ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

きれいと美しいは違う・・・

2016年03月31日 | Weblog
きれいと美しいは違う・・・

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

こんなフレーズは、かつて何かのテレビ番組で画家の岡本太郎も言っていたのを聞いたことがある。きれいは表面的なもので、美しいは内面的なこのだというようなことだった。

ここでは、江戸小紋染めの人間国宝の小宮康孝さんの言葉の引用だった。そして、きれいは目から入る。美しいは心に響くとあった。まさに岡本太郎と同じことのようだ。

やはり職人だからこそ言える言葉なのだろう。しかし、サラリーマンも同様に何らかの職人を目指すべきなのだろうな。

ときには仕事の場で感性を働かせてみるのもよいのではないか。

2016年03月30日 | Weblog
ときには仕事の場で感性を働かせてみるのもよいのではないか。

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

これは、「仕事の中の男のロマン」と題した部分にあったフレーズだ。筆者は研究所で働く人や、開発に取り組んでいる人がうらやましいと思うことがあると語っている。

そこには男のロマンが見つけられそうだ、というのが理由だった。確かに、宇宙開発で未知の世界を知ることができたりすればロマンともいえるのだろう。

一般的に営業の現場では、成果を期待される、つまりいくら努力して頑張ったとしても、決められた数字を達成しなければ認められないということになる。

そればかり考えていたら、ストレスもたまってとても仕事を楽しむどころではないだろう。私もかつて営業部門にいて、長年ノルマを与えられていたが、そこに自分なりの工夫を加えられたので、そこそこ楽しめたとも思える。もちろん目標を達成した時には嬉しさはあるものだ。

仕事の場で感性を働かせることができるということは、自主的に仕事に取り組んでいるともいえるのだろう。

何でもいいから男は「オレはこれだけは自信がある」というものを持とう。

2016年03月29日 | Weblog
何でもいいから男は「オレはこれだけは自信がある」というものを持とう。

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

それを持っていると、必ず尊敬してくれる人間が現れるらしい。さらに、自分が尊敬できる人間がいることにも気がつくようになるという。そうすることで充実した人生も始まるようだ。

まずはプライドを持つことが大事だった。それは所属する組織ではなかった。自負心はプライドとも関係していたのだ。

男は自負心という思い込みを何か一つ持たないとダメだそうだ。自分の内心でひそかに、揺るがぬ自信を持つことは大事なことだった。

いちばん忙しい人がいちばんたくさん時間を持っている。

2016年03月28日 | Weblog
いちばん忙しい人がいちばんたくさん時間を持っている。

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

ここでは、時間がないといつもいっている人は、時間を浪費する人たちだと述べている。つまり時間を無駄遣いするから、時間がないということになるのだった。

また時間を大切にする人は、時間で困ることはないらしい。それはお金とも似ているのだった。時間はいつも流れている。何をしなくてもどんどん過ぎてしまう。

理想的な時間の使い方は、時間を意識しないで何かをすることだと、筆者は経験から語っている。何かに集中している時は、時間が過ぎるのが早い。

また、充実した時を過ごしているときもそうだ。時間をかければいいものができるとは限らないのだ。いかに集中できるかだろうな。

自信がないと実力の半分も発揮できない。

2016年03月27日 | Weblog
自信がないと実力の半分も発揮できない。

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

魅力も同じらしい。自信のある人間は魅力的に映るという。芸能界でも野暮ったかった新人も、数年すると洗練されてくるようだ。それは経験を積んで自信がついてくるからだった。

サラリーマンも入社して数年は自信が持てないが、いつしかベテランになっているものだ。やはり経験と自信が大きいのだろう。

本当の自信はやはり実力が伴っていなければならないだろう。また自信がなければ、実力も発揮できないともいえる。スポーツでもなんでも共通していそうだ。

そこで、ある程度「うぬぼれる」というのも悪いことではないらしい。それで、仕事がうまくいくなら結構なことだ。

人生を楽しむには、自分の思うように生きることが一番。

2016年03月26日 | Weblog
人生を楽しむには、自分の思うように生きることが一番。

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

これは当然のことだろうと想像ができる。思うように生きられれば、確かに人生は楽しめるからだ。外からみれば、わがままな奴だといわれるかもしれない。

わがままでも、周囲の人を悲しませないことが大事だそうだ。何かの犠牲では決して楽しめるはずはない。

かつて中日の監督を務めた落合氏は、オレ流という言葉を流行らせたものだ。それは自分に自信があるからこそ言える言葉なのだろう。その通り結果を出したのだから誰も文句は言えない。

会社員なら、定年を迎え第二ラウンドに入ったら、こんなオレ流をやってもいいと筆者はいう。それができてこそ人生も楽しめるのだろうな。

怒りを忘れた男はもはや男ではない。

2016年03月25日 | Weblog
怒りを忘れた男はもはや男ではない。

「ちょっと硬派な男の生き方」川北義則著より。

聖書には「知恵多ければ怒りも多くなる」という言葉があるらしい。また筆者は、現代では、情報が多くなれば腹が立つことも増えるとも指摘していた。

なるほど、テレビや新聞を見ているだけでどうでもいいようなニュースが目に入る。そんなものを見ていると怒りたくなるような情報も多い。

だから、時にはテレビ画面に向かってツッコミを入れたくなるようなこともあるものだ。これもある意味エネルギ-の発散だろう。脳の活性化にはいいらしい。

仕事ができる人は、うまく手抜きができる。

2016年03月24日 | Weblog
仕事ができる人は、うまく手抜きができる。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

そして、手抜きの究極が、コンピュータだった。確かにさまざまな作業もパソコンがあれば、効率的に出来ることも多い。素早い判断でパソコンに作業を任せられれば、自分自身もっと創造的な仕事もできるものだ。

二流の上司はしばしば部下を酷使しなければ損だと思うらしい。それは最悪のことでもあった。むしろ一流の上司なら、部下にはしなくてもいいことを指示できる人なのだ。

5つやらねばならないことがあるなら、むしろ3つのことに力を集中させた方が、より精度は上がるのだった。それが1つならもっと集中してできることになる。実際やる必要のないことも日々の仕事には多いものだ。

二流のリーダーは、仕事を生み出す。

2016年03月23日 | Weblog
二流のリーダーは、仕事を生み出す。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

二流のリーダーは、部下にたくさんの仕事を与えようと考えるようだ。実はそうではなくて、部下には楽で面白い仕事のやり方を見つけてあげることだったのだ。

そうすれば、いい仕事もできるのだろう。一流のリーダーは、部下と一緒に仕事の新しいやりかたを生み出していくようだ。

いくら仕事をしても、新しいシステムを生み出さなければ、意味がないとまでいう。ただ単にたくさん仕事をしていればいいというわけではなかった。

一流のリーダーの条件は、コミュニケーターであることだ。

2016年03月22日 | Weblog
一流のリーダーの条件は、コミュニケーターであることだ。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

コミュニケーションンで一番大事なのは、雑談ができることだった。たわいのない雑談ができる上司ならいろいろなことも話しやすい。

二流のリーダーは部下と真剣な話しかできないという。なるほどそれは言えるだろう。商売も同じで、商品のことしか話せない人は面白味がない。

やはり商売の話以外に、雑談や面白情報を与えられる人の方が親しくもなれる。その結果が営業成績にも反映することが多い。

リーダーには、ある意味いいかげんさも必要だった。いつも完璧すぎると窮屈に思える。ここでは雑談を振られなくなったリーダーは、二流だとも述べていた。

「頑張れ」は、リーダーが使うべき言葉ではない。

2016年03月21日 | Weblog
「頑張れ」は、リーダーが使うべき言葉ではない。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

それを言うのは二流のリーダーだったのだ。そう言われると部下やチームはだんだん疲れてしまうからだ。自主的なやる気も失せるだろう。

大事なのは部下が頑張れる環境を作ることだった。営業をやっている経験からもそれは理解できる。営業部門なら、そこのリーダーは部下がやる気が出るようにノセることが大事だと思われる。

うまくノセられた営業マンはそれならやってみようという気になるのだ。ここでは、リーダーは、部下が今一番求めているものを、その時々で感じ取ることだった。

一流のリーダーは「導師」。

2016年03月20日 | Weblog
一流のリーダーは「導師」。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

そこで、二流のリーダーは教える「教師」だという。一流のリーダーは育てる「導師」だった。ふだんあまり聞いたことのない言葉だが、わかりやすい。

導師は細かいことを教えるのではなく、大きな方向を示すのだ。数学なら、公式を教えるのが教師だった。それに対して、数学の面白さを教えるのが、導師だったのだ。

気づかせたり、目覚めさせることは大切なことだった。ここでの結論は「教師よりも導師になろう」だった。

「適材適所」という言葉には「適時」という要素が欠けている。

2016年03月19日 | Weblog
「適材適所」という言葉には「適時」という要素が欠けている。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

適材適所を活かすためには、タイミングも大事な要素だったのだ。少しだけ遅くなっても意味がないのだ。鉄は熱いうちに打て、という言葉通りだろう。

「適材適所」は、もともとは建築用語だった。北側の部分は、かたくて緻密だった。見栄えは関係なかった。よく北斜面と南斜面で育った樹木は硬さが異なるともいわれる。それぞれの良さを活かすことで長持ちする木造建築ができるのだろう。

動きの激しい流れの中で会社を存続、成長させていくためにもそれに対応することが要求される。そのためには、タイミングやスピードが大事になってくるのだ。

つまらない仕事は、プロジェクトに変えることで、がせん面白くなる。

2016年03月18日 | Weblog
つまらない仕事は、プロジェクトに変えることで、がせん面白くなる。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

つまりそれは自分から積極的に動けるということも含まれているのだろう。自分で企画を考えて実行することほど面白いことはない。自分のアイデアが生かせられたらもうけものだろう。

そこで、筆者はプロジェクトにするための5つの要素を述べていた。1、レスポンスの速いメンバーだけとする。2、必要以上の人数を集めない。3、中心人物を決める。4、プロジェクト名を決める。5、メンバーを全員そろえる前に始める。

場合によっては、一人プロジェクトが一番早いとも思われる。そのうちやろうと、考えても前には進まない。その日から具体案を出すことがスタートだろうな。

ここでの結論は、「つまらない仕事」を「面白いプロジェクト」に変えよう、となっていた。それをいつでも考えていたいものだな。

面白い仕事が、最高のご褒美だ。

2016年03月17日 | Weblog
面白い仕事が、最高のご褒美だ。

「人を動かせる人の50の小さな習慣」中谷彰宏著より。

つまり、仕事自体が面白ければ、ご褒美は要らないという意味だった。ご褒美というと、お金や役職だと思いこんでいるのは二流の上司らしい。

たとえ給料が安くても自分にとってやりがいのある仕事なら、納得できる。私も役職よりもやりたい仕事を選んで会社員生活を過ごしたものだ。

給料が高くても仕事自体が面白くなければ、時間ももったいないと思える。はじめから面白い仕事はないものだから、自分が面白くするしかないのだろう。