ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

限界は自分がそう思った瞬間に訪れるものでしかない。

2010年05月31日 | Weblog
ウェブサイトの「どらく」5月半ばより。

現在47歳で現役のプロ野球投手、工藤公康の言葉だった。この年齢までプロ野球を現役で続けられるのは、日頃の努力と鍛錬のたまものだということは誰も疑わないだろう。実に強い言葉だ。

そんな彼も20代の終わりごろには、心身ともぼろぼろになって二軍落ちしていた。その頃、もう工藤はダメだと言われていたそうだ。そんな時に出会った筑波大学教授で、スポーツトレーナーの言葉に励まされたという。

自身ではあきらめていたが、この教授にまだまだ先に行けると判断され、この先生の指導のもとでトレーニングを重ね鍛錬した結果強くなれたのだった。そのとき年齢は関係ないと感じたという。

それ以後、工藤は限界は自分で作らないようにしようと考えた、とこのインタビュー記事で語っていた。とにかくやれることを一生懸命やることが大事だと感じているようだ。あきらめない気持ちを保てるためには、それなりの日々の努力(心身ともに)がまた大切なのだろうな・・・

毎日何かに感謝し、それを手紙にしたためる・・・

2010年05月30日 | Weblog
ウェブサイトの「百式」2010.5.23付けより。

この日は、毎日何かに感謝する練習をするサイトの紹介だった。Leahさんは母親から、感謝の手紙をちゃんと書くようにと教えられていたようだ。そして、それをきっちりと実行に移していたのだ。日頃はついつい感謝することは忘れてしまいがちなものだ。

自分が何らかの恩恵を受けているなら、感謝すべき対象はいくらでもあるはず。それは人とは限らない。植物、食物、ペット、建物、乗り物、またその運転手、読んだ本やホームページなども含まれるだろう。無数にあることに気づく。

感謝の気持ちはあっても、それをどう表現するかはそう簡単ではないだろう。またその前に、感謝する対象を見つけること自体が素晴らしいことではないだろうか。それには目で見るばかりではなく、心で感じることがまず必要だろう。

ここでの紹介は英語のサイトなので、もし英語を学ぼうという人はお気軽にやさしい英語に接することができる。また、場合によっては自分もこんな感謝の気持ちを残すことをやってみるのも、新しい自分の創造と言えるかもしれない。

身近にあるケータイで送信したり、ブログに残してみるということもありえるかも。感謝するには練習も必要だということを教えてくれる。毎日何かに感謝する練習をしているサイトは下記。
http://thxthxthx.com/

「誰もが見たことを見て誰も考えなかったことを考える。」

2010年05月29日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」5月号より。

つまり、「それが発見だ」と続いていた。しかし別に発見などと大げさなことを考えなくても、上記フレーズは自分の記憶に残したいと思った次第。

大切なことは、ものごとはただ漫然と眺めているだけでは気付かないもので、何かを見た時にどう考えるかの方が大事なことだということを言いたかったのだろう。

このフレーズを残したのは、ハンガリー出身の化学者、アルベルト・セント=ジョルジ(1893-1986)だった。彼は1937年にノーベル生理学医学賞を受賞していた。

目は開けていても、意外と大事なものを見逃していることが多い。つまり何に注目して見たらいいのかがわからないからだろう。物事のポイントをつかむことは大切なことだ。

当たり前だと思えることでも、角度を変えてみれば、新しい発見があったりもする。それが、何らかの創造につながればいいのだがなぁ~~。上記フレーズを肝に銘じたい。

「人生とは自分探しではない。自分を創造すること」

2010年05月28日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」5月号より。

ジョージ・バーナード・ショー(1856-1950,アイルランド出身のイギリスの劇作家、評論家)の言葉だった。映画「マイ・フェア・レディ」の原作者でもあった。ノーベル文学賞とアカデミー賞の両方を受賞したのは、世界でもただ一人。

彼はさまざまな分野で活躍して、自分の人生を一編の芸術作品に作り上げた人だという。かなり以前から流行っているが「自分探し」、などというほとんど意味不明な言葉を耳にすることがあった。

自分を探すとはいったいどういうことなのだろうか。自分の適性を知ることだろうか。ほどんどのことに、向いていない自分を知ったところで何になるのだろうか。

英語では、“Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself.”と、リズム感のある表現が使われている。ここで使われているcreatingから、創造していくことが大事なんだということがわかる。講師のパルバースさんは、自分を作り直す作業にとりかかったほうがいいかもと提案している。

情熱と好奇心は切っても切れないもの。

2010年05月27日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」5月号より。

アルバート・アインシュタインは、「私には特別な才能があるわけではありません。ただ好奇心が激しく強いだけなのです」と語っている。英語では、“Ihave no special talents. I am only passionately curious.”となっていた。

ここでpassionately(情熱的に)という言葉があることで、アインシュタインのあくなき好奇心がよく表現されているようだ。科学者にとって、過度な好奇心などというものは存在しないという。

何かを成し遂げようとする時にはそれは当然のことだという意味でしょう。だから筆者(講師のパルバースさん)は、情熱と好奇心は切っても切れないものと言ったのでしょうね。

また、古くて面白いことわざに、“Curiosity killed the cat.”があります。つまり、好奇心は猫を殺す、という意味で、過度な好奇心は持つべきでないと、人々を戒める言葉でした。

むしろ以前から知っていたことわざは、“Care kills a cat.”で、心配はネコをも殺す(=心配は身の毒)という意味だった。また関係ないが、“A cat has nine llives.”(ネコに九つの命あり)、それだけネコはしぶといという意味らしい。

ここでのテーマは「創造」だったが、話が脱線してしまった。(これもちょっとした好奇心からか・・・?)

何かをしないことが、「勇気ある行動」になる場合がある。

2010年05月26日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」5月号より。

これはこの番組の講師であるR.パルバースさんの経験からの言葉だった。英語表現では、“the courage to refuse”(拒絶する勇気)と呼ぶらしい。氏が10代のころ、そんな勇気を持つことができたと振り返っている。

周囲の圧力、仲間からのプレッシャーが一番強いのはやはりティーンエイジャーの頃らしい。大人がいない若者だけのパーティーではお酒を飲まなければならなかったり、ドラッグに手を出さなければならないという圧力があったという。

しかし仲間からは、ダサいと思われようが、パルバースさんはこれを拒否し続けたのだった。実際仲間と違う行動をとったり、みんながすることをしなかったのはけっこう勇気を必要とすることだ。

拒絶する勇気で思い出したのは、先月18日、連続フルイニング出場の記録を続けていた阪神の金本知憲選手が自ら、チームのために、その世界記録を途切れさせたことだった。周囲は記録に気を使うので、それを止めるのは自分しかいなかったのだ。これもまたすごい勇気でもあった。

蛇足
4月26日、阪神は、1492試合連続フルイニング出場を記録した金本選手のユニフォームを米野球殿堂博物館へ寄贈すると発表した。

流れに逆らって泳ぐには力と勇気が必要だ。

2010年05月25日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」5月号より。

最近毎週このテレビ番組(NHK教育放送)を見るようになっている。テレビだけ見ているだけでは見逃してしまいそうな名言はテキストで読むようにしている。そのなかで味わいのあるフレーズ出くわしたりもする。今回のテーマは「勇気」だった。

上記フレーズのあとにはさらに、「浮かぶだけなら死んだ魚でもできる」と、かなりきつい表現が続いていた。これは、イギリスの作家、サミュエル・スマイルズ(1812-1904)が残した言葉だった。その「死んだ魚」は英語では、“any dead fish”となっていた。軽妙で皮肉な感じがよく表されている。

また、「流れに逆らって泳ぐ」とは、社会の規範にとらわれず己の道を行く人という意味だった。それを実行するには、確かに力と勇気がなければできないだろう。流れに乗って進むだけなら、それほど苦労はしない。

仕事や日常生活の中でも、時には理不尽だと思えるようなことに出くわすことがある。それをきっちりと指摘できる人は勇気がある人だ。しかし実際は何となく、長い物には巻かれよ、というふうに考えあきらめてしまう人の方がむしろ多いのかも・・・

仕事部屋の気圧は、居間や食堂よりも高い。

2010年05月24日 | Weblog
「作家の条件」森村誠一著より。

実に面白い表現に出くわした。ふだんあまりこんなことを感じたことはない。自宅で仕事をする作家ならではのことだろう。または自宅を仕事場として使用している人はそう感じるのかもしれない。

もし、外で勤務する人たちなら、ここでの仕事部屋とは職場のことになるのだろう。そう置き換えるならばわかりやすい。毎日職場に行くならそれほど感じられないことだが、数日間の連休のあとでは、仕事に臨む際には緊張するものだ。それは気圧の高さだとも考えられる。

森村氏は、気力、体力が衰えているときは、仕事部屋に入ろうとしても高い気圧にはね返されてしまうような気がすると述べている。なんだかわかりそうだ。どんな仕事もある程度気力、体力が充実していなければ、いい結果を望めないものだ。

森村氏のように脱サラをして作家になった人や自営業、自由業の人はみな、定期健診がないから、自分で健康管理をしなければならない。そこで、氏にとっては“私の健康法「飽きない秘訣」”というものがあった。

それらはまず、歩くことで、その際途中医者に寄ることもあるそうだ。またデジカメを携行して俳句とともにホームページにアップするという。「写真俳句」を考案し提唱したのは森村氏だったのは有名だ。

これら「趣味と実益と健保の三点セット」をやっていることが、飽きもせずにつづけられる秘訣だと考えている。参考になりそうだ。いずれにしても、いつも職場の気圧を低く感じていたいものだな・・・

読者は清張作品が読者自身をモデルにしたような気がした。

2010年05月23日 | Weblog
「作家の条件」森村誠一著より。

これは「昭和と共生した作家」と題して書かれている部分にあったフレーズだった。前回も似たような言葉で触れたが、松本清張は活字に飢えた読者の前にオピニオンリーダーとして登場したと森村氏は語っている。

それまでの探偵小説とは異なり、動機を重視したミステリーになったからでもあった。それは読者に新鮮なカルチャーショックをあたえたようだ。

昭和という時代、特に戦後だろうが、その混乱期の社会の縮図を巧妙に精密に描き出した作家はやはり清張が筆頭だろう。また清張の幸運は、日本映画の最盛期ともジャストミートしたことだと、森村氏は指摘している。

彼の主要作品はほとんどが映画化されている。だから、たとえ本を読まなくても映像化された清張の作品世界に触れていることになるのだ。テレビでも、毎年のようにドラマ化されている。

ミステリーには事件はつきものだが、それらが一般の人々のすぐ近くでも起こったことや、起こりうることをリアルに描いているという意味で、“読者自身をモデルにしたような”、という表現を用いたのだろう。松本作品を読むとき、いつも膨大な取材、情報分析を感じるものだ。だからこそリアル感が迫ってくるのだろうな。

国民のだれもが否定することのできない国民作家・・・

2010年05月22日 | Weblog
「作家の条件」森村誠一著より。

森村氏は時代と共に生きた人間がいるという。その中で昭和という時代と共生した人間として思い浮かべるのは、(氏にとっては)石原裕次郎、美空ひばり、作家の松本清張だった。そして松本清張を論ずることは、戦後の昭和文芸だけでなく、戦後の昭和そのものを論ずることでもあると考えている。

作家以外では昭和という時代を思い出すときはそれぞれ、いろいろなヒーローがいるだろう。力道山、長嶋、王、司馬遼太郎、吉永小百合なども入るだろうか。しかし、作家となると、やはり松本清張は外せないだろう。

清張文学は幅が広い、社会派ミステリーが中心だが、デビューは芥川賞作家だった。時代・歴史小説、古代史、ノンフィクション、評伝まである。膨大な作品群は今でも豊富に書店に並べられ、映像化もされている。

森村氏は、清張ほど時代に求められ、そのニーズにジャストミートする形で登場した作家はいないとまで語っているが、これは誇張ではなさそうだ。一時期は、月産二千数百枚を誇ったという。今でもこれほどの作家は考えられない。

松本清張はお上の褒章をなに一つ受けていないというのも意外だった。作家にとっての最大の勲章は、作品を多くの読者と共有することだと森村氏は語る。作家は読者を楽しませてくれればそれで十分だ。これは実にわかりやすい。上記フレーズは、「松本清張反権力の栄光」と題して書かれている部分で目にしたものだった。

天才をプロデュースするのが名編集者だと言える。

2010年05月21日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

ここでの天才とは絵が抜群に上手い鳥山明のことをさしていた。『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』で「少年ジャンプ」を600万部をこえる怪物雑誌にしたのだから、天才だといってもいい。

しかし、彼とても初めから天才だったわけではなかった。すぐれた編集者によって見出され、磨かれてようやく一流の域に達するのだ。つまり彼の才能に目をつけた編集者との出会いが良かったということになる。

作家はみな編集者との二人三脚の時期が必要だった。鳥山は出会った編集者との間で500枚のボツ原稿の山を築かねばならなかった。二年間の歳月で鳥山は鍛えられたようだ。

新人にとっては編集者は神のような存在でもあった。もちろんベテランの作家にとっても連載打ち切りの権限も持っている。またごく一部の作家を除いては、編集者のほうが経済的にも安定した高収入を得ているようだ。

だからこそ、フレーズにあげたように、名編集者なら天才をプロデュースすることもできるということだった。逆に言えば、せっかくの才能も素晴らしい編集者との出会いがなければ見出されないということもあり得るか・・・。

雑誌は商品でありながら、新人発掘の場でもある。

2010年05月20日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

この雑誌とは、マンガ週刊誌のことだった。一冊に掲載されるマンガの本数は限られているから、有望な新人が出てくれば、その分消えてゆく者もいるということだった。新陳代謝はすさまじい。

それは主に読者アンケートによる人気投票によるものだった。人気が低ければ無理やり打ち切られることもあるようだ。実に厳しい現実がある。

客観的で完全な実力主義という感じがする。面白い作品しか生き残れない。その分新人にもチャンスがあるともいえる。週刊というのは、当然ながら毎週新しいアイデアでマンガを描き続けていかなくてはならない。

しかもそこには過酷な競争システムがあるのだ。マンガ家を目ざす新人も多いだろうが、世間に通用するのは大変なことだ。そうえいば、私の高校時代のマンガの才能あるクラスメートのことを思い出した。

彼はマンガが抜群に上手で、卒業後すぐにある有名なマンガ家に弟子入りしていた。その後新人賞をとり数冊の単行本も出したものの、その後は別の仕事に就いていた。ヒット作品を継続するのはやはり難しいのだろうな。

日本人の感性が、そのまま海外の子どもや若者を引きつけている。

2010年05月19日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

「マンガ誌という怪物」という章では、ちょっと驚きのパーセントや数字があった。たとえばそれは、世界のテレビ局で放送されているアニメ番組の60%が日本製だといわれているからだった。また、「ポケットモンスター」は68カ国、「クレヨンしんちゃん」は40カ国、「ドラえもん」は35カ国で放送されているという。

日本以外でもものすごい人気ぶりだとわかる。日本でウケれば海外でもウケるということになる。かなり古い作品の「巨人の星」もイタリアで人気を博したらしい。かなり日本色の濃いアニメでも世界に通用している。

そう言えば、以前新宿の大型の本屋に行った際に、英語版の「美味しんぼ」「ワンピース」「のだめカンタービレ」「名探偵コナン」「NANA」「花より男子」「ドラゴンボール」などがあったことを思い出した。

しばしば週刊マンガ雑誌に掲載されたものが、アニメ化されまたドラマ化されている。最近ではマンガでヒットした作品が映画化されることも頻繁だ。それは安易だとも思えるが、外れがないからだろうな。

この本では「あしたのジョー」のイタリア語版は「ロッキー・ジョー」になっていたことがわかった。アメリカでは「少年ジャンプ」は強引にも「SHONEN JUMP」という名称で出版されていた。いずれにしても日本のマンガ文化がそのまま海外でも通用し、大きなマーケットになっていることにちょっと驚き!

世の中の大半の仕事というものは、自己主張ができない。

2010年05月18日 | Weblog
「作家の条件」森村誠一著より。

すでに多くの方はご存じのように、森村氏は作家以前はホテルマンを職業としていた。そこで生みだされるものはサービスで、生産されると同時に消費されてしまうと表現している。作り出したものは形として残らないものだ。

あらゆるサービス業の仕事は形に残らないものではないだろうか。自己主張なんてとんでもない話だ。氏は十年近く従事しているうちに形のあるものを残したいと思うようになったという。製作者や製造者なら何らかの形に残るものができあがってくるだろうが。

とはいっても、世の中のほとんどは無数の誰がしたかわからないような仕事で成り立っているものだ。個人の署名を残せるような仕事をしてる人はほんの一握りの人たちだけに違いない。

また、たとえ署名付きの仕事にあこがれたところで、実際にそれが実現できるわけではない。それにともなう実力と運に恵まれた人たちだけが、夢を実現できる。プロの作家は内部に発酵するものがなくても書かなければならない、実に厳しい世界だとも思える。

わずか十七文字によって膨大な歴史が描かれている。

2010年05月17日 | Weblog
「作家の条件」森村誠一著より。

もちろんこれは俳句のことだが、俳句自体のことの説明ではなく文章について述べられた部分で目にしたフレーズだった。文章には説明と描写と抽象があるという。説明には客観性と正確性がもとめられ、描写の場合は主観がはいってくるものだった。

そこで、芭蕉の2つの俳句を引き合いに出していたのだ。「五月雨をあつめて早し最上川」は説明句の見本だった。つまりこれは情景の客観的な説明だったのだ。

それに対して、「夏草や兵(つわもの)どもがゆめの跡」は抽象句だった。空間の描写だけに止まらず、時間軸(歴史)が加わっていたからだ。これは完成度と抽象度が高い作品だった。

森村氏は、文章は抽象化が進めば進むほど高度になり、読み手にもそれなりの素養が求められると語っている。確かに見たり聞いたりしたものなら理解しやすいが、抽象的に表現されたものを理解するのはかなり難解なことがあるものだ。