9月10日から9月16日まで自殺予防週間なのだそうです。
最初聞いた時、「え?」って思いました。
これが結核予防週間ならわかるし、火災予防週間でもわかる、でも自殺予防週間って???
自殺って、予防出来るものなの?
すごく違和感がある、、、のだけれど、予防出来るものだから、予防週間が設けられているのでしょうね。
そもそも自殺って予防しなければいけないものなんですかね?
言い換えれば、自殺ってしてはいけないものなのか?
してはいけないものなら、なぜしてはいけないのか?
このシンプルな問いにどれぐらいの人が答えられるのでしょうか。
なぜ自殺をしてはいけないかだって?
いけないからいけないに決まっている、というような答えをする方も多いのではないでしょうか。
でも、それは答えになってないですよね。
いけないからいけないというのは思考が停止しているというか、中身がないというか、そんな言葉では誰も自殺を思いとどまることはないと思います。
残された人が悲しむから自殺はしてはいけないのだという人もきっといるでしょう。
でも、自分に言わせればその答えは最悪です。
悲しむ人がいるから自殺をしてはいけないのだとしたら、天涯孤独で友だちのいない人間は死んでも構わない、と言っていることと同じだからです。
もちろんそんなつもりで言ったわけじゃないってことはわかります。
でもそう言われたように感じるんですよ、友だちのいない人間には。
もし自殺が本当にいけないことであるなら、悲しむ人がいようがいまいが、してはいけないはずです。
さんざん考えましたが、なぜ自殺をしてはいけないのか、自分はその答えを見つけることが出来ませんでした。
ですから自分は見知らぬ誰かが死のうとしていてもそれを止めるということはしないと思います。
ただ、教えて欲しいことはあります。
よく、死のうとしている人間が「死んで楽になりたい」っていうじゃないですか。
それがよくわからないんですよね。
何で死んだら楽になれると思うのか。
楽になれるかもしれないし、なれないかもしれない。
死んだことのない人間にはそれはわからないことであるはずです。
なのになぜそれを決めつけられるのかを教えて欲しいのです。
自分は現在、リアルでは友だちがいません。
将来に希望もありません。
仕事も楽しくはないです。
でも「死にたい」と思うことはないですね。
なぜ「死にたい」と思わないかというと、別に自殺がいけないことだと思っているからではなく、死んだら楽になれるなんてそんな美味しい話はないだろうと思っているからです。
生きている間思うがままにならなかったのであれば、それは死んだ後も同じなんじゃないかなぁ。
まぁそういうふうに思うのも自分が悲観的なものの考え方をするからかもしれません。
最初聞いた時、「え?」って思いました。
これが結核予防週間ならわかるし、火災予防週間でもわかる、でも自殺予防週間って???
自殺って、予防出来るものなの?
すごく違和感がある、、、のだけれど、予防出来るものだから、予防週間が設けられているのでしょうね。
そもそも自殺って予防しなければいけないものなんですかね?
言い換えれば、自殺ってしてはいけないものなのか?
してはいけないものなら、なぜしてはいけないのか?
このシンプルな問いにどれぐらいの人が答えられるのでしょうか。
なぜ自殺をしてはいけないかだって?
いけないからいけないに決まっている、というような答えをする方も多いのではないでしょうか。
でも、それは答えになってないですよね。
いけないからいけないというのは思考が停止しているというか、中身がないというか、そんな言葉では誰も自殺を思いとどまることはないと思います。
残された人が悲しむから自殺はしてはいけないのだという人もきっといるでしょう。
でも、自分に言わせればその答えは最悪です。
悲しむ人がいるから自殺をしてはいけないのだとしたら、天涯孤独で友だちのいない人間は死んでも構わない、と言っていることと同じだからです。
もちろんそんなつもりで言ったわけじゃないってことはわかります。
でもそう言われたように感じるんですよ、友だちのいない人間には。
もし自殺が本当にいけないことであるなら、悲しむ人がいようがいまいが、してはいけないはずです。
さんざん考えましたが、なぜ自殺をしてはいけないのか、自分はその答えを見つけることが出来ませんでした。
ですから自分は見知らぬ誰かが死のうとしていてもそれを止めるということはしないと思います。
ただ、教えて欲しいことはあります。
よく、死のうとしている人間が「死んで楽になりたい」っていうじゃないですか。
それがよくわからないんですよね。
何で死んだら楽になれると思うのか。
楽になれるかもしれないし、なれないかもしれない。
死んだことのない人間にはそれはわからないことであるはずです。
なのになぜそれを決めつけられるのかを教えて欲しいのです。
自分は現在、リアルでは友だちがいません。
将来に希望もありません。
仕事も楽しくはないです。
でも「死にたい」と思うことはないですね。
なぜ「死にたい」と思わないかというと、別に自殺がいけないことだと思っているからではなく、死んだら楽になれるなんてそんな美味しい話はないだろうと思っているからです。
生きている間思うがままにならなかったのであれば、それは死んだ後も同じなんじゃないかなぁ。
まぁそういうふうに思うのも自分が悲観的なものの考え方をするからかもしれません。
毒親に人生狂わされ、病んでしまいました。
自傷を繰り返し
精神薬の依存症でもありました
でもどこか人間的な魅力のある人で
時々、深夜までお互いの話をする事も。
一昨年
彼女は自殺しました
面倒見てた他の人が第一発見者でした
こうやって書いてても涙が出できます
彼女を知ってる、ある人は
「やっと苦しみから解放されたんだ」と言います。
自殺が解放とは思いたくないです。
私はかなり負けず嫌いなので
自殺は環境に負けたと思うから。
だから
あんな毒親になんで負けたんだよ!
って、今でも悔しくて悲しい思い出です
彼女の言葉のいくつかは、心に残ってます。
でもその考えを肯定してしまうと、自殺を否定する理由がなくなるように思えます。
毒親から逃げること自体は別に悪いことではないので、亡くなられた方はミオさんらご友人をもっと頼って逃げるべきでした。
私も毒親から逃げる提案をしましたが
以前、逃げたものの失敗したそうです
もう逃げる気力も無くなってたのかも。
そこまで追い詰められたことはないので、その心境はわかりません。
それとも逃げること自体に罪悪感を覚えていたのでしょうか?
逃げることは悪いことではないと思いますけどね。