錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

錦之助映画祭り(フィナーレ)追記その1

2009-12-27 23:57:35 | 錦之助映画祭り
 
<初日。円山榮子さんのトークショー。聞き手は私。写真提供(以下同様):湯澤利明さん)

 錦之助映画祭り(フィナーレ)の前半は、まずまずの入りだったとはいえ、私としては今一歩といった感じで、いささか不満だった。新文芸坐のあるビルの一階はパチンコ屋(マルハン)で、いつも開店前から長い行列が出来ている。私はその行列を横目で眺め、朝からパチンコをやろうとしている人々の顔つきを確かめながら、会場入りする。彼らは錦之助映画とは無縁な人々なのだろうと思うものの、内心、錦之助映画祭りも連日、開場前にあのくらいの行列が出来ないものかと思ってきた。これは、3月に錦之助映画祭りが開幕した時以来の願い、というより目標であった。

 初日の上映作品はニュープリントの『ゆうれい船・前篇』とレアな『あばれ振袖』、ゲストに円山榮子さんをお迎えした。お客さんはたくさん集まったが、残念ながら、超満員とは行かなかった。


<円山さんのトークショーの時の客席> 


<円山さんのサイン会の時のロビー>

 オールスター映画の『赤穂浪士』と『任侠清水港』の上映日はきっと満員になるにちがいないと思っていたのだが、7割くらいの入りだった。
 4日目は、東京新聞が朝刊で「錦之助映画祭り」のことを大きく取り上げたので、もしかして、館内もロビーもごった返しているのではないかと期待して新文芸坐へ行ったところ、まだ満員になっていない。東京新聞だけでなく、開幕前には読売新聞も朝日新聞も小さいながら記事を掲載した。それなのに、である。一般市民は新聞を読まなくなったのではないかと疑ったほどである。私も、新聞を滅多に読まなくなっているから、人のことは言えない。
 5日目と6日目は仕事があって私は新文芸坐へ行けなかったのだが、スタッフに聞くと、「そこそこの入り」だったという返事。「そこそこ」とはあまり入っていないという意味であろう。
 前半のラインアップは、錦之助の初期の作品で、映画館のスクリーンで長い間見られなかった作品をずらっと並べた。それでも、連日大盛況とまでは行かない。どうしたことか?いつか、見ていろ!切符売り場の3階から1階のエレベーター前まで階段にずらっと人の列が出来るほど大入りにしてやるぞ。満員札止め。館内は観客でごったがえし、席取り合戦が始まる。しまいには立ち見客があふれてホールのドアが締まらない。映画全盛期の昔の映画館はこうだった。一日でもいいから超満員を実現させてやろう。そうでなければ、錦之助ファンの会の代表として、男の名折れである。

 が、その予兆は、7日目の土曜、ゲストに沢島忠監督をお迎えした時に現れた。
 その日は、朝からぐずついた天気で、お客さんの出足を心配していた。

 前々日、沢島監督のお宅に電話をして、簡単な打ち合わせをした。
「演壇の方は、ちゃんと手配してあるので、大丈夫です。」
「そうか。あさっては雨かもしれませんな…。」
「タクシーでいらしてくださいよ。費用出しますから。」
「いや、そんなことに気、つかわんでもいい。電車で行きます。」
 沢島監督は、聞き手がインタヴューするといったトーク形式を好まない。講演、すなわちワンマンショーがお好みである。監督からは前もってお手紙をいただき、30分間話をするから、演壇を用意しておくようにという指示を受けていた。お手紙には一枚の写真が同封されていて、監督が以前新文芸坐でトークをされた時のスナップだった。そこに、木の箱型のスピーチ台が写っている。これと同じものを用意せよということである。新文芸坐の元支配人の永田さんに尋ねると、あれはホテルから借りてくるのだという。
 沢島監督のトークショーは私も二度ほど拝聴したことがある。監督は講演の原稿をちゃんと用意してきて、それを読むのではなく、メモ代わりに見ながら、独特の語り口でスピーチをされる。ご自分の講演をご自分で演出している感じなのである。
 電話で話すときは、用件を手短に言うように!と以前監督から叱られたことがあるので、早速スケジュールの確認をする。
「あさって、何時ごろいらっしゃいますか?」
「朝シャシンを2本観ようと思いますから、上映が始まる9時45分の前に行きます。」
「では、お待ちしていますので、事務所ではなく直接映画館の受付にいらしてください。席は取っておきますが、後ろの方でいいですよね。」
「あんたは忙しいんだから、私なんかに構わなくもいいです。」
「いや、ちゃんとお待ちしていますので、お気をつけて。」
 沢島監督との会話は、いつもこんな感じである。
 
 さて、当日。沢島監督という方は、とても用心深い方なので、早めにいらっしゃる可能性が高い。監督と初めて待ち合わせた時のことは忘れもしない。昨年の夏、新宿の京王プラザホテルの受付前だった。待ち合わせ時刻の15分前に私が行くと、監督はもう待っているではないか。私は恐縮してしまい、早く来ないですいませんでしたとお詫びしたのは言うまでもない。しかし、監督のことをよく知っている人の話だと、監督は約束の時刻の30分前にはいつもいらしているとのこと。時には1時間前に現場に着いていることもあるらしい。
 沢島監督とはその他にもいろいろなことがあって、今回のゲストの中でも特別に私が気をつかわなければならない別格的存在なのである。
 これは、沢島監督がよくおっしゃることだが、「錦兄ィくらい人に対して気をつかった人はいなかった。錦兄ィは、人に気をつかうことを信条にしていた」のだそうだ。沢島監督という方はどうも、「この男はどのくらい気づかいをしているか」という観点で、人を判断しているフシがある。自慢じゃないが、私は人に対してかなり気をつかうタイプなので、沢島監督のオメガネにかなったのかもしれない。「錦之助映画祭りのことはあんたに任せるから、がんばりなさい」と言われて励まされたこともある。
 ここで、あまり沢島監督のことを書くと、監督から「あんたは口が軽くって何でもべらべらしゃべるから、いかん!」と叱られそうなのでこの辺でやめておく。

 さて、当日。私は9時5分前に新文芸坐へ到着。まだ開場前である。10分、20分と経っても沢島監督は姿を現さない。受付の前で待っていると、9時15分に開場後お客さんが続々と入ってくる。今日は雨模様なのに、お客さんの入りが良い。土曜日ということもあるが、やはりニュープリントの『一心太助・男の中の男一匹』が人気を呼んだにちがいない。
 9時40分になる。上映開始の5分前である。多分客席はすでに7割方は埋まっているのではあるまいか。この分だと、次の『森の石松鬼より恐い』でほぼ満員になると思う。沢島監督のトークの時には完全に満員になること間違いない。が、どうしたことか?あれほど約束の時刻を守る沢島監督が現れない。