錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『紅顔の若武者 織田信長』(その1)

2006-08-21 07:04:51 | 織田信長

 錦之助くらい織田信長を懸命に演じ、そして見事に演じ切った俳優はいなかったと思う。信長と言えば私には錦之助しか思い浮かばない。とくに若き日の信長を演じた錦之助は、エネルギッシュな魅力に溢れ、たくましさと気品があり、惚れ惚れするほどの若武者ぶりであった。「大うつけ者」と呼ばれた吉法師(きちほうし)時代から、天下を取ろうと決意し、立派な戦国武将・織田信長に成長するまでを演じた錦之助は、抜群に素晴らしい。信長、秀吉、家康の三人のなかで、日本人が最も魅力を感じる人物は、いつの世であれ、信長であるが、それは信長のイメージが、自由奔放で独創的、決断力に富む行動型で、積極果敢、しかも貴公子然としているからなのだと言える。これは信長を演じた錦之助のイメージとも重なっている。信長は錦之助がぴったりだし、錦之助が生きた信長像を造形したとさえ、私は思っている。
 錦之助の信長は、冷酷な暴君のような信長ではない。吉法師の頃は荒くれ者で愛情に飢えた反抗期のガキ大将のようであるが、信長として独り立ちしてからは、上に挙げた信長のイメージに加え、孤高なまでの気位と情愛の深さを感じる立派な信長であった。私は、信長と錦之助のイメージが重なっていると書いたが、信長を演じる以前の錦之助のイメージは違っていた。若い頃の錦之助は、少年っぽさが残る美剣士役や、時には気弱でナヨナヨした若者や女役すら演じたこともあって、凛々しさの中にあどけなさが感じられた。上品だが甘さのある魅力とでも言おうか、若い女性や子供たちにとってはそれがアイドル的な人気のもとにもなった。しかし、錦之助はそうした自分のイメージに満足しなかったのだと思う。
 錦之助は、男性的でたくましい信長を演じることによって従来のイメージを完全に払拭した。信長によって錦之助は、いわば蛹(さなぎ)からかえった蝶のように羽ばたいた。いや、蝶と言うのは、何か弱々しい気がする。ヒナから成長した鷲のようになって飛翔したと言った方が良いかもしれない。信長という、日本人の間では圧倒的な人気を誇る戦国武将を演じることは、錦之助にとって大きな意味があった。それは、単に映画俳優としてイメージチェンジするというだけでなく、燃えるような意欲と絶対の自信を身に付ける転機にもなった。日本映画界で人気・実力ともにナンバーワンになろうという野心、そうした天下取りの野心を信長を演じた錦之助は胸に秘めることになったとも言えるのではなかろうか。
 
 『紅顔の若武者・織田信長』(昭和30年)は、錦之助にとってまさに記念碑的な映画だったと思う。この作品は、錦之助が汚れ役に初挑戦したことで話題をまいた。雑誌で撮影現場を写したスナップを見た錦之助ファンが河野寿一監督のもとへ嘆願だか非難だか脅迫だか分からない手紙をたくさん送ったというのだから、驚く。要するに、錦ちゃんの美しいイメージを壊さないでほしいという文面だったらしい。河野監督は、もしこれで無様な映画を作ったら、外に出て歩けないと思ったと語っている。当時とすれば、それほど錦之助の信長は大胆な汚れ役だった。今観ても、よくぞここまでやったと私が思うほどだから、錦之助の意気込みも尋常ではなった。
 錦之助の初めての汚れ役は、こんな感じである。顔から何からむき出した肌全体に茶色のドーランを塗りたぐり、髪はぼうぼう、浴衣のような着物をだらしなく着て、帯は荒縄で、長い刀を突き立てるように差している。腰には瓢箪や袋をぶら下げ、着物の裾は乱れ、脛丸出しで、素足のまま。これが大うつけ者若き信長の格好であった。格好だけではない。言葉遣いも動作も粗暴だった。もちろん、錦之助は、こうした役作りを自分で工夫して演じた。荒削りで八方破れとも言える体当たりの演技に挑戦したのだった。
 ただし、である。もしこうした傍若無人な荒くれ者の信長だけで終わってしまったとしたら、ファンはブーイングを浴びせたかもしれない。しかし、この映画には心憎いばかりの鮮やかな演出が仕組まれていた。クライマックスで、これぞ錦之助といった晴れ姿の信長が颯爽と登場するのだ。これを観て、ファンはあっと驚いたにちがいない。息をのむほど美しい立派な信長なのである。この姿を最後に観客に見せるために、またそのコントラストを引き立てるために、わざわざ汚れ役を演じていたのではないかと思うほどなのだ。これでファンは納得し、また大いに満足したことは間違いない。それほどの素晴らしさだった。(つづく)




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