ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

仕事対象への愛情がないとサバイバルできない・・・

2008年06月30日 | Weblog
「私塾のすすめ」齋藤孝・梅田望夫著より。

このサバイバルとは文脈からすると、あまり難しく考えずに“生き抜いていく、競争に勝っていく”というような意味だと感じられた。そして、競争の世界で勝ち続けるためにはその仕事自体がどれほど好きかということが問われそうだ。

営業の世界では特にそれは現れやすいと思われる。トヨタのあるトップセールスマンは、とにかく根っから人が好きで、未知の人と出会うのが好きらしい。

成約できたお客さんに1年経ってからまた会えることに、心からわくわくするという。この人に勝てる人は、同じレベルかそれ以上に仕事(人と会うことも含めて)が好きな人だろう。

梅田氏のちょっとした体験がここにはあった。それは対談のイベントを行った際、そこに参加していた日経BP社のある記者が、さっそく深夜にその記事を自社のサイトにアップしたという。

そのスピード感は組織の人が普通のやり方ではそこまで行かないだろうという。梅田氏も他のブロガーたちも驚いたと述懐している。とにかくこの記者は「記事を書くことが好き」だからこそできたのだ。ある意味趣味と仕事の境目がない人だともいえそうだ。

単に義務感で仕事をしてしているだけでは、好きでその仕事をしている人には絶対勝てそうもないな、ということを感じさせる。

またまた3で思い出したこと・・・

2008年06月29日 | Weblog
ネットは本当に反応が早くてうれしく感じた次第。昨日何となく日記を始めて3年目と書いて、さらに過去の雑文をリンクしておいたら、その1年前に書いたことまで思い出させてくれました。それは、ある方のコメントに3で思い出したのは長嶋さんというひと言があったからでした。

もしかしたら、そのことについても書いていたような気がしたのです。そこで、もう一度「雑・かわら版」のバックナンバーをたどってみたところ、平成13年3月にやはり、「3」にこだわって書いていたのです。(昨日は平成14年のものと勘違いしてました、失礼!まあ、6の倍数だからお許しください)

そこで、もう一度もう一度、今度は平成13年3月第13号のものをリンクしておきます。また、ちょっとだけでも覗いていただければ幸いです。昨日とは別の「3」について書いてました。「居候3杯目にはそっと出し」「仏の顔も三度まで」「三羽ガラス」なんていうのもありましたね。

それから、皆様から寄せられた「3」で思い出されてことは次のものがありました。「3人寄れば文殊の知恵」「三回忌」「三年寝太郎」「三度の飯よりも~が好き」「三三七拍子」「三日坊主」など。

「3」マニアはこれくらいにしないと本当にアホになりそうですね。(ナベアツさん、どうぞこのネタ使ってくださって結構ですよ・・・)

3といえば・・・

2008年06月28日 | Weblog
昨日、たまたま野球の3割ということについて触れたら、いろいろ思い出したことがありました。

最近ではお笑い芸人の世界のナベアツが「3の倍数と3月がつく数字のときだけアホになる・・・」というギャグを流行らせましたね。それとは別に、「若者はなぜ3年で辞めるのか・・・」のような本やトピックもしばしば取り上げられています。

「3日3月3年」などという言葉もたまに聞きます。この日記もいつしか3年が経過していました。読んでくださる方には感謝しております。いずれにしても、3という数字はこだわると身近にいろいろとあるようです。

実はこの日記を始める前に「雑・かわら版」というホームページを書いていたのですが、そこでは思いつくままいろいろと触れていました。ぜひ一度こだわりの「3」を覗いてみてください。

しかも何となくこだわって、それは平成13年3月(なんと7年も前に!)、おまけにそれは第33号だったのです。きっとかなりアホなこと書いているなと思われることでしょうね・・・

二割五分と三割の差・・・

2008年06月27日 | Weblog
「私塾のすすめ」齋藤孝・梅田望夫著より。

梅田氏の発言のなかで興味深い指摘があった。それは野球の打者にたとえている部分だった。打率二割五分なら並みのバッターだろうが、三割に到達すれば一流と言われる。その差は一週間でみれば、わずかヒット一本の差だったのだ。

具体的な数字がある。年間500打数として、125本打てば2割5分。150本なら3割打者になれる。つまりその差は25本になる。約半年間で1シーズンなので、1週間にすればわずかヒット1本の差だという。これだけみればほんの少しの差ではあるが、三割を乗り越えるには全く違う何かが必要になるようだ。

打率ということでみれば、規定打数以上に打席に立ったからといって、当然率が上がる可能性があるわけではない。むしろ下がることを恐れて、ペナントレースの終盤では微妙に首位打者のタイトルがかかっている選手は、あからさまに出場しないこともあった。でも、それではファンからすれば面白くはない。

イチロー選手はむしろ打てば増えていくシーズン「200安打」という高い目標をかかげているようだ。このような目標もかなりファンを楽しませてくれる。数年前に262本を打って、メジャー記録を塗り替えた時の興奮は世界中を沸かせたものだった。

競馬では武豊騎手は3000勝をしているが、負けている方も多く10000回を超えている。結局、勝ちや成功の陰にはとてつもない数の負けがあるということも事実なのだ。かなり前に読んだ本の中にもあった、トップセールスマンは最も多く断られた人でもあるというようなことを思い出したな。(ややタイトルのフレーズとはずれてしまったが)


日本人特有の「努力の美徳」・・・

2008年06月26日 | Weblog
「40歳からの肉体改造」有吉与志恵著より。

もし、この本のタイトルだけだったら手にとってみなかったろう。むしろこの本を開いてみようと思ったのはサブタイトルが添えられていたからだった。そこには“頑張らないトレーニング”とあった。実にうれしいフレーズだ。

だから本のタイトルには「40歳からの~」とはあるが、50代でもいいだろうと勝手に解釈してしまった次第。読み進むうちに年齢にはほとんど関係なく、むしろ高齢者向きとも思えるぐらい軽い運動、というよりも動作が豊富に提案されている。たとえば、寝転がったり、テレビを見ながらでもできることが多い。

日本人特有の「努力の美徳」とは、要するに運動量を積み上げ、その苦しさや辛さが自分を強くすると信じてきたことをさしていた。ある意味根性論にも似ている。有吉さん自身も競技スポーツの選手だったがオーバーワークからくる故障から現役を引退せざるを得なかった一人だった。

自身の経験から、負荷を増していくだけの過激なトレーニングは、むしろ自分の可能性をつぶしていることだと理解したようだ。そのためか健康づくりのためにトレーニングに励む一般の人が、怪我を押してまで頑張る姿は滑稽にみえるようだ。

できれば、私が惹かれたサブタイトルのように“頑張らないトレーニング”がいいのだろう。そこで、有吉さんはトレーニングというよりもむしろ、コンディショニングという言葉を用いていた。そして「身体を改善する」ということで実際には「改善系トレーニング」という表現で指導しているようだ。

確かにトレーニングと聞けば、「増進させる」というイメージを持ちやすい。いずれにしても、そんな言葉はどうでもいいとしてとにかく適切な運動をいかに継続してやれるかのほうが重要に違いない。

頑張るのが嫌いな私は今のところ、ラジオ体操がメインの15分程度のエクササイズをやっている程度だが・・・(これはほとんど惰性でやっている感じかな)

うまくやろう、成功しよううとするから、逆にうまくいかない。

2008年06月25日 | Weblog
「自分の中に毒を持て」岡本太郎著より。

若い人たちに向けた言葉の中で「ただの生ぬるいサラリーマンになることは容易だ」と述べている。とは言え、最近しばしば、新卒で入社した社員の3分の1が3年以内に離職してしまうという統計の報道を聞く。生ぬるくサラリーマン生活を続けることさえ難しい時代なのだろうか。

一旦入社してみれば、そんなハズではなかったということのほうがほとんどではないだろうか。また、自分にはもっとあった仕事が簡単に見つかるはずだとでも思っているのだろうか。我慢する分岐点が低いのだろうか。

しかし、岡本氏は人生をうまくやろうと思えば、社会のベルトコンベアーに乗せられてしまうし、流されたまま生きることになるだろうとも述べている。氏からすれば、それは本当に生きているこことは違うようだ。どちらが正解かはその人にしかわからない。

岡本氏には凡人と違って特別な才能があったからこそ、自分らしい生き方ができたのだと思えるが、氏からすればやろうとしないからやれないのだということになる。

誰でもが人生をうまくやりたい、成功したいと思っていながらいくつもの失敗を繰り返している。でも、小さな取り返せるほどの失敗なら、それで生活できているならいいのかもしれない。

上を見ても下を見ても切りがないし。やはり凡人は妥協しながら生きてしまうのだろうか。うまくいかなくても、それが当り前だと思っている方が健全に生きられそうだ・・・な。

ぼく自身は自分を始終落ちこませているんだ。

2008年06月24日 | Weblog
「自分の中に毒を持て」岡本太郎著より。

かつてテレビに出演していた頃の岡本氏の力強い発言やエネルギーがほとばしるような作品や著書からは自信たっぷりの人のように思えたものだった。

しかし、氏自身は自信があるとは思っていなかったようだ。むしろそんなものはどうでもいいものと考えていたのだ。ありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めていた。

ヘタに飾ろうとするとしたり他人と比較するから、逆に落ち込んでしまうのかもしれないな。岡本氏は自分を徹底的に追い詰め、“自信を持ちたいなどという卑しい考え”を持たないように突き放してきたという。

そして、わざと自分を落ち込ませている姿が他人の目からは自信に満ちているみたいに見えたのだろうと振り返る。

氏の強さはいつでも最低の条件に自分を突き落とすことから始まっていたようだ。精神的にマイナスの面をしょい込むことで、そこからはい上がってきたのだ。自ら逆境に身を置いて、それをエネルギーに変換して爆発していたようにさえ思える。

もしかしたら、どんな失敗すらも、次に爆発するためのエネルギーになっていたのだろうか・・・

三日坊主になるという“計画性”をもったっていい。

2008年06月23日 | Weblog
「自分の中に毒を持て」岡本太郎著より。

誰でも何かを始める時に、たとえば語学の勉強、スポーツの練習、ダイエットのためのエクササイズ等は自分なりの目標に向かって、できるだけ長く継続したいと思う。

だからはじめから、1か月、半年、1年というような期間を設けたりしていない。ところが、気がつけば三日坊主に近いことが多い。そして、またダメだったかと後悔を繰り返す。(私自身のことですが)

しかし、岡本氏はそんなことは一切気にすることはないと主張していた。むしろ気まぐれでもいいから惹かれるものは計画性など考えずに手を出すべきだという。その瞬間にすべてを賭けたかどうかを重視している。

たとえ挫折したところで「さまざまなバリエーションの運命を試すという計画を持つ方が面白い」とも述べている。だらだらと継続しているよりも、瞬間、瞬間が充実しているかということも、考えてみる価値がありそうだな。

氏の考えでは日記だって続かなくてもかまわないのだった。書こうと思ったことの方が大事らしい。確かにブログも始める前にあきらめたら、そこで得られるコミュニケーションもなかっただろう・・・な。

いのちがけの「遊び」と甘えた「お遊び」とはまったく違う。

2008年06月22日 | Weblog
「自分の中に毒を持て」岡本太郎著より。

このフレーズを目にしたとき、先般75歳でエベレスト登頂に成功した登山家の三浦雄一郎さんのことを思い出してしまった。心臓病を克服しまた年齢を感じさせないチャレンジ精神は驚くばかり。

命をかけた登山に遊びという言葉を連想するのも失礼だとは思うが、このような偉業は人並み外れた好奇心や遊び心がなければ成し遂げられなかったろう。それはまったく型にはまらない自由さを感じさせる。

岡本太郎氏は自分のいのちを純粋に賭けるために芸術の道を選んだと語っている。氏の絵画や立体造形作品からは、いつもエネルギーを感じるが、文章の中にも同じく熱気がみなぎっている(ように感じる)。

「お遊び」という言葉からは実に軽薄さを感じるが、全生命を賭けた「遊び」となると感動さえ生まれるようだ。強制された労働は苦役だが、自由な「遊び」として創造的に取り組めば喜びにつながる、というようなことも氏は語っていた。また岡本氏らしい表現で、「人生、即、芸術」でもあるようだ。

つまらないものでも、自分が情熱を賭けてうち込めばそれが生きがい。

2008年06月21日 | Weblog
「自分の中に毒を持て」岡本太郎著より。

タイトルは実に刺激的だが、サブタイトルにはそのテーマが表れていた。それは「あなたは“常識人間”を捨てられるか」という問いになっている。

すべてに自信があって生きている人などはいないだろう。むしろ気が弱かったり不安を感じたりダメ人間だと思うこともあるだろう。むしろ私などはその方が多いのだが。

そんなとき、岡本氏は自分はそういう弱くてダメな人間だと平気でストレートに認めるべきだと述べている。気が弱くても強くなろうとジタバタしないほうがいいようだ。あきらめるというより、気が弱いと思ってしまうことで、逆に自分なりに積極的になれるものが出てくるともいう。開き直りだろうか。

そして人から見て、つまらないものでも自分が情熱を賭けてうち込めば生きがいにもつながると述べている。これは何となく納得できる。情熱を傾けられるものが見出せれば、それは自己発見になる。

ダメなりに自由に制約を受けないで、つまり無条件で生きることが大事だったのだ。あまりにも常識に縛られていると楽しめない。失敗さえもまた楽しめるかどうか・・・

齋藤さんはライブのコンサートをたくさんやるミュージシャンと同じ・・・

2008年06月20日 | Weblog
「私塾のすすめ」齋藤孝・梅田望夫著より。

これは梅田氏の発言だった。というのも齋藤氏が「~初版五万部という本だったら、これで甲子園球場いっぱい・・。二万部なら武道館・・・」という表現を用いていたからだった。

書くということは実に地道な作業だが、上記のような想像をすると興奮につながるようだ。梅田氏は齋藤氏のホームページを見て著書を数えたという。すると2007年までの11年間で263冊で、ピークは2005年の67冊だったと驚愕している。

これは67回コンサートをやっているとも考えたようだ。とにかく齋藤氏はフル回転の情熱で書きまくっているように思える。どれも読みやすい本なので私などついついクセになって買ってしまう。手元にはまだ買ったばかりの新刊がある。

梅田氏がビジネスやネットの専門家なのに対して齋藤氏はネットにはあまり関心がないようだ。梅田氏はネットでの反応は早くてわかりやすいというが、本の場合はそれほど反応も早くはない。ブログでもアクセスが多いとは言ってもそのすべての人が読んでくれているわけでもない・・・(ですよね。)

本が商品から「自分だけの大切なもの」になる。

2008年06月19日 | Weblog
「私塾のすすめ」齋藤孝・梅田望夫著より。

齋藤氏は精読するとき、赤、青、緑の3色ボールペンでキーワードをチェックしたり書き込みをしているという。かつてその「3色ボールペン」の本もベストセラーにはなったが私は読んだことはない。

このボールペンは武士にとっての刀みたいなもので、齋藤氏は3色ボールペンなしでは本は読めないとまでいう。つまり積極的な書き込み作業でその本が商品から「自分だけの大切なもの」になるようだ。

この3色ボールペンというのも何だか特殊なボールペンにも思える。私のペン立てには赤、青、緑+黒の4色ボーペンはあるがほとんど有効に使っているわけではなかった。やはり、読書していてちゃんと3色使うには訓練が必要そうだな。

本も借りたもの以外はほとんどが消耗品になっている。というのもたいてい本のあちこちに水性ボールペンで線を引いたり、空いたスペースに書き込みをしてしまうからだ。そのため読み終わって、不用になってもブックオフに売ることもできない。

だからきれいなまま読み終わった本は、自分にとっては面白くはなかったのかもしれない。(小説は別として)

偉大な人の人生が日々を生きるための燃料みたいなもの。

2008年06月18日 | Weblog
「私塾のすすめ」齋藤孝・梅田望夫著より。

この本のサブタイトルは「ここから創造が生まれる」とあった。この両著者は同じ1960年の生まれだった。梅田氏は理系出身で最先端でビジネスをしている人だ。また齋藤氏は言うまでもなく大学教授で教育を専門としている文系の代表ともいえる。二人の対談は興味深い。

伝記ものなどは小学生の頃にたいていは読んだり聞かされたりしものだった。ほとんどの人はそれだけで知ったつもりになって、繰り返し読み返したりはしないだろう。しかし、齋藤氏は小学生の頃から今までずっと伝記、自伝を読んで自己形成の柱としていたという。さらに「心の骨格を作った」とも表現している。

自分とはレベルがぜんぜん違っていても、あこがれるのはいいことのようだ。梅田氏はこれをロールモデル思考と表現している。天才、偉大と呼ばれている人は学ぶことがうまいらしい。そういう人からは何らかのヒントが得られるようだ。

齋藤氏はジャズ・トランペット奏者のマイルス・デイビスの自叙伝を読んで、音楽の分野でこんなふうに猛烈に学び続けているということがわかかれば、それを自分の領域に当てはめてみることも有効だと述べている。つまりそれが自分のエネルギーにもなるようだ。

当然偉人だからといって、何ごともうまくいっているわけではない。むしろ一般人よりも出会うトラブルは多いかもしれない。そのトラブルの乗り越え方もまた勉強になるはずだと考えている。その気になれば、偉大な人からは多くを学べるようだ・・・な。

<名詞>の世界に浸っている人、<動詞>を大切にする人・・・

2008年06月17日 | Weblog
「プレジデント」2008.6.16付けより。

ちょっと珍しい表現に出会った気がした。話しているのは松屋社長の秋田正紀氏だった。名詞の世界とは「○○会社○○部○○課」のように自分が所属しているところを意味していた。ここでの名詞はやや名刺にも通じているようだった。また一方、動詞の世界とは「自分は何をするのか」という部分だった。

そこで、まず歴史上の人物を引き合いに出している。坂本竜馬は動詞型の典型だという。日本を変えるために何をしようと考え行動を起こしていたからだった。坂本に比べると、西郷隆盛や桂小五郎はどちらかといえば、名詞の世界にいた人だったようだ。

松屋銀座本店は銀座地区の百貨店では五期連続で売上高首位「銀座一番店」の座についている。これは2001年に120億円を投じて行った創業以来最大規模の全面リニューアルの成果だった。秋田社長は現在まで成功しているのは、プロジェクトメンバーの熱意、愛社精神が強かったことも要因として挙げている。

これも部署という名目にとらわれずに、「お客様のために」どうしたらいいか、という動詞の世界が生かされた結果だと考えているようだ。1958年生まれの若い社長は「規模の大きさという主語に注目するより、大事なのはどんな店をつくるかという述語の部分」だともいう。これもまた深い言葉に思えた次第。

存在感は主語よりもむしろ個性をいかに発揮していけるかの述語の部分にかかっているようだ。何事にもあてはなりそうな比喩でもあるな。たとえば、野球でいえば巨額を投じた大型トレードによるチーム作りよりも、それぞれの選手の役割、特性を十分発揮させたチームを比較してみればわかりやすいかもしれないが。

深夜の霞が関に群がる無数の蛍のような個人タクシーの群れ・・・

2008年06月16日 | Weblog
「朝日新聞」2008.6.12付けより。

まるで小説のなかのワンフレーズのようにも思えた。これは新聞に寄せられた投書の一つだった。たまたま今月6日の日記の中で、タクシー業界も規制緩和で過当競争になり営業が厳しくなったというようなことを書いていた。そのためか、この日の投書欄にあったタクシー運転手自身による投書が気になった。

そして、そのあとには“おそらくその多さに驚きを隠せないだろう。”と続いていた。そういえば、ある晴れた日に新宿西口の地下街の道路を車で走っていたらかなり長蛇の列のタクシーがほとんど動かない状態だった。雨でも降らないと営業は厳しそうだ。

中央省庁への「接待タクシー」問題がかなり大きく取り上げられていたのは今月初め頃だった。規制緩和でタクシーが増え、そのしわ寄せのためにタクシー運転手がそれなりの営業努力をせざるを得ない結果だろうと述べている。

要するに、道路脇で手を挙げているお客ばかりでは距離が伸びず、売上も伸びないから、長距離のお客を確保せねばならないと考えているようだ。そのために自分を指名してもらうか、直接携帯電話で呼び出してもらうしかないらしい。

この投書の運転手さんも、後部座席にはのど飴や新聞紙などを用意して自分なりのサービスを心掛けているという。いくらお客の確保のためだからといって、金券、カード類、現金は行き過ぎだともいう。

またそれを無意識のうちに受け取る人間も神経が麻痺しているな。こんなところにも国民の税金で食っている人間の、親方日の丸の気持ちがありそうだ・・・な。