ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

自分に対してある種の説得材料みたいなものって必要・・・

2015年06月30日 | Weblog
自分に対してある種の説得材料みたいなものって必要・・・

「言葉を育てる」米原万理対談集より。

対談の相手のノンフィクション作家西木正明さん氏が語った言葉だった。米原さんの立場では、通訳はすべて話し手の言葉だけを訳すので、自分と違う考えも訳さねばならないからそれも辛いことだという。苦しいと思うことさえあったらしい。

また西木さんは、芸能週刊誌の編集者をしているとき、つまらないことまで聞かなければならないのが辛かったようだ。しかし、ある時自分の後ろには百万人の読者がいて、それは読者が聞いているんだと思って自分を無理やり納得させたという。

お二人は、自分が聞くのではなく代表して聞いているのだと思うことで自分を納得できたという。ある意味いろいろなことは、それなりに大義名分があればやれるということでもあろうな。

受身ではない攻撃的読書。

2015年06月29日 | Weblog
受身ではない攻撃的読書。
「言葉を育てる」米原万理対談集より。

かなりインパクトのある言葉だった。俳優の児玉清さんとの対談のときに語っていた。米原さんはかつてロシア語学校に行っていたとき、日露の国語の授業の違いに愕然としたという。

日本の場合「よく読めましたね」でおしまいだが、プラハでは「よく読めました。では、今読んだところをかいつまんで話しなさい」とやられたそうだ。

つまり読みながらしっかりと要点をつかんでいなければならないということだった。それを毎回やられると、読みながら中身を捕まえるのが習性になったという。これが上記のフレーズにあげたことだった。

読みながら、内容を記憶するというのはかなりハードな勉強ともいえる。


ドラッカーは概念に名づけをする名人。

2015年06月28日 | Weblog
ドラッカーは概念に名づけをする名人。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

ドラッカーをお手本にしたい部分は「ネーミング」のセンスだった。たとえば、ビジネスの世界に「マネジメント」という言葉を定着させていた。

そのほか、経営コンサルタント、目標管理、分権化、民営化、知識労働者などもドラッカーによって明示された概念であったのだ。

また「事業の目的とは顧客を作りだすこと」というのはドラッカーの有名な言葉だった。これが本質を突いたことで、新しい定義を発見する達人でもあった。単に利益だけではなかった。エネルギー循環が含まれていたからだ。

齋藤氏はネーミングを考えることは、概念を的確に把握するコツを身につける勉強になるという。それはある意味、ものごとのタイトルを考えることとも似ていそうだ。

具体的な「アクションプラン」を立てる。

2015年06月27日 | Weblog
具体的な「アクションプラン」を立てる。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

学びのヒントとして、ドラッカーの実例をあげていた。ドラッカーは95歳でも新しいテーマを見つけて勉強していたという。つねに勉強欲を失わない姿勢というのはすごい。

仕事以外では、毎年新しいテーマを見つけ、3カ月間かけて集中的に勉強していたのだ。また3年ごとのプロジェクトも立てていた。このように期限を区切って「アクションプラン」に沿って計画的に勉強を続けていたのだ。

具体的には、1、目標を設定する。2、期限を決める。3、実現に向けて具体的に調整する。そこでは、短期目標と長期目標をはっきりさせることもポイントだった。

また、目標は心の中で思うだけでなく、よく目にするところに書いておくことも大事なポイントだ。意識をいつも目標に向かってかきたてる工夫だった。


自分のエネルギーを最大限に注ぎ込んだものは、その人にとっては一つの宝です。

2015年06月26日 | Weblog
自分のエネルギーを最大限に注ぎ込んだものは、その人にとっては一つの宝です。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

そして、その一つの例として大学受験をとりあげていた。誰でも好きなことならがんばることができる。粘り強くできるという意味でもあった。好きな本なら何時間でも読んでしまう。

齋藤氏は、部活ならかなりハードなトレーニングも耐える持続力があったという。今度はそれを受験勉強で発揮すればいいだけのことだと思ったのだ。それは必要だからという考えだから苦痛とは感じなかったそうだ。

後に「受験勉強が自分を作ってくれた」といっても過言ではないと語っている。大学院では一日十三時間も勉強し続けるうちに、自然と「粘れる」体質は氏の持ち味になったという。

身につく勉強法は、3つのポイントを踏まえていなければならないという。1.目的は何か。2、やり方は自分の気質に合っているか。3、「決め球」はあるか。受験でもこれを押さえている生徒は成績がよく伸びも良いらしい。

「ブルーマンディ」はいい加減で過ごす。

2015年06月25日 | Weblog
「ブルーマンディ」はいい加減で過ごす。

『「つまらない」大人にはなるな!』川北義則著より。

要するに1週間の単位として、週末に休んで月曜に出勤する際には憂鬱になるという意味だろう。とくに大変な仕事を抱えている場合にはなおさらそういう傾向になることはわかる。

休んでも休んだ気がしないという時は、損をしているような気もする。やはりストレスがあれば、体調にも影響するものだ。

会社や組織の中で仕事をする場合、やはり自分の上司との相性もあるだろう。仕事自体は問題がなくても、人間関係がよくなけば意欲も半減してしまう。

筆者の川北氏も若いころ、理不尽な上司にめぐり会ってしまったらしい。辞めることまで考えたという。きっとそんなサラリーマンは多いに違いない。私もそんな一時期があったものだ。

川北さんは「あんなバカな上司だが、俺を殺すことはないだろう」と考えたら、気分も楽になってきたと振り返っている。

それから心がけたことは「とにかく遊ぶ」ことだったという。開き直ったということだろう。あまり真面目に考え過ぎると損をすることもあるのだ。時にはがんばることをやめ、「いい加減」が自分を救うこともあるという考えも必要なのだろう。

笑いがコミュニケーションの潤滑油として、うまく機能しているかどうか・・・

2015年06月24日 | Weblog
笑いがコミュニケーションの潤滑油として、うまく機能しているかどうか・・・

『「つまらない」大人にはなるな!』川北義則著より。

人づきあいをするときに、「笑い」があるかどうかは重要な要素でもあるという。確かに、何を言っても反応がなければコミュニケーションは不可能だろう。そこにちょっとした笑いがあればホッとする。

また会社の事務所でもただ静かなだけでも、活気を感じない。どこかで明るい話し声や笑い声が聞こえるだけでも安心感がある。明るい雑談はあるほうが自然ともいえるだろう。

冗談やユーモアがあれば会話もスムーズにいくこともある。単に真面目であるだけでは、いいコミュニケーションがとれているとは言えそうもない。むしろお互いが冗談を言えるくらいの雰囲気があるほうが物事はスムーズにいきそうだ。

ジョークで笑えるような職場なら、仕事もしやすい。それも相手から何かを言われるのを待つよりも、こちらから何らかの話題を提供できればなおよいのだろう。

「面白そう」を優先させたお金の使い方は見習いたいものだ。

2015年06月23日 | Weblog
「面白そう」を優先させたお金の使い方は見習いたいものだ。

『「つまらない」大人にはなるな!』川北義則著より。

ここでのタイトルは「見事なお金の使い方がある」となっていたが、いったい誰のことかと思えば、赤塚不二夫さんのことだった。無名時代のタモリを育てた人といってもいいだろう。

赤塚さんはタモリには何の不自由もさせなかったという。またタモリもそれに応えてその後すごい活躍をしている。本人の努力も相当なものだったのだろうが、そのスタートは赤塚さんの支えがあったからこそだともいえよう。

また唐十郎さんには、テントが汚れただろうと言って、800万円も出してテントをプレゼントしている。その恩を感じて、そこに寄贈・赤塚不二夫と書き入れたいと申し出ると、「そんなことをするなら、俺は金を出さない」と断固拒否したという。

赤塚さんにとっては、自分が自由になるお金で面白いことができて、自分が楽しめ、他人も喜んでくれればよかったのだ。彼の生き方のモットーは「真面目に面白いことをやる」だった。一切の見返りを求めないというのも素晴らしい。


人との面談で得られる情報はナマのままだ。

2015年06月22日 | Weblog
人との面談で得られる情報はナマのままだ。

『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。

いくら新しい情報を得たといっても、それが新聞、雑誌、テレビ、インターネットを通じてのものだったら、すでにメディアの担い手たちの目を通したもので、きれいに整理されたものだったのだ。

だから、めったに新鮮な情報というのはお目にかかれないといってもいいのだろう。ある意味儲かる株の情報を教えるというやつと似ている。そんなものは、儲かるなら人になど教える前に自分で買ってしまうだろう。

むしろナマの情報は人の口から発せられた時点のものだ。その場に自分が居合わせたなら、本当のナマの情報と言えるかもしれない。臨場感がなければ本物とは言えない。

仕事のヒントなどもたわいもない会話、ささいな言葉のなかにも含まれているものだった。思わぬところにいい情報があったりする。やはり体を動かさねばそんないいシーンには出合えないだろう。

大事なことは人から聞いた情報ではなく、自分がナマ身の人間から聞いた情報で判断することだったのだ。ついついメディアを通じたものに左右されがちだから気をつけねば。


「自分をバカだと思うこと」の賢さ。

2015年06月21日 | Weblog
「自分をバカだと思うこと」の賢さ。

『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。

バカだと思うことが賢いことだというのだ。実に面白い表現になっていた。これはもともと漫画家の赤塚冨士夫さんがいつも言っていたことを簡単に言ったことだった。

赤塚さんは次のように言っていたという。「みんな、自分が利口だと思っているから、ダメなんだ。自分はバカだと思っていれば、まわりのみんなが利口に見えてくる。そうすれば、いろんな知識を得たりできて勉強になるんだ」と。

これで思い出すのは、聞くは一時の恥・・・というやつだった。しかし、知らないことを聞くのに恥ではなく、恥ずかしいということだろう。単に素直になって聞けばいいだけのことだった。

ポイントは役にも立たない虚栄心や見栄を捨ててしまうことのようだ。そうすることで、たずねるべきことの幅も広がるし深みも出てくると筆者は述べていた。なるほどその通りだと思った次第。

楽しくできればいいんですよ、という勉強の仕方がある。

2015年06月20日 | Weblog
楽しくできればいいんですよ、という勉強の仕方がある。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

勉強する際に、それが「必要」なのか「好き」なのかをしっかり見定めておく必要があるという。やはり好きなことなら進んでやる気も起きるだろう。必要だからといってやっても、義務感があれば苦痛だ。

齋藤氏はチェロを習っているという。そこでは上達をいちばんの目的にしていない。それをやっていることが楽しい、それをやっている自分が好きという感じだった。

だから、当然嫌になったりはしない。これが継続できるポイントだとも思える。スポーツにしても、歴史の知識にしても、芸事など習っていることでも、好きでやって楽しめるならそれでよかったのだ。

いちばんまずいのは、「必要」でもないし、「好き」でもないという中途半端な状態だった。それではただの時間の無駄ということになってしまう。

身につく勉強法のポイントは3つ書かれていた。1、目的は何か。2、やり方は自分の気質や特性にあっているか。3、「決め球」はあるか,だった、仕事にも応用できそうだな。


自分の得意技を持っていて、それが磨き上げられていた。

2015年06月19日 | Weblog
自分の得意技を持っていて、それが磨き上げられていた。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

これは東大生に関して共通することで、みんながものすごく頭の切れる人ばかりではないと齋藤氏は感じていた。つまり大学受験の時点で、自分の武器を技化できているところが強みだったのだ。

そして、齋藤氏の得意技、決め球は何かと言うと「話して覚える」ことだったようだ。普通なら受験勉強はひとりでやるものだが、氏は友達とタッグを組んでやっていたという。

知識として頭に入れたことを人に話すことで記憶に定着させるという技だったのだ。また集中できる場所はどこかも大事だった。人によって自室、図書館、喫茶店などさまざまだ。

高校一年でTOEICで900点採った人は、どんな勉強をしたのかといえば、公式問題集を買って、解いて自分にとって必要な語句をノートにまとめて、自分のオリジナル単語、熟語帳を作ったという。あとは反復練習したのだ。実に地道な勉強法だった。自分にあったノートを作ったのが技の一つといえよう。

自分に適した勉強スタイルを持つ。

2015年06月18日 | Weblog
自分に適した勉強スタイルを持つ。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

まずは、ブレイクスルーとは何となく意味はわかるが、ここでは行き詰まり状況を突破することだという説明があった。勉強していても何となく行き詰まってしまうことはあるものだ。

とにかくどんな勉強の仕方が自分にフィットするのかを知ることが先決のようだ。自分のゴールデンタイム、集中できる環境、どんなやり方ならスイッチが入るかなどだ。

図式化すると、「自分に合った勉強スタイル⇒持続⇒ブレイクスルー」、ということだった。学生時代は勉強とはやらされるものというイメージがあった。しかし、社会人になれば自分で自主的にやるものだ。

作家の村上春樹さんは、「勉強することに興味を覚えたのは・・・社会人になってからである」と語っている。しかも自分が興味があるものごとを、自分にあったペースで、自分の好きな方法で追及していく、と述べていた。

それができるのが大人の勉強の面白さらしい。もうひとつ大事なポイントは「身銭を切る」ということだった。長続きしなければ、せっかくの興味も身につかないだろう。

ということは、趣味ならいくらでも身銭という感覚もなくお金は払ってしまうものだ。だから趣味に時間を費やせば、継続して勉強できるともいえそうだな。

「年だから」を口にしはじめると、何事につけ物事は停滞する。

2015年06月17日 | Weblog
「年だから」を口にしはじめると、何事につけ物事は停滞する。

『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。

ついつい口癖になっている人もいるかもしれない。筆者自身「年だから」「年甲斐もなく」という言葉が嫌いだそうだ。自分のやることややりたいことを制限するために、この言葉を使ってはいけないという。

年だからできないというより、場合によっては力が弱くなったからともいえる。着るものが似合わなくなったというのは、体型が崩れたからということもあるだろう。

何でもまず先に「年だから」を理由にあげないほうがいい。口癖で言ってしまっていると、自分の生き方を制限することになってしまうようだ。

年齢とともに衰えていくものがあれば、それを補うことを考えればよかったのだ。場合によってはトレーニングをすることも考えらる。「年だから」は自分を必要以上に老化させてしまうから気をつけねば。


何であれ「特化する」ことはビジネス成功のポイント・・・

2015年06月16日 | Weblog
何であれ「特化する」ことはビジネス成功のポイント・・・

『「つまらない大人」にはなるな』川北義則著より。

ここでは時代に逆らって成功したビジネスについて述べられていた。いま喫茶店ならどこに行っても禁煙か分煙ということになっている。

ところがある喫茶店ででは愛煙家だけをターゲットにしていたのだ。つまりタバコの嫌いな方はどうぞお引き取り下さいと言っているのと同じだった。

普通なら愛煙家にとっては、喫茶店は肩身の狭い場所となっている。禁煙席のほうが広いか、喫煙コーナーはなくしているところもある。スタバでは喫煙は店外のテーブルということに徹底している。

しかし、愛煙家専用とも思える喫茶店なら堂々とタバコも吸えるから、そんな場所が少ないだけに口コミで遠くからもお客さんがやってくるそうだ。しかも48種類ものタバコが買えるのだった。

もともとタバコを吸わないお客はその店に行くわけはないから、そこがタバコの匂いが充満していようとまったく関係ないということになる。面白いビジネスがあるものだと思った次第だ。