ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

楽しさの視点を因数分解してみると・・・

2011年09月30日 | Weblog

「プレジデント」2011.9.12号より。

なんだかちょっとかわった表現に目が止まった。仕事を継続してやっていくにはまず楽しいということが重要になってくる。

もし営業なら、楽しく仕事ができる要素一つに売上げの成長というのも入ってくる。いくら努力しても成果が出ないうちは楽しさも半減だろう。

ここにはタイトルにあげたように、楽しさの視点について述べられていた。それらの要素を抜粋してみたい。

1、カラダが喜ぶ(sense)→五感。2、ココロが喜ぶ(feel)→感動、やすらぎ、心地よさ。3、アタマが喜ぶ(think)→ワクワクイメージ、アイデア発想。4、ステキな生き方(act)→夢中、体験、ライフスタイル。5、人とのつながり(relate)→共感、信用、信頼。

ふだんこれらのことはなかなか意識していなかったことかもしれない。仕事を楽しんで結果を出している人は、これらのことを繰り返しやっているに違いない。


人は三日経つと内容の82%を忘れてしまう。

2011年09月29日 | Weblog
「プレジデント」2011.9.2号より。

これはある調査による結果らしい。そこで大事なのは学んだ知識などはは3日以内に人に伝えるといいようだ。

人に伝えるためには自分の考えを整理しなければならない。当たり前だが、つまり人に教えることは学ぶことでもあったのだ。

ここでのタイトルは「インプットだけでなく、アウトプットをしているか?」となっていた。人に教えるだけでなく、ブログに書いたりノートにまとめるのも効果があるようだ。

またアウトプットが評価されるような場面や、具体的な相手の顔を思い浮かべることもポイントだった。ちょっとした意識の持ち方だろうか。

関係ないが三日どころか、前日食べたものさえ、思い出せないことがある。しかし誰とどこで食べたかがヒントになって思いだせることもあるな。


そもそもサービスというのはすべて小さいもの。

2011年09月28日 | Weblog

「うまくいくスピード営業術」中谷彰宏著より。

そういえば、大きいサービスというのはあまり聞いたことがなかった。ちょっとしたことの繰り返しがむしろ人の心にボディーブローのように効いていくのだろう。

たとえ思い切って大きいサービスをしたと思っても、それが相手に通じるかどうかもわからない。またそれでは息切れしてしまいそうだ。

またサービスは原価がかかるようなことはやってはいけないともいう。むしろ頭を使い、体を動かし、汗を流すべきだったのだ。

さらに創意工夫やユーモア、余裕がが加われれば、もっといいのかもしれないとも思える。どれだけ手を変え品を変え相手の心に感動を届けられるかがカギかも。



心の底から楽しくないと本当の営業とは言えない・・・

2011年09月27日 | Weblog
「うまくいくスピード営業術」中谷彰宏著より。

営業で一番うれしいのは、お客様に喜んでいただいた瞬間だろう。その時頭の中から快感物質が放出されるという。

それがあるからこそやりがいも感じられるに違いない。逆に眉間にしわを寄せて営業をしているうちは、本物ではないようだ。

無理をしていれば、それがお客様には伝わってしまうものだ。つまり非壮感を持っていれば相手は嬉しく感じない。

義務感だけで営業しているうちはいい仕事ができないもの。むしろ営業は楽しんでこそアイデアは浮かび、いい結果を残せるのだな。


営業は、必ず次のための実験・・・

2011年09月26日 | Weblog

「うまくいくスピード営業」中谷彰宏著より。

実際にこんな意識をもって営業をしている人はどれほどいるのだろうか。常によりいい営業を目指すことが大事だと言っているようだ。どこまでいっても完成はないことになる。

ここでの小タイトルは、「市場は、お客様のニーズから生まれるのではない」となっていた。むしろ新しいマーケット、市場を作っていくのは営業マン自身だった。

つまり目の前のお客様のために何ができるか、何かしてあげたいという思いが、新しい売上げをつくっていくのだということだった。言われてみればそうに違いない。

ニーズが発生するのを待っているだけではいつまでたっても商売にはつながらない。自分はどんなことでお客様の役に立てるかを考えることが先だったのだ。

そんな試行錯誤して実験を繰り返すことで、次のヒントが生まれてくるという。まずは一人のお客様が満足できる営業、サービスが成功できるかどうか。そこからがスタートのようだ。


「新しいことをする」というベンチャースピリットを忘れない。

2011年09月25日 | Weblog
「うまくいくスピード営業」中谷彰宏著より。

ベンチャーというと、ついついコンピューター業界のことかと思ってしまいがちだが、そうではなかった。サービス業はすべてベンチャーだという考え方もあったのだ。

つまりフレーズに挙げたように、何か今までなかった新しいサービスを考え出すことはまさにベンチャーだとも言えそうだ。むしろサービスこそベンチャースピリットが必要だとも思える。

どこでもやられているサービスだったら、もうそれだけではお客様は満足してくれないだろう。また従来のサービスに慣れてしまったら、もうサービスとは呼べないかもしれない。

これからの創意工夫で、目に見えない、形のないサービスは生み出すことができるといえる。それがベンチャーということになるのだろう。意外に身近でできることもあるかもしれない。


お客様が第三者にほめられて、サービスが完成する。

2011年09月24日 | Weblog
「うまくいくスピード営業」中谷彰宏著より。

もう10年以上前に購入した本が書棚にあったので、何げなく開いてみると面白そうなフレーズがいくつか目についた。

上記フレーズは、一例として美容院を取り上げていた。お客様のご希望どおりの髪型に仕上がった時点で、満足するわけではないということだった。

本当の満足は、人に気づいてもらって、ほめられたときだったのだ。その時初めて、その美容院でよかったと思えるようだ。第三者にどう言われたかでようやくサービスは完結するということだった。

もし、これが逆で人からの評判がイマイチだったりすれば、クレームにもつながりやすいことになる。モノの販売でも同じようなことが言える。例えば販売員から薦められ購入したバッグでも本当にいいのかどうかは、やはり第三者から言われたことがポイントになるのだろう。

それを素敵だ、とかよく似あうと言われれば、購入したお客様は嬉しいものだ。そして、買ったことが間違いでなかったことを実感するのだろう。それでようやくサービスは完成するということかな。


お客様が第三者にほめられて、サービスが完成する。

2011年09月24日 | Weblog
「うまくいくスピード営業」中谷彰宏著より。

もう10年以上前に購入した本が書棚にあったので、何げなく開いてみると面白そうなフレーズがいくつか目についた。

上記フレーズは、一例として美容院を取り上げていた。お客様のご希望どおりの髪型に仕上がった時点で、満足するわけではないということだった。

本当の満足は、人に気づいてもらって、ほめられたときだったのだ。その時初めて、その美容院でよかったと思えるようだ。第三者にどう言われたかでようやくサービスは完結するということだった。

もし、これが逆で人からの評判がイマイチだったりすれば、クレームにもつながりやすいことになる。モノの販売でも同じようなことが言える。例えば販売員から薦められ購入したバッグでも本当にいいのかどうかは、やはり第三者からの評価がポイントになるのだろう。

それを素敵だ、とかよく似あうと言われれば、購入したお客様にとっては嬉しいものだ。そして、買ったことが間違いでなかったことを実感するのだろう。そのときサービスは完成するということかな。


バカバカしいことを貫き通すことこそ、意義がある。

2011年09月23日 | Weblog

「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

氏にとってのバカバカしいことは、たとえば新幹線に乗るときは常にグリーン車と決めていることだった。極端な場合は、新神戸から新大阪までの短い距離でさえ、グリーン車だった。

ここまで徹底できるって、すごいこだわりとも思える。ふつうの人ならここまでバカバカしいことはしないだろう。一生見栄を張り続けることが、氏の美学ともいえるようだ。

他人から見たバカバカしいことを真剣にやれるってすごいことではないだろうか。しかも、一時的なことではなくて、一生貫けるという生活レベルを維持できるところがポイントにも思える。

それもまた実力の一つと言えそうだ。イメージを大事にしている本物のプロとしてプロレスを例に挙げていた。正統派のベビーフェースと悪役のヒールがいるが、リングを降りてもやはりそれを演じ続けられるのが本物だということだった。これはわかりやすくて頷ける。

まったく関係ないことかもしれないが、通勤の際確実に座って読書するために準急や各駅停車に乗るようにしている。時間がかかってバカバカしいかもしれないが、それなりのメリットを感じている。ただ少しだけ早く家を出るだけでいいし。


成功は、臆病さと恐怖から生まれた奇跡・・・

2011年09月22日 | Weblog

「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

短いが、なんともインパクトのあるフレーズに思えた次第。筆者でなければ吐けないセリフのようでもある。しかし、この部分だけ取り上げてみると意味はわかりにくいかもしれない。

ふだんなかなか奇跡というような言葉は聞くことはない。吉野氏は、奇跡は偶然ではなく、必然だと考えていた。というのも、それは起こそうとした人間にしか起こらないからだった。

たしかにそう考えれば、何も行動を起こさなければ奇跡も起こるはずがない。また、その場合、「こうなりたい」ではなく「こうなりたくない」というのもその動機だった。

吉野氏は、かつて十代の頃暴走族に所属していたが、その仲間は揃いも揃って無学だったという。それは貧しさに直結すると実感していたのだ。それが嫌だから、そうなりたくないという強い思いが今の成功につながったということらしい。

実際に砂漠からしっかりと芽を出して、自身を大木に育て上げた人の言葉は説得力がある。究極のモチベーションは恐怖だともいう。中途半端に満足しているうちは、こんな心境になれないのではないかな・・・


重要な能力はペーパーテストから離れたところに存在する。

2011年09月21日 | Weblog

「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

パーパーテストの結果だけがよくても、それだけでは世の中はうまく渡ってはいけないものだ。学校時代の成績などあてにならないことが多い。むしろ実行力、応用力のほうが大事だとも思える。

吉野氏の言葉では「機敏さと行動力、そして社交性を実につけろ・・・」と語っている。確かにこれらはペーパーテストとはかけ離れた能力だ。

つまり人から与えられた課題だけを消化しているだけでは、どんなことも身につきそうもないと思える。自ら課題を見つける努力が必要なのだろう。答えがないものへの挑戦だろうか。

高校、大学によってはペーパー重視ではなく、スポーツ推薦があったり、実技や人より優れた特技が優先され評価されることもある。いずれにしても、受験は最終目標ではなく通過点に過ぎない。

吉野氏はさらに、チャンスをものにするにはいろいろな人と接するのが一番だと語っている。しかも、人生経験豊富な人との話は、貴重なテキストだとも考えているようだ。まあ相手次第だろうが・・・


アンチが存在するものってのは、それと同じくらい熱狂的な支持者がいる。

2011年09月20日 | Weblog
「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

たまにアンケートで“好感の持てるタレント”のような結果が発表される。面白い現象だが、そこに出てきた名前の中には“嫌いなタレント”方にも名前が挙げられていることがしばしばだ。

まあ、それと同じよなものだろう。アクが強ければそれだけ個性的だともいえるだろうが、他人からすれば好き嫌いがはっきり分かれるということになる。今はあまり聞かれなくなったが似ているものにアンチ巨人というものある。

また嫌われるのが嫌だからと、自己主張をしない人間も多い。しかし、単に素直なだけじゃ面白味も少なそうだ。岡本太郎の著書にも「自分の中に毒を持て」というのがあったのを思い出す。

吉野氏は、「素直とは、生きる力が希薄だということの別表現かもしれない・・・」とも語っている。これにはちょっと共感できると思った次第。あえて、嫌われるには勇気も必要だな。

しかしそれができる人は強そうだ。つまりある意味それだけ自分に自信があるっていうことの裏返しなのだろう。一番いけないのは中途半端な状態なのかもしれないな。



基本的にはユーモアのない批評はダメだと思う。

2011年09月19日 | Weblog
「芸術脳」茂木健一郎著より。

(前日のつづき)
これは天野さんの発言だった。新聞で天野さんの批評を読むと、へ~こんな見方があるのかと気づかされる。しかも、どことなくユーモアが感じられ、納得してしまう。

そして、ユーモアのない批評というのは、往々にして批判になってしまい攻撃的な言葉になりがちだという。読む方もたんに批判だけの文章を読んでも心地よくない。

しかし、天野さんの批評は楽しめる。まあこれは天野さんだからこそ書けるのかもしれないが。批評とはなにかを考えることは、同時にユーモアとはなにかを考えることだそうだ。実に奥が深い。

朝日新聞では長年にわたって、天野さんは「CM天気図」というコラムを連載している。それは読者のためにというより、コマーシャルを作っている人たちに読んでもらいたいと思って書いていると語っていた。

そういわれれば、時々このコラムを読むことがあるが、なんだかCM製作者に向かって、ホンネを書いているような気もすることがある。ここはこうしたほうがもっといいんじゃないだろうか、というような意見も書いていたな。それもユーモアを交えながら。

自分自身にとって一種の過去のデータベースになる。

2011年09月18日 | Weblog

「芸術脳」茂木健一郎著より。

ここでは評論家の天野祐吉さんとの対談で、茂木さんが語っていたフレーズだった。このお二人はブログをやっているという。その自身のブログが茂木さんには、データベースとして利用できているという。

ブログの日記には会った人の名前をフルネームで書いておくと、後日その人の名前をグーグルで検索すると自分の日記が引っかかってくるという。パブリックではあると同時にプライベートメディアとしても使っていたのだ。

また一方、天野さんは新しモノ好きだから、70歳を過ぎてからブログを始めたという。毎日いろいろなことを思いつくので、それらを忘れないためにブログに書いていた。

お二人とも公に向けたメディアでありながら、「私」の目的も同時に存在していたということになる。ブログの場合は、書くというより会話するという感覚らしい。たしかにキーボードで書く場合はお気楽な感じもするな。

そうそう、データベースといえば、私も過去に読んだ本のことなど検索する場合に、ブログに残しておくと思いだしやすい。過去に読んだ本かどうか忘れてしまうことが多いが、検索すると確認できるので便利だ。


努力するための時間は、誰もが平等に持っている。

2011年09月17日 | Weblog

「砂漠から芽を出せ!」吉野敬介著より。

たしかにどんな人にも時間だけは平等に過ぎていく。その時間の過ごし方、時には努力の仕方で、その後の人生や結果も大きく変わってしまうということのようだ。

ある意味チャンスを活かせたかどうかとも言える。またここには“努力の天才になる”というような言葉もあった。人より余計に努力することができるかどうかも大事なのだろう。

まずはどんなことを目標にするかが定まっていることが前提条件となってくる。そして努力の結果見えてくるものがあるのだろう。そのことで自分自身が変わってくることも考えられる。

とりあえずどんな誘惑にも言い訳にも負けずに、強い意志をもってやれるかどうか。結局いくら才能があっても努力がなければその先には行けないか。今満足してない自分を変えるのも努力しかないか・・・