ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

勉強に、勝ち負けを持ち込まない。

2014年06月30日 | Weblog
勉強に、勝ち負けを持ち込まない。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

勉強と思った時点で嫌になってしまうことも多い。とくに命令されてやるようなこと、義務でやることなどは特に続かない。またモチベーションも上がらないものだ。

学校での勉強もよほど興味を持たないとやる気も起こらない。筆者はダンスを例にとっていた。続かない人は、優秀で、器用で、美人の人らしい。そうでない人は続いているという。

中谷氏はダンスのコンペ(競技会)に出場することが目的ではなかった。だからダンスを始めて25年になっても継続していられるようだ。

むしろ武道という考えでやっていた。武道は、みずからををより極みに上げていくまでの日々の修業であり、戦いだった。そのため、毎日モチベーションがあったのだ。

やはり誰かと競争しているうちは、勝ち負けが生じてきて、続かないらしい。勉強も同じことだった。仕事もそうかもしれないな。自分なりのモチベーションを持っていたいもの。

煮詰まったら文脈を変える。

2014年06月29日 | Weblog
煮詰まったら文脈を変える。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

ここでいきなり文脈といわれてもピンとこない。仕事を大量に抱えていて作業がはかどらないときに大事なのは、見切りの早さだという。文脈とはいろいろな変化のことのようだ。

根性でその場を乗り切るよりは、パッと違う行動に移ったほうがいいとアドバイスしている。たとえば、違う作業をする、5分間横になる、走りに行くのもありだった。一度脳をスタートラインに立たせるということらしい。

部屋から外に出るだけでも、精神的にはだいぶ変わると言う。家や事務所から出て喫茶店に行けば、雰囲気も変わりモチベーションも上がることも多い。公園のベンチでもいいだろう。

こんな変化は脳にとって気持ちがいいことだったのだ。ストレスを自分自身でコントロールできるなら、仕事もはかどるだろうな。

「毎日のいいことだけ」に注意を向ける。

2014年06月28日 | Weblog
「毎日のいいことだけ」に注意を向ける。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

ここでは筆者は「根拠なき自信」というものを勧めていた。とはいっても、なんの努力もなしに自信はつかないだろう。そんなに世の中は甘くない。

ある程度の努力をしたうえでのことに違いない。自分なりの人とは異なった創意工夫や努力があればこそ、それなりの自信を持っていいのかもしれない。

大切なのは現実的な努力の積み重ねだった。やるべき仕事や勉強をきちんとやっているのであれば、必要以上に自信を持ってもいいという。

むしろ根拠なき不安感は絶対に持つべきではないのだ。それはマイナスの要因にしかならないからだった。気をつけよう。

ストレスフリーになれば、免疫系が活発化する。

2014年06月27日 | Weblog
ストレスフリーになれば、免疫系が活発化する。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

一番快適なのはストレスがなく生きられることだろう。あれやこれやといろいろと考えねばならないときは疲れるものだ。

仕事も必ずしも同じ事務所の中でやる必要はない。場合によってはどこでもできることもある、そのかわりいつでもどこでも仕事から離れられないということにもなる。

常にスマホを2台も持たされ、仕事がどこへでもついてくる状態では気も休まらないだろう。ストレスは百害あって一利なしだ。

辛いとか苦しいとか愚痴を言っていると、知らず知らずのうちに免疫系の機能が低下してしまうらしい。気をつけねばな。

たった五分間でも脳はリフレッシュできる。

2014年06月26日 | Weblog
たった五分間でも脳はリフレッシュできる。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

脳科学者である筆者がそういうのだから間違いはないだろう。確かに同じ仕事や作業をやっていると、疲れてきて効率が悪くなるものだ。

勉強もしかりだ。課目を変えてやる方が気分が変わっていい。場所を変えるというのもいいようだ。同じ机の前に座っているより、喫茶店で本を読んだ方がはかどることも多い。

変化をつけることで脳が飽きることなく仕事にも勉強にも集中できるということらしい。そのため短時間でもメリハリをつけるためには休憩時間は大切と言うことだろうな。

茂木氏も仕事で煮詰まると、パッと頭を切り替えて6分間だけ走りに行くらしい。その後パソコンに向かうと、それまで煮詰まっていたのがうそのように仕事がスラスラとすすむという。

時間で区切ることで、心理的抵抗を減らす。

2014年06月25日 | Weblog
時間で区切ることで、心理的抵抗を減らす。
「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

これを茂木氏は「タイムプレッシャー法」と名付けていた。つまり、「この作業には必ず終わりがあるんだよ」ということを脳に教えてあげることだという。

精神的なプレッシャーではなく、時間を区切るということだ。その時間だけは集中して頑張ろうということだった。たとえば、このブログを継続するのも、その時間だけ集中すればそれでいいことになる。だらだらと数時間も費やす必要はなかった。

茂木氏は受験勉強中のモチベーションは、「いい点を取りたい」よりも、「早く勉強を終わらせて、好きな本を読みたい」というものだったと振り返っている。

まあ、もともと頭がいいから短時間で理解も記憶もできたのであろうが。宿題を早く終わらせて友達と遊びたいというのと同じことだった。

仕事でも勉強でもサッと終わらせて、自分の本当にやりたいことに没頭するほうが幸せだろう。まただらだらと書いてしまった・・・

コメントが見つからないときは決めゼリフで逃げる。

2014年06月24日 | Weblog
コメントが見つからないときは決めゼリフで逃げる。

「コメント力」齋藤孝著より。

(前日のつづき)
人の話を聞いたからと言って、必ずしもとっさにいいコメントが見つかるとは限らない。そんな時は、自分なりのリスポンス、ここでは決めゼリフがあるといいという。

バカボンのパパの場合は「よし、まかせておけ」だった。いろいろなシーンで使われているようだ。こんな生きのいいレスポンスがあれば、その場はしのげるのだろう。

斉藤氏の場合は「ファンタスティック!」という言葉で対応しているようだ。これもいろいろな意味があって、使いようがありそうだ。なんて奇妙な、とか素晴らしいという意味もあった。

日ごろから、そんな自分が使いやすい言葉を用意していおくのもよさそうだ。私は人から食べるお土産をいただいた時には「こんな美味しいものいままで食べてことない」とやや大げさに言うことにしているが。

いいコメントとはそれを言ったことで、そこから話が展開していくもの・・・

2014年06月23日 | Weblog
いいコメントとはそれを言ったことで、そこから話が展開していくもの・・・

「コメント力」齋藤孝著より。

筆者は大学で「コメント力」トレーニングの授業をやっている。4人一組で、そのうちの一人が何かについて発表する。それに対して残りの3人がコメントと言っていくものだった。

やはり、コメントを意識すると、しっかり聞かなければという気にもなるだろう。ともかく話を聞いたらそれに対して、何かいい質問をしたり、コメントをする義務があると徹底的に教えている。

実に生きた授業だとも思える。コメント力があるとは、次にそこから話が発展していくようなコメントのことだそうだ。

ここでは、バカボンのパパについて述べられていたが、彼は常に変わったコメントするから、次に展開せざるをえないという。しかも、「~なのだ」と断言しているところが面白い。

曖昧な言葉ではなく断言して、言い切ってしまうところがすごい。つまりリスクを自分で引き受けようと頑張っていることになる。面白い考え方だった。

ピンチになる前に、危機意識を持つ。

2014年06月22日 | Weblog
ピンチになる前に、危機意識を持つ。

「楽しい人生より、人生の楽しみ方を見つけよう」中谷彰宏著より。

たとえばピンチといった段階では、すでにそれを通り越している場合が多いらしい。危機に陥って、崖から落ちている状態だった。

その前に危機意識があれば、ピンチにはならずに済んでいたのだ。感覚がマヒしてしまうことがあるので気をつけたいものだ。

大事なのはピンチに陥る前の段階で、危機意識を持つことだった。もしピンチになったら、成長できるという考え方もあるようだ。

むしろ成長した人だからこそピンチ出合えるとまでいう。成長した証らしい。過ちを繰り返さないことが大事なことだった

チャンスは、一人の時にやってくる。

2014年06月21日 | Weblog
チャンスは、一人の時にやってくる。

「楽しい人生より、人生の楽しみ方を見つけよう」中谷彰宏著より。

そういえば、大勢の人とわいわいがやがややっている時にはチャンスなどつかめなそうにも思える。逆にチャンスが逃げてしまうことが多いのではないだろうか。

筆者はチャンスとは「キッカケ」「幸運」だとも言う。そんなキッカケは一人の時にこそやってくるものらしい。

そういえば、写真を撮っていてそう感じたこともある。つまりシャッターチャンスのことだった。一人だからこそじっくり気ままに撮れる。

地元でも先月、カワセミや野生のキジを撮ることができたのも、一人の時だった。人と一緒だったなら、きっと満足できる写真は撮れなかった。

いろいろなチャンスをつかむためにも、一人でいる時の時間も大切にしたいものだと思った次第。

文句を言っていたら、ロボットに負ける。

2014年06月20日 | Weblog
文句を言っていたら、ロボットに負ける。

「楽しい人生より、人生の楽しみ方を見つけよう」中谷彰宏著より。

21世紀はコンピュータとロボットの時代だという。今まで1,000人が働いていたような工場でも、人は機械を操作する数人だけになっているようだ。

だからモノをつくっているのはほとんどがコンピュータやロボットということになっている。人がロボットに負けないようにするには、文句を言わないことだと言う。

確かにどんなに作業量が多くても、機械はひたすら頑張っているように見える。家庭ではとくにプリンターで印刷しているときそれを痛感する。何百枚でもまったく同じように指示通りに印刷してくれるからだ。

それに引き換え人は文句やグチが多いものだ。人もひたすら頑張ることが必要な時もあるのだろうな・・・

メールにはハッピーなタイトルをつけよう。

2014年06月19日 | Weblog
メールにはハッピーなタイトルをつけよう。

「楽しい人生より、人生の楽しみ方を見つけよう」中谷彰宏著より。

しばしば、メールを受け取った時に、タイトルなしでいきなりReからはじまっているものがある。またノンタイトルで、本分からのものも多い。

受け取った時には、それではなんだかつまらない。いいことだか、わるいことだかがわからない。できれば、タイトルは内容がハッピーだとわかるようなものがうれしいものだ。

そうすれば、読む前にワクワクできる。絵文字もできるだけハッピー系のものをたくさん使いたいものだ。

また返信の時にも、こちらが送ったものがすべてそのまま返信されてくることも多いが、ややがっかりするものだ。削除しないまま送っているのは横着な感じもする。

つまらないことを、楽しもう。

2014年06月18日 | Weblog
つまらないことを、楽しもう。
「楽しい人生より、人生の楽しみ方を見つけよう」中谷彰宏著より。

はじめから楽しい人生などありはしないということだった。それを仕事に置き換えても同じことだった。ほとんど同じ仕事をしても楽しめる人とそうでない人がいるものだ。

私はもともと仕事は楽しんだもの勝ちという考えを持っている。そのためには、自分なりの創意工夫が必要だと思っている。人と同じことをやっていたら、楽しめるはずもない。

どうやったら仕事で、自分が楽しくなるかを考えるとそれはイコール人生を楽しんでいることにもつながっている。

趣味や好みを仕事に活かせれば、仕事も楽しくなるに違いない。そうすることで自分の努力が成果にも現れやすい。経験的にはだからこそ、一見つまらない仕事も自分なりのモチベーションを見つけられれば楽しくなるものだ。

遠くの目標より、「今ここ」に集中してこそ、潜在能力が開花する。

2014年06月17日 | Weblog
遠くの目標より、「今ここ」に集中してこそ、潜在能力が開花する。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

脳科学者の筆者が言うことだから、素直にそうだと考えたいものだ。昨年の流行語にも「今でしょ」があったが、今に集中するからこそ効果があるというのだろう。

だから「あとで」と思った時点でもう遅れをとってしまうことになる。脳のことにもどれば、「いつまでに終わらせる」という制約があったほうが、潜在能力が引き出せるようになっているそうだ。

タイムリミットがあるからこそ、集中力で密度が高い時間を過ごせ、精神的な負担も少なくて済むのだった。だらだらといつまでたっても終わらないと思うだけで精神的にも疲れる。

脳は先のことまで、没入することはできないという。あとで集中したいと思っても、それは不可能だった。大事なのは、「今ここ」という瞬間のプレッシャーだった。そのためにはストップウォッチが効果的だという。

どれだけの空想力をもつかによって、扱う情報量は決まってくる

2014年06月16日 | Weblog
どれだけの空想力をもつかによって、扱う情報量は決まってくる。

「ネットアスリートの時間術」茂木健一郎著より。

そもそも発想がなければ、実行できることも自然と限られてきてしまうようだ。実行する前に、まず大事なのは発想力や空想力らしい。それがその人の将来的な成長力まで決めてしまうと茂木氏は考えていた。

きっとそれは自身の経験からそう言えるのだろう。インターネットでも、その人が何かを知りたいと思わなければ、キーワードを検索にかけることもない。

まず、好奇心があるか、実行力があるかでツールを使える範囲も広がるのだろう。何かに興味をもって情報を得たいと思うかどうかがスタートだった。それによる発想力・空想力そのものが情報量になるという。

筆者はインターネットの活用術とは、純粋な興味をどのように深め、広げていくかにかかっているとまで語っている。その気になればなかり詳しいところまで情報を得ることができるからだった。