ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

身体を動かして覚えた知識でなければ、文字どおり“身につけた”ことにはならない

2015年12月31日 | Weblog
身体を動かして覚えた知識でなければ、文字どおり“身につけた”ことにはならない。

「全身発想論」齋藤孝著より。

ここでのタイトルは「モチベーションの源泉は身体だ」となっていた。身体が充実しているからこそ、やる気も出てくるのだろう。やはりちょっとでも気にかかることがあれば、ベストな状態では望めない。

時間を費やすことより、仕事に対する姿勢や気分が重要だという。つまり量より質ということとも似ている。いくら時間をかけたからと言って、仕事の質がそれだけいいとは限らないからだ。ポイントは集中力かもしれない。

人間の精神状態は、「知情意」の三要素で決まるようだ。「知力・知性」。「感情・情緒」。「意欲・意志」だった。しかし、そのベースとなっているのは身体だったのだ。

そこで、筆者は「知情意体」を意識すべきだという。ビジネスの中心には脳よりもむしろ身体を据えるべきだと主張していた。やはり、体を動かして覚えたことは忘れないし、その経験を語れば説得力も違ってくるものだ。

身体を動かして覚えた知識でなければ、文字どおり“身につけた”ことにはならない

2015年12月31日 | Weblog
身体を動かして覚えた知識でなければ、文字どおり“身につけた”ことにはならない。

「全身発想論」齋藤孝著より。

ここでのタイトルは「モチベーションの源泉は身体だ」となっていた。身体が充実しているからこそ、やる気も出てくるのだろう。やはりちょっとでも気にかかることがあれば、ベストな状態では望めない。

時間を費やすことより、仕事に対する姿勢や気分が重要だという。つまり量より質ということとも似ている。いくら時間をかけたからと言って、仕事の質がそれだけいいとは限らないからだ。ポイントは集中力かもしれない。

人間の精神状態は、「知情意」の三要素で決まるようだ。「知力・知性」。「感情・情緒」。「意欲・意志」だった。しかし、そのベースとなっているのは身体だったのだ。

そこで、筆者は「知情意体」を意識すべきだという。ビジネスの中心には脳よりもむしろ身体を据えるべきだと主張していた。やはり、体を動かして覚えたことは忘れないし、その経験を語れば説得力も違ってくるものだ。

研ぎ澄ますべきは脳ではなく身体なのである。

2015年12月30日 | Weblog
研ぎ澄ますべきは脳ではなく身体なのである。

「全身発想論」齋藤孝著より。

仕事というと、ついつい頭で考えることを優先しがちだ。しかし、むしろ体を使うという感覚でやるほうがいいようだ。

スポーツにはウォーミングアップが欠かせないが、ビジネスも同様だという。仕事にはすべて体が基盤になっているからだった。

ここで筆者がすすめているのは、特別な筋トレでななく、10秒のビジネス体操だった。それは身体の一部、たとえば手首、足首、肩などを回したり、また呼吸を意識して深くしてみることだった。

こんなちょっとしたことでも、身体が目覚めて感度が高まるらしい。それでこそ、仕事ではアイデをすぐに実行できるしなやかさができるようだ。試してみる価値はありそうだ。

超一流といわれる人ほど人一倍エネルギーに満ちている・・・

2015年12月29日 | Weblog
超一流といわれる人ほど人一倍エネルギーに満ちている・・・

「全身発想論」齋藤孝著より。

できる人、というのは人間関係力があるという。どんな仕事も一人ではできない。そこで必要なのが人間関係だ。それが上手な人は仕事もできるということにつながる。

人と関わりあうことで刺激が得られ、アイデアも生まれたりするのだろう。また人と出合うことで元気になることは多い。

齋藤氏がかつて毎週テレビで会っていたビートたけしさんは、実に元気にあふれているという。常に手首や首を動かしながらもいろいろと勉強しているらしい。

そして次々と新しい企画を提案しているのだ。体を動かすことがクセとして身についていた。ここでのタイトルは「人間関係力を高める、元気エネルギー」とあった。ふと「元気があれば何でもできる」というアントニオ猪木の名言を思い出した次第。

より多くの記憶があれば、より豊かな発想が可能になる。

2015年12月28日 | Weblog
より多くの記憶があれば、より豊かな発想が可能になる。

「全身発想論」齋藤孝著より。

筆者は、今や組織が個人を救ってくれる時代ではないという。年功序列はもうほとんど崩壊している。実力だけが問われている。大事なのは個の力だった。

頭一つ抜け出す人になるには、アイデアを生む力、発想力がポイントでもあった。どんな天才も無から有を生み出すことはできないのだった。

個人の身体に刻まれた記憶をフル稼働させて、新たな対象と結びつけることで、オリジナリティの高いアイデアが生まれるという。

ここでの、タイトルには「豊かな発想ほどカラダに染みついた記憶から生まれる」とあった。まずはさまざまな体験をして、記憶に残しておくことが大事なことらしい。できる人間はこれができるということだった。

脳だけをいくら酷使しても、けっしてクリエイティブにはなれない・・・

2015年12月27日 | Weblog
脳だけをいくら酷使しても、けっしてクリエイティブにはなれない・・・

「全身発想論」齋藤孝著より。

また得られる快感も意外と少ないらしい。だから、たとえばテニスのテレビゲームに熟練することと、実際にコートに立ち、ラケットを持ってボールを打つことではどちらが楽しいかという。

当然ながら後者だろう。身体で得られる感覚こそが本物と言えるはずだ。人の話を間接的に聞いても面白さは十分伝わらない。やはり直接コミュニケーションするのが一番だろう。

そういえば、いくら感動した写真を見ても、実際にその情景を自分で目にして撮ってみないことには、本当の楽しさ、充実感は味わえないのと同じことだろう。

身体の動きが、考える力を呼び起こす。

2015年12月26日 | Weblog
身体の動きが、考える力を呼び起こす。

「全身発想論」齋藤孝著より。

筆者は「脳ブーム」に違和感を禁じ得ないという。重要なのは脳よりも身体だと考えていたのだ。

全身をフルに使って思考することで、いい仕事を生み出していくことを「全身発想」と呼んでいたのだ。

脳科学者と言われる3人と対談した時も、3人とも口を揃えて「カラダが大事なんです」と語ったそうだ。

五感を研ぎ澄ましてアイデアにつなげていくことが大事らしい。ここでのタイトルは「身体なくして、脳は鍛えられない」とあった。なるほど・・・!

笑わないと、おバカに見える。

2015年12月25日 | Weblog
笑わないと、おバカに見える。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

笑える箇所で笑えないと、経験不足や知識不足とも考えられる。またそんな性格とも見られてしまうだろう。

会議でも笑いがどこかにないとかなり疲れてしまうこともある。どうせおバカなら、笑ってしまえるほうがいいだろう。

またいくら美人でも笑顔がないとつまらない人に思えてしまう。美人ではなくても、笑顔がいい人のところには人は集まってくるものだ。

すると、そこには運もやってくるということだった。いつも表情が乏しいと損をするのかもしれないな。気をつけねば。

他人を笑うより、自分を笑う。

2015年12月24日 | Weblog
他人を笑うより、自分を笑う。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

これができる人は、かなり自分に自信があるのだとも思える。笑ってしまうような自分の失敗をコレクションするというのもいいのだろう。

つまらないことで失敗することはかなり多いはずだ。それは笑いのネタにもなるようだ。そうすれば、失敗も怖くなくなるともいう。

笑えるのは、予定調和が崩れた時でもあった。なんでも予定通りに進んでしまったら面白くもなんともない。やはりアクシデントがあるから、笑えるポイントもあるのだろう。

まさかそうなるとは思わなかった、というサプライズも面白い。オチで予想通りのことを言われても笑えない。思わずうなってしまうようなオチに出合うと笑えるものだ。

自分の笑いを、まわりに伝染させる。

2015年12月23日 | Weblog
自分の笑いを、まわりに伝染させる。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

もし、それができたら話は成功とも言えるだろう。笑わせようと意識してもなかなかそう上手くはいかない。もし、自分のなかで笑っていることがあれば、それを外に出せばいいのだという。

中谷氏はアイデアを作っている時も、ププっと笑いながら考えているという。まず自分が笑うことが大事なのだろう。

中谷氏は、笑えそうなことを日記につけているという。また、今日の面白い言葉も書いているらしい。やはりちょっとしたことでもメモしておくことが後で役に立つのだろう。人を笑わせようと思えば、それなりのネタ帳も必要かもしれないな。

そういえば、今これを書きながら思い出したことがあった。かつて、13年ほどの間、毎年この時期になるとクリスマスカードを手作りしていた。そこには、ちょっとクスッと笑えるネタを書いていた。これもまた、笑いの伝染になっていたかもと思った次第。

笑うポイントは1人1人まちまち。

2015年12月22日 | Weblog
笑うポイントは1人1人まちまち。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

笑いは、その人の人生観や価値観が全部入っているという。だから、体験量が多ければ笑うポイントも多いということになる。

その体験量とは、成功体験ではなく失敗体験のことだった。人と話しているうちに、そうそうそこで私も失敗した、と共感できるところがあると、笑えたりするものだ。

みんなと違うところで笑うのも当然ありだった。むしろそのほうが創造性があるらしい。単に想像だけでは本当の笑いとは言えないのだろう。

大雑把でもいいから、「とにかく即答」する。

2015年12月21日 | Weblog
大雑把でもいいから、「とにかく即答」する。

「ハード・アンド・リラックス」を「マイペース」にする

スピード思考をするためには、まずは大雑把でもいいか即答してみることだった。そのためにはトレーニングが必要だが、読書力によって養われ、磨かれるのだった。しかし、より確立できるのは、書く力によってだった。

大雑把に即答してみて、7,8割が的を射ていれば、合格と考えていいらしい。とくに大事なことは「なんでも答えることができる」という過剰とも思える自信だった。

また、材料不足でも「とりあえず始めてみる」こともポイントのようだ。例えば連載を持つジャーナリストは少ない材料でも始めているという。すべて先に調べてから始めるというわけではなかったのだ。

新聞や雑誌の連載記事や小説も、はじめからすべて完結したあとで掲載しているわけではなかった。締め切りで仕事をすることは、とりあえず出発することだった。

思考力が上がらなければ、仕事量は上がらない。

2015年12月20日 | Weblog
「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

思考力が上がらなければ、仕事量は上がらない。


筆者の経験ではたくさん書いたことによって、仕事量も増え、効率も上がり、思考スピードも増したそうだ。たとえ注文がなくても書いていたという。

とくにパソコンを使うことで仕事のスピードも思考のスピードもどんどん上がったと述懐している。例えば、思考力を3倍にすれば、ゆうゆうと残りの仕事をできもう一つ別な仕事もできる。

また、時間も思考も仕事以外にも使うことができる。大事なのは思考のスピードに磨きをかけることだった。それができない人ほど、時間がないと愚痴っているそうだ。気をつけねばな。

「ハード・アンド・リラックス」を「マイペース」にする・・・

2015年12月19日 | Weblog
「ハード・アンド・リラックス」を「マイペース」にする・・・

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

例えば新幹線にのると、逆に鈍行の心地良さもわかってきたりもするようだ。仕事をやっているからこそ休日や遊びはより楽しいともいえる。筆者は緊張したら弛緩することが不可避だともいう。このバランスが大事らしい。

ハードな仕事をしたら当然リラックスをする時間も必要だったのだ。必要なことを短時間で済ませて、自分が本当に打ち込みたいことに長時間集中できるということだった。

簡単に言えば「集中と余裕」だった。だから、常にスローでいいことなどなにもなかったのだ。仕事ができる人はみな「ハード・アンド・リラックス」を「マイペース」にしている人だった。

現実に求められている判断のほとんどは「即断」である。

2015年12月18日 | Weblog
現実に求められている判断のほとんどは「即断」である。

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

まずは、スピードシンキングという言葉自体ほとんど聞きなれないことだった。つまり、スピードを上げることでより多くのことが可能になるということでもあった。

シンキングとは思考力のことだ。そのスピードを上げればあとあと余裕もでてくるから、いい仕事にもつながるようだ。なんでもゆっくり、じっくりやった方がいいというわけではなかったのだ。

朝令暮改という言葉があるが、一般的にはそれは良くないことだった。ところが、今は変化のスピードが速いから、一度決めたことにこだわっていたらチャンスを失ってしまうことにもなる。

むしろ新しい状況に対応するためにも、朝令暮改こそ実際に即した言葉になっているようだ。臨機応変こそが大事なことだった。