錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『任俠清水港』(その10)

2016-06-13 17:19:33 | 森の石松・若き日の次郎長
 午前中のセット撮影が早めに終わった時、松田は錦之助に声をかけた。石松の最期の場面では無残に殺されるところを撮らない方が良いのではないかと提案したのだ。
 それに対し、錦之助は憤然として言った。
「あそこはいちばんのヤマ場じゃないですか。ぼくは何度斬られてもいいですから、リアルに撮ってください。ホンをもらった時からずっと、見せどころは石松の死に場だと思って、楽しみにしてきたんですよ」
「そやけど、錦ちゃんがズタズタに斬られて、ファンが承知するやろか」
「喜ばないファンもたくさんいるでしょうね。でも、石松をやる以上、メッタ斬りにされて殺されるところも見せなくちゃ、いっぱしの役者とは言えないですよ。この映画では役者として一皮むけたぼくをみんなに見てもらいたいんです」
 松田は、錦之助の気持ちも分からないわけではなかった。しかしそれでも、石松が殺される場面をリアルに撮ることは避けようと考えていた。

 そんな松田が考えを改め、錦之助に思う存分やらせてみようと決心を固めたのは、石松が都鳥兄弟らにだまし討ちにされる場面、すなわち一度目の斬り合いの場面を撮影した時であった。
 11月11日の日曜、東映京都撮影所の第11ステージに組まれた竹藪の茂った野原の道のセットでのことである。午前9時開始。錦之助のほかに、俳優では都鳥の吉兵衛役の山形勲、その弟二人、常吉役の月形哲之介、梅吉役の津村礼司、保下田の久六の子分で金次役の清川荘司、兼吉役の富田仲次郎、ほかに東映剣会の面々が集まった。
 午前中に場面の冒頭、夜道を酔っ払った石松が都鳥の兄弟に連れられて歩いていくカット、竹藪にひそむ保下田の久六の子分たちのカット、そして、石松が都鳥の吉兵衛に後ろから斬られるカットを撮り終え、午後からこの場面のメインである立ち回りの撮影に入った。
 テストの前に殺陣(たて)師の足立伶二郎が石松になって、からみの役者たちと立ち回りをやってみせた。足立が石松役の錦之助のために練り上げてきた殺陣は、いかにもやくざらしい無手勝流で、これまで錦之助がやったことのない、型破りで荒々しいものであった。敵を威嚇するため長ドスを棒きれのように振り回したり、股を大きく開き腰を落として両手で持った長ドスを前に突き出したり、格好は悪いが窮地に追い詰められた石松の死にもの狂いの暴れ様であった。この立ち回りで、石松は二人を斬り、途中で自らも二度斬られる。一度は右足を払われるように斬られ、転んだところで都鳥の吉兵衛に左腿を突き刺される。しかし、あわやというところで、石松は血路を開いて竹藪に逃げ込む。
 錦之助は足立の真に迫った立ち回りを食い入るように見ながら、自分の力を百パーセント出し切るのはここだと思った。理不尽な仕打ちに対し怒りを爆発させ、火の玉のようになって独り猛然と敵に立ち向かう石松を体当たりで演じよう。
 足立伶二郎はテストで錦之助が実際にやってみせた立ち回りを見て舌を巻いた。これまで何度も錦之助の殺陣を付けて、錦之助の運動能力と勘の良さにはいつも感心してきた足立であったが、これほどすさまじい気迫に溢れた錦之助を見るのは初めてだった。からみの役者たち、剣会のみんなも錦之助の凄さに気圧された。
 テストを見ながら松田定次も目を瞠った。これまでの撮影で錦之助が演じてきたお人よしで茶目っ気のある二枚目半の石松はすっかり姿を消し、そこにあるのは悲劇の主人公を必死で演じようとしている真剣そのものの錦之助であった。
 松田は早速キャメラマンの川崎新太郎と相談してカット割りを決めた。
 まず、俯瞰のロング・ショットで、石松がドスを抜いた直後、十余名の敵に囲まれ、斬り合いを始めるまでを撮る。次に横から引き気味の全身ショットで、斬り合いから一呼吸置いて低く身構える石松を写し、そのまま移動する石松を追ってキャメラは右へパン、斬り合いの続きを撮る。石松が足を斬られ、転ぶところは上からの全身ショット、ここで石松を刺し殺そうとする都鳥の吉兵衛(山形勲)のカットを加え、最後は、起き上がった石松がドスを振り回して血路を開くまでをミディアム・ロングで撮る。立ち回り全体を三つに分解し、それぞれアングルを変え、長回しで収めようといった手順である。途中、石松のバストショットを数カット、金次(清川荘司)と都鳥の吉兵衛のバストショットを挿入するが、それは合間合間に撮っていくことになった。
 テストと本番が交互に繰り返され、最後に石松が竹藪に逃げ込むカットが撮られたのは、夜の8時を過ぎた頃であった。

 この日の撮影中、松田定次は、なにもかもかなぐり捨て、とことんまでやり抜こうとする錦之助のすさまじい役者根性に驚き、圧倒された。それは監督の自分に対する錦之助の挑戦のようでもあった。死にもの狂いで石松役に打ち込んでいる錦之助の熱演を目の当たりして、松田は、石松が無残に殺される場面も真正面から撮って、錦之助を完全燃焼させてやろうと思った。
 夜やっと撮影が終了すると、松田は錦之助のそばに歩み寄り、錦之助の健闘をねぎらって、こう言った。
「錦ちゃんの勝ちやな。石松の最期もリアルに撮るさかい、頼むわ」
 錦之助は目を輝かせてうなずいた。