この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

聞き流す力。

2020-05-25 21:11:41 | 戯言
 『テラスハウス』に出演していた女子プロレスラーの木村花さんが亡くなられました。
 死因は不明ですが、自殺とのことです。
 彼女は同番組でのある事件をきっかけアンチが増え、彼女のツイッターには一日100件の誹謗中傷コメントが書き込まれていたそうです。

 この件を受け、ネットでは誹謗中傷行為には厳罰を処すべきだという声が高まっていますが、自分はこの考えには反対です。
 理由はいくつかありますが、誹謗中傷行為に厳罰を処すべきだと考える人の中にはそもそも誹謗中傷とは何か、誹謗と中傷の違いすら分かっていない人がいるようにも見受けられます。
 詳しくは辞書で調べて欲しいのですが、同じ悪口であっても、誹謗は事実であり、根拠のある悪口です。
 一方中傷は根拠のない悪口であり、いわば言いがかりです。
 中傷行為がいけないというのはわかります。
 人はやってもいないことで責められるべきではありません。
 しかし誹謗は?
 実際その人がやってことで責められるとしたら、それはある意味仕方のないことではないでしょうか。

 例えばお笑い芸人のOが自身のラジオ番組で「コロナ(騒動)が明けたら美人が風俗嬢をやる」と発言しました。
 この発言は最低だ、と誰かが言えば、それは誹謗行為になります。中傷行為ではありません。
 そしてこの誹謗行為は果たしていけないことなのでしょうか?
 Oの発言は最低だと思った人がその考えをそのまま口にしたとして、それの何がいけないというのです?
 
 誹謗中傷行為に厳罰を、と主張している人は誹謗中傷とひとまとめにしていること自体乱暴に思えますし、そもそもどういった場合に厳罰を処すべきなのか、それすら考えていないように思えてなりません。
 誹謗中傷行為には無制限に厳罰を科すべきなのか、それとも誹謗中傷の対象の名誉が著しく傷つけられた場合に厳罰を科すべきなのか、もしくは誹謗中傷の対象が自ら命を絶った場合にのみ厳罰を科すべきなのか、きちんと考えはあるのでしょうか。

 木村花さんの件は悲劇だと思います。
 こういった悲劇は繰り返されるべきではないとも思います。
 しかし悲劇を繰り返さないために厳罰を科す、というのは間違っていると思うのです。

 なぜ間違っていると思うのか、一つにはすべての誹謗行為が必ずしもいけないことではないということは述べました。
 しかしもっと根源的な問題があります。
 言葉は時に暴力になる、というのはもっともだと思います。
 しかし私たちはどんな時に言葉が暴力になるのか、把握しているわけではありません。
 「死ね」とか「殺す」とかいったわかりやすい罵詈雑言ではなく、時に良かれと思って口にした言葉が相手を深く傷つけることもあります。
 それは仕方ない?
 そういうこともある?
 そういうふうに納得出来るものなのでしょうか。

 木村花さんのような悲劇を繰り返さないために必要なのは、聞き流す力ではないでしょうか。
 自分はブログを始めて15年にもなります。
 その間、数え切れないぐらいの人がコメントを残していきましたが、中には「荒らし」としか呼べない人もいました。
 人格否定をされたこともあれば、一度に50近くの意味不明なコメントをされたこともあり、いつまでもしつこく粘着質のコメントをされ続けたこともあります。
 ただ、それらのコメントで落ち込んだり、傷ついたりしたことはあまりありません。
 なぜかというと、自分のブログの運営スタンスは「どーでもいい人から何を言われてもどーでもいい」であり、「荒らし」コメントは聞き流しているからです。
 長くブログを、引いてはSNSを続けるコツはそれなのではないかと思いますが、まぁ聞き流してもらっても構いません。
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