ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

就職支援をうたい文句にする大学は、社会人教員を採用することが多い。

2010年11月30日 | Weblog

「朝日新聞」2010.11.27付けより。

(前日のつづき)
これは、千葉大大学院教授の松野弘さんの述べていることだった。松野さんは、まず大学の超大衆化時代を迎え、教員の質も問われていると語る。

1985年から大学教員の資格要件が「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有すると認められる者」との条項が新設され、社会人が大学教員になる道が開かれたのだ。

その後、公務員、企業経験者、マスコミ関係者、タレント文化人らの社会人から教員に採用されることが多くなっているようだ。欧米の場合は博士号がなければ、原則大学教授にはなれないのと比べかなり緩やかな基準だった。

松野さんは、学生集めのために知名度の高いタレントを教員に招く大学もあると指摘している。しかし、本来は大学教員の採用基準を厳格にすべきだと主張していた。

松野さん自身も、企業勤務を経験して大学教員になっているが、その間著書20冊、論文45本、翻訳19冊を著し、博士号も取得していた。だからこそ、そうそう簡単に(博士号もとらずに)社会人の経験があるからといって採用すべきではないといえるのだろう。(それにしてもすごい実力を感じさせる!)

少子化にもかかわらず、大学進学率が5割超え、大学数とともに大学教員数も増加中。

2010年11月29日 | Weblog

「朝日新聞」2010.11.27付けより。

“オピニオン”という紙面には「教授の資質」と題したちょっと興味深い記事があった。2010年度の文部科学省の調査によると、大学・短大への進学率は56.8%だそうだ。

大学生は288万7千人で過去最高だという。しかも、4年制大学は778校にものぼり、20年前の1.5倍に増加していた。それと同時に大学教員数も’1970年に7万6千人だったのが、’10年にはなんと17万4千人にまで増えているという。

教員まで約10万人も増加しているとは驚きだった。大学生の増加は、逆に少子化だからこそ、教育費も一人の子供に十分かけようというのだろうか。

問題は、増加傾向になる大学教員の資質がいったい今後どうなるのかということだった。その中には、実務経験を買われた社会人教授も増えているようだ。私の学生時代はそんな教員はほとんどいなかったようだが。


クリエイティビティは、職業がクリエイターであるかないかとは関係がない。

2010年11月28日 | Weblog
「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

たとえば、公務員の中にもクリエイティブな人はいる。つまり今している職種の中で新しいチャレンジをし続けているかどうかが問題なのだ。

とかく企画といえば、組織の中の企画部や企画課を連想するが、その部署だけがやればいいということでもない。限られたセクションがやるものではなく、企画はすべての部門に関係があるもの。

営業部門はとくに企画が必要なことだろう。個人の営業担当者がどれだけ企画力があるかがその成果にもかかわってくるはずだ。

また、自ら進んでクリエイティブなことを考えていくのは、実はかなり楽しいことでもある。これを他人に任せてしまうのはややもったいない気もするが。

ついつい惰性で仕事をやってしまいがちになるものだが、時にはそれでいいのかと、振り返ってみる必要がありそうだな。

単独でいるときこそ人はクリエイティビティを発揮できる。

2010年11月27日 | Weblog


「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

何かを創造し完成させようとすれば、やはり集中力が必要だ。また齋藤氏は、孤独の中でしか自分自身を豊かに深めていくような濃密な時間は得られないと感じていた。

そう考えると、積極的に孤独の時間を持つという発想は、有益になる。これはちょっとしたコツかもしれない。つまり時には付き合いを断ることでできることもあるということでもあった。

確かに誰にも邪魔されない時間を持てると、精神的にも安定感があるものだ。クリエイティビティを発揮しようと思えば、ゆったりと、じっくりと考える時間に浸りたいと思う。

仲間とつるんで日々を過ごせば、それなりに楽しいものだが、何かを残すことは難しそうだ。また、あわただしさの中からは、何も新しいものは生まれそうもないなぁ。

ひとりで技を磨く努力をしないと、選手としては先が短い。

2010年11月26日 | Weblog

「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

この部分の小タイトルは、“孤独の時間にすべきこと”となっていた。そして、齋藤氏は自身の経験から「人は孤独なときにこそ力を伸ばすことができる」と述べている。

スポーツに限らず、どんなことでも技を一つ一つ広げて完成させていくことが大切なようだ。試合では勝った負けたというように、一喜一憂していれば、時間は過ぎる。

しかし、フレーズにあげたように、“ひとりで技を磨く努力をしないと、選手としては先が短い”らしい。

これを営業部門ということに当てはめてみれば、ある一時期予算が達成できたからと言っても、継続的にそれが達成できるかどうかはまた別問題だろう。

もちろん景気の影響は当然あるだろうが、やはりそれなりに創意工夫や努力を継続していないと、いい結果は残せないものだ。

野球なら優秀な選手ほど一人で行う素振りにも熱心だという。メジャーリーグの松井秀喜も、巨人時代当時の長嶋監督からよく素振りのチェックを受けたという。長嶋氏自身も素振りマニアだったようだが。


失敗をおそれずに挑戦するには、エネルギーが必要だ。

2010年11月25日 | Weblog
「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

若い頃にはあったと思えるエネルギーもやはり年齢を重ねるに従ってガクッと落ちてくる。だから、三十代以降を生き切るためには、若いうちにエネルギーを技に変えておくのがコツだという。

と、言われても私にはもう遅すぎるか。若いうちにいろいろと経験しておけばよかったということでもあるのだろう。まあ、自転車ならいちど乗れるようになれば、歳をとっても乗れるものだ。

もちろん、その気になれば、高齢になっても新しいことには挑戦できる。そういう人は、若いうちからチャレンジすることが、習慣になっているようだ。

人から見れば、すごい、難しそうだと思えることも、一旦ノウハウを身につけてしまえば、あとは簡単なことも多い。

だからこそ、できるだけ若いエネルギーがある時期に、失敗ができるうちに新しいことにチャレンジするのがいいようだ。


憧れることが縁を呼び、縁が運を連れてくる。

2010年11月24日 | Weblog

「R25」2010.11.18号より。

たまたまこれも、前日同様に編集をする人(堀江信彦氏)のインタビュー記事からのものだった。10月に創刊された『月刊コミックゼノン』の編集長でコアミックスの代表取締役でもあった。

この記事を読むまではまったく聞いたこともなかった名前だった。氏は95年、週刊少年ジャンプ編集長時代に漫画史上最大の発行部数653万部を記録していた。

さて、憧れが縁を呼ぶ、というのも味わいがある。彼によれば、憧れを口にしておくだけで、それを知った人がチャンスをつないでくれることもあるという。そんなことを口に出すだけなら誰にでもできそうだ。かなり無責任でいいらしい。

運命は自分の力だけで切り開くなどと、あまり重たく考える必要はないと考えているようだ。人に頼ってもいいという。その人との縁で運命は変わってくるようだ。人生はそんなものかなぁ~


スムーズにいった仕事は、他の人でも上手くいくと疑った方がいい。

2010年11月23日 | Weblog
「メトロミニッツ」2010.12月号より。

編集者で幻冬舎社長の見城徹氏の言葉だった。ここでは、飲むことについて述べられていたのだが、それとは関係ないこのフレーズが気になった次第。

氏にとっては、苦しみこそが仕事だと感じているようだ。こんな変わったことを言っていた。「朝起きて手帳を開けて、憂鬱なことが3つ以上ないと不安になるんです」と。

私などは、ふだんからできれば憂鬱なことなど遠ざけたいと思っているほうだ。氏は自分にとってた易いことは、人にもた易いということで、むしろ人が挫折するようなことを自分だけがやりきることで結果を出せると考えだった。

そう言われれば、そんな気もするが、それが難しいのだろうな。きっといい結果を出し続ける人は、困難を克服し続けられる人なのだろう。

たまたまうまくいったときは、ラッキーだと思ってあまり深くは考えなかったが、それを継続するには、それなりの苦労が伴うものかな・・・。見城氏はそんな苦さを噛み締めて、捨て去るために二軒目に(飲みに)行くのだという。


実際に孤独になることで、単独者というものに目覚めた。

2010年11月22日 | Weblog

「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

齋藤氏にとって、暗黒の十年は、浪人時代から大学二年まで、大学院時代、さらに第三期は大学院を出た後の無職の時代だという。

大学院の博士課程時代には毎晩十一時まで大学にいて、正門は閉まっているから塀を乗り越えて帰ったようだ。連日必死に勉強していたと語っている。実にすさまじい。しかも無謀にもその時期に結婚していた。

そして、第三期の無職で子供ありの時代の数年間は悲し過ぎて語れないというから、実にひどい生活をしていたのだろう。30過ぎて家族がいて無職とは考えただけでも恐ろしい。

幼少期からやりたい放題にやって過ごしてきた齋藤氏にとっては、暗黒の十年は落とし穴だったようだ。しかし、その時期に単独者ということも意識したようだ。

つまりそれは、つるむということでは到達できない地点があるということだった。登山家はチームであっても単独者だという。山は自分で登るしかないということだった。

齋藤氏にとっては、実際の山登りではなく、精神の山登りであったのだ。それは氏の得意分野でもあったのだ。だからこそ、その後の成功につながったのだろう。


孤独を莫大なエネルギーに変換できることを知った・・・

2010年11月21日 | Weblog

「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

孤独をエネルギーに、つまりチカラに変える。そのためには技術が必要だということだった。技術とは考え方だろう。

やはりこれも怨念に近いものだ。齋藤氏には、過分に不幸だと思いこむ力があったという。これもちょっと面白い表現だ。

はじめは受験に失敗して、強く感じたのは出遅れた年月が無意味でないことを絶対に証明しなくてはいけないと怨念めいた気持ちになったという。

スムーズにことが運んでいれば得られなったであろう何かをつかみ取ろうとしていたのだ。しかも学生時代はこれ以上ないと言えるほど、ぎりぎりの孤独を生きていた、と述懐している。

そして、「このままではすまさいなぞ、十倍、二十倍で負債は返してもらう」とまで考えていたようだ。

孤独を莫大なエネルギーに変換でき、結果的に大成功している現在はすごいものだ。強い意志と実行力があったのだろう。


怨念が私に、いまこれほどまでにハードに仕事をさせていると言える。

2010年11月20日 | Weblog


「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

まず、プロローグの部分で、齋藤氏は「自分を徹底的に磨く。勝負をかける。その時期に、自ら進んで孤独になる。」と書いていた。

つまりこれが、孤独の技法だという。実に強く挑戦的な考え方だ。一般人には、これほどまでに、積極的に孤独になろうとまで考えることがあるのだろうか。

齋藤氏が怨念と言ったのは、自分は仕事ができると思っていたものの、人はそれをやらせてくれなかったからだという。だからこそ、それが怨念になって、その後は猛烈な勢いで本を出し、講演、授業、マスメディアに出演しているのだった。

前日、《暗黒の十年》という表現があったが、それは、受験に失敗した18歳明治大学に職を得る32歳までの十数年間のことだった。そういえば、私も大学を卒業してから10年ちょっとの間は、自分のしたい仕事はできなかった。

この章のタイトルは「失われた十年(孤独と私)」となっていた。推理作家の森村誠一氏も、ホテルマン時代は本来の仕事だとは思っていなかったようだ。その怨念でひたすら書きまくり、人気作家になってからは長年にわたってベストセラーを連発していた。

孤独だった時期をバネに飛躍する人はけっこういるものだな。ただ何となく順調に過ごすのも悪くないのだろうが、またこういう生き方もあるのかな。

孤独(ひとり)の-(マイナス)を+(プラス)にする技法。

2010年11月19日 | Weblog
「孤独のチカラ」齋藤孝著より。

この文庫本の腰巻(帯)にあったフレーズに今頃になって気がついた次第。まるでこの本のサブタイトルのようなものだ。さらに、この帯には“私が乗り越えた《暗黒の十年》のこと、初めてお話します。”とあった。

今までの齋藤氏の本とはちょっと違っていた。実に個人的な経験が豊富に語られているところが興味深い。しかも、《暗黒の十年》という表現もすさまじい。

人はもともと一人では何もできない。しかし、一人でなければできないこともまた多い。仕事や勉強をする場合もそうだ。地道な研究、調査、実験の繰り返し、発見・・・。作家やスポーツマンでなくても、一人でなければできないことは多い。

そうそう、この本のタイトルが単に「孤独力」ではなく、「チカラ」とカタカナになっているところに強調する意図があるのだろう。一見、孤独はマイナスに思えるが実はプラスの要素も多いことをこの本は教えてくれる。


人間は新しいものに寛容とは限らない。

2010年11月18日 | Weblog

「スティーブ・ジョブズ名語録」桑原晃弥著より。

もし斬新なアイデアがあったとしても、初めからそれに賛成する人は少ないかもしれない。むしろ今までなかったモノに対しては、抵抗があるものだ。その時代にもよるだろう。

たとえば、ゴッホの作品は斬新だったが、その時代にはそれほど評価はされず、売れることもなかった。しかし、現代ではそれは数十億で取引もされている。

素晴らしく価値あるものだという評価が得られるのは、かなりの期間が経過した後ということも考えられる。

ジョブズも同様にはじめは多くのダメだしをされたものも多かったようだ。iPodの価格が高すぎたということもその一例だった。ある期間は完全に失敗だと言われ続けてもジョブズの自信は揺らがなかった。

彼は「みんなが賛成するもの、理解できるものが真に革新的であった試しがない」という。革新的な変化こそが、ジョブズの体質にあっていたのだろう。


創造とは結びつけること。

2010年11月17日 | Weblog


「スティーブ・ジョブズ名語録」桑原晃弥著より。

一般的に創造というと、何だか今まで全くなかったものから、別の新しいものを作り上げることだと思いがちだ。

しかし実際は、必ずしも無から有を作りだすことではなった。改善や形を組み合わせたりする場合がほとんどだった。

だから創造性を発揮するためには、多くを経験し、つなぎ合わせるためのたくさんの点を持つことが必要だとジョブズは考えていた。

別に創造ということに限らず、経験豊富だったり、より多くの知識を持っている人のほうが適切な判断をくだせる場合が多いだろう。

とくに、クリエイティブな世界では、無から有をと力まずに、もっとリラックスして自由に動いた方がいいようだ。

よく机の前にかじりつくより、もっと遊んだほうがいいアイデアが浮かぶと言われるのも同じような考えからきているのだろう。

絶対に真似のできない、真似しようとすら思わないレベルの革新を続ける。

2010年11月16日 | Weblog
「スティーブ・ジョブズ名語録」桑原晃弥著より。

このフレーズに似たような言葉は、別のページにもみられた。「他社には真似できな第一級の製品をつくって利益を生むということ」とあった。

アップルの最大の強みは、ハードとソフトの両部門を持っていたことだった。ほかのパソコン産業では見られないようだ。

ハードからソフト、デザインまで自前で作れる最後のパソコンメーカーだった。だからこそ、iMac、iPod、iPhone、iPadというような革新的な製品をヒットさせることができたのだろう。

強みだと思ったことをより強く推進してきたところが、ジョブズのやり方だった。その他のソフトまたはハードのメーカーは、これ以上の製品をいつになったら完成できるのだろうか。