ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

手は外に取りだした脳・・・

2014年07月31日 | Weblog
手は外に取りだした脳・・・
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

これだけでは何のことだかわからない。ここでは、何かを書く時に考えてから書こうと思っても忘れてしまうから、まずは考える前に書こうという意味だった。

アイデアは書く前には浮かばなくても、書いているうちに浮かぶことはある。とりあえず、手を動かしてみることが大事なことだったのだ。

しかも、大事なことだけを書くのではなく、どうでもいいことから書いていくというアドバイスもしている。多作の筆者がいうのだから間違いなさそうだ。

そして、手を動かして書くことで自己との対話ができるともいう。書いているうちに偶然それまで思いつかなかったアイデアも浮かんでくることもある。だから、手は脳と考えていいのかもしれないな。

私たちは、定年後、裸の人間的魅力がどのくらいあるでしょうか。

2014年07月30日 | Weblog
私たちは、定年後、裸の人間的魅力がどのくらいあるでしょうか。

「定年力」多湖輝著より。

会社生活の地位や肩書から離れた時に、どれだけ人をひきつけられるか、と言っている。会社名なしの生活でどれだけ充実していけるかが大切なことだった。

日本人ほど、会社や肩書に執着する国民はめずらしいらしい。大事なのは人間的魅力だった。純粋な個人的魅力で、人間関係をつくっていけるかを考えると不安でもある。

会社生活を失ったと考えるよりも、むしろ「捨てた」と思った方がよかったのだ。積極的な考え方こそが次へのステップとなりそうだ。

むしろ今後の肩書は、自分で作っていくことがポイントのようだ。比較的自由に生きられるという特権をどう生かしていけるかな・・・

現役時代と比べて気楽なのは、予定通りに行かなくても何も困らないということ。

2014年07月29日 | Weblog
現役時代と比べて気楽なのは、予定通りに行かなくても何も困らないということ。
「定年力」多湖輝著より。

そのあとには次のように続いていた。「ある意味では、行きあたりばったりにやってもだれにもとがめらられることはありません」だった。

別にスケジュールにしばられることはない。やることが決まってなくても、とりあえず手近なところから始めればよかったのだ。

ある人の例があった。それは河村幹夫さんで、『シャーロックホームズの履歴書』の著者だった。いろいろと調べていくうちに、シャーロック・ホームズの専門家になってしまったという。

何でもいいからやってみたいことを、一つ見つけたら、あれこれ考えずに“とりあえず”やってみることが意外に大切だった。すると、やりたいことが次々に見えてくるということのようだ。なんとなくわかる気がするな。

創造性とは・・・実際はすでにあるものの新しい組み合わせから、新たな組み合わせを生み出していくこと。

2014年07月28日 | Weblog
創造性とは・・・実際はすでにあるものの新しい組み合わせから、新たな組み合わせを生み出していくこと。

『「読む・書く・話す」を一瞬にしてモノにする技術』斉藤孝著より。

上記のフレーズの「・・・」の部分には「それまでなかったものを作り出すことだと思い込まれているようだが」とあった。

ある意味、すでに自分の頭の中にある情報どうしを組み合わせて、整理編集していくことで新しい価値が生まれるという意味だった。クリエイティブな思いつきは、たいていそんな作業の時にふっと生まれてくるものらしい。

記憶に残すには、その日のうちに二人にしゃべるのもいいようだ。実際はできるかどうかわからないが。また、人に話しているときに、ふと新しい考えが浮かぶこともあるな。

情報を身につけるには、脳に気になること、(=フック)をできるだけ多くおいておくのがいいようだ。芋づる式に価値ある情報が増えればいいが・・・

“すぐに思い出せる”形で保存する。

2014年07月27日 | Weblog
“すぐに思い出せる”形で保存する。

『「読む・書く・話す」を一瞬にしてモノにする技術』斉藤孝著より。

ここでは、忘れにくく、思い出しやすい情報収集のコツについて述べられていた。それには、出会った瞬間にひと手間かけておくことだった。

料理でいえば、仕込みを終えてからしまっておくというイメージだった。買ってきた食材をそのまま冷蔵庫に入れておくと、そのままで忘れてしまうこともあるのだ。

缶詰などのセットも、箱から出さないと消費期限が過ぎていたり、ぎりぎりの場合もある。魚ならさばいて塩を振っておく、野菜なら泥を落として不要な部分は切り落としておけば、あとで料理をするときも時間がかからない。

情報もまったく同じだという。あとで思い出せるようメモを取ることだった。言葉プラスアルファがあればよかったのだ。そのことで、情報再生力は圧倒的に高くなるそうだ。

趣味は、自分との対話だ。

2014年07月26日 | Weblog
趣味は、自分との対話だ。

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

これも実にいいフレーズだと思った次第。趣味ならば、時間をいくらでも費やしてしまうものだ。夢中になれば勉強も遊びと同じことだ。

義務ではないからどんどん詳しくなることもできる。夢を実現した人は、勉強などしてないというらしい。それはその意識がないだけのことだった。

そう考えると勉強は単に何かを覚えるということではないことにも気づく。熱中しているとき自体が楽しいのだ。

仕事とはまったく関係がないと思われる勉強をどれほどしているかが、人生を楽しめる秘訣かもしれない。その時は勉強という意識はないのかもしれないが。

大人の知性は、好きなもので鍛えられる。

2014年07月25日 | Weblog
大人の知性は、好きなもので鍛えられる。

「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

子ども時代の勉強は好きなことを基準には選べなかったものだ。ほとんどが強制的にやらされていたものだったろう。

しかし、大人になれば好きなことを選んで勉強ができるようになる。するとそこから知性は磨けるということだった。好きなことなら記憶もしやすい。

マニュアルを覚えていても応用がきかないこともある。しかし、好きなことならどんどん前に進んで試すこともできる。筆者は好きなことには類推力があるとも語っている。

好きな勉強なら夢中になれる。そうしている間に記憶力もついてくるようだ。逆のことを考えれば分かりやすい。興味のない勉強は長続きしないものだ。

知識は、使うことで知恵になる。

2014年07月24日 | Weblog
知識は、使うことで知恵になる。
「なぜあの人は勉強が続くのか」中谷彰宏著より。

しばしば、知識と知恵を混同することがあるかもしれない。知識は知っているということだが、だからといって知恵があるとは限らない。

知識は使うことで知恵に変わっていくことだった。そうすると応用が利くようになるのだ。英会話も知っていても、相手のいうことが理解できなければ、話すこともできない。どんどん使わなければ知恵とはならない。

筆者は、知識も使うことで知恵になって、それがやがては知性に発展しているともいう。なるほどそうかもしれないな。

ここでのポイントは、知識をきっかけに知恵を蓄積していくことだった。試してみなければ、うまくいくかどうかはわからないのだ。

興味の万有引力の法則。

2014年07月23日 | Weblog
興味の万有引力の法則。

『「読む・書く・話す」を一瞬にしてモノにする技術』斉藤孝著より。

短いがいったいなんだろうと、結構インパクトのある言葉だった。それは、キーワードがアンテナになって、あふれる情報の中から、自分にとって縁のあるもの、必要なものをひきよせるという意味だった。

まずは自分の中にキーワードを持っていることが始めだった。それには、関心、興味のあることをはっきり意識することだとアドバイスしている。

適切な情報キャッチのためには、興味関心の質量の高いものほど引力は強いともいうが、これはわかりやすい表現だ。

斉藤氏なら当然ながら教育が大事なキーワードの一つだった。それがあるからこそ、テレビでのある人の言葉が記憶にも残ったという。ぼんやりとテレビを見ていても気がつくことができるそうだ。

ふだんのくらしの中でも、キーワードのアンテナを立てると、キーワードはどんどん増えていくそうだ。個人的には最近なら、FBに関心を持ってからは、写真、植物、食べ物、昆虫、鳥などが思い浮かぶ。

ピピッときたら、“すかさず”メモを取る。

2014年07月22日 | Weblog
ピピッときたら、“すかさず”メモを取る。

『「読む・書く・話す」を一瞬にしてモノにする技術』斉藤孝著より。

いくらその時いい情報だと思っても、そんなものは後になると思いだせないものだ。だから大事なのは、その場でいかに簡単にメモを取るかだった。新聞なら切り抜いたりマーキングすることだった。

別のページには「情報は一期一会」ともあった。出会った瞬間が勝負だった。この情報に出会うのは今日、この機会だけだという意識こそが大事なのだ。出会いの瞬間に「縁」をつくるともあった。

出会いの瞬間のエネルギーはその時が最高で、あとではその気にもならないものだ。情報にも熱がなければだめだった。

人の話している言葉を記憶できるのも、それなりの関心があるからだった。それもメモらなければ、シャボン玉のように消えてしまう。それではもったいない。

成果や利益は、つねに新しいアイディアや工夫によって生み出されるもの・・・

2014年07月21日 | Weblog
成果や利益は、つねに新しいアイディアや工夫によって生み出されるもの・・・
『「読む・書く・話す」を一瞬にしてモノにする技術』斉藤孝著より。

いずれにしても、“一瞬”でものごとをうまくやる方法はそうそう簡単には身につくはずはないだろう。しかし、まずはこのタイトルに魅かれて本を読んでしまった。

ここでの小タイトルは「記憶がなければ何も生まれない」となっていた。要するにある程度の情報が自分のなかになければ、新しい価値も生み出せないという意味だろう。

記憶とは言っても、自分のフィルターを通したものでなければならなかった。その記憶は利用できなければ意味がない。無から有を生じることは難しい。創造性にも記憶が大事なことだったのだ。

ある情報も、自分の興味、関心、研究、嗜好などをくぐって自分なりの情報を生み出すことができるのだろう。自分だけの世界はそうしてできるとも言えそうだ。

新しい角度を見出したり、今までなかった組み合わせは、人間でなければできないことだった。コンピュータや人工知能では無理だったのだ。

いかに大げさに言うかが、お礼を言ういうときのポイント。

2014年07月20日 | Weblog
いかに大げさに言うかが、お礼を言ういうときのポイント。

「人はホメ技で180度変わる」内藤誼人著より。

お礼も確かにホメ言葉の一種だった。何かを差し上げて、「ちょうどこんなの欲しかったんですよ」と言われたことがある。その言葉は容易には忘れないし、贈った方もうれしいものだ。

私はお土産でお菓子などちょっといいものをいただくと、こんな美味しいもの今まで食べたことない!などと半分冗談でいうようにしている。もちろんそれがありふれていたものなら、失礼になるから言わないが。

「こんなもの欲しかった」、という言葉は、それを選んだあなたのセンスは素晴らしいとホメていることになるそうだ。なるほどと思えた次第。

こんなもので喜んでもらえるなら、今度はもっといいものをあげよう、という気にもなるものだ。お礼は、ホメ言葉のチャンスの機会だということを覚えていたいものだ。

相手の関心を引くホメ言葉には、ある程度のオリジナリティが必要なのだ。

2014年07月19日 | Weblog
相手の関心を引くホメ言葉には、ある程度のオリジナリティが必要なのだ。

「人はホメ技で180度変わる」内藤誼人著より。

陳腐なお世辞はまず興味を持たれない。むしろ無視されることがほとんどだろう。またありきたりな会話も相手を退屈にさせるだけだ。

かなり大げさにホメるというのはありだった。たとえば、「あなたは歴史に名を残しそうですね」や「ギネスブックに載っちゃうんじゃないですか」などいままで誰にも言われたことのないようなホメ方もあるという。

そして、オリジナリティがあればこそ、相手の印象にも残りやすいという意味だった。とはっても、そうそう簡単に即座にその場では思いつかないものだ。

そこで、これは新しいと思いついたら、日頃からメモしてストックしておくのがいいようだ。それは財産にもなるはずだ。つまりふだんからの心がけがモノをいうのだろう。

ホメ言葉にバリエーションを持たせる。

2014年07月18日 | Weblog
ホメ言葉にバリエーションを持たせる。

「人はホメ技で180度変わる」内藤誼人著より。

何度ホメようと害があるわけではないが、同じことは4回まででやめといたほうがいいようだ。4回でも多すぎるとは思うが。言う方も言われる方もせいぜい2回で十分だと思えるが。

新しいことや表現でホメれば、相手も新鮮に感じられるものだ。同じ言葉では飽きてくるのは当然だろう。はじめはちゃんと聞いてくれた言葉でも、繰り返しになるとそっけなくなってしまうものだ。

テレビCMも一度見たものは、何度も見せられているうちに、飽きてきてしまうものだ。だからこそ、物語性の感じられるものにしたりしているのだろう。

すると、逆に次はどうなるのだろうという興味をもったりもできる。たまに見ているドラマの俳優がテレビCMに出てくると、一瞬面白く感じられることもある。まあ、これも一つのバリエーションなのだろうな。

「分不相応」といった考え方を捨てる・・・

2014年07月17日 | Weblog
「分不相応」といった考え方を捨てる・・・

「定年力」多湖輝著より。

むしろ「分不相応」を求めるなら若い人たちこそだ、というのが多湖氏の考えだった。年配者だからといって、なにも身をちぢめて生きることはなかった。

年をとってもやりたいことをどんどんやるべきだったのだ。むしろ堂々とさまざまなことにチャレンジすることを提案している。

昔よく言われた「年寄りの冷や水」ということばがあるが、そんなことであえてブレーキをかける必要もなかった。やる前に諦める必要はないのだ。そんなことは無理と考えない方がいいのだろう。

自分の生きたいように生きることが大切だった。そうしないと、ますます心も体も老化してしまうようだ。頭の中から「年寄り」というイメージを捨てることがスタートなのだな。