錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

初の現代劇『海の若人』(その3)

2015-06-02 22:45:47 | 海の若人

沼津ロケでのスナップ。ひばりちゃんが錦ちゃんの学生帽をかぶっている。左側にお母さん(加藤喜美枝)。背後にガードマンのような恐いおじさんがいる。錦ちゃんはカラーをはずし、不良学生のよう。頭の帽子(キャップ)はなんだろう?

『海の若人』は撮影に一ヶ月かかった。クランクインは3月17日、沼津ロケから始まって、アップしたのは4月17日。東映の映画では大作並みの撮影期間であった。が、実際は3月下旬、ロケ地沼津で雨が続き、いわゆる天気待ちで待機し、撮影できずに無駄に過ごした日が何日もあったのだった。
 当時の錦之助の撮影日誌を一部引用すると、

 3月19日 雨降りの為、旅館で一日待機。
 3月20日 雨。沼津にて待機中、後援会の会員の人達約250名が着いたとの連絡あり。千本松原で記念写真。
 3月21日 雨の為、待機。仕事に来ていて、毎日待機々々とこんな思いをさせられるのは一番憂鬱なことだ。
 3月22日 現場まで行ったが、曇りがちの為、天気待ち。結局撮影中止。
 3月23日 今日も朝から雨の為、待機。午前十時、後援会の皆さんが雨にもめげず千本松原の旅館に着いたとの連絡があり、直ちに出向く。午後二時過ぎに帰ると、午後四時より、(沼津)西校において撮影との連絡がある。午後五時、撮影開始。1カットだけだったが、仕事をしていることに大変張り合いを感じた。
 3月24日 待機。
 3月25日 昼間中止。夜間、校庭にてファイヤー・ストームを囲んで学友達と歌うシーンの撮影。
 3月26日 今日もまた雨降り。沼津の本隊に連絡を取ると、直ちに東京へ引き上げとの命を聞き、東京に向かった。


 以上、日誌によると、3月17日にクランクインして撮影できたのは、この日(沼津の海岸での作業シーン)と翌日(清水港での日本丸の乗船シーン、ラストシーンである)の二日間だけで、19日から一週間はほとんど撮影できなかった。
 錦之助は26日の夜、東京三河台の実家に帰ると、翌27日のオフ日は午後駒沢球場で野球観戦、夕方銀座で『海の若人』の出演者たちと会食。夜、大阪行きの夜行列車「彗星」に乗ると、翌朝大阪に到着。この日(28日)は、新築開館した大阪東映で昼から三回舞台挨拶して、夕方伊丹空港から飛行機で帰京。
 3月29日から約1週間、東映大泉撮影所のセットで撮影。4月7日から再度沼津ロケ。1週間天気続きで、3月下旬に撮影予定だったシーンを撮り終わる。しかし、4月14日のロケ最終日は徹夜撮影で、翌日の昼に東京へ帰ると、午後からまた大泉撮影所で残りのセット撮影。最後の2日は追い込みで、16日は徹夜。全部撮影を終了したのは17日の夜10時であった。
 錦之助は過労のためダウン。慶応病院に再入院し、三日間静養して、眠り続けたという。

 これは余談だが、『海の若人』の出演者だった岡部征純さん(当時は本名の正純で、不良学生の一人を演じた)が、その50年後にインターネットにブログを立ち上げ、第一回「萬屋錦之介(中村錦之助)」(2005年9月4日の記)の中で、沼津ロケでの思い出を書いている。面白いので引用しておく(打ち間違えは訂正した)。

――その日も朝から雨。午前中待機するも雨上がらず、中止。
「ようし、天気祭りをやろう」と錦之助さんの奢りで出演している役者二十数名、旅館の大広間で芸者をあげて大宴会が始まるのです。キャメラ前では一言の台詞も碌に喋れない連中が、田舎者の私以外皆んな芸達者で、飲むほどに歌や踊りのかくし芸大会。芸者もびっくり。
 若手三人は一番下っ端なので玄関の二階、つまり表通りに面した騒音の激しい三人部屋でした。ところが、人気スター中村錦之助が沼津に宿泊していると言うので、春休みでもあり、百人あまりの女学生達が毎朝五時ごろから一斉に、せいので、錦ちゃんコール、玄関の二階に寝てる我々三人はたたき起こされるのです。寝不足、二日酔い、眼は真っ赤、ほとんど死んでいました。ところがロケ出発するも運が良いのか悪いのかその日もまた雨。ロケバスの中で熟睡、そして正午に中止決定。その夜も芸者あげての大宴会。流石の錦之助さんも財布の中身が底をつき、マネージャーに東映本社に前借りの電話を帳場でさせている。それを、我々三人が聞いてしまったのです。
 こう毎日散財かけては悪いから我々三人は体調が良くないと言って御遠慮しようと話が決まりました。そこへ錦之助さんの付き人が来て若旦那(錦之助)が三人足りないと言ってるよと呼びに来たので、今日は失礼しますとお断りしたら、今度は、マネージャーが来て若旦那が怒っているぞと、言い終わらないうちに階段をトントントンと上がって来て、当の錦之助さんが「何だ手前ら、俺の酒が飲めねえのか!」と、べらんめえの大きな声で怒鳴られ三人のチンピラ役者は腰をぬかし階段を転げ落ちんばかりに「只今、直ぐに!」と駆け降りました。
 毎晩の宴会の罰が当たり全日の雨で撮影が大幅に遅れ、その時、当代人気俳優中村錦之助、美空ひばりの共演なので森永ミルクチョコレートとタイアップ、封切日を五月何日と印刷して全国に発売してしまった為、封切を伸ばす事が出来ず、撮影所に帰ってからが大変でした。一週間一睡も出来ず徹夜徹夜で、監督はじめスタッフもA班B班C班と八時間の三交代、交代出来ないのは役者のみ、しかも商船学校のボート訓練中、台風に遭いボートが遭難するシーンで撮影所の中庭のプールにボードを浮かべ撮影するもナイトシーンなので夜が明けると直ちにセットに切り替え、その間にセットの隅で死んだように寝てる。寝られては困ると制作部がインスタントコーヒーを大きな薬缶で、ばんばん沸かし、もう嫌だと言うのに無理矢理飲まされ、胃はやられ、食事は喉を通らず、まるで徳川の拷問でした。(中略)
 めでたくクランクアップしてお別れの日に、(錦之助さんは)又東京の撮影所のメンバーと仕事がしたいと、時代劇の京都撮影所に帰られました。若いときからあれ程仲間、そして下っ端の私達に対する気づかい、勘の良い粋な演技、そして豪快さと繊細さを持ち合わせた魅力ある大スターでした。