ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

素直さは人を強く正しく聡明にする。

2016年08月31日 | Weblog
素直さは人を強く正しく聡明にする。

『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。

これは、松下幸之助さんの「道を開く」からの引用だった。この本なら40年くらい前にも読んだことはある。しかし、覚えている言葉はまったくない。

特別難しいことでなく、当たり前のようなことが書かれているが、それが松下氏の言葉だということが重要なのだろう。これもシンプルでしかも深みのある言葉かもしれない。


毎日毎日、少しでも「創造的な仕事をする」ことを心がけていく。

2016年08月30日 | Weblog
毎日毎日、少しでも「創造的な仕事をする」ことを心がけていく。

『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。

これは稲盛和夫さんの「働き方」という本からのワンフレーズだった。「たとえ、一日の進歩はわずかでも、十年もたてば、とてつもない大きな変化が生じる」、と続いていた。

いくつもの大事業を成し遂げた稲盛さんの言葉には、耳を傾けたいと思うものだ。単純な繰り返しの中にも、ちょっとした工夫で、クリエイティブなものはいくらでも生まれるようだ。

氏の有名な言葉には次のものもあった。「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」。覚えやすくわかりやすい。ポイントは計画だけは楽観ではいけなかったのだ。慎重にやらないと失敗してしまうからだ。

教養とは引用の根元を知っていること。

2016年08月29日 | Weblog
教養とは引用の根元を知っていること。

『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。

なんと日本が世界に誇る「源氏物語」でさえ、中国の文章を引用して、さまざまな形でアレンジしているということだった。そして、その「源氏物語」もさらに、引用されて多様な作品が生まれているという。

やはり本当に価値がある作品は引用されるものなのだろう。引用の元を知ることは知識も増えて教養につながっている。

欧米圏なら、「聖書」が絶対的な引用の大元だった。それを知らずに話していると、知的教養を疑われるらしい。

普段から引用しようと思っているかどうかで、インプットとアウトプットの質さえ違ってくるのだった。それを人に話すことで定着するようだ。

緑のたくさんある自然ほど創造力を高めてくれる。

2016年08月28日 | Weblog
緑のたくさんある自然ほど創造力を高めてくれる。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

これは心理学のデータで明らかになったことらしい。ここでは、人がびっくりするようなアイデアを出したいと思えば、自然に親しむのがいいとアドバイスしている。

森林浴をしながらモノを考えるのは、有効なテクニックのようだ。ここで、一例があった。それは、草の実が衣服にくっついたことから、マジックテープを思いついた人がいたからでもあった。

自然のなかには、いろいろな意外なヒントが転がっているのかもしれない。そういえば、FBで友達になっている人は、拾ってきた石ころにネコの絵を描いていた。それは素晴らしいプレゼントにもなっている。

また、昔から海岸や川で拾った流木さえも貴重な材料やアートにもなっていた。結局、自然のなかを歩くからこそいいアイデアが浮かぶのだろう。

身体を動かさなければ、良いアイデアを得られない。

2016年08月27日 | Weblog
身体を動かさなければ、良いアイデアを得られない。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

身体を静止させていると、思考も静止してしまうらしい。研究によってじっと座ったままモノを考えることは、非効率的だという指摘もある。

しばしばいわれるのは、身体と精神は、密接に結びついているということだった。確かに前向きになれるのは、いつも体調がベストなときだ。

またそんな時にはいいアイデアも浮かびやすい。ユーモアや、お笑いのネタも体調がいい時のほうがたくさん思いつくと思える。

いちばん簡単なのが、「散歩」だった。これは発想力を高めるのに役立つらしい。そこで、大事なのは、頭の中で意識的にモノを考えていることだった。つまりこれがメンタル・ウォーキングというものだった。

ストレスを感じていないような人間は、よいアイデアなど出せるわけはない。

2016年08月26日 | Weblog
ストレスを感じていないような人間は、よいアイデアななど出せるわけはない。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

つまり良いアイデアを出すためには程度なストレスが必要だというわけだった。ストレスは決してネガティブな意味合いだけがあるのではなかった。

むしろ適度なストレスは生活にもメリハリを与え、頭を活性化させてくれるそうだ。

こうすれば、もっとよくなる、こんなものがあればもっと便利になるというような視点だった。

ひどい精神的なストレスは別として、ちょっとしたストレスならコントロールすることで、いい方向に向かえるのだろう。むしろそれを利用したほうがトクともいえそうだ。

あまりガツガツせず、穏やかにのんびりと暮らしていければいい。

2016年08月25日 | Weblog
あまりガツガツせず、穏やかにのんびりと暮らしていければいい。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

これが、氏の人生に対する基本的スタンスだという。そのためには、ある程度経済的にも安定していることが基礎になければならないだろう。

いつも心の平安を感じられればそれは幸せなことだ。確かに何が正解だというのは、人それぞれで感じ方が異なるものだ。

あとで振り返ってみて、これで良かったのだと思えればその人にとっての正解かもしれない。そのために、日々充実した時間を過ごしていきたいものだな。

人生の「きっかけ」を買う。

2016年08月24日 | Weblog
人生の「きっかけ」を買う。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

まず一例があった。それは1万円を給料日まで温存しておいて、その日が来たらパッと散財してしまうということだった。ムダ遣いということでもあった。

しかもそれには、「これを買うと、自分の人生がちょっと変わるんじゃないかな」と思えるようなものにお金を使うことだった。ミニ盆栽、お絵かきセット、ゲテモノ料理・・・無数にある。

もしかしたら、ちょっとしたことから人生の新しい扉が開くかもしれない。まずは、とりあえずムダ遣いしてもいいものを探すことから始めたいものだ。

「今日はどんな恥をかいてやろうか」

2016年08月23日 | Weblog
「今日はどんな恥をかいてやろうか」

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

実にインパクトを感じるフレーズだった。誰でもはじめから恥をかこうと思ってやったりはしないだろう。結果的に恥をかいてしまったことはあるものだ。

人との出会いも恥をかくかもしれない、と思うようなことから生まれることが多い。知らない人に話しかけるのは勇気がいるものだ。恥をかくかもしれないからだ。

タイトルにあげたような気持ちでいれば、楽しいことも今以上に経験できるのかもしれない。ここでのタイトルは「一日一恥」だった。

いい後悔と悪い後悔。

2016年08月22日 | Weblog
いい後悔と悪い後悔。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

筆者は子供の頃から、「やらずに後悔するより、やって後悔しろ」と父親に言われ続けたという。そう言ってくれる親がいることは心強いだろう。

ほんのちょっとした一言が背中を押してくれるものだ。やった後悔より、やらない後悔のほうが多いものだ。たいてい後から考えれば、あの時こうしていれば、などと思うが、その時にはとても踏ん切りがつかないものだ。

しばしばやったことがないから、やめておくということがある。しかし、やったことがないからこそ、やる価値があるものも多いことも確かだろう。

仕事でも、人と同じようなことをしていては、それ以上にはなれない。むしろ、人がやっていない、思いつかないことをやるからこそ、その後の成果も期待できるともいえそうだ。

もちろん、それなりの失敗もあるだろうが、それは次への経験として蓄積されるものだ。ここでの「いい後悔」とは、やってみたあとでの後悔のことだった。

自分の不快感情に敏感になる。

2016年08月21日 | Weblog
自分の不快感情に敏感になる。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

筆者は、人間にアイデアをもたらす源泉は何かと聞かれたら、それは「不快感情」だと答えているそうだ。

つまり、不愉快であれば、それをなんとか改善しようと思いうものだ。そのために、いろいろと考えることが、アイデアにつながることは容易に想像できる。

アイデア商品のほとんどは、それが原点だろう。どうしたら、もっとうまくいくかを徹底的に考えるのだ。

逆に創造的でない人間は、保守性、あきらめ、依存性があるという。それも頷ける。発想のトレーニングには、どうしたら今の不快さを取り除けるかを考えていればいいのだった。


「ひらめき」というのは、勝手に頭に思い浮かぶものではない。

2016年08月20日 | Weblog
「ひらめき」というのは、勝手に頭に思い浮かぶものではない。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

しばしば、なにかいいアイデアがひらめいたというようなことを聞くが、そのためには、まずテーマがなければならなかったのだ。

そのテーマについて考えているからこそ、アイデアが浮かんできたのだ。前提は、素晴らしいひらめきのためには、それと同じくらい素晴らしいテーマを持っていることが必要だったのだ。

それは、必ずしも自分で考えなくても、人からヒントをもらってもよかった。ビジネスでは、しばしばクレームが次の新しい企画やアイデア、サービスへのいいヒントともなることもある。

芸術家として成功している人たちは、「分裂思考」で仕事をしている。

2016年08月19日 | Weblog
芸術家として成功している人たちは、「分裂思考」で仕事をしている。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

この分裂思考とは、まったく無関係な2つの要素を、頭の中で結びつけてしまう能力のことだった。確かにそれができることは、クリエイティブな能力があるといえる。

またそのためには、頭が柔軟でなければならない。単に常識にとらわれているうちは、感動や面白味のあることは創れないだろう。

さて、ここでは面白い例があった。それは佐賀の唐津市にある川だった。一本の川をはさんで「京町」と「魚屋町」という2つの町があった。その町をつなぐ橋ができた時、それぞれの町は意見が合わなかったのだ。

そこで、出色のアイデアを出したのが町の代官だった。魚と京とあわせて、鯨橋にしたらと提案して、紛争は治まったという。実にユニークでわかりやすい。誰もがこんな名称を思いつくわけではないだろう。

あなたは、個人的に熱中できる趣味や仕事を持っているだろうか。

2016年08月18日 | Weblog
あなたは、個人的に熱中できる趣味や仕事を持っているだろうか。

「アイデアの極意」内藤 誼人著より。

創造的な人ほどチームプレイが苦手らしい。とはいっても、チームプレイが苦手だからといって、創造的な人とは言えないだろう。

とにかく一人でとことん何かを突き詰めたいと思わなければ、何かを創りあげるのは難しい。没頭できる何かを持っていることはある意味幸せな時間を過ごしているともいえる。

熱中できる趣味は、その時々で異なるが、数年間は続けてきたものはある。かつては絵画であったが、今では身近なものをカメラで写し取っている。やはりどこかアートに関連しているのかもしれない。

また、身近な自然や植物、野鳥なども見るのも関心がある。いずれにしても、好奇心はいつでも持っていたいと思う。

文章においては、凡庸さは恥。

2016年08月17日 | Weblog
文章においては、凡庸さは恥。

「人を動かす文章術」齋藤孝著より。

テレビでは、コメンテイターといわれる人が、一般論をしゃべるが、それは無難にしておこうと考えるかららしい。しかし、文章でそれをやると悲惨だと指摘している。

面白くもなんともない文章は逆に苦痛でもある。意味の含有率がゼロはダサイ文章と同じだった。それは無神経さからくるものらしい。

筆者は繰り返している。「凡庸さは恥」だと肝に銘じておきたいと。一般論を越えて、自分はこうだといえるものを持っていたい。そうでなければ、人を動かすことはできないだろう。