錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

近況報告

2010-09-12 03:04:45 | 錦之助ファン、雑記
 この一ヶ月、新刊書配本の仕事のほかに、いろいろなことをやっていた。
 T・ジョイ京都での「吐夢・月形回顧上映会」のプログラム作成とトーク・ゲストの招聘交渉。秋田實さんと中村和光さんは円尾敏郎さんに交渉してもらい、その他の方は私が交渉した。丘さとみさんと入江若葉さんは東京から京都までいらしていただくので、申し訳なく思ったが、「吐夢・月形特集」で東映生え抜きの女優はお二人しかいないので、頭を深々と下げてお願いした。お二人とも「中島貞夫監督がご指名なら」ということで快諾をいただいた。感謝!
 仮チラシの制作(DTPとコピー)は簡単だったが、本チラシの制作に、てこずった。一昨日完了して、印刷所へ入稿したので、16日に18000部仕上がる予定。本チラシの解説は私が書いた。8月に上映した吐夢監督作品は前に書いた文章を元に補足しただけだが、他の作品はもう一度ビデオを観てから書いた。(「大菩薩峠・完結篇」「一心太助・男の中の男一匹」「水戸黄門」「天下の御意見番」)


 三越劇場で観劇。水谷八重子さんの舞台「香華」と、淡島千景の舞台「蛍火」である。お二人とも「吐夢回顧上映会」でトーク・ゲストにいらしていただいたので、その返礼もあり、またぜひ観たいとも思っていたので、8月二週と三週に二度三越劇場へ行った。「香華」も「蛍火」も楽しく、水谷さんには女優の貫禄を、淡島さんには年齢を超越した可憐さを感じた。
 「香華」の時は、劇場で入江若葉さんとばったり出会ったので、終ってから若葉さんと一緒に楽屋を訪ねた。水谷さんだけでなく、波乃久里子さんにもご挨拶した。お二人には私の作った本(「ダジャ単」と「一心錦之助」)を差し上げた。水谷さんもそうだが、波乃さんも錦之助さんと何度も舞台で共演していて、波野さんはいとこであるし、「錦之助映画ファンの会」のことを伝えておきたいと思ったからだ。ほとんどお話をする暇はなかったが、「一心錦之助」をご覧になればファンの会がどういうものかは分かると思う。水谷さんからはその後、観劇お礼のお葉書をいただいた。そこに添え書きがあって、「錦兄イの本とダジャレ集をありがとう!」
 淡島千景さんは、菩薩のような方で、いつでもこちらが恐縮するほど丁重に対応していただき、私が持って行った色紙三枚にご愛用の筆でサインをしてくださった。実は、新文芸坐にゲストでいらした時、サインをいただくのを忘れていたのだった。

 8月29日、朝7時50分東京発の新幹線で大阪へ行った。国立文楽劇場で催される若柳流の日舞の会を鑑賞するためで、円山栄子さん(若柳流の師範代名・若柳景升)のお弟子さんが二人、名取披露をするので、観に来てほしいと招待されていた。錦之助映画ファンの会の方も何人か誘ったら、7名も観に来てくれた。錦尊さん、錦心さん、八隅さん、ポテトさん、あゆさん、クミさん、童狸さんに感謝。11時半から午後3時ごろまで観て、ファンの会の方4名と京都へ。大阪も京都もうだるような暑さ!
 夕方、京都河原町でコレクターの石割平さんと待ち合わせ、木屋町にある料亭「月村」へ行く。この店は、月形龍之介がよく通っていた店で、月形の「月」の字をもらって、店の名を変えたそうだ。美人の女将さんがいて、いろいろ話していたら、なんと錦ちゃんも馴染みの店で、二階でスタッフとよく宴会を開いていたとのこと。しばらくして、錦ちゃんのスタントマンだった高岡正昭さんが合流。ファンの会の3名(ポテトさん、あゆさん、クミさん)もやって来て、盛り上る。
 石割さん、高岡さん、私の3人で、もう1軒、梯子して飲む。11時半に四条烏丸の東横インにチェックイン。
 8月30日、午前中にT・ジョイ京都を見学に行く。京都駅八条口から歩いてすぐだった。イオンモールという大きなショッピングセンターの5階にある。マネージャーの米谷さんに会い、中を案内してもらう。大・中・小のホールが12室あり、どれもスクリーンが大きく、設備良し。5月末にオープンしたばかりで、真新しい。30分ほど打ち合わせ。
 京都駅からJRで、太秦へ行く。東映京都撮影所で、午後1時から開かれる「月形龍之介・哲之介を偲ぶ上映会」に出席するためだ。月形家主催で円尾さんが世話役をやっている上映会で、「一心太助・天下の一大事」と「水戸黄門・天下の副将軍」の二本立て。錦之助映画ファンの会は全員招かれ、参加自由。
 12時ごろ撮影所に着く。正門の近くで、高岡さんが受付と案内役をやっている。暑くて大変そうだ。3階の試写室へ行き、円尾さんにT・ジョイ京都の仮チラシを渡し、また下へ行って、高岡さんと交替する。続々とお客さんがやって来る。錦之助映画ファンの会の方も20人ほど来た。東映関係者の方もたくさん来て、私が存じ上げている方では、沢島忠監督、高岩淡さん、井川徳道さん、塚本隆治さん、神先頌尚さん(神先さんとは電話で何度か話しているが初対面)、女優の雪代敬子さん、円山栄子さんほか。
 開始寸前に試写室へ上って行ったら、超満員になっていた。補助イスが足りないほどだった。200名はゆうに越えていたと思う。
 始まる前に、門田敦子さん(月形哲之介夫人)に挨拶し、錦之助映画ファンの会からの寸志をお渡しする。「水戸黄門」(昭和32年オールスター映画)は、本当はファンの会がニュープリントする予定だったが、敦子さんがぜひ月形家で作成したいとおっしゃっられ、資金を出さずに済んだので、そのお礼ということにして受け取っていただいた。
 円尾さんの司会で開会。まず沢島監督の感動的なスピーチがあり(大恩人月形のおやじさんと哲ちゃんの思い出)、錦ちゃんの大ファンの門田雅成さん(月形龍之介のお孫さん)の挨拶と歌の披露(なんとルイ・アームストロングの「素晴らしき世界」を熱唱)の後、「一心太助」の上映。途中休憩。門田敦子さんの挨拶。雪代敬子さん、円山栄子さんの挨拶。「天下の副将軍」の上映。閉会の辞。
 散会後、別室で小パーティ。
 タクシーに分乗し、午後6時半より京都の小料理屋(高岡さんの馴染みの店)で打ち上げの会。15名ほど参加。私は円山栄子さんと歓談。殺陣師の中村和光さんと打ち合わせ。
 午後8時半に、解散。名古屋へ帰る倭錦さん、大阪へ帰る華々さんとタクシーで京都駅へ。私は東京へ帰るつもりだった。倭錦さんとホームへ駆け昇り、発車寸前に新幹線に飛び乗ったのだが、とんだヘマを仕出かしてしまう。なんと新大阪行きへ乗ってしまったのだ。引き返せば間に合うだろうと安易に考えていたところ、新大阪で反対側のホームへ行ったら、すでに東京行きの最終列車は出てしまい、名古屋行きしかない。倭錦さんは大丈夫だったが、私はアウト!結局、また京都駅で降りて、四条烏丸の東横インにもう一泊することになってしまった。参った!(つづく)


 

新刊書「内田吐夢の全貌」

2010-09-12 00:17:37 | 錦之助ファン、雑記


 8月11日に新文芸坐での「内田吐夢回顧上映会」が終ってから、ずっと忙しかった。
 この一ヶ月、新刊書「内田吐夢の全貌」を全国の主要書店へ配本する仕事が続いていた。出版社としての本業であるが、エコール・セザム(私のやっている出版社)の場合、従業員は社長一人とアルバイト二人だけで、編集・制作から営業まで行っている。実は、会社組織の出版社というより(一応、有限会社であるが)、個人出版社、むしろ「出版者」に過ぎないと言える。これはこれで、勿論、利点もある。私の作りたい本を好きなように作れること、それと、安価に良い本が作れることである。この点では、どんな大手出版社に対しても負けることはない。が、人手が少ない分、本を作った後も働かなければならない。書店へ本を置いてもらうこと、つまり、書店営業の仕事があるわけである。
 さて、映画本の新刊は、委託配本ではなく、指定配本することにしているので、手間と労力がかかる。簡単に説明すると、問屋(取次店といい、日販、トーハン、大阪屋など)に任せて、販売書店と販売部数を適当に決めてもらい配本するのではなく、新刊案内を主要書店へファックスして、注文をもらった書店にだけ問屋を通して本(注文部数)を納品する方式をとっている。紀伊国屋、ジュンク堂、丸善、三省堂など、映画書籍を扱っている大きな書店だけでも全国に200店以上はあるので、注文取りは大変なのだ。ファックスを入れても、それをちゃんと見て、注文をくれる書店は少ない。そこで、各書店へ電話を入れ、映画書籍の担当者と直接話をして注文をもらわなければならない。出版社を作った当時は、こうした注文取りも私がやっていたが、現在はYさんという昔からの知人に任せている。Yさんは熊本在住で、東京の私と連絡を取りながら、書店へのファックス送付と電話営業をやっている。私は、Yさんが取った注文と会社へ届いた注文を毎日整理して、代行業者(本を管理し、問屋へ納品する業務)へファックスする仕事をしている。
 そういうわけで、ようやく新刊書の配本が完了したところなのだ。
 売れ行きのほどは、まだ判らないが、私としては一生懸命作った本なので、そこそこの自信は持っている。
 お褒めの言葉も何人かの方々からいただいた。
 一番嬉しかったのは、脚本家の成澤昌茂さんから電話をいただいたことである。成澤さんには一冊お送りしたのだが、すぐに全部読んでくださったそうで、絶賛に近いお言葉をいただいた。
 これからも作りたい本があるので、頑張りたいと思う。