錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~アイドルスター誕生(2)

2013-02-23 19:04:32 | 里見八犬傳
 ゴールデンウィークの連休が明けた頃、錦之助は自分でも信じられないほど有名になっていた。京都撮影所へ毎日ファンレターが届く。東映本社からも転送されて来る。また、どこで住所を調べたのか、東京の三河台の実家へもレターが届くようになっていた。その数が日を追うごとに増え、一日五十通を越えるほどになった。ほとんどが十代の子供たちからで、女の子からのレターがその大半を占めていた。こんなことは歌舞伎時代にはなかったことだった。錦之助は今更ながら映画というものの影響力の大きさに驚き、たどたどしい字で書かれた子供たちからの励ましの言葉に胸を熱くした。
『笛吹童子』での錦之助は、子供たちにとって親しみやすい兄のようなイメージだった。きりっとして品が良く、やさしさが溢れていて、こんな兄貴がいたらどんなに素晴らしいだろうと少年少女たちは錦之助に憧れた。『唄しぐれ おしどり若衆』で錦之助が扮した指方龍之丞という前髪若衆は、菊丸とはまた違った魅力だった。颯爽とした青年剣士で、強くて美しかった。少年たちは錦之助の強さと勇ましさに心を躍らせ、少女たちは錦之助のみずみずしい若さと美しさに胸をときめかせた。
『笛吹童子』の人気が、錦之助の人気に変わったのである。錦之助はまたたく間に子供たちのアイドルになった。
「錦之助と千代之介をうちのスターにするんや。それには二人の顔が毎週出るようにせなあかん」と、マキノ光雄は製作部のスタッフに号令をかけた。マキノは一気に錦之助と千代之介を売り出しにかかかる作戦に出た。
 
 娯楽版の『里見八犬傳』は五部作になり、6月第一週から7月第一週までの五週間、ぶっ続けで上映することになった。脚本は村松道平が書き、監督は河野寿一である。主演は千代之介と錦之助(クレジットタイトルには出演者の最初に二人の名前が並んで出るが、第一部は千代之介が右側、第二部は錦之助が右側、そして第三部以降も不公平なく左右交互に出した)。助演者には『笛吹童子』にも出演した田代百合子、小金井修、島田照夫(片岡栄二郎)を加え、それに小柴幹治(三条雅也)、月形哲之介、千原しのぶ、藤里まゆみ、石井一雄(東宮秀樹)、林玉緒(中村玉緒)など、ずらっと若手を揃えた。
 中篇五部作は、本篇二本半にあたる。これを5月から6月半ばまでの五週間で次々に撮り上げていかなければならない。強行撮影となるのは必至であった。
 監督以下スタッフは馬車馬のように働いた。『笛吹童子』が当って気勢が上がり、撮影所全体に活気がみなぎっていた。カツドウ屋が喜び勇んで活動を開始したのだった。出演者もめまぐるしいほどの忙しさだった。錦之助の犬飼現八は第一部のラストからの登場だったが、千代之介の犬塚信乃と城の屋根で対決する前後のシーンを撮影した時のスケジュールはすさまじいものだった。錦之助はその時のことをこう書いている。
「セットで四晩徹夜し、四晩目の夜中三時ごろ終るや、直ちにロケバスで姫路へ。ロケバスの中で腰かけながら寝て、姫路に着くや直ちに日一杯ロケーション。暮れてくると再びロケバスで京都へ。京都で矢つぎばやにセット入り、次の朝までぶっつづけに撮影して、朝二、三時間休んで再び撮影。まったくもってすごい強行撮影でしたが、気が張っている時はこわいもので、病気一つしませんでした」
 東映京都撮影所の製作課長は岡田茂だった。当時まだ二十代後半、エネルギッシュに現場での陣頭指揮に当っていた。朝早くロケバスが姫路へ出発する時、岡田は玄関に見送りに出た。錦之助と千代之介が立っていた。二人とも目を真っ赤に充血させている。錦之助は岡田をにらめつけるように見て、
「四日も徹夜で、もう動く元気もないよ。五、六時間だけでも寝かせてくれよ。じゃないと、おれたち死んじゃうよ」
「バスの中でゆっくり寝ていってくださいよ、さあ」と、岡田は言うと、二人をバスに押し込んだ。




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