ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

健康ばかりか仕事面でも「明治人」ではない。

2010年12月31日 | Weblog


「知の巨人ドラッカー自伝」ピーター・F・ドラッカー著より。

これは訳者の牧野氏の表現で、ドラッカー夫人のドリスさんのことだった。ここでの訳者の解説のタイトルは“元気なドラッカー夫人”というタイトルになっている。その時夫人はもう90歳を超えていた。

しかもパソコンを使っている。牧野氏がファックスるでドラッカーに連絡を入れると、ドリス夫人が自分のパソコンを使って、夫に代わって電子メールで返事をくれることがたびたびあったという。

もちろん明治、大正は日本の年号だが、それに匹敵するほどの年齢という意味で使ったものだ。日本では大正生まれの人でもパソコンを使っている人はいないだろうに、明治生まれの夫人が使っているとは驚きでもある。

ドラッカー自身も90歳過ぎまで健康的な生活をおくられたのは、このドリス夫人のおかげだと認めていた。彼女のおかげで定期的に泳ぎ、ハイキングに出かけ運動不足を解消していたのがよかったらしい。やはり健康の維持には無理のない運動が必要なのだろうか。

「暇な時なんていうものは存在しない・・・」

2010年12月30日 | Weblog
「知の巨人ドラッカー自伝」ピーター・F・ドラッカー著より。

この本の元は日本経済新聞の「私の履歴書」だった。それに訳者解説を加えて出来上がっている。これは訳者の牧野洋氏がドラッカーに「暇な時には何をしているのですか?」と軽い気持ちで聞いてみた時の返答だった。

その前に逆に「暇な時とは一体何だね?」と聞かれてしまったのだ。もちろんこれはドラッカーのユーモアだった。牧野氏は返答に困ってしまうが、ニタッと笑いながら答えたのが上記のフレーズだった。そして、さらに「私の場合、仕事をしていなければたくさん本を読む。きちんと計画を立てて、それに従って集中的にね」と付け加えていた。

要するに、暇な時という表現はドラッカーにはあまり似合わない言葉だったようだ。つまり常に何らかの目的を持って時間を過ごしているのだという意味だろう。

そしてインタビューで「引退」の話になると自分の手帳を見せてくれたという。そこには、夏から秋にかけては、予定はびっしりと書き込まれていたのだ。その時ドラッカーはもう90歳を超えていた。しかもユーモアもたっぷりだったらしい。やはり巨人だと感じてしまう・・・

苦手なものほど“伸びしろ”も大きい。

2010年12月29日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

これは筆者の経験からくる言葉だった。受験の際、得意科目より、苦手な科目を克服するためにエネルギーを注いだ方がいいということだった。具体的には、得意科目の90点を100点に上げても10点のプラスだが、苦手な科目の40点を70点に上げれば30点のプラスになるからだった。しかも、そのほうがエネルギーは効率的だという。

さらに、克服できたという精神的なメリットも大きかったそうだ。かなり有能だとも思える筆者の弱点の一つは、書く文字があまりにも汚くて自分でも読めないほどだったという。そのため仕事や勉強に支障をきたすほどだったという。心理的にもコンプレックスになっていたという。とても信じられないが。

ところが、それを救ったのがワープロの普及だった。今ではそれさえも古い言葉になってしまったが。パソコンの機能はすごい。齋藤氏は読める文章を残せるなら便利だと思い、本格的にタイピングの訓練を始めたのだ。

専門のタイピストに教えてもらい、ブラインドタッチの技術を習得でき、書くのが楽しくて仕方がないほどになったと語る。そのため、年に一本だった論文が七~八本にまで増えたようだ。これも苦手分野を克服した結果だった。

一般的なハウツーものでは「短所を直すより長所を伸ばせ」とよく書かれている。しかし、ここでの教訓は「長所を伸ばす前に、短所を矯正せよ」ということだった。時にはこれも使えそうな気もするが、地道な努力に耐えられるかなぁ・・・


雑事を制する者が、仕事を制す。

2010年12月28日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

つまりこれは、「何でも引き受ける」という耐性のことだった。フランクリンはこれを実践してきたようだ。クリエイターには、その経験こそが欠かせないという。

様々な経験が、仕事の幅を広げるということでもあった。そこからチャンスも生まれてくる。齋藤氏自身も学生時代は、雑事にわずらわされず、本質的な部分だけを追求したいと思って大学院に進んだという。

しかし、論文を書くにしてもそのためにかなりの地味な作業の繰り返しをせねばならなかったと振り返る。一割のアイデアを九割の地味な作業で固めるという感覚だったらしい。

そこで学んだのは、あらゆる仕事にとって雑事は避けて通れないということだった。つまりそれはその場で耐える「地味力」だった。これがないとどんな領域でも一つのことは成し遂げるのは難しいと語っている。


自分だけの金言集をつくる。

2010年12月27日 | Weblog
「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

要するにこれは、見聞きした言葉のメモをつくったらどうだろうかという提案だった。読んだり聞いたりしている言葉の中には、たまに記憶に残しておきたいものに出会うものだ。

しかし、ほんの数分後にはすっかり忘れてしまって二度と思い出すことはない。あとで思い出そうとしても難しい。なんだか損をしてしまった気もする。

しかし、その場でメモしておけば、思い出す手掛かりになるものだ。映画などを見ていても、書き留めたい言葉に出会ってもなかなか手元で書けないもので、残念に思っている。

話し言葉に比べれば、本や新聞、雑誌なら何度も読み返してメモしやすい。これも習慣化することが大事なのだろう。それを手帳に書いておくといいと齋藤氏はアドバイスする。

そしてそのメモを、書いたり読んだりを繰り返していると、言葉の力が自分に乗り移ってくるという。それは本当だろうか。(フランクリンは若い頃、金言を集めてカレンダーに出版したところ長年にわたってそれがよく売れたという。)

アクセルを思い切り踏み込むべき予定は「赤」、・・・

2010年12月26日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

この「・・・~」のあとには次のように続く。「~それほど力を込めなくても可能な仕事は「青」、そして遊びや息抜きの時間を緑」と、(手帳に)書き込んでいるとあった。

つまりこれは齋藤氏が考案した「三色ボールペン」で本を読む際の応用だった。読書の際に「最重要」は「赤」、「まあ重要」は「青」、個人的におもしろいと思う部分を「緑」で囲んだり線を引くのと同様だった。

そして、手帳も1週間単位で眺めるのがいいらしい。とはいっても、私はふだんほとんど手帳を持つ習慣がないので、今後どうすべきか分からないが。

私にはその手帳の厚みが気にかかっているのだ。また、使わない空白のページまで持ち歩くのが、なんだか無駄に思えているからでもあった。

齋藤氏が手帳にまで赤、青、緑を使っているのは、効率よくエネルギーを分散して結果を出すための工夫らしい。確かに便利だとも思えてくる・・・


コツコツと積み上げる地道な“手仕事感”が、フランクリンの魅力の一つ。

2010年12月25日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

何かが変わる時、一気にがらりと変わることなどほとんどないのではないだろうか。健康管理にしても、それをしたからといって、すぐに効果が表れることはない。

ある程度の期間を継続して、初めて感じることのほうが普通だ。フランクリンは1週間単位で様子を確認していたようだ。よく似ているのが、レコーディングダイエットというものだった。

毎日体重を量って手帳に記入していくというものだ。習慣化すれば、それなりに効果があると齋藤氏も経験から語る。そして、少しでもその効果が実感できると書きこむのが楽しくなるという。

私の場合は、「徳」とは関係ないが、今のところ歩いた距離を(万歩計をつけているので)○から●に埋めていくことにしている。○一つで1キロときめているので、累計の距離はすぐにわかる。

これも記入する手間をできるだけ単純化したから継続できているのだろう。距離が増えるほど楽しくなる。毎日、その歩数や距離を数字で書くということだったらきっと1週間も続かない。今のところ8か月継続中(約590キロ)・・・


あらかじめ用意された空欄を埋める作業なら、負担はグッと減る。むしろ埋めてみたくなる。

2010年12月24日 | Weblog
「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

ここには、「フランクリンの徳チェック表」というのがあった。その表の縦にはフランクリンの13の徳の項目があって、横方向には1週間の曜日が書かれていた。学校の時間割に似ている。

徳の項目には、節制、沈黙、規律、決断、勤勉・・・などが書かれていた。そして、毎日、達成できなかった項目に黒点や*を書きこむだけだった。

これほど単純に表を作っておけば、負担も少ないと考えたのだ。そもそもこれは、2000年前にピタゴラスが道徳の習慣作りのために考えたものをヒントにしていた。

これほど古いものからもフランクリンは自分流に作り上げてしまうのはすごいこと。ここでのタイトルは「徳マスターへの道は、一冊の手帳から始まる」とあった。

つまり手帳にこの表を作っておけば、いつでも簡単にチェックできたのだ。面倒というよりもむしろこれだけなら進んで書きこめそうだ。(しかし私は手帳を持つ習慣がない・・・)


一日に最低一人、誰かを褒めることを習慣化すれば、相互の関係性はフレンドリーになる。

2010年12月23日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

もし、褒められたり感謝されたりすれば、その人に対して親近感は持てることは確かだろう。自分に関心をもって評価してくれた人は意外に印象に残るものだ。

だから、人を褒めるということは相手を観察していなければできないことも多い。密なコミュニケーションがあればこそ、人を褒められる。

齋藤氏の感覚では多くの人は褒められたがっているという。しかし相手のことを理解もせずに褒めてもしょうがない。また心がこもっていなければ、逆効果になってしまう。

「一日一善」ではなく、「一日一褒(ひとほめ)」ということも提案している。もしこれが習慣化でたらいいのだがなぁ。ついつい批判ばかりが先に立ちそうだが、齋藤氏のおすすめしたい「徳」は「褒める」だった。


オリジナルの「徳」を考えよう。

2010年12月22日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

(前日のつづき)
徳と言っても人まねというより、むしろ自分で探してみることが重要なようだ。自分に何が足りないのか、何があれば現状をブレイクスルーできるのかを考えるべきだった。

できるだけ具体的なものを思い浮かべるのがいいと、齋藤氏はいくつか参考として挙げているものがあった。まずその一つが、「上機嫌」だった。

いつも氏はこの言葉にこだわってきたという。数年前には「上機嫌の作法」という本も書いていたほどだ。たった一つのこの言葉を思いつくだけでも大変なことだ。

いいアイデアも心の経平静がなければ思い浮かばないというが、それは本当だろう。上機嫌を維持するのは大変だが、それを意識しなければ恐らくもっとできない。

単に感情的にものごとを相手にぶつけても解決しないことの方が多い。むしろ「相手に対して非常に厳しいことを、上機嫌に言えた」などはやはり訓練、習慣化しなければできないもの。


「徳」はビジネスの“基本フォーム”だ。

2010年12月21日 | Weblog

「筋を通せば道は開ける」齋藤孝著より。

この本のサブタイトルは“フランクリンに学ぶ人生の習慣”となっていた。ということで、『フランクリン自伝』から学べることを齋藤氏流に述べたものだ。

ふだんなかなか「徳」ということについて考えることはない。むしろビジネスにしても日常生活でも損得の方を考えてしまうのではないだろうか。

フランクリンは、「徳」を日常を豊かに生きる上で欠かせない、個別具体的なアイテムであると解釈していたと、齋藤氏はいう。誠実な仕事とは社会に尽くすことで、それが「徳」をマスターすることと直結していたのだ。

だからこそ、実生活の中で「徳」を習慣化することは大事だという。それを身につけるには、反復練習しかなかった。その結果として、人から信用を得られ、ビジネスもうまくいくということだった。


「ヒール」ははがせるが、「ベビーフェイス」ははがれない。

2010年12月20日 | Weblog
「朝日新聞」2010.12.14付けより。

スポーツ面のコラム“EYE”(西村欣也氏)の中で目にしたワンフレーズだった。もし、この記事を読んだ方ならきっと思い出すのではないだろうか。

究極のベビーフェイス(善玉)として、早大から日本ハム入りした斎藤祐樹投手をあげていた。高校、大学を通じての活躍は別に野球ファンでなくても知っているはず。つまりスターでもある。

それに対して、同じスターでも、究極のヒール(悪玉)は江川卓氏(現野球解説者)だった。しかしプロ入りまでの、学生時代の評価は怪物といわれ、齋藤を上回っていただろう。

私も甲子園での活躍をテレビ観戦した覚えがある。また神宮球場での姿を観戦したこともあった。彼も高校、大学を通じてスターであったが、強引に巨人入団を果たした段階で、ヒールになってしまった。

江川自身、本当に日本一の悪者と自覚していたようだ。しかし、そこからは力で上がっていくだけとも言っている。悪者というレッテルをはがすの大変なことだったろう。

一方善玉の称号を与えられている齋藤投手は、それなりの重圧があるはずだと西村氏はみている。プロでは先輩になる、甲子園の決勝でのライバルだった田中投手(楽天)との投げあいが楽しみでもある。



やってみると、絆作りにはペーパーメディアの方がいいように感じる。

2010年12月19日 | Weblog

『お客さまの「特別」になる方法』小阪祐司著より。

ここでの表題は「ブログやツイッターを利用する」となっていた。顧客とのコミュニケーションとして、小阪氏の知る多くの企業が使っていたのがブログやツイッターだった。絆が出来上がったお客さんは、その人が書く自己開示型ブログが気になって小まめにアクセスするという。

ここに、あるサプリメントメーカーの社長のブログについて述べられた個所があった。その社長は趣味のマラソン日記をブログで公開していた。話題はマラソンのことばかりで会社の話や商品に関する話はほとんど出てこないが、取引先の人によく読まれていたという。

この社長が商談で訪問しても、相手からマラソンの話を振ってくるようだ。そこからマラソンの交流が始まり、ホノルルマラソンに一緒に参加する人まで現れたという。これはすごい絆だと思える。

さて、上記フレーズにあげた「・・・ペーパーメディアの方がいい」というのは、ブログやツイッターと比較してということだった。つまりニューズレターなどのペーパーメディアの方がいいと感じている人が多いらしい。

当然ながら、紙媒体ならわざわざパソコンを開いてアクセスする必要もないから、お手軽、お気軽とも思える。また場所がどこでも、また好きな時に眺め、読めるものでもある。


音楽会や演劇の会場は八割から九割が女性・・・

2010年12月18日 | Weblog
『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

齋藤氏との対談で美輪明宏さんが語っていたことだった。その直前には「美術館や博物館にも行かない」ともあった。確かにたまに行く映画館でも女性客のほうが圧倒的に多い。

また齋藤氏も、市民大学で教えていた頃に感じたことに、男より女の人の方が生き生きとして知的好奇心にあふれていたのがはっきり分かったという。

そして、こんな状況は世界で日本だけのようだ。外国では音楽会、演劇、美術館も全部男女半々だという。

しかも、皮肉なことには、そんな文化を提供しているのは中年以上の男たちだったのだ。金儲けという下心のある文化だと美輪氏はいう。実に面白いところを見ているものだなと思った次第。


型を習うのは誰でもできるが、型をつくるのは天才の仕事だ。

2010年12月17日 | Weblog

『グッとくる「はげまし」言葉』齋藤孝著より。

これは将棋の升田幸三のことを述べた部分で目にしたフレーズだった。スポーツにしても各種勝負事にしても、たいていは基本の型というものがある。囲碁、将棋では定石(定跡)といわれることもあるだろう。

それは、先人が長年の苦労の末に作り上げたものだ。升田幸三に魅力は、その後の定跡となるような創造的な手をいくつも生み出したところにある、と齋藤氏はいう。

自分が初めて編み出した戦法が、その後の棋士たちの戦術の基本になっていた。実にすごいことを成し遂げている。つまりこれが型をつくった、ということだった。やはり並みの人間にはできないことだ。

それゆえ天才棋士だといえるのだろう。しかし、それらの新手は命がけで取りかかるところに生まれたようだ。死に物狂いの苦しみが型を生み出したということだ。ちょっとした努力では無理なのだろう。