京都での上映会を企画して催したのは今度が三度目だった。「三度目の正直」の意気込みでの再挑戦したのだが、またもや赤字を出す結果になってしまった。昨年4月、祇園会館での「錦之助映画祭り」オープニング、続いて6月、京都シネマで一週間催した「錦之助映画祭り」、そして今回の「吐夢、月形回顧上映会」と、すべて20万円以上の赤字を出してしまった。が、同じ赤字でも、率直に言って一番盛り上がらなかったのが今回の上映会だった。
祇園会館の時は、土曜日を丸一日借り切って、大々的にオープニングの催しを行った。主催は錦之助映画ファンの会。「曽我兄弟 富士の夜襲」「独眼竜政宗」「浪花の恋の物語」の3本立てで、すべてニュープリント。トークゲストに有馬稲子さんを迎え、聞き手は中島貞夫監督。この日は有馬さんのトークショーに250名ほど集った。「京都での興行は難しいぞ!」と最初京都でのこの催しに消極的で、その後いろいろ忠告してくださった中島監督が、「このくらいお客さんが集れば上等だよ」とおしゃってくれた。私はそれでも不満だった。祇園会館は500名入るホールなので、半分の入りでは空席が目立ち、寂しかった。が、今にして思えば、中島監督がやってる京都映画祭に負けないくらいお客さんが集ったので、これでも成功の部類だったかもしれない。京都での50年ぶりの「錦ちゃん祭り」だったこともあり、有馬稲子さんがわざわざ横浜からトークショーのためにいらしてくださったのが、大きかった。
京都シネマでは館主の神谷雅子さんの協力を得て、一週間に7本の錦之助映画を上映した。ここは小さなシネコンで、100名ほど入る一室を朝から夕方まで独占して、上映会を行った。トークショーも毎日催した。初日(土曜)は今は亡き千原しのぶさんだった。千原さんのトークの時だけは満員で、他のトークショーは30名前後の入りだった。映画の上映時は多くて50名、少ないと10名くらい。平日はガラガラだという印象を受けた。最終日に、中島監督を交え、神谷さんと私で反省会を開いた。京都シネマの会員(確か2000人以上いるはず)は20歳代から40歳代までがほとんどで、昔の東映時代劇には関心が薄いという結論であった。
ところで、今回の「吐夢、月形回顧上映会」は、当初京都シネマで一週間予定していたのだが、夏前にT・ジョイ本社から私の所へ連絡があり、6月にオープンしたT・ジョイ京都でやらせてくれないかという申し出があった。京都シネマの神谷さんも、同じ京都に東映系のシネコンができた以上、今回はそちらでやった方が好ましいという判断だった。そこで、T・ジョイ京都で、東映時代劇傑作選(その一)というサブタイトルを付けて、上映会を行うことになったわけである。
経緯の説明が長くなった。
ともかく、三度目の正直は、見事な失敗に終ってしまった。上映会の初日のお客さんの入りを見て、これじゃダメだと感じ、二日目(日曜)の『宮本武蔵』の上映に期待をかけたが、これも裏切られ、私は心に大きなダメージを受けた。落胆、悔しさ、腹立たしさ、徒労感、むなしさなど、人には言えない複雑な思いを抱きながら、初日、二日とトークショーの司会を務めた。会場では、努めて明るく振舞っていたが、ハラワタは煮えくり返る思いだった。二日目には東京から内田有作さんが応援に駆けつけてくださり、トークショーの前に10分ほど挨拶をしてくださった。
三日目の中村和光さん(殺陣師)、五日目の井川徳道さん(秋田實さんは体調が悪く欠席)、六日目の高岡正昭さんと門田雅成さんのトークショーは、聞き手を円尾敏郎さんにお願いし、私は四日目の雪代敬子さん、最終日の神先頌尚(かんざきひろなお)さんと鳥居元宏さんの聞き手を務めた。ゲストの皆さんは、内輪でしか聞けないような、とっておきの話をしてくださった。皆さん、話し足りないほど楽しいトークをしていただき、私は感謝の気持で一杯になった。中村和光さんは袴姿の和服で登場し、お弟子さんの林真生さんを相手に刀で殺陣の基本を実演してくださった。私の参謀役の円尾敏郎さんには、昨年からずっと、私が上映会を催すたびに全面的な協力を得ているが、今回も自費で京都へ来て初日から最終日まで滞在し、裏方をしてくれた。まさに手弁当で、円尾さんほど、映画が好きで精力的にボランティア活動をしている人はいないと思う。
会場に足繁く通ってくださった少数の皆さんから、励ましの言葉、慰めの言葉をいただいた。山崎ご夫妻(大映の元キャメラ助手と元女優さん)、映画書籍のコレクターの小部屋さん、橋蔵ファンのIさんには大変感謝している。残念ながら錦之助映画ファンの会の会員は今回参加者が少なく、私は失望を感じたが、それでも大阪在住の錦尊さんと錦心さん、京都の八隅さんと塩木さん、名古屋の倭錦さんが何本も映画を観てくれ、東京からは、かおるさんが二度にわたり京都まで応援に駆けつけてくれた。浜松のポテトさんも日曜日だけだったが、4本映画を観てくれた。北九州からは、泊りがけで中島さんが参加し、手渡しで義捐金まで(ファンの会への寄付金ではない)くださった。山崎ご夫妻からも義捐金や差し入れをいただいた。実を言うと、今回の上映会のため私は自分のお金を相当遣い、しかもトーク・ゲストのお礼とお車代を立て替えなければならないことになり、困っていた。それを中島さんも山崎さんも知って、気遣ってくれたのだった。他にもコレクターの石割さん、河野さん、右太衛門ファンの八木さんとか、関西在住の錦ちゃんファンや私の知り合いが何人か来てくれた。が、いかんせん、私にとって京都は遠隔の地。ホームグラウンドの東京での上映会に比べ、錦之助ファンも私の知り合いも少ない。これが、痛手だった。昨年京都で二回催した上映会には錦ちゃんファンがもっとあちこちから参加してくれた。あの頃はみんなもっと熱かったと思う。東京でこれだけ錦之助映画を上映するようになると、ファンの渇望感が低下し、東京で観たから今回は遠慮しようという自己本位の気持が生まれ、錦之助を世の中へ普及しようというファンの会の主旨が見失われてきたように思うのだ。
T・ジョイ京都の上映設備は申し分ない。スクリーンも大きいし、座席も快適で、観やすい。祇園会館や京都シネマや京都文化博物館よりずっと良い上映環境なのだ。錦ちゃんファンにはぜひここで錦之助映画を観てもらいたかったと思うが、もう後の祭りである。おそらく、「東映時代劇傑作選(そのニ)錦之助映画特集」をここで実現することは最早不可能になってしまったと思う。それが私には残念でならない。
祇園会館の時は、土曜日を丸一日借り切って、大々的にオープニングの催しを行った。主催は錦之助映画ファンの会。「曽我兄弟 富士の夜襲」「独眼竜政宗」「浪花の恋の物語」の3本立てで、すべてニュープリント。トークゲストに有馬稲子さんを迎え、聞き手は中島貞夫監督。この日は有馬さんのトークショーに250名ほど集った。「京都での興行は難しいぞ!」と最初京都でのこの催しに消極的で、その後いろいろ忠告してくださった中島監督が、「このくらいお客さんが集れば上等だよ」とおしゃってくれた。私はそれでも不満だった。祇園会館は500名入るホールなので、半分の入りでは空席が目立ち、寂しかった。が、今にして思えば、中島監督がやってる京都映画祭に負けないくらいお客さんが集ったので、これでも成功の部類だったかもしれない。京都での50年ぶりの「錦ちゃん祭り」だったこともあり、有馬稲子さんがわざわざ横浜からトークショーのためにいらしてくださったのが、大きかった。
京都シネマでは館主の神谷雅子さんの協力を得て、一週間に7本の錦之助映画を上映した。ここは小さなシネコンで、100名ほど入る一室を朝から夕方まで独占して、上映会を行った。トークショーも毎日催した。初日(土曜)は今は亡き千原しのぶさんだった。千原さんのトークの時だけは満員で、他のトークショーは30名前後の入りだった。映画の上映時は多くて50名、少ないと10名くらい。平日はガラガラだという印象を受けた。最終日に、中島監督を交え、神谷さんと私で反省会を開いた。京都シネマの会員(確か2000人以上いるはず)は20歳代から40歳代までがほとんどで、昔の東映時代劇には関心が薄いという結論であった。
ところで、今回の「吐夢、月形回顧上映会」は、当初京都シネマで一週間予定していたのだが、夏前にT・ジョイ本社から私の所へ連絡があり、6月にオープンしたT・ジョイ京都でやらせてくれないかという申し出があった。京都シネマの神谷さんも、同じ京都に東映系のシネコンができた以上、今回はそちらでやった方が好ましいという判断だった。そこで、T・ジョイ京都で、東映時代劇傑作選(その一)というサブタイトルを付けて、上映会を行うことになったわけである。
経緯の説明が長くなった。
ともかく、三度目の正直は、見事な失敗に終ってしまった。上映会の初日のお客さんの入りを見て、これじゃダメだと感じ、二日目(日曜)の『宮本武蔵』の上映に期待をかけたが、これも裏切られ、私は心に大きなダメージを受けた。落胆、悔しさ、腹立たしさ、徒労感、むなしさなど、人には言えない複雑な思いを抱きながら、初日、二日とトークショーの司会を務めた。会場では、努めて明るく振舞っていたが、ハラワタは煮えくり返る思いだった。二日目には東京から内田有作さんが応援に駆けつけてくださり、トークショーの前に10分ほど挨拶をしてくださった。
三日目の中村和光さん(殺陣師)、五日目の井川徳道さん(秋田實さんは体調が悪く欠席)、六日目の高岡正昭さんと門田雅成さんのトークショーは、聞き手を円尾敏郎さんにお願いし、私は四日目の雪代敬子さん、最終日の神先頌尚(かんざきひろなお)さんと鳥居元宏さんの聞き手を務めた。ゲストの皆さんは、内輪でしか聞けないような、とっておきの話をしてくださった。皆さん、話し足りないほど楽しいトークをしていただき、私は感謝の気持で一杯になった。中村和光さんは袴姿の和服で登場し、お弟子さんの林真生さんを相手に刀で殺陣の基本を実演してくださった。私の参謀役の円尾敏郎さんには、昨年からずっと、私が上映会を催すたびに全面的な協力を得ているが、今回も自費で京都へ来て初日から最終日まで滞在し、裏方をしてくれた。まさに手弁当で、円尾さんほど、映画が好きで精力的にボランティア活動をしている人はいないと思う。
会場に足繁く通ってくださった少数の皆さんから、励ましの言葉、慰めの言葉をいただいた。山崎ご夫妻(大映の元キャメラ助手と元女優さん)、映画書籍のコレクターの小部屋さん、橋蔵ファンのIさんには大変感謝している。残念ながら錦之助映画ファンの会の会員は今回参加者が少なく、私は失望を感じたが、それでも大阪在住の錦尊さんと錦心さん、京都の八隅さんと塩木さん、名古屋の倭錦さんが何本も映画を観てくれ、東京からは、かおるさんが二度にわたり京都まで応援に駆けつけてくれた。浜松のポテトさんも日曜日だけだったが、4本映画を観てくれた。北九州からは、泊りがけで中島さんが参加し、手渡しで義捐金まで(ファンの会への寄付金ではない)くださった。山崎ご夫妻からも義捐金や差し入れをいただいた。実を言うと、今回の上映会のため私は自分のお金を相当遣い、しかもトーク・ゲストのお礼とお車代を立て替えなければならないことになり、困っていた。それを中島さんも山崎さんも知って、気遣ってくれたのだった。他にもコレクターの石割さん、河野さん、右太衛門ファンの八木さんとか、関西在住の錦ちゃんファンや私の知り合いが何人か来てくれた。が、いかんせん、私にとって京都は遠隔の地。ホームグラウンドの東京での上映会に比べ、錦之助ファンも私の知り合いも少ない。これが、痛手だった。昨年京都で二回催した上映会には錦ちゃんファンがもっとあちこちから参加してくれた。あの頃はみんなもっと熱かったと思う。東京でこれだけ錦之助映画を上映するようになると、ファンの渇望感が低下し、東京で観たから今回は遠慮しようという自己本位の気持が生まれ、錦之助を世の中へ普及しようというファンの会の主旨が見失われてきたように思うのだ。
T・ジョイ京都の上映設備は申し分ない。スクリーンも大きいし、座席も快適で、観やすい。祇園会館や京都シネマや京都文化博物館よりずっと良い上映環境なのだ。錦ちゃんファンにはぜひここで錦之助映画を観てもらいたかったと思うが、もう後の祭りである。おそらく、「東映時代劇傑作選(そのニ)錦之助映画特集」をここで実現することは最早不可能になってしまったと思う。それが私には残念でならない。