17日(日)。昨夜は10時半ごろに寝たら、夜中の3時に起きてしまい、朝までこのブログを書いたり、本の注文の整理をしていた。7時ごろにまた寝て、10時にアラームもかけたのだが、つい寝過ごしてしまい、目を覚ましたのが10時半。顔だけ洗って、あわてて家を飛び出す。
11時半、新文芸坐到着。3階のエレベーターの前で、円尾さんと会う。トークゲストの井上泰治さんも山内鉄也夫人もすでに見えていて、事務室で待っておられるという。
『祇園祭』の開始が11時40分からで、映画を見にいらっしゃることは井上さんから聞いていた。山内夫人も井上さんも京都在住で、夫人は昨夜東京のホテルで一泊し、井上さんも東京に来ていて、朝、夫人をホテルに迎えに行って、いっしょに新文芸坐へ来られると、昨日連絡があった。出迎えるつもりでいたのだが、主催者の私の方が遅刻をしてしまった。
でも、今日の聞き手の円尾さんがちゃんと迎えてくれたので、ほっとする。ロビーには尾形伸之介さんもすでにいらしていて、ファンの会の町田さんと歓談していたので、尾形さんにご挨拶してから、今度は高岡正昭さんを探す。高岡さんは、明日のゲストだが、今朝京都を発ち、11時半ごろ新文芸坐へ見えることになっている。ケイタイで連絡をとると、早く着いたので近くの喫茶店でお茶を飲んでいて、すぐこちらに向かうとのこと。
事務室から、井上さんと山内鉄也夫人、もう一人、女性の方が降りて来たので、エレベーター前で、ご挨拶。
映画監督の井上さんとは、この上映会の企画中に新宿で会って、酒を酌み交わしている。私とほぼ同世代(確か一歳下)。山内鉄也監督(平成22年4月逝去)のお弟子さんで、現在、テレビ時代劇の「水戸黄門」や「大岡越前」の監督をしている。時代劇俳優の育成にも努めていて、時代劇の復興を常に考えている真面目な方である。
山内夫人とは初対面で、円尾さんが私を紹介してくれる。上品な貴婦人のような方で、井上さんから聞いた話では以前宝塚歌劇団にいらしたことがあるそうだ。私は山内鉄也監督とまったく面識がなかったのだが、4年前に記念本「一心錦之助」を作った時に、円尾さんが山内監督に原稿を依頼してくれた。そして、書いていただいた文章が熱のこもった素晴らしいものだったので、私が本の冒頭に置いたところ、あとで山内監督が大変喜んでいたと円尾さんから聞いた。しかし、残念なことに、これが山内さんの遺文の一つになってしまった。
もう一人の女性は、井上さんが紹介してくれる。河治和香さんといい、日本映画監督協会の事務局に勤めていらしたそうで、東映ビデオ宣伝部の河治信夫氏(平成20年7月に62歳で逝去)の奥様とのこと。「あっ」とすぐに思い当たる。河治氏は錦之助映画をはじめ東映時代劇のビデオ化を推進した功労者で、それをDVD化していく企画半ばで亡くなってしまったのだ。私は7年前にこの「錦之助ざんまい」を書き始めた時、一度電話でお話したことがある。東映ビデオのカバーの画像を使わせてくださいとお願いしたところ、快く承諾してくださり、錦之助映画の普及に大変協力的で、なんと話の分かる人なのだろうと感心した。そんな縁があって、河治氏の奥様と今頃になってお会いするとは思いもかけなかった。ちょっと話してみると、とても気さくで感じの良い方である。しかも、美人(お年の方は分からないが、私より数歳下だと思う)。
「これ、主人のことを書いた本です」と言って、和香さんが文庫本の入った茶封筒を差し出す。 その時は中を見る暇がなかったのだが、あとで出してみると、新潮文庫でタイトルは「未亡人読本」(河治和香)。経歴をざっと見ると、彼女は時代小説を書いている作家ではないか。びっくりした。
『祇園祭』が始まるので、皆さんを関係者席に案内する。館内は満員。立ち見客も数人いる。関係者席を8席取っておいたが、2席空いたので、お客さんに座ってもらう。私も関係者席に座って、今日はじっくりと鑑賞するつもりだ。『祇園祭』のニュープリントは、東京ではフィルムセンターで確か二度上映されたが、東京の映画館で上映されるのは今回が初めて。新文芸坐のお客さんもそれを知っていて、こんなにたくさん詰め掛けたにちがいない。
私が『祇園祭』を見るのは今度が四度目。高校1年の時に渋谷パンテオンで封切りを見て、その約40年後の8年前に京都文博で褪色したフィルムを見て、ニュープリントになった時にまた京都文博で見た。作品的にはいろいろ言いたいこともあるが今回は詳しくは書かない。ただ、錦之助が主人公の新吉を演じるにはちょっと老けているように感じる。前半がダラダラと長く、残虐なシーンが多すぎる(あの頃の風潮だったが…)。侍の描き方があまりに類型的で、支配者階級への憎悪が出過ぎる、相手役の岩下志麻が今ひとつなどなど。前半を40分くらいカットして短縮すれば、ラストの祇園祭復興がもっと盛り上がったように思う。
午後3時よりトークショー。山内鉄也夫人、尾形伸之介さん、井上泰治さんという順番に円尾さんが紹介し、三人の方それぞれにお話をしていただきながら、進行する。円尾さんが手際よく話を振り、ゲストの皆さんも不公平なく、おっしゃりたいことが話せたようで、大変良かった。
ただ、尾形さんがちょっと話し足りなかったようだが、仕方がない。
サイン会は尾形さんと井上さんにしてもらい、時間内に終了。昨日の丘さんに比べて、サインを求めるお客さんの数は少なかったが、これも仕方がない。
事務室で、ゲストの皆さんと少しだけ雑談して、山内夫人、井上さん、河治さんをお見送りする。「錦之助伝」は皆さんに進呈。
そのあと、「若き日の次郎長 東海の顔役」を見るのを私は諦め、尾形さん、高岡さんを誘って、寿司屋で小宴会。円尾さん、高橋かおるさんほか、総勢11名。2時間ほど。尾形さんが飲み過ぎたので(焼酎のお湯割り5,6杯)、高島平のご自宅までタクシーで帰っていただく。尾形さんは、元気だが、もう83歳。やはり心配だ。カーナビに尾形さんの住所を入れてもらい、運転手さんにお金も渡しておく。途中で寝てしまったら、着いてから起こして、お釣をあげて下ろしてくださいと頼む。
夜8時帰宅。円山榮子さんへ電話し、30分ほど話す。10時就寝。
しかし、夜中の3時に目が覚めてしまう。
メールボックスを開くと、錦ちゃんファンのSさんから、「錦之助伝」の読後感を届いている。お褒めの言葉をいただき、嬉しくなって、「よっしゃ、今日のレポートを書こうか」と思う。
今、レポートを書き終えたが、もう明け方である。
困ったなあ! まったく変な生活パターンになってしまった。
11時半、新文芸坐到着。3階のエレベーターの前で、円尾さんと会う。トークゲストの井上泰治さんも山内鉄也夫人もすでに見えていて、事務室で待っておられるという。
『祇園祭』の開始が11時40分からで、映画を見にいらっしゃることは井上さんから聞いていた。山内夫人も井上さんも京都在住で、夫人は昨夜東京のホテルで一泊し、井上さんも東京に来ていて、朝、夫人をホテルに迎えに行って、いっしょに新文芸坐へ来られると、昨日連絡があった。出迎えるつもりでいたのだが、主催者の私の方が遅刻をしてしまった。
でも、今日の聞き手の円尾さんがちゃんと迎えてくれたので、ほっとする。ロビーには尾形伸之介さんもすでにいらしていて、ファンの会の町田さんと歓談していたので、尾形さんにご挨拶してから、今度は高岡正昭さんを探す。高岡さんは、明日のゲストだが、今朝京都を発ち、11時半ごろ新文芸坐へ見えることになっている。ケイタイで連絡をとると、早く着いたので近くの喫茶店でお茶を飲んでいて、すぐこちらに向かうとのこと。
事務室から、井上さんと山内鉄也夫人、もう一人、女性の方が降りて来たので、エレベーター前で、ご挨拶。
映画監督の井上さんとは、この上映会の企画中に新宿で会って、酒を酌み交わしている。私とほぼ同世代(確か一歳下)。山内鉄也監督(平成22年4月逝去)のお弟子さんで、現在、テレビ時代劇の「水戸黄門」や「大岡越前」の監督をしている。時代劇俳優の育成にも努めていて、時代劇の復興を常に考えている真面目な方である。
山内夫人とは初対面で、円尾さんが私を紹介してくれる。上品な貴婦人のような方で、井上さんから聞いた話では以前宝塚歌劇団にいらしたことがあるそうだ。私は山内鉄也監督とまったく面識がなかったのだが、4年前に記念本「一心錦之助」を作った時に、円尾さんが山内監督に原稿を依頼してくれた。そして、書いていただいた文章が熱のこもった素晴らしいものだったので、私が本の冒頭に置いたところ、あとで山内監督が大変喜んでいたと円尾さんから聞いた。しかし、残念なことに、これが山内さんの遺文の一つになってしまった。
もう一人の女性は、井上さんが紹介してくれる。河治和香さんといい、日本映画監督協会の事務局に勤めていらしたそうで、東映ビデオ宣伝部の河治信夫氏(平成20年7月に62歳で逝去)の奥様とのこと。「あっ」とすぐに思い当たる。河治氏は錦之助映画をはじめ東映時代劇のビデオ化を推進した功労者で、それをDVD化していく企画半ばで亡くなってしまったのだ。私は7年前にこの「錦之助ざんまい」を書き始めた時、一度電話でお話したことがある。東映ビデオのカバーの画像を使わせてくださいとお願いしたところ、快く承諾してくださり、錦之助映画の普及に大変協力的で、なんと話の分かる人なのだろうと感心した。そんな縁があって、河治氏の奥様と今頃になってお会いするとは思いもかけなかった。ちょっと話してみると、とても気さくで感じの良い方である。しかも、美人(お年の方は分からないが、私より数歳下だと思う)。
「これ、主人のことを書いた本です」と言って、和香さんが文庫本の入った茶封筒を差し出す。 その時は中を見る暇がなかったのだが、あとで出してみると、新潮文庫でタイトルは「未亡人読本」(河治和香)。経歴をざっと見ると、彼女は時代小説を書いている作家ではないか。びっくりした。
『祇園祭』が始まるので、皆さんを関係者席に案内する。館内は満員。立ち見客も数人いる。関係者席を8席取っておいたが、2席空いたので、お客さんに座ってもらう。私も関係者席に座って、今日はじっくりと鑑賞するつもりだ。『祇園祭』のニュープリントは、東京ではフィルムセンターで確か二度上映されたが、東京の映画館で上映されるのは今回が初めて。新文芸坐のお客さんもそれを知っていて、こんなにたくさん詰め掛けたにちがいない。
私が『祇園祭』を見るのは今度が四度目。高校1年の時に渋谷パンテオンで封切りを見て、その約40年後の8年前に京都文博で褪色したフィルムを見て、ニュープリントになった時にまた京都文博で見た。作品的にはいろいろ言いたいこともあるが今回は詳しくは書かない。ただ、錦之助が主人公の新吉を演じるにはちょっと老けているように感じる。前半がダラダラと長く、残虐なシーンが多すぎる(あの頃の風潮だったが…)。侍の描き方があまりに類型的で、支配者階級への憎悪が出過ぎる、相手役の岩下志麻が今ひとつなどなど。前半を40分くらいカットして短縮すれば、ラストの祇園祭復興がもっと盛り上がったように思う。
午後3時よりトークショー。山内鉄也夫人、尾形伸之介さん、井上泰治さんという順番に円尾さんが紹介し、三人の方それぞれにお話をしていただきながら、進行する。円尾さんが手際よく話を振り、ゲストの皆さんも不公平なく、おっしゃりたいことが話せたようで、大変良かった。
ただ、尾形さんがちょっと話し足りなかったようだが、仕方がない。
サイン会は尾形さんと井上さんにしてもらい、時間内に終了。昨日の丘さんに比べて、サインを求めるお客さんの数は少なかったが、これも仕方がない。
事務室で、ゲストの皆さんと少しだけ雑談して、山内夫人、井上さん、河治さんをお見送りする。「錦之助伝」は皆さんに進呈。
そのあと、「若き日の次郎長 東海の顔役」を見るのを私は諦め、尾形さん、高岡さんを誘って、寿司屋で小宴会。円尾さん、高橋かおるさんほか、総勢11名。2時間ほど。尾形さんが飲み過ぎたので(焼酎のお湯割り5,6杯)、高島平のご自宅までタクシーで帰っていただく。尾形さんは、元気だが、もう83歳。やはり心配だ。カーナビに尾形さんの住所を入れてもらい、運転手さんにお金も渡しておく。途中で寝てしまったら、着いてから起こして、お釣をあげて下ろしてくださいと頼む。
夜8時帰宅。円山榮子さんへ電話し、30分ほど話す。10時就寝。
しかし、夜中の3時に目が覚めてしまう。
メールボックスを開くと、錦ちゃんファンのSさんから、「錦之助伝」の読後感を届いている。お褒めの言葉をいただき、嬉しくなって、「よっしゃ、今日のレポートを書こうか」と思う。
今、レポートを書き終えたが、もう明け方である。
困ったなあ! まったく変な生活パターンになってしまった。
次回は22日金曜日参上します。
背寒様25日まで自己ベストで頑張りましょう。
自分は尾形さんと似た様なハンチング被ってました。
正に 初々しい錦之助様でした。
こんな頃が、あったのか~と思って観させて貰いました。演技も初々しく…。
背寒さまも お目にかかれて、まさに似顔絵通りの素敵な方でした。
今日は、"一心錦之助"を買い、島英津夫様や高岡正昭様にサインを頂いて帰りました。
明日は" 初代 中村錦之助伝 "買う予定です。
笛吹き童子は、私が高校生の頃から観たかった映画。夢が叶って嬉しいです。
明日は待望の"ゆうれい船"。
こちらも、楽しみにしています。
背寒様に於かれましては、連日の忙しさから体調崩されませんようお気をつけて下さい。
では。
錦恋(きんこい?)さん、望みがかなって良かったですね。わかーい錦ちゃんは、いいッスよね。21歳だもん。あの品の良さ、爽やかさ、純粋さは、なんとも言えないです。
私が「似顔絵通りの素敵な方」とは!ハッハッハ、髪は染め、歯はボロボロ、背中は曲り、肩は凝り、なんて感じで、もうジジイ一歩手前なんですよ。
初日までの興奮も醒め、睡眠もたっぷりとれるようになったので、ご心配なく。