのか?」内藤誼人著より。

島田紳助は今では芸能界からすっかり足を洗ってしまってマスコミに出ることはない。たが、彼の活躍はまだ記憶に残っている。

テレビ出演のオファーも多かった。ということはそれなりに実力があったともいえよう。この一冊には彼がなぜ、多くの人にウケたかのノウハウが書かれている。

自分をさらけ出して、あけっぴろげな付き合いほど、気兼ねなく付き合える。そのために自分のことをネタにしてしまうのがいいらしい。なかなかできそうでできない。紳助はそれをしていたのだ。

そんな人ほど、相手には魅力的と評価されるという。面白い自虐ネタがあるだろうか、とふと振り返ってみるとすぐには思いつかなかった。やはり事前の準備が必要そうだな。

一流を知らなければ一流になれない。

2015年09月28日 | Weblog
一流を知らなければ一流になれない。

「男が人生で捨てていいものいけないもの」川北義則著より。

ふだんは節約をしていても、時にはちょっと贅沢に使う楽しみを味わうほうがいいという。確かに節約ばかりしていては、本当に楽しい人生とは言えないかもしれない。

余裕がある範囲で一流といわれるものに触れるのは充実した時間を過ごしているともいえそうだ。やはり一流といわれるレストランで食事をする経験を何度か重ねれば、気持ちにもゆとりが出てくる。

ここで引き合いに出しているのは、岡野雅行さんだった。世界一の職人といわれるが、まだ貧乏だった時代にも年に一度は奥さんと超高級ホテルに泊まっていたという。

そのためになけなしの金をはたいたが、それなりに勉強になったと振り返っている。一流品を見る目は、やはり本物に触れてこそ学べるのだろう。

物欲を持っていても恥じることはない。

2015年09月27日 | Weblog
物欲を持っていても恥じることはない。

「男が人生で捨てていいものいけないもの」川北義則著より。

お金で買える幸せがあるなら買ったらいい、というのは川北氏の持論のようだ。まあ、余裕があるなら無理に我慢してストレスをためることはないかもしれない。

よく言われるのは、幸せはお金では買えないというが、時には買えるものもあるのは確かだ。もちろんすべてが買えるとは限らない。

ちょっとしたぜいたくは、その後の生きる励みにもなったりもする。また、自分ががんばったご褒美に何かほしかったものを買うというのもありだろう。

「見返してやる」という気持ちは大事。

2015年09月26日 | Weblog
「見返してやる」という気持ちは大事。

「男が人生で捨てていいものいけないもの」川北義則著より。

いつか見返したいと思うのは、相手の能力、立場、人間的魅力だったりするようだ。また人から気に入らないことを言われた場合もそんな気持ちになることはある。

そんな人間以上のことをしてみようと思ったりする。また相手ができない能力を身につけたいと思うこともある。しかし、そう思うことによって自分の能力があがればしめたものだろう。

ここで、引き合いに出しているのが、中日ドラゴンズで監督をつとめて実績をあげた落合博満さんだった。彼の言動によってしばしば好き嫌いが極端に分かれるだろう。しかし、現役時代に3度の三冠王をとったのは日本のプロ野球界では彼しかいない。

初めて彼が三冠王をとった時に、数字はどれも突出したものではなく、野球解説者はこんな低レベルな三冠王など認めない、と発言したそうだ。それに対して、落合氏は三冠王をとってない人に言われたくない、と反論したという。

彼はその3年後に誰がみてもハイレベルな数字で三冠王をとっていたのだ。きっと見返してやるという気持ちが強かったからこそ、それができたのだろう。不屈の精神力がなければ不可能に違いない。

その人のキャラなりの引出しをたくさん持てばいい。

2015年09月25日 | Weblog
その人のキャラなりの引出しをたくさん持てばいい。

「コミュニケーションの授業」中谷彰宏著より。

いきなりこれだけでは、意味がわからないが、ここでのタイトルと見ると少しは理解できる。ここには「自分のキャラにあった得意技を持ちながら、引き出しを増やしていく」とあった。

要するにコミュニケーションでは、ワンパターンでは通用しないということでもあるのだ。常に次の得意技を生み出していくことで、よりいいコミュニケーションが図れるということだろう。

コミュニケーションというと、相手と話すことばかり考えがちだが、そうでもなかった。まずは、自分自身との対話があるかどうかが大事だった。

まずは、自分が納得できるかどうかがスタートなのだ。自分が考え出した企画を自分で納得できるかどうかということでもあるだろう。人とのコミュニケーションはその後のことだった。

必要なのは、インパクトのある言葉ではなく、インパクトのある目線です。

2015年09月24日 | Weblog
必要なのは、インパクトのある言葉ではなく、インパクトのある目線です。

「コミュニケーションの授業」中谷彰宏著より。

いくらインパクトのある言葉でも、耳にしたすぐ後で忘れてしまうことがほとんどだ。ことばで印象を残そうと思っても、なかなかうまくいかないものだ。

大事なことは、みんなが気づかなかったことに気づけるかどうかだという。写真でも漠然と撮ったものは、つまらない。自分が面白いと思ったものが伝わったほうが、見ている人にも面白く感じられるだろう。

いくら気の利いた言葉を探してみても、それではまだ十分ではなかった。コミュニケーションには、言葉以上の行動が伴っていることも大事なことだろう。

ここで筆者は棟方志功さんを引き合いに出していた。版画を掘るのが器用とかということではなかった。みんなと違う見方に気づける感性を持っていたことだ。芸術家はみなそうでなけれ、その道で生きてはいけないだろう。

これは営業の仕事にも当てはまりそうだ。人がやっていそうでやってないこと、あるいは自分には簡単にできるが、人にはそうそう簡単にはできそうもないことでインパクトを与えられることなどだ。

問題は、そこに気づく人は多いだろうが、実際すぐに実行することはほとんどないのだろう。そこで差がつくと思われる。

正しい話やいい話をしたら通じるわけではありません。

2015年09月23日 | Weblog
正しい話やいい話をしたら通じるわけではありません。

「コミュニケーションの授業」中谷彰宏著より。

相手に伝えるためには、理路整然と語る必要がある。しかし、それだけではまだ不十分だった。そこに熱意はあるだろうか。

むしろ、ベースは喜怒哀楽だった。つまり感情が伝わることが大事だったのだ。話の中に、「うれしかった」「悲しかった」「楽しかった」などがあると内容も伝わりやすいそうだ。

聞いて印象に残るのは、いい話よりもうれしかったことや、楽しかったことだった。お客さんに「こんないい商品です」と勧めても、あまりピンとこないものだ。

むしろ、自分が使ってみて本当に良かったことを伝えるほうが説得力はあるものだ。そこに自分なりの感情が入っていることがポイントのようだ。ここでの結論は、「理路整然よりは、喜怒哀楽を話そう」だった。覚えておきたい。

相手に熱が伝わるのは、話の中身よりも表情・口調・態度です。

2015年09月22日 | Weblog
相手に熱が伝わるのは、話の中身よりも表情・口調・態度です。

「コミュニケーションの授業」中谷彰宏著より。

しばしばナンバーワンのセールスは話し方が飛びぬけてうまいのではないかと思われるが、決してそうではなかった。むしろ、この人が?と思うぐらいに話がヘタだったりするようだ。

しかし、「熱」を感じさせる何かをもっているから信用されるという。確かに立て板に水のごとくしゃべられても、逆にうさん臭く聞こえてしまう。おまけに、気持ちが伝わってこないものだ。本気かどうかは、やはり熱が伝わるかどうかでもあるようだ。

また縁を感じるかどうかも、その後のコミュニケーションに影響する。意気投合する場合は、何らかの縁があったときだ。出身校、子供の学校関係、出身地、趣味…など、どこかでつながっているところを探すものだ。

コミュニケーションがあるからこそ、縁を感じることもできるのだった。それも真剣であることが大事なのだろうな。

脳の健康法と身体の健康法はほぼ同じ。

2015年09月21日 | Weblog
脳の健康法と身体の健康法はほぼ同じ。

「脳を活かす生活術」茂木健一郎著より。

脳にも健康法があるとは初耳だった。だから生活習慣そのものが脳であるともいえるそうだ。芸術家を引き合いに出していた。ピカソや武者小路実篤は晩年まで創作意欲が衰えることなく、九十年以上の人生を生き抜いていた。

また百五歳で大往生を遂げた日本画家の小倉遊亀さんは89歳の時の著書で「生きることは、昨日の自分に一歩つけ加えて新しい何かを今日見つけること」と記しているそうだ。

筆者はピカソのことは、画家というより、絵という生涯追求できるものを見つけた「人生の芸術家」としての姿を思い浮かべるという。

いつまでも飽くことなく、追い続けられる対象をみつけることこそ、「ピカソ」だという。そこで、だれでも人生のピカソになれるという。実に面白い考えだ。

難しいことに挑戦し続けること。自発的なチャレンジ精神を持ち続けることが最も大切なことで、そのためにも「健康」でなくてはならないのだ。

常にアイデアを自分に課すことで脳は活動を続ける。

2015年09月20日 | Weblog
常にアイデアを自分に課すことで脳は活動を続ける。

「脳を活かす生活術」茂木健一郎著より。

ここではアイデアトレーニングという方法を提案していた。そこで必要なのは、ハテナマークだけだった。たとえば、「もっといいやり方はないか?」「本当にこの方針でいいのか?」と自分の行動に疑問を投げかけることだった。

そのために、いろいろとアイデアがないかを考えることは脳の活性化にもなるはずだ。大事なことはひらめきをキャッチするクセをつけることだった。

そして、アイデアが浮かんだら、自分にご褒美をあげるということだった。こんなふうに、楽しみながら無意識を耕すことができるそうだ。

ここでの、茂木流脳の道具箱では、「日記をつけて脳の楽観回路を磨く」「ハテナマークで楽しみながら無意識を耕す」などを提案していた。

楽観的になるためのイメージトレーニング。

2015年09月19日 | Weblog
楽観的になるためのイメージトレーニング。

「脳を活かす生活術」茂木健一郎著より。

いったい何のことだろうと思った次第。ここで筆者が経験から勧めているのが日記だった。ブログで日記をつけているという。書く内容は、出会った人から学んだことや、思い浮かんだアイデアだった。

やや難解だが、筆者は「記録を通して記憶や思考が意味を持ち、ひいては経験となる」と述べていた。ゆっくり読み返さないとよくわからないが、味のあるフレーズでもあった。

また、「見えないものを可視化させ実人生で応用可能なものに変換するのが、日記をつける作業」だと述べていた。なるほど書くことで具体的になり、それをもとに話すこともできる。

記すという行為は、脳を活かすことでもあったのだ。ある意味楽観回路を耕すことだという。実に面白い表現だと思った次第だ。

人づきあいのうまくない人は「譲れない人」だと思う。

2015年09月18日 | Weblog
人づきあいのうまくない人は「譲れない人」だと思う。

「逃げない男の生き方」川北義則著より。

 ある意味それは頑固者ともいえそうだ。つまらないことにこだわったりしているのもそういえそうだ。自説も時には曲げることも必要だった。結果的にそれで得することも多いようだ。

アメリカ建国の父といわれるランクリンはもともと自説を主張するような人物だったらしいが、それでは意見が通らないことも多かったようだ。そこで、「自分の意見が通らないのは、中身ではなく言い方にある」と気づいたのだ。

いくら正しいことも、人はその通りに理解してくれるわけではなかったのだ。そこに気づいてからは「・・・かもしれないですね」「・・・とも考えられますね」とやんわりと主張するようにしたそうだ。

すると結果的に主張、意見は通るようになったという。勝たなくても負けなければいい、というふうに柔軟に考えることも必要なのだな。

人間は何かに夢中になっているときが、輝いているときなのだ。

2015年09月17日 | Weblog
人間は何かに夢中になっているときが、輝いているときなのだ。

「逃げない男の生き方」川北義則著より。 

何かに没頭しているときは、時間がたつのも忘れてしまう。そんなときは充実した時間を過ごしていることが多いものだ。そのときは自分の年齢さえもすっかり気にしないものだ。

ところが、日本人の悪いクセを筆者は指摘していた。それは。年をとってくると、年相応に老け込むことを強要するところだった。もういい年なんだから、というやつだろう。

井上靖の言葉があった。「年齢というものには、元来意味はない。若い生活をしている者は若い。老いた生活をしている者は老いている」だった。

まあ、年相応という言葉で、禁止事項を自ら課すようなことをすると本当に年寄りになってしまうそうだから、気を付けねばな。

「この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びを見ることだ」

2015年09月16日 | Weblog
「この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びを見ることだ」

「逃げない男の生き方」川北義則著より。 

こんな言葉を残したのは、三島由紀夫だったようだ。ここでの小タイトルは、“「幸せ」という言葉は男には似合わない”、となっていた。

男はむしろ周囲の人を幸せにしてやる方なのだろう。志賀直哉の言葉も紹介されていた。「幸福というものは受けるべきもので、求めるべき性質のものではない」と。なるほどと思わせられた。

筆者が充実しているときは、一人でも多くの人に喜んでもらいたいという思いで本を作っている時だそうだ。これはある意味サービス精神ともいえる。

確かに自分が自主的にしたことで、人に喜んでもらえたときは気持ちがいい。そんな機会をできるだけ持ちたいものだな。